LOGIN翌日、僕と本宮さんは、遅めの朝食を食べていた。もちろん、リビングにいるのは、僕たち2人だけだ。日曜日とはいえ、ムーンリバーは開店している。以前、聞いた話だと、日曜日にしか来られない客もいるらしい。そういうわけで、両親は今日も仕事に勤しんでいる。
「それにしても、香川さん、大丈夫なのか? 昨夜は、かなり酔ってたみたいだけど」
と、本宮さんが心配している。
昨夜、父さんと本宮さんは晩酌をしていた。はちみつ酒でかなり酔っぱらった父さんは、呆れ顔の母さんに介抱される始末だった。普段からあまり飲酒をしない父さんだけれど、本宮さんがいるおかげで浮かれてしまっていたようだ。
「それは、大丈夫じゃないかな? 母さんが何とかしてくれてるよ、きっと」
僕が希望的観測で言うと、
「まあ、それもそうか。あの亜紀先輩がついてるんだもんな」
と、本宮さんも思い直したようにうなずいた。
どうやら、本宮さんにとって母さんは、本当に頼れる存在らしい。
(それにしても……)
と、僕はサンドイッチを食べながら、本宮さんを盗み見る。
僕の対面に座る本宮さんは、本当に美味しそうにサンドイッチを食べている。昨夜のことは夢だったのかと思えるほど、いつも通りの彼だった。本宮さんも酔ってはいたから、もしかしたら覚えていないのかもしれない。
(でも、それはそれで、ちょっと嫌だな)
なんて思うけれど、確認する勇気はない。
もし、本当に忘れられていたらと思うと、胸が苦しくなる。だって、あの時、あの瞬間、一世一代の大きな覚悟をしたのだから。これは、僕だけのものだ。だから、胸の奥にしまっておく。本宮さんにだって、言うつもりはなかった。たぶん、彼は気づいていると思うけれど。
「優樹? どうした?」
僕の心の内なんか知らないだろう本宮さんが、いつも通りの口調でたずねる。
「ううん、どうもしないよ。ちょっと、昌義さんに見惚れてただけ」
と、僕が言うと、本宮さんは目を丸くしていた。
「どうしたの?」
と、今度は僕が首をかしげ
翌日、僕と本宮さんは、遅めの朝食を食べていた。もちろん、リビングにいるのは、僕たち2人だけだ。日曜日とはいえ、ムーンリバーは開店している。以前、聞いた話だと、日曜日にしか来られない客もいるらしい。そういうわけで、両親は今日も仕事に勤しんでいる。「それにしても、香川さん、大丈夫なのか? 昨夜は、かなり酔ってたみたいだけど」と、本宮さんが心配している。昨夜、父さんと本宮さんは晩酌をしていた。はちみつ酒でかなり酔っぱらった父さんは、呆れ顔の母さんに介抱される始末だった。普段からあまり飲酒をしない父さんだけれど、本宮さんがいるおかげで浮かれてしまっていたようだ。「それは、大丈夫じゃないかな? 母さんが何とかしてくれてるよ、きっと」僕が希望的観測で言うと、「まあ、それもそうか。あの亜紀先輩がついてるんだもんな」と、本宮さんも思い直したようにうなずいた。どうやら、本宮さんにとって母さんは、本当に頼れる存在らしい。(それにしても……)と、僕はサンドイッチを食べながら、本宮さんを盗み見る。僕の対面に座る本宮さんは、本当に美味しそうにサンドイッチを食べている。昨夜のことは夢だったのかと思えるほど、いつも通りの彼だった。本宮さんも酔ってはいたから、もしかしたら覚えていないのかもしれない。(でも、それはそれで、ちょっと嫌だな)なんて思うけれど、確認する勇気はない。もし、本当に忘れられていたらと思うと、胸が苦しくなる。だって、あの時、あの瞬間、一世一代の大きな覚悟をしたのだから。これは、僕だけのものだ。だから、胸の奥にしまっておく。本宮さんにだって、言うつもりはなかった。たぶん、彼は気づいていると思うけれど。「優樹? どうした?」僕の心の内なんか知らないだろう本宮さんが、いつも通りの口調でたずねる。「ううん、どうもしないよ。ちょっと、昌義さんに見惚れてただけ」と、僕が言うと、本宮さんは目を丸くしていた。「どうしたの?」と、今度は僕が首をかしげ
