LOGIN「そんな、俺たちのことなんて気にしないでくださいよ」
「そうそう、本宮さんがいつも歌う曲でいいからさ」
遼と僕がそう言うと、本宮さんは「そうか?」なんて言って曲を選択する。
本宮さんが入れた曲は、激しい曲調のハードロックだった。イントロを聞いた瞬間、僕が知っている曲だとすぐにわかった。もともと母さんが好きな曲で、幼い頃から一緒に聴いていたのだ。まさか、本宮さんがこの曲を歌うとは思っていなかった。否が応でも、僕のテンションは急上昇する。
本宮さんは、歌も上手だった。普段の声よりも少し低めだけれど、耳の奥に甘く響くような、そんな歌声。この声で口説かれたら、誰だって一発で恋に落ちると思う。
僕は、自分が歌う曲を入力することも忘れて、本宮さんの歌声に聞き入っていた。
そんな中、右腕を軽く叩かれた。見ると、遼がタブレット端末を差し出しているところだった。
うなずいた僕は、タブレットを受け取って曲を探す。何を歌うか決めていなかったから、歌手名を入れて検索しては、あれでもないこれでもないと曲名を見送っていく。悩みながらそれを何回かくり返し、ようやく歌う曲を入力した。
僕がタブレットを本宮さんの前に置くと、本宮さんは歌いながら優しいまなざしをくれた。その瞳にドキッとして、思わず視線をそらしてしまった。ちょうど遼の方に顔を向けた形になり、にやにやしている遼と目が合った。
それが何だか恥ずかしくて、照れ隠しにレモネードを飲む。その冷たさのおかけで、ほんの少しだけ冷静さを取り戻せたような気がした。
歌い終わった本宮さんがマイクを置くと、
「本宮さん。歌、上手いですね!」
と、遼が称賛する。
僕も大きくうなずいた。
「そうか? ありがとな。久しぶりに歌ったから、ちょっと不安だったんだ」
と言って、本宮さんがレモネードをのどに流し込む。
(本宮さんでも不安に思ったりするんだ)
と、僕は純粋な感想を抱いた。
いつも落ち着いていて堂々としているから、ちょっと意外だった。
聞き慣れたイントロが流れ、遼がマイクを握る。人気アニメのタイアップ曲だ。遼とカラオケに来ると、いつもこの曲からスタートする。この曲自体、アップテンポでオープニングっぽい感じがあるから、僕も好きだったりする。
遼の歌を聞きながら、ちらりと本宮さんを見る。彼は、慣れた手つきでタブレット画面を操作していた。迷いのない動きに、僕は本宮さんが歌う次の曲にわくわくしてしまう。
タブレットは、本宮さんの手もとからすぐに遼の前に移動した。遼は、歌いながらそれを手前に持っていくと、モニター画面とタブレットを交互に見ながら操作する。
(相変わらず器用だなー)
遼を見ながら、そんなことを思う。たとえ、歌詞を完璧に覚えていたとしても、僕にはできない。たぶん、どこかで音をはずしてしまうような気がする。
1番のサビが終わった直後に、タブレットが僕に回ってくる。2曲目は何にしようかと、遼の歌声を聞きながら検索する。せっかくなら、歌い慣れている曲にしたい。本宮さんに聞いてもらうのだから、初めて歌う曲で失敗するのは避けたかった。
遼の歌が終わる前に、本宮さんにタブレットを渡す。でも、またすぐに僕のところに戻ってくるだろう。これは、予想ではなく確定事項で。遼がマイクを置くのとほぼ同時に、僕にタブレットが回ってきた。
「もう、早いって!」
苦笑しながら僕がぼやくと、
「いつものことじゃん」
と、遼が笑い声をあげる。
そうだけれどと言う前にイントロが流れ、僕はマイクを握った。僕が最初に入れた曲だ。歌詞がモニターに映し出される前に、3曲目を選んで入力する。タブレットを本宮さんに渡し、小さく息をついたところで歌い始めた。
この曲は、3年前に惜しまれつつも解散したバンドの曲で、いわゆる青春ソングとして親しまれている。歌詞は切ないけれど、アップテンポなので悲しい印象はない。僕のお気に入りの曲の1つだ。
