Share

第5話

last update Last Updated: 2025-06-19 11:00:43

「そんな、俺たちのことなんて気にしないでくださいよ」

「そうそう、本宮さんがいつも歌う曲でいいからさ」

遼と僕がそう言うと、本宮さんは「そうか?」なんて言って曲を選択する。

本宮さんが入れた曲は、激しい曲調のハードロックだった。イントロを聞いた瞬間、僕が知っている曲だとすぐにわかった。もともと母さんが好きな曲で、幼い頃から一緒に聴いていたのだ。まさか、本宮さんがこの曲を歌うとは思っていなかった。否が応でも、僕のテンションは急上昇する。

本宮さんは、歌も上手だった。普段の声よりも少し低めだけれど、耳の奥に甘く響くような、そんな歌声。この声で口説かれたら、誰だって一発で恋に落ちると思う。

僕は、自分が歌う曲を入力することも忘れて、本宮さんの歌声に聞き入っていた。

そんな中、右腕を軽く叩かれた。見ると、遼がタブレット端末を差し出しているところだった。

うなずいた僕は、タブレットを受け取って曲を探す。何を歌うか決めていなかったから、歌手名を入れて検索しては、あれでもないこれでもないと曲名を見送っていく。悩みながらそれを何回かくり返し、ようやく歌う曲を入力した。

僕がタブレットを本宮さんの前に置くと、本宮さんは歌いながら優しいまなざしをくれた。その瞳にドキッとして、思わず視線をそらしてしまった。ちょうど遼の方に顔を向けた形になり、にやにやしている遼と目が合った。

それが何だか恥ずかしくて、照れ隠しにレモネードを飲む。その冷たさのおかけで、ほんの少しだけ冷静さを取り戻せたような気がした。

歌い終わった本宮さんがマイクを置くと、

「本宮さん。歌、上手いですね!」

と、遼が称賛する。

僕も大きくうなずいた。

「そうか? ありがとな。久しぶりに歌ったから、ちょっと不安だったんだ」

と言って、本宮さんがレモネードをのどに流し込む。

(本宮さんでも不安に思ったりするんだ)

と、僕は純粋な感想を抱いた。

いつも落ち着いていて堂々としているから、ちょっと意外だった。

聞き慣れたイントロが流れ、遼がマイクを握る。人気アニメのタイアップ曲だ。遼とカラオケに来ると、いつもこの曲からスタートする。この曲自体、アップテンポでオープニングっぽい感じがあるから、僕も好きだったりする。

遼の歌を聞きながら、ちらりと本宮さんを見る。彼は、慣れた手つきでタブレット画面を操作していた。迷いのない動きに、僕は本宮さんが歌う次の曲にわくわくしてしまう。

タブレットは、本宮さんの手もとからすぐに遼の前に移動した。遼は、歌いながらそれを手前に持っていくと、モニター画面とタブレットを交互に見ながら操作する。

(相変わらず器用だなー)

遼を見ながら、そんなことを思う。たとえ、歌詞を完璧に覚えていたとしても、僕にはできない。たぶん、どこかで音をはずしてしまうような気がする。

1番のサビが終わった直後に、タブレットが僕に回ってくる。2曲目は何にしようかと、遼の歌声を聞きながら検索する。せっかくなら、歌い慣れている曲にしたい。本宮さんに聞いてもらうのだから、初めて歌う曲で失敗するのは避けたかった。

遼の歌が終わる前に、本宮さんにタブレットを渡す。でも、またすぐに僕のところに戻ってくるだろう。これは、予想ではなく確定事項で。遼がマイクを置くのとほぼ同時に、僕にタブレットが回ってきた。

「もう、早いって!」

苦笑しながら僕がぼやくと、

「いつものことじゃん」

と、遼が笑い声をあげる。

そうだけれどと言う前にイントロが流れ、僕はマイクを握った。僕が最初に入れた曲だ。歌詞がモニターに映し出される前に、3曲目を選んで入力する。タブレットを本宮さんに渡し、小さく息をついたところで歌い始めた。

この曲は、3年前に惜しまれつつも解散したバンドの曲で、いわゆる青春ソングとして親しまれている。歌詞は切ないけれど、アップテンポなので悲しい印象はない。僕のお気に入りの曲の1つだ。

歌いながら、僕は本宮さんをちらりと見た。この曲を知っているのか、曲に合わせて右手がビートを刻んでいる。

(よかった、楽しんでくれてるみたいだ)

