本宮さんを見送り夕食を食べた後、僕は自室で今日の復習をしていた。学校の授業で、少しわかりにくいと思っていたところだ。もちろん、明日のテストのためでもある。
本宮さんの解説を思い出しながら自分なりに勉強していると、スマホが着信を知らせた。確認すると、遼からだった。
「もしもし、どうしたの?」
電話に出ると、
『どうしたの? じゃねえよ。メッセくれたじゃん』
と、呆れながら遼が言った。
そういえばと、次の日曜日についてメッセージを送っていたことを思い出す。
「ごめん、忘れてた」
申し訳程度に謝ると、遼は『重要なことだぞー』と棒読みで言った。
『まあいいや。それで、日曜日、カラオケだっけ?』
「うん。ワンのすけに集合なんだけど、何時がいいかな? 本宮さんは、こっちに合わせてくれるみたいなんだよね」
『そっか。わりと早めに行った方が、部屋は空いてると思うけど』
うーんと、遼は考え込んでいる様子だ。
「ワンのすけの開店時間って、何時だっけ?」
開店時間を把握していないため、僕は遼にたずねた。
ワンのすけの会員になっているのは、僕ではなく遼だからだ。
『たしか、朝9時だったはず』
「じゃあ、そのくらいの時間の方がいいのかな?」
『いや、開店直後は早すぎじゃね? さすがに声、出ねえよ』
と、遼が苦笑する。
たしかに、朝早いと僕も声が出にくかったりする。
何時がいいのか思案していると、
『そうだな……10時とかは?』
と、代案を出してくれた。
僕はうなずいて、
「本宮さんにも伝えておくよ」
『よろしく。日曜日が楽しみだぜ!』
遼は、待ち遠しいとばかりにそう言った。
また明日と言って電話を切ると、僕はすぐに本宮さんにメッセージを送った。電話でもよかったけれど、長話をしてしまいそうだったのでやめた。
わりとすぐに、スマホがメッセージの到着を知らせる。もちろん、送り主は本宮さんだ。メッセージには、集合時間の15分前くらいに迎えに行くとあった。
「いやいやいや、そんなの悪いよ!」
つい、そうつぶやいてしまう。
それをそのまま書いて送信すると、すぐに『俺が会いたいの!』とメッセージが来た。
「~~~っ! そんなの、僕だって会いたいよ!」
机に突っ伏して、素直な気持ちを言葉にする。
瞬間、笑顔の本宮さんが脳裏に浮かんだ。自然に口もとが緩んでしまう。それで改めて思った。僕は、本当に本宮さんが好きなのだと。
『わかった、待ってるね』とメッセージを送ると、
「さてと。日曜日のためにも復習しようっと」
気持ちを切り替えるようにつぶやいて、ノートを開く。30分ほど勉強してから眠りについた。
それから日曜日までは、何の問題もなくすぎていった。本宮さんから出題されたテストも、難なくクリアできた。勝手にお仕置きがあると想像していたけれど、本宮さんは特に何も考えていなかったらしい。それを聞いて、少し拍子抜けだった。でも、それで確実に身につくのだから、自分の中でそういう想定をすることもありだと思えた。ちょっとだけ、自分なりの勉強方法がわかってきた気がする。
土曜日の夜、僕はいつもと同じ時間にベッドに入った。早く寝てもよかったのだけれど、そうするとなかなか眠れない。この前みたいに、翌日にあくびをかみ殺しているのは、さすがに避けたかった。遼と本宮さんに申し訳ないし、何より、僕自身が万全の状態で楽しめなくなるのが嫌だった。
アラームをセットして目を閉じる。案外早く、僕は眠りに落ちていった。
* * * *
翌日、僕はアラームが鳴る前に目が覚めた。時計を確認すると、朝8時55分だった。
「まだ9時になってないじゃん」
僕は、あくびをしながらぼやく。けれど、二度寝をする気にはなれなかった。二度寝をしたら、確実に集合時間に遅れる自信がある。
支度を済ませると、僕はリビングに向かった。
軽くでも朝食を食べておかないと、空腹で体調が悪くなってしまうのだ。
リビングには誰もいなかった。両親は、すでに仕事に行ってしまったらしい。その代わり、テーブルにサンドイッチが置かれていた。具材は、たまごとツナ。どちらも僕の大好物だ。
もう一度あくびをすると、僕は冷蔵庫から牛乳を取り出した。サンドイッチにはこれ、と決めているわけではない。ただなんとなく、冷たいものが飲みたかった。
テレビをBGM代わりにしながら、朝食を食べる。たまごサンドは、マスタードが入っているのかピリッと辛い。でも、それがアクセントになっていて美味しい。ツナサンドもコショウが効いていて美味しかった。
食べながら、何を歌おうか考える。とはいえ、そこまで多くの曲を知っているわけではない。好きな歌手は何人かいるから、その人たちの曲を歌おうかななんて思う。
(本宮さんは、何を歌うんだろう?)