歌いながら、僕は本宮さんをちらりと見た。この曲を知っているのか、曲に合わせて右手がビートを刻んでいる。
(よかった、楽しんでくれてるみたいだ)
ホッとした僕は、すでにタブレットが自分の前にあるのを見て、内心焦った。とはいえ、遼のような器用なことはできない。半ば開き直って、僕は歌に専念することにした。
その後も、僕たちはそれぞれ好きな曲を歌った。英語歌詞の曲やバラード、女性ボーカルの曲など選曲はいろいろだった。中には、僕の知らない曲もあったりして、あっという間に時間がすぎた。
「そろそろ昼飯にでもしようか?」
と、本宮さんが提案する。
スマホを取り出して時間を確認すると、昼の12時をすぎていた。
「もうお昼なんだ、気づかなかった」
僕が言うと、
「マジで!? なんか、急激に腹減ってきたー」
と、遼が情けない声を出す。
「じゃあ、何か頼もうか」
本宮さんが、笑いながらメニュー表をテーブルの上に広げた。
そこには、フライドポテトやたこ焼きやピザなどの定番商品の他に、カレーやラーメン、ハンバーガーなんかも載っている。至れり尽くせりといった感じだ。
「あー、どうしよう」
と、遼がメニュー表を凝視している。
悩む気持ちはよくわかる。メニュー表に載っている写真は、どれも美味しそうだった。
それから数分後、僕たちは注文する品を決めた。本宮さんが取りまとめて、壁に設置してある電話でフロントに注文する。
僕と遼がほぼ同時にお礼を言うと、
「どういたしまして」
と、本宮さんが微笑んだ。
その笑顔に、僕は不覚にもときめいてしまった。僕と2人きりの時に見せる笑顔とは、また少し違うように見えたからだ。
「そういえば、さっき、端末が早く回ってくるのはいつものことだって言ってたけど、カラオケにはよく2人で来るのか?」
と、思い出したように本宮さんがたずねた。
たしかに、僕が1曲目を歌う時にそんなやり取りをしていた。
「はい。必ず優樹とってわけじゃないけど、2人の予定が合えばって感じです」
と、遼が答える。
「でも、遼は、僕より確実に多く来てるよね」
僕がそう言うと、
「まあな。部活の先輩に誘われたり、1人で来ることもあるからな」
と、遼がうなずいた。
そうかと微笑む本宮さん。何だか、保護者的な雰囲気がある。僕がそう感じるだけかもしれないけれど。
「本宮さんって、普段からアクセサリーしてるんですか?」
唐突に、遼がたずねた。
ファッションについて、本宮さんにいろいろ聞きたいと言っていたから、聞くタイミングを探していたのかもしれない。
「ピアスは普段からだけど、このブレスレットは休日だけかな」
と、本宮さんは自分の左手首を見ながら告げた。
「もしかして、優樹からのプレゼント?」
と、遼がにやにやしている。
「ああ。でも、どうして?」
本宮さんが首をかしげる。
僕も不思議に思った。本宮さんへのプレゼントの中身は、話していなかったはずだ。にもかかわらず、遼は言い当てた。
「そんなの、優樹を見てればわかりますよ」
当然とばかりに、遼が言ってのける。
本宮さんはすぐに納得したみたいだけれど、僕は何が何だかわからない。
「自覚ねえの? 顔、めっちゃにやけてんぞ」
「え!? うそ?」
遼の言葉に、僕は驚いて大声をあげてしまった。自分のことなのに、まったく気づいていなかった。
直後、店員さんが、注文した料理を持ってやってきた。急に気まずくなった僕は、店員さんに顔を見られないようにうつむいた。
テーブルに置かれた料理から漂う美味しそうな匂いが、僕の鼻腔をくすぐる。そのおかげか、僕の思考は食べ物の方へと傾いていった。
「冷める前に食おうぜ」
店員さんがいなくなった後、本宮さんがそう言った。
うなずいた僕と遼は、いただきますと言って食べ始める。本宮さんもその後に続いた。
注文した料理は、僕がたこ焼き、遼がカツカレー、本宮さんがピザだった。