ホッとした僕は、すでにタブレットが自分の前にあるのを見て、内心焦った。とはいえ、遼のような器用なことはできない。半ば開き直って、僕は歌に専念することにした。

その後も、僕たちはそれぞれ好きな曲を歌った。英語歌詞の曲やバラード、女性ボーカルの曲など選曲はいろいろだった。中には、僕の知らない曲もあったりして、あっという間に時間がすぎた。

「そろそろ昼飯にでもしようか?」

と、本宮さんが提案する。

スマホを取り出して時間を確認すると、昼の12時をすぎていた。

「もうお昼なんだ、気づかなかった」

僕が言うと、

「マジで!? なんか、急激に腹減ってきたー」

と、遼が情けない声を出す。

「じゃあ、何か頼もうか」

本宮さんが、笑いながらメニュー表をテーブルの上に広げた。

そこには、フライドポテトやたこ焼きやピザなどの定番商品の他に、カレーやラーメン、ハンバーガーなんかも載っている。至れり尽くせりといった感じだ。

「あー、どうしよう」

と、遼がメニュー表を凝視している。

悩む気持ちはよくわかる。メニュー表に載っている写真は、どれも美味しそうだった。

それから数分後、僕たちは注文する品を決めた。本宮さんが取りまとめて、壁に設置してある電話でフロントに注文する。

僕と遼がほぼ同時にお礼を言うと、

「どういたしまして」

と、本宮さんが微笑んだ。

その笑顔に、僕は不覚にもときめいてしまった。僕と2人きりの時に見せる笑顔とは、また少し違うように見えたからだ。

「そういえば、さっき、端末が早く回ってくるのはいつものことだって言ってたけど、カラオケにはよく2人で来るのか?」

と、思い出したように本宮さんがたずねた。

たしかに、僕が1曲目を歌う時にそんなやり取りをしていた。

「はい。必ず優樹とってわけじゃないけど、2人の予定が合えばって感じです」

と、遼が答える。

「でも、遼は、僕より確実に多く来てるよね」

僕がそう言うと、

「まあな。部活の先輩に誘われたり、1人で来ることもあるからな」

と、遼がうなずいた。

そうかと微笑む本宮さん。何だか、保護者的な雰囲気がある。僕がそう感じるだけかもしれないけれど。

「本宮さんって、普段からアクセサリーしてるんですか?」

唐突に、遼がたずねた。

ファッションについて、本宮さんにいろいろ聞きたいと言っていたから、聞くタイミングを探していたのかもしれない。

「ピアスは普段からだけど、このブレスレットは休日だけかな」

と、本宮さんは自分の左手首を見ながら告げた。

「もしかして、優樹からのプレゼント?」

と、遼がにやにやしている。

「ああ。でも、どうして?」

本宮さんが首をかしげる。

僕も不思議に思った。本宮さんへのプレゼントの中身は、話していなかったはずだ。にもかかわらず、遼は言い当てた。

「そんなの、優樹を見てればわかりますよ」

当然とばかりに、遼が言ってのける。

本宮さんはすぐに納得したみたいだけれど、僕は何が何だかわからない。

「自覚ねえの? 顔、めっちゃにやけてんぞ」

「え!? うそ?」

遼の言葉に、僕は驚いて大声をあげてしまった。自分のことなのに、まったく気づいていなかった。

直後、店員さんが、注文した料理を持ってやってきた。急に気まずくなった僕は、店員さんに顔を見られないようにうつむいた。

テーブルに置かれた料理から漂う美味しそうな匂いが、僕の鼻腔をくすぐる。そのおかげか、僕の思考は食べ物の方へと傾いていった。

「冷める前に食おうぜ」

店員さんがいなくなった後、本宮さんがそう言った。

うなずいた僕と遼は、いただきますと言って食べ始める。本宮さんもその後に続いた。

注文した料理は、僕がたこ焼き、遼がカツカレー、本宮さんがピザだった。

僕が選んだたこ焼きは、外がカリッとしていて中はふんわりとしているタイプだ。中身のたこは、大ぶりで食べ応えがある。専門店のたこ焼きと変わらないくらいの美味しさだった。

はふはふ言いながら遼がほおばっているカツカレーは、皿を半分に分けるように白米とカレーが盛られている。それらの上――皿のほぼ中央に、カレーよりも存在感がある大きなカツが