ふと、そんな疑問が頭をよぎった。
本宮さんがどんな曲を聞くのかは、前に少しだけ聞いたことがある。でも、今までに本宮さんとカラオケに行ったことはなかった。行きたくないわけではなく、単純に行く機会がなかったからだ。
もちろん、遼の存在も忘れていない。今日は、何と言っても遼と本宮さんの初顔合わせなのだから。
食事を終えて片づけをしていると、チャイムが鳴った。間違いなく、本宮さんだろう。僕は、大声で返事をしながら玄関に向かった。
胸の高鳴りを感じて、深呼吸をしてから扉を開ける。私服の本宮さんが立っていた。白シャツと黒のデニムパンツはおなじみだけれど、チョコレートブラウンの薄手のジャケットは初めて見た。
「おはよう。行けるか?」
そうたずねる本宮さんは、相変わらずかっこよく決まっている。
あいさつをした僕は、少し待っててもらうように告げて自室に戻った。財布を入れているショルダーバッグを持って階段を駆け下りる。もちろん、キャラメル色のブレスレットを右手首につけるのも忘れない。
「お待たせ!」
「そんなに急がなくてもいいぞ」
危ないからと、本宮さんが苦笑する。
危ないのは承知の上だけれど。
「本宮さんをあんまり待たせたくなかったから」
素直に言うと、本宮さんはふにゃりと笑って頭をなでてくれた。
それがうれしくもあり、少しくすぐったい。
「ねえ、行こう」
僕は、本宮さんをうながして歩き出した。
車に乗り込み、目的地へと向かう。ちらりと本宮さんの左手首を見ると、僕がプレゼントしたブレスレットが見えた。家庭教師として家に来る時は、つけていなかったような気がする。
「どうした?」
僕の視線に気がついたのか、運転している本宮さんにたずねられた。
「あ、いや、ブレスレット。今日はつけてるんだなって思って」
僕は、何気ないふうを装ってそう口にする。
「ああ、これか。休日限定でつけてるんだよ。特別なものだからな」
と、普段と変わらない口調で答える本宮さん。
でも、その台詞は、僕を赤面させるには充分すぎるもので。うれしすぎるあまり、僕はうつむいてしまった。
「照れるなよ。本当のことなんだから」
本宮さんの優しい声が聞こえるけれど、カラオケ店の駐車場に到着するまで、僕は顔を上げられなかった。
僕たちがワンのすけに到着したのは、集合時間の5分前だった。駐車場には、そこそこ車が停まっている。でも、そこまで混んでいるふうでもない。
遼は来ているだろうかと、視線を巡らせる。けれど、それらしい姿はなかった。
「まだ来てないのかな?」
つぶやくと、
「とりあえず、店内に行ってみようか」
と、本宮さんが言った。
僕は、うなずいて車を降りる。日差しは、少しだけ夏の名残があるけれど、空気は秋を感じさせるように澄んでいた。それがとても気持ちよくて、大きく伸びをする。それから、本宮さんと一緒にワンのすけの正面入り口に向かった。途中、店の壁際に設置されている駐輪場に、遼の自転車が停まっているのを見つけた。
入り口の自動ドアを通ると、正面に受付カウンターが、右側にラウンジスペースがある。ラウンジスペースには、テーブルが2個と椅子が8脚ほど設置されている。その内の1つに、私服姿の遼が座っていた。
「遼!」
声をかけると、僕たちに気がついたらしい遼が駆け寄ってきた。
「おはよう、優樹」
「おはよう。ごめん、待たせた?」
「いや、俺もさっき来たとこ。えっと……本宮さん、ですか?」
遼は、僕の後ろにいる本宮さんに気づいたのか、おずおずと声をかける。
「ん? ああ、そうだよ。もしかして、君が渋井遼君かい?」
と、本宮さんが確認するように聞いた。
「はい! 渋井遼です! 優樹の親友をやらせてもらってます」
と、背筋をピンと伸ばして遼が答える。