僕が選んだたこ焼きは、外がカリッとしていて中はふんわりとしているタイプだ。中身のたこは、大ぶりで食べ応えがある。専門店のたこ焼きと変わらないくらいの美味しさだった。
はふはふ言いながら遼がほおばっているカツカレーは、皿を半分に分けるように白米とカレーが盛られている。それらの上――皿のほぼ中央に、カレーよりも存在感がある大きなカツが鎮座していた。
「いくらなんでも、でかすぎでしょ」
僕は、思ったままを口にする。
「だよな。でも、このカツ、思ったよりあっさりしてて食べやすいぜ。一切れやるよ」
なんて遼が言うものだから、少し興味がわいた僕は、お言葉に甘えることにした。
カツを一切れもらい、カレーがかかっていない方を食べてみる。思った以上に衣がサクッとしていて油っこくない。肉自体も柔らかくジューシーで、かなり食べやすい。これなら、カレーの乗せてもぺろりと食べきれてしまいそうだ。
「そのカツカレー、結構な人気らしいぜ」
本宮さんが、そんな情報を教えてくれた。
「でしょうね。正直、こんなに美味いとは思ってなかったもん」
と、遼が舌を巻く。
「それはそうと、本宮さんはそれだけでいいの?」
僕がたずねると、本宮さんは笑顔でうなずいた。
「ここで頼むのは、いつもこれって決めてるんだ。チーズが濃厚で、結構ボリュームあるんだぜ」
と、本宮さんが笑顔で答えた。
たしかに、他の具材が見えないほどたっぷりのチーズが乗っている。チーズ好きにはたまらない代物だ。もしかしたら、本宮さんは、無類のチーズ好きなのかもしれない。後で聞いてみようと思った。
「なあ、優樹はブレスレットしてねえの?」
カツカレーを半分ほど食べた遼が、思いついたように聞いてきた。
「もちろんしてるよ」
そう言って、僕は右手首を見せる。そこには、キャラメル色のブレスレットが控えめながらも存在感をアピールしていた。
ふと、本宮さんが微笑んだ気配がした。気になって彼を見ると、とてもうれしそうな表情をしている。それだけで、僕の心は満たされた。ブレスレットをしてきてよかった。
「いいなー、そういうの」
むくれたように遼がつぶやく。
「いいなって、遼君にもいるんじゃないのか?」
本宮さんが当たり前のようにたずねる。
「いないですよ! ずっとバスケ一筋ですから!」
噛みつくように言って、遼はそっぽを向いてしまった。
「そ、そうなのか? それは、悪いことを聞いちまったな」
すまないと、本宮さんが素直に謝る。
「でもさ、遼だって、彼女作るよりバスケしたいって言ってたじゃん。それで、バスケ部の先輩とか顧問の先生に頼りにされてるんじゃないの?」
僕がそう問いかけると、それはそうだけれどと遼が口を尖らせる。
「正直、優樹がうらやましいぜ。俺も恋人欲しいー!」
遼の魂の叫びが響く。
「まあまあ。そんなに焦っても、いいことないぜ」
しかるべき時に出会いがあるからと、本宮さんが諭す。
もし本当に、すべての出会いが最高のタイミングでやってくるとしたら、本宮さんと出会えた1年前のあの日が、まさにそれだったのだろう。まさか自分に同性の――それも年上の恋人ができるなんて、あの日以前の僕は思ってもみなかったのだから。
「本宮さん。俺……貴方に興味があるんです」
突然、遼がやけに真剣な表情で、そんなことを口にする。
「俺に?」
本宮さんは、不思議そうな顔をして聞き返した。
「ええっ!? ちょっ……遼!?」
僕は、いきなりのことに動揺して声を荒げる。今まで、遼から同性が好きだと聞かされたことがなかったからだ。おまけに、本宮さんに興味があるというのも初耳で。驚きと疑念と困惑とで、心の中はぐちゃぐちゃだった。
そんな僕の胸中を知ってか知らずか、本宮さんは、
「ありがとな。でも、その台詞は、むやみに言わない方がいいぜ。勘違いしちまう奴もいるからな」
と、穏やかな表情のまま遼に忠告した。
(断ってくれた……ってことでいいんだよね?)