「ん? そうなのか?」と、僕の方を見る本宮さん。いつも以上に色っぽい彼に、僕は思わず息を飲んだ。まさか、こんなにも色気が増すなんて思ってもみなかった。小首をかしげる本宮さんから視線をはずして、僕はうなずいた。さすがに、妖艶な彼を直視するなんて勇気は、今の僕にはない。「普段、ほとんど飲まないからね。たまに飲むと、さすがに酔っぱらうみたいだよ。それに、今日は本宮もいるからね。浮かれてるんじゃないかい?」と、母さんがキッチンから戻ってきた。その手には、真新しいグラスが2つほどある。「はい」と、そのうちの1つを僕の前に置いた。「これは?」僕がお礼を言ってたずねると、「はちみつレモンだよ」微炭酸のねと、母さんが答えた。その言葉に、僕は面食らってしまった。今まで、食後――それも風呂上がりに作ってもらったことなんてない。早く寝なさいとどやされるのが、日常だった。(これも、昌義さんのおかげかな)そんなことを密かに思いながら、はちみつレモンに口をつけた。はちみつの甘さと爽やかなレモンの香りが、口の中で広がる。ほどよい微炭酸の刺激もあって、風呂上がりのほてった体に染み渡るようだった。「ほら! 修吾さんは、これ飲んで」と、母さんは父さんに水を勧めている。「……甲斐甲斐しい亜紀先輩、初めて見た」本宮さんが、ぽつりとつぶやいた。「そうなの? うちじゃあ、わりとこんな感じだけど」と、僕は両親を見ながら言った。父さんは、まだはちみつ酒を飲むと駄々をこねている。そんな父さんをあしらいながら、母さんははちみつ酒がまだ残っているグラスを水入りのグラスにすり替えて飲ませていた。たしかに、ここまで父さんの世話を焼くのは、珍しいかもしれない。でも、母さんは、基本的に誰かの世話を焼くのが好きなタイプだと思う。口では文句を言いながらも、母さん自身が楽しんでいるように見えたからだ。「たしかに、姉御肌で面倒見がいい人だよな。でも、俺が知
「しばらく、そうさせてあげな。だいぶ、気に病んでたみたいだから」と、母さんが優しく言った。そんなことを言われてしまったら、何も言えなくなってしまう。僕は、もう一度ごめんと言って、父さんの気が済むまで抱きしめられていることにした。母さんがリビングに行くのを、横目で確認する。「本宮、今日はありがとね」「いえ。俺も心配だったんで」という母さんと本宮さんの会話が聞こえた。その短いやり取りだけで、僕がどれほど2人に――もちろん、父さんにもだけれど――愛されているのかを感じた。母さんと本宮さんの声音が、いつもより優しいものだったからだ。(もう、無理はしないでおこう)僕は、密かにそう心に誓う。僕が大切に思っている人たちを、もう悲しませたくないから。「そういえば、夕飯はもうできてるって言ってたよな?」気が済んだのか、父さんは僕から離れてそんな疑問を口にした。僕はうなずいて、すぐに準備するからと告げた。父さんが手伝うと言ってくれたけれど、笑顔で断った。病み上がりとはいえ、動けないわけではない。何よりこれは、心配をかけてしまったことへのお詫びみたいなものだからだ。全員分のカレーとスープを配膳して、食卓につく。「えっと……ご心配をおかけしました。これは、僕からのお詫びってことで」召し上がれと言うと、母さんがいきなり笑い出した。「何を改まってるんだい、この子は。心配するのは、当たり前だろ? でもまあ、せっかく作ってくれたんだし、いただこうかね」と、カレーに手をつける。母さんに続いて、僕たちもいただきますと言って食べ始めた。ほどよい辛さのカレーは、思ったよりもコクが増していた。隠し味に入れたチョコレートのおかげだろう。鼻から抜けるほんのりと甘い香りが、チョコレートの存在をアピールしている。「美味い!」と、本宮さんが顔をほころばせる。「よかったな、優樹」と、にこやかな父さんに言われ、僕は満面の笑みでうなずいた。
「あ、いや、それは大丈夫! 僕の方こそごめん!」僕が頭を下げると、「どうして、優樹が謝るんだ?」と、本宮さんがきょとんとしながらたずねた。「いや、えっと……僕が、起こしちゃったかなって。昌義さんの髪、なでてたから」と、僕はしどろもどろに答える。「別に、気にする必要ねえよ。遠慮せずに、もっとなでてもいいんだぜ?」なんて言って、本宮さんは微笑んでいる。その笑顔がとてもかっこよく見えて、僕はときめいてしまった。顔が真っ赤になっているだろうから、すぐにでもベッドに潜り込みたい。けれど、さすがに許してはくれないだろう。「そ、それじゃあ……失礼して」と、意を決した僕はおずおずと彼の頭をなでる。うっとりと目を細める本宮さんは、とても無防備で。普段はなかなか見られない彼の一面に、ドキドキする。とろけるような笑みを見せる彼を、とてもかわいいと思ってしまった。(大人の男の人に、『かわいい』は、おかしいかな?)ふと、そんな疑問が浮かび、僕は手を止めた。「どうした?」と、本宮さんが小首をかしげる。「あ……いや、何でもない!」