授業で先生に当てられた時よりも、背筋が伸びているような気がする。でも、僕はあえて言わなかった。水を差したくなかったからだ。
本宮さんが、改めてと言って自己紹介をする。
「優樹から聞いたけど、俺に会いたいって言ってくれてたみたいだね」
微笑みながら言う本宮さんの声が、僕と話す時とは違って、なんだかよそ行きのように聞こえた。もしかしたら、気のせいかもしれないけれど。
「はい! 優樹からおしゃれでかっこいい人だって聞いて、ファッションのこととか、いろいろ教えてもらいたいなって思いまして」
本宮さんを見る遼の真っ直ぐな瞳が、きらきらと輝いている。どうやら、僕が思った以上に好印象を抱いているらしい。少し安心した。
「そっか。優樹がそんなことを、ね」
本宮さんのどこか含みのある言葉と視線が突き刺さる。
そろそろと本宮さんに視線を向けると、何か言いたそうににやけている。
「本宮さん?」
問いかけるように名前を呼ぶけれど、彼は答えてくれない。その代わり、頭を優しくなでられた。
「俺でよければ」
アドバイスになるかどうかはわからないけれどと、注釈を入れつつ本宮さんが遼に向けて言った。その間、僕はなでられたままだった。
「やった! ありがとうございます!」
遼は、満面の笑みでお礼を言っている。何はともあれ、紹介してよかった。
「さて、それじゃあ歌おうか」
本宮さんが切り替えるように言って、受付に向かった。
僕と遼は同時にうなずいて、彼について行く。
すんなりと受付を済ませた本宮さん。ずいぶん慣れているように見える。よく利用しているのかもしれない。利用時間は、フリータイムにしたとのこと。歌だけでなくいろんな話もするだろうから、フリータイムはありがたい。僕たちは、人数分のコップとマイクが入ったかごを受け取り、指定された部屋へと向かう。
僕たちが利用する部屋は、そこそこの広さがある部屋で最新のカラオケ機器が置かれていた。クリーム色を基調とした室内は、明るくてきれいな印象だった。部屋の中央に大きめのテーブルが置いてあり、使い勝手がよさそうだ。椅子はというと、ゆったりとしたソファーが床に据えつけられている。
荷物を置いた僕と遼は、さっそくドリンクバーへと向かう。本宮さんは荷物番をしてくれるというので、彼の分の飲み物も一緒に取りに行くことにした。
「なあなあ。本宮さんって、どんな歌、歌うんだ?」
と、テンションの高い遼が聞いてくる。
「うーん、何だろ? わかんない」
素直に答えると、遼は意外だと言うような顔をした。
「カラオケデートしたことねえの?」
「うん、ないよ。だから、本宮さんの歌声を聞くのは、今日が初めてかな」
そう言って、胸をときめかせている自分に気がついた。思っていた以上に、僕は今日のカラオケを楽しみにしていたらしい。
「へえ、そうなんだ。じゃあ、楽しみだな」
と、コップに冷たいウーロン茶を注ぎながら、遼は少年のような笑みを浮かべる。
僕は大きくうなずいて、2人分のレモネードを注ぐ。本宮さんに何がいいか聞いたところ、僕と同じものでいいと言っていたのだ。
僕たちが部屋に戻ると、本宮さんは部屋に備えつけてあるタブレット端末を真剣な表情で眺めていた。ジャケットは脱いだらしく、彼の左隣の座席に置かれている。窓から入る日差しに照らされて、彼が着ている七分丈の白いシャツがまぶしい。
「ただいま。はい、本宮さんの分」
と、僕は持っていたコップの片方を本宮さんの前に置いた。
「ああ、サンキュー」
ふわりと柔らかに微笑んで、本宮さんがお礼を言う。けれど、次の瞬間には、また真剣な表情に戻ってタブレットを凝視している。
「そんな真剣に、何悩んでるの?」
本宮さんの右側の席に座り、僕はそう聞いてみた。
僕の対面に座った遼も、不思議な顔で本宮さんを見ている。
「いや、何を歌おうかと思ってな」