僕は、心の中で首をかしげた。
本宮さんの言葉は、一応、断ったと認識できるものだったけれど、どうにも腑に落ちない。というか、何かが引っかかる。それが、何なのかわからなくてもやもやする。
遼は素直に返事をして、
「試しに言ってみたけど、やっぱりだめかー。2人とも好き合ってるもんなー」
と、想定通りだと言わんばかりにつぶやいた。
でも、心なしか残念そうでもある。もしかして、本当は何かを期待していた……?
(まさか、本当に本宮さんを狙ってる?)
急に遼のことがわからなくなって、疑心暗鬼に陥る。
もともと同性を恋愛対象として見ていたのか、それとも本宮さんのかっこよさに触発されたのか。どちらだろうと、僕の胸中は複雑だった。
「ん? そうなのか?」と、僕の方を見る本宮さん。いつも以上に色っぽい彼に、僕は思わず息を飲んだ。まさか、こんなにも色気が増すなんて思ってもみなかった。小首をかしげる本宮さんから視線をはずして、僕はうなずいた。さすがに、妖艶な彼を直視するなんて勇気は、今の僕にはない。「普段、ほとんど飲まないからね。たまに飲むと、さすがに酔っぱらうみたいだよ。それに、今日は本宮もいるからね。浮かれてるんじゃないかい?」と、母さんがキッチンから戻ってきた。その手には、真新しいグラスが2つほどある。「はい」と、そのうちの1つを僕の前に置いた。「これは?」僕がお礼を言ってたずねると、「はちみつレモンだよ」微炭酸のねと、母さんが答えた。その言葉に、僕は面食らってしまった。今まで、食後――それも風呂上がりに作ってもらったことなんてない。早く寝なさいとどやされるのが、日常だった。(これも、昌義さんのおかげかな)そんなことを密かに思いながら、はちみつレモンに口をつけた。はちみつの甘さと爽やかなレモンの香りが、口の中で広がる。ほどよい微炭酸の刺激もあって、風呂上がりのほてった体に染み渡るようだった。「ほら! 修吾さんは、これ飲んで」と、母さんは父さんに水を勧めている。「……甲斐甲斐しい亜紀先輩、初めて見た」本宮さんが、ぽつりとつぶやいた。「そうなの? うちじゃあ、わりとこんな感じだけど」と、僕は両親を見ながら言った。父さんは、まだはちみつ酒を飲むと駄々をこねている。そんな父さんをあしらいながら、母さんははちみつ酒がまだ残っているグラスを水入りのグラスにすり替えて飲ませていた。たしかに、ここまで父さんの世話を焼くのは、珍しいかもしれない。でも、母さんは、基本的に誰かの世話を焼くのが好きなタイプだと思う。口では文句を言いながらも、母さん自身が楽しんでいるように見えたからだ。「たしかに、姉御肌で面倒見がいい人だよな。でも、俺が知
「しばらく、そうさせてあげな。だいぶ、気に病んでたみたいだから」と、母さんが優しく言った。そんなことを言われてしまったら、何も言えなくなってしまう。僕は、もう一度ごめんと言って、父さんの気が済むまで抱きしめられていることにした。母さんがリビングに行くのを、横目で確認する。「本宮、今日はありがとね」「いえ。俺も心配だったんで」という母さんと本宮さんの会話が聞こえた。その短いやり取りだけで、僕がどれほど2人に――もちろん、父さんにもだけれど――愛されているのかを感じた。母さんと本宮さんの声音が、いつもより優しいものだったからだ。(もう、無理はしないでおこう)僕は、密かにそう心に誓う。僕が大切に思っている人たちを、もう悲しませたくないから。「そういえば、夕飯はもうできてるって言ってたよな?」気が済んだのか、父さんは僕から離れてそんな疑問を口にした。僕はうなずいて、すぐに準備するからと告げた。父さんが手伝うと言ってくれたけれど、笑顔で断った。病み上がりとはいえ、動けないわけではない。何よりこれは、心配をかけてしまったことへのお詫びみたいなものだからだ。全員分のカレーとスープを配膳して、食卓につく。「えっと……ご心配をおかけしました。これは、僕からのお詫びってことで」召し上がれと言うと、母さんがいきなり笑い出した。「何を改まってるんだい、この子は。心配するのは、当たり前だろ? でもまあ、せっかく作ってくれたんだし、いただこうかね」と、カレーに手をつける。母さんに続いて、僕たちもいただきますと言って食べ始めた。ほどよい辛さのカレーは、思ったよりもコクが増していた。隠し味に入れたチョコレートのおかげだろう。鼻から抜けるほんのりと甘い香りが、チョコレートの存在をアピールしている。「美味い!」と、本宮さんが顔をほころばせる。「よかったな、優樹」と、にこやかな父さんに言われ、僕は満面の笑みでうなずいた。