唐突に恥ずかしくなった僕は、取り繕うように言ってそっぽを向いた。「何でもないって態度じゃねえな?」と、本宮さんが僕の顔をのぞき込もうとする。僕は、それを阻止するように彼に背中を向けた。「優樹? こっち向いてくれよ」本宮さんはそう言いながら、僕を後ろから抱きしめた。彼のぬくもりが心地よくて、身を委ねたくなってしまう。それを知ってか知らずか、本宮さんは、僕のうなじに何度もキスを落とす。その感触に、変な声が出そうになった。どうにか我慢していると、「なあ、優樹。何か思ってることがあるなら、お前の言葉で教えてくれないか?」と、本宮さんが僕の耳もとでささやいた。「――っ!」一瞬、心臓が止まるかと思った。い
(どうして、そんなこと……)涙がほほを伝い、2人の楽しかった思い出が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。「どうして……? 僕のこと、嫌いにでもなったの?」どうにかそれだけを口にすると、本宮さんは鼻で笑った。「お前とは遊びだったんだよ、最初っからな。なのにお前、本気なんだもん。マジでウケるぜ」嘲るような笑顔を浮かべながら、本宮さんはそう言った。けれど、彼の焦げ茶色の瞳は、一切、笑ってはいなかった。「じゃあ……あのリングネックレスも、プロポーズの言葉も、うそだったのかよ?」悲しみと怒りがごちゃ混ぜになって、そう告げる僕の声は震えている。「ああ、うそだよ。ちょーっと、からかっただけ。まさか、お前みたいなガキに、本気になるとでも思ったのか?」本宮さんは、小馬鹿にするように言って、くぐもった笑い声を上げる。彼の言葉を、信じていたのに。彼に愛されていると、実感していたのに。『遊びだった』たったその一言だけで、僕の心は引き裂かれていた。それでも、初めて恋をした人に縋《すが》りたくて。「昌義さん……」僕は、わずかな希望を抱いて彼の名を呼んだ。薄ら笑いを浮かべていた本宮さんは、いきなり冷めた表情をすると、「気安く呼ぶな」と、冷たく言い放った。ほんの少しでいいから、過去形でもいいから、好きだと言ってほしかった。ただ、それだけだったのに。無残にも一蹴されてしまった。たぶん、僕は涙を流したまま怯えた表情を浮かべていたのだと思う。それほど、本宮さんの本気の拒絶に恐怖を感じた。そんな僕を興味なさそうにちらりと見ると、「じゃあな」と、短く別れを告げて本宮さんは席を立った。「あ……」呼び止めようとしたけれど、言葉が出ない。あれだけのことを言われたのに、僕の心はまだ、彼に囚われたままだ。(これは、夢だ。本物の昌義さんに、直接言われたわけじゃない!)自分にそう言い
気がつくと、僕の視界には見知った天井が広がっていた。(あれ? 僕、学校にいたはずだよな?)不思議に思って周囲を確認する。間違いなく、ここは僕の部屋だ。「優樹! よかった、気がついたか!」僕のベッドのすぐ横で、本宮さんの声が聞こえた。「昌義、さん……?」問いかけながら、僕は顔を右側へと向けた。そこには、ほっとした表情を浮かべる本宮さんがいた。少し涙ぐんでいるのか、目もとがきらりと輝いている。いまいち状況が飲み込めていない僕は、本宮さんにどうしてここにいるのかたずねた。「昼休みに教室で倒れたって聞いたんだけど、覚えてないのか?」と、本宮さんが心配そうにたずねる。「えっと……」と、僕は本宮さんから視線をはずし、今日一日のことを思い返す。いつも通り学校に行って、授業を受けて、遼と話をして……。「そういえば、ちゃんと寝ろって、遼に言われたっけ。……あれ?」心配そうな遼の姿を思い出した僕は、その後の記憶がないことに気がついた。本宮さんにそのことを告げると、「倒れたのは、たぶん、その時だろうな」「それじゃあ、昌義さんが僕を?」家に連れてきたのかと聞いてみた。けれど、本宮さんは静かに首を横に振った。「いや、優樹を迎えに行ったのは、亜紀先輩だよ。俺は、亜紀先輩から連絡もらって、優樹の看病をしてただけだ」「そっか、ありがと。それと、ごめんなさい」しょんぼりと僕が謝ると、本宮さんはきょとんとした顔をした。「あ、いや……今日、金曜日だし、昌義さんの授業ないじゃん? なのに、来てもらっちゃったから」と、僕は弁解するように言った。「そんなこと気にすんな。恋人の一大事なんだ、飛んでくるのは当たり前だろ」本宮さんは、優しく微笑んでそう告げた。何をどう言えばいいのかわからなくて、僕は小さくうなずくことしかできなかった。「俺の方こそごめんな