と、苦笑する本宮さん。どうせなら、2人が知っている曲がいいだろうと、いろいろ探してくれていたらしい。
本宮さんからの無言の圧力が消えて、僕は小さく息をついた。名前で呼ばれたいからといって、そんな圧力をかけるなんて、大人気《おとなげ》ないと思う。名前呼びをしてほしいと言われたのが、昨日のことなのだ。そんなにかんたんに慣れるとは思えない。もしかしたら、僕にそれを意識させるために、先に『ここからプライベートの時間』なんて言ったのかもしれない。そんなことを考えていると、首筋に何か柔らかい感触が当たった。「ひゃっ!」驚いた僕は、思わず声を上げてしまった。肩越しに後ろを見ると、本宮さんが意地悪そうな顔でにやけていた。「昌義さん。何で、そういうことするかなー?」と、僕はむくれつつ問いかける。「優樹の反応がいいからさ、つい、いたずらしたくなるんだよ」と、本宮さんは悪びれる様子なく言ってのけた。「好きな子には意地悪したくなるっていう、あれ?」男子特有と言われる現象を僕が口にすると、肯定するように本宮さんがニッと笑った。「優樹も、小さい時にしたことあるのか?」「いや、僕はないよ。小学生の時に、クラスメイトがやってるのを見たことがあるだけ」と、僕は当時を思い出して言った。「まあ、昌義さんは、僕のこと好きだもんね」なんて、僕がからかい半分で言うと、「ああ、大好きだぜ。他の誰よりもな。それに、優樹の特別な存在になりたいんだ」と、本宮さんは真摯な表情を浮かべる。「……とっくに、特別だっての」僕は、そうつぶやいて顔を背ける。顔だけずっと後ろを向いていて疲れてしまった、というのもある。けれど、それ以上に、真っ赤になっている顔を見られるのが恥ずかしかった。「わかってねえな」ぽつりと低くつぶやかれた言葉は、僕の心を抉るには充分すぎるものだった。(え……わかってないって、どういうこと? 本宮さんは、僕のことが好きなんじゃないの?)そんな不安が頭をもたげる。「俺は、お
翌日、僕は遼へのおみやげを持って登校した。いつものように授業を受けて、昼休みが訪れる。僕は、遼を誘って屋上に向かった。晴れているからというのもあるけれど、他の人に聞かれたくない話があるからだ。屋上のドアを開けると、冷たい風が全身をなでていく。「寒っ!」僕は、思わずそうつぶやいた。「教室、戻ろうぜ?」と、遼が提案するけれど、僕はごめんと言って屋上に出る。「マジかよ……」そう言いながらも、遼は僕についてきてくれた。本当に、遼はいい奴だ。僕のわがままにつき合ってくれるのだから。誰もいない屋上のベンチに座り、弁当を広げる。「っと、そうだ。これ、遼にあげる」と、持ってきていた袋を遼に渡す。昨日、水族館で買ったキーホルダーだ。「別にいいって言ったのに……。でも、ありがとな」そう言いながらも、遼は受け取ってくれた。さっそく、袋を開けて中身を確認している。「くらげだ! かわいいじゃん!」「よくキーホルダー持ってるからさ。遼にぴったりかなって」「ちょうど、新しいの欲しいと思ってたとこなんだよ。サンキュー!」と、遼は満面の笑みを浮かべる。そこまで喜んでもらえるなんて、本当に買ってきてよかったと思う。どういたしましてと言って、僕は弁当を食べ始めた。「で、本題は? この寒い中、水族館みやげを渡すためだけに、俺をここに連れてきたわけじゃねえだろ?」と、隣に座る遼が、持参したパンを食べながらたずねてきた。「うん、実は……」と、僕は本宮さんにプロポーズされたことを告げた。「は……? プロポーズ……? え、結婚すんの!?」遼が大きな声をあげる。驚くのも無理もない。僕だって、本宮さんにプロポーズされた時には驚いたし戸惑った。「正確には、卒業した後にってことなんだけどね」と、僕が言うものの、遼は聞いていないようだった。「え、