「あ、いや、それは大丈夫! 僕の方こそごめん!」僕が頭を下げると、「どうして、優樹が謝るんだ?」と、本宮さんがきょとんとしながらたずねた。「いや、えっと……僕が、起こしちゃったかなって。昌義さんの髪、なでてたから」と、僕はしどろもどろに答える。「別に、気にする必要ねえよ。遠慮せずに、もっとなでてもいいんだぜ?」なんて言って、本宮さんは微笑んでいる。その笑顔がとてもかっこよく見えて、僕はときめいてしまった。顔が真っ赤になっているだろうから、すぐにでもベッドに潜り込みたい。けれど、さすがに許してはくれないだろう。「そ、それじゃあ……失礼して」と、意を決した僕はおずおずと彼の頭をなでる。うっとりと目を細める本宮さんは、とても無防備で。普段はなかなか見られない彼の一面に、ドキドキする。とろけるような笑みを見せる彼を、とてもかわいいと思ってしまった。(大人の男の人に、『かわいい』は、おかしいかな?)ふと、そんな疑問が浮かび、僕は手を止めた。「どうした?」と、本宮さんが小首をかしげる。「あ……いや、何でもない!」唐突に恥ずかしくなった僕は、取り繕うように言ってそっぽを向いた。「何でもないって態度じゃねえな?」と、本宮さんが僕の顔をのぞき込もうとする。僕は、それを阻止するように彼に背中を向けた。「優樹? こっち向いてくれよ」本宮さんはそう言いながら、僕を後ろから抱きしめた。彼のぬくもりが心地よくて、身を委ねたくなってしまう。それを知ってか知らずか、本宮さんは、僕のうなじに何度もキスを落とす。その感触に、変な声が出そうになった。どうにか我慢していると、「なあ、優樹。何か思ってることがあるなら、お前の言葉で教えてくれないか?」と、本宮さんが僕の耳もとでささやいた。「――っ!」一瞬、心臓が止まるかと思った。い
(どうして、そんなこと……)涙がほほを伝い、2人の楽しかった思い出が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。「どうして……? 僕のこと、嫌いにでもなったの?」どうにかそれだけを口にすると、本宮さんは鼻で笑った。「お前とは遊びだったんだよ、最初っからな。なのにお前、本気なんだもん。マジでウケるぜ」嘲るような笑顔を浮かべながら、本宮さんはそう言った。けれど、彼の焦げ茶色の瞳は、一切、笑ってはいなかった。「じゃあ……あのリングネックレスも、プロポーズの言葉も、うそだったのかよ?」悲しみと怒りがごちゃ混ぜになって、そう告げる僕の声は震えている。「ああ、うそだよ。ちょーっと、からかっただけ。まさか、お前みたいなガキに、本気になるとでも思ったのか?」本宮さんは、小馬鹿にするように言って、くぐもった笑い声を上げる。彼の言葉を、信じていたのに。彼に愛されていると、実感していたのに。『遊びだった』たったその一言だけで、僕の心は引き裂かれていた。それでも、初めて恋をした人に縋《すが》りたくて。「昌義さん……」僕は、わずかな希望を抱いて彼の名を呼んだ。薄ら笑いを浮かべていた本宮さんは、いきなり冷めた表情をすると、「気安く呼ぶな」と、冷たく言い放った。ほんの少しでいいから、過去形でもいいから、好きだと言ってほしかった。ただ、それだけだったのに。無残にも一蹴されてしまった。たぶん、僕は涙を流したまま怯えた表情を浮かべていたのだと思う。それほど、本宮さんの本気の拒絶に恐怖を感じた。そんな僕を興味なさそうにちらりと見ると、「じゃあな」と、短く別れを告げて本宮さんは席を立った。「あ……」呼び止めようとしたけれど、言葉が出ない。あれだけのことを言われたのに、僕の心はまだ、彼に囚われたままだ。(これは、夢だ。本物の昌義さんに、直接言われたわけじゃない!)自分にそう言い
気がつくと、僕の視界には見知った天井が広がっていた。(あれ? 僕、学校にいたはずだよな?)不思議に思って周囲を確認する。間違いなく、ここは僕の部屋だ。「優樹! よかった、気がついたか!」僕のベッドのすぐ横で、本宮さんの声が聞こえた。「昌義、さん……?」問いかけながら、僕は顔を右側へと向けた。そこには、ほっとした表情を浮かべる本宮さんがいた。少し涙ぐんでいるのか、目もとがきらりと輝いている。いまいち状況が飲み込めていない僕は、本宮さんにどうしてここにいるのかたずねた。「昼休みに教室で倒れたって聞いたんだけど、覚えてないのか?」と、本宮さんが心配そうにたずねる。「えっと……」と、僕は本宮さんから視線をはずし、今日一日のことを思い返す。いつも通り学校に行って、授業を受けて、遼と話をして……。「そういえば、ちゃんと寝ろって、遼に言われたっけ。……あれ?」心配そうな遼の姿を思い出した僕は、その後の記憶がないことに気がついた。本宮さんにそのことを告げると、「倒れたのは、たぶん、その時だろうな」「それじゃあ、昌義さんが僕を?」家に連れてきたのかと聞いてみた。けれど、本宮さんは静かに首を横に振った。「いや、優樹を迎えに行ったのは、亜紀先輩だよ。俺は、亜紀先輩から連絡もらって、優樹の看病をしてただけだ」「そっか、ありがと。それと、ごめんなさい」しょんぼりと僕が謝ると、本宮さんはきょとんとした顔をした。「あ、いや……今日、金曜日だし、昌義さんの授業ないじゃん? なのに、来てもらっちゃったから」と、僕は弁解するように言った。「そんなこと気にすんな。恋人の一大事なんだ、飛んでくるのは当たり前だろ」本宮さんは、優しく微笑んでそう告げた。何をどう言えばいいのかわからなくて、僕は小さくうなずくことしかできなかった。「俺の方こそごめんな
僕よりも本条刑事を知っている本宮さんが言うのだから、おそらく間違いないのだろう。「それでも気になるなら、俺が本条先輩を味方につけるぜ?」「本当!?」「ああ。まかせろ!」本宮さんの心強い言葉に、僕は素直にお願いする。そういうわけで、母さんを攻略する前に、僕は父さんを、本宮さんは本条刑事を味方につけることにした。交渉の方法は、個人の判断に任せることになった。「今日のところは、ここまでかな」と、本宮さんが言った。窓の外を見ると、もうすっかり暗くなっている。「じゃあ、続きは明日ってことで」と、僕がノートを閉じると、本宮さんは僕から離れて帰り支度を始めた。それが、少しだけ寂しく思えた。でも、口にも態度にも出さない。ただのわがままなのは、充分に理解しているからだ。「それじゃあ帰るけど、今日やったとこ、忘れるなよ?」「大丈夫だよ、復習しておくから」心配そうな本宮さんに、僕はそう言って笑顔を返す。苦手な分野は、復習しておかないと忘れてしまう。今日は、とくにその傾向が強い。なんたって、色気倍増の本宮さんとのキスで、ほとんど覚えていないのだから。「じゃあ、また明日な」と、さわやかな笑顔を浮かべる本宮さんを、僕は玄関まで見送った。* * * *いつも通り、家族揃って食卓を囲んでいた夕食時。(さて、どうしたものか……)僕は、卒業後の進路について両親にどう切り出せばいいか考えていた。もちろん、本宮さんとのことは伏せるつもりだ。そこまでオープンにする覚悟は、僕にはまだない。タイミング的にも、今ではない気がする。その反面、店を継ぐ意思があることは、早めに伝えた方がいいと思った。(でも、何て言えばいいんだろ?)下手なことを口走ると、それこそ母さんにツッコまれるおそれがある。それは、色々と面倒くさい。「どうした、優樹? そんなに難しい顔をして」と、父さんに声