玄関には、鍵がかかっていた。当然だ。両親はまだ、隣のカフェで仕事をしているのだから。「まあ、出迎えられるよりはいいか」鍵を開けながら、僕はそんなことをつぶやいた。『帰宅した時に、家族が玄関で出迎える』なんて習慣はない。でも、ネックレスをしている今は、両親に会いたくなかった。鉢合わせしてしまったら、とても気まずい。本宮さんからのプロポーズの言葉が頭の片隅にあるから、余計にそう思うのかもしれない。静寂の中、自室に戻った僕は、荷物整理もそこそこにベッドに倒れ込んだ。「結婚、か……」見慣れた天井を見ながら、その2文字を口にする。けれど、実感はない。僕がまだ、高校生だからなのだろうか。それでも、本宮さんとずっと一緒にいられると思うと、自然とほほが緩んでくる。ふいに、真剣な表情をした本宮さんの姿が脳裏に浮かび、『俺と結婚してくれませんか?』という彼の声が耳の奥に響く。瞬間、僕の顔は一気に熱くなった。「〜〜〜〜っ!」イルカのぬいぐるみを引き寄せ、それに顔を埋めて悶える。ごろごろとベッドの上を転がる度に、胸もとのリングが存在を主張した。それに気がついた僕は、転がるのをやめてネックレスをはずす。このままつけていてもいいのだけれど、壊してしまったら目も当てられない。まあ、そこまでかんたんに壊れるようなものではないと思うけれど。「それにしても、きれいだよな」つぶやいて、僕はピンクゴールドのリングを眺める。デザインは本当にシンプルで、凝った紋様などは一切ない。にもかかわらず、高級感漂う存在感があるのは、ピンクゴールドの輝きのせいなのだろうか。「……これって、普通の指輪だよな?」ふと、そんな疑問が口をついて出た。シルバーのリングホルダーで、チェーンとリングが繋がっている。でも、両方とも固定されているわけではなさそうだった。(どうにかすれば、はずせるかも……?)そう思って、リングホルダーをはずせないか探っていく。チェーン側に繋ぎ目があり、そこからかんたんに開
会計を済ませて店を出ると、外は思った以上にひんやりとしていた。街並みは、西日で黄金色に染まっていて、雨の予感なんてみじんも感じさせない。それなのに、背筋が伸びるくらいに冷たい空気を感じた。本宮さんも同じように感じたのか、「寒っ!」なんてつぶやいている。「今日、こんな寒かったっけ?」眉をひそめる本宮さんに、「本屋の中が、暖かすぎたんだと思う。人、多かったじゃん」と、僕は自分なりの推測を言った。室温を計ったり、店員さんに聞いたわけではないから、実際のところはわからない。でも、ほどよく暖められているだろう店内に大勢の人がいたのだから、想定以上の暖かさになっていたとしてもおかしくない。そういうわけで、外の空気が思った以上に冷たく感じるのは、しかたがないことだった。「たしかに多かったよな。本屋であんなに多いの、初めてだぜ」「僕も初めてだよ。もうちょっと落ち着くと思ったんだけどな」なんて会話をしながら、僕たちは駐車場を歩いていく。車に到着して乗り込むと、本宮さんは後部座席のドアを開けて、何やらごそごそとやっている。気になって後ろを見ると、「本、後ろに置いておくな」と、イルカのぬいぐるみが入っている袋に本を入れているところだった。「ありがとう。あれ? 本宮さんのは?」本宮さんの本もあったはずなのにと不思議に思い、僕はそうたずねた。「すでに避けてあるから、心配すんな」と、本宮さんは穏やかな笑みを浮かべて、後部座席のドアを閉めた。安堵した僕は、正面を向いて座り直す。その直後、本宮さんが運転席のドアを開けた。彼は運転席に乗り込むと、「まだ慣れねえか? 名前呼び」と、苦笑する。そう言われて、僕はまた『本宮さん』と呼んでいたことに気がついた。「うん、まだ……」僕が口ごもると、本宮さんはふっと微笑んで、「まあ、急には無理だし、ゆっくりでいいよ」
「あ、ちょっ……! 本宮さん、ずるいよ!」と、言いながら、僕も彼の後を追う。(どうしよう。5分って、かなり短いよな)僕は焦りながら、商品を物色していく。どれを選んだら本宮さんが喜んでくれるのか、そればかりを考えてしまう。(何かヒントないかな?)と、本宮さんとの会話を思い返す。思考をフル回転させて、答えを導き出そうとする。その瞬間、彼がロックグラスを見ていたことを思い出した。(本宮さんって、お酒飲むのかな? わかんないけど、一か八かだ!)と、僕は食器類が置いてある棚に向かった。ロックグラスは、思いのほか早く見つけることができた。複雑な模様があったり、シンプルなものだったりと種類は豊富だった。(どんなのがいいんだろ?)種類がありすぎて、絞り切れない。でも、本宮さんなら、たぶんシンプルなデザインを選ぶような気がした。(あ、これいいかも)シンプルなものと思って探していると、グラスの半分から下の方にくらげが刻まれているものがあった。なんとなく、それを手に取った僕は、迷うことなくレジに向かった。制限時間が迫っていたというのもある。でも、それよりも僕自身が、これを本宮さんに持っていてほしいと思ったからだ。会計を済ませて店を出ると、本宮さんが大きめの袋を持って先に待っていた。「意外に早かったな」「お待たせ。っていうか、やっぱり5分は短いよ。全然、吟味できなかった」僕がそう言うと、「それでも、俺のために選んでくれたんだろ?」と、本宮さんが笑みを浮かべる。「そりゃまあ、そうだけど……」もう少し選ぶ時間が欲しかったと言うと、「本屋に滞在する時間、短くなるぞ?」それでもいいのかと、本宮さんが問う。「それは嫌だなー」僕は、苦笑しながらそう言った。「だろ? そういうわけだから、行こうぜ」と、本宮さんにうながさ
カレーと塩焼きそばに舌鼓を打っていた僕たちは、食後のデザートを堪能していた。僕はガトーショコラを、本宮さんはチーズケーキをチョイスしている。ガトーショコラは、チョコレートが濃厚だけれどそこまで甘くない。横に添えられている生クリームをつけて食べると、チョコレートの濃厚さに生クリームの甘さが混ざり合って、味のバランスがちょうどよかった。「……優樹、ちょっと待っててくれ」チーズケーキを食べ終えた本宮さんは、神妙な面持ちでそう告げる。僕があいまいにうなずくと、彼は席を立ってレストランから出ていってしまった。「どうしたんだろ?」つぶやくけれど、僕はまあいいかとガトーショコラに意識を向けた。待っていてくれということは、必ず戻ってくるということだ。それに、本宮さんからの誕生日プレゼントをまだもらっていない。おそらく、プレゼントを取りに駐車場に向かったのだろう。僕はそこまで考えて、ガトーショコラの最後の一口を頬張った。(んーっ! うまー!)脳内でつぶやき、自然と笑顔になってしまう。最後の最後まで、そう思わせてくれるケーキを作ってくれたここの店員さんに感謝したい気持ちでいっぱいだった。無糖の紅茶で口の中をすっきりさせて、「ごちそうさまでした」と、僕は誰にともなく言った。すると、「お待たせ」と、本宮さんが戻ってきた。その手には、小さめの袋が下げられている。「お帰り。何、持ってきたの?」僕がたずねると、「わかってるだろ? プレゼントだよ」と、本宮さんは言って、向かいの席に座った。もちろん、僕宛てのプレゼントだろうことは予想済みだ。でも、肝心の中身の想像が、まったくついていなかった。いったい何をプレゼントしてくれるのだろう。「優樹、誕生日おめでとう」言いながら、本宮さんは袋の中身を僕の前に差し出した。それは、長方形の箱だった。深い青色をした、滑らかな光沢のある生地でできている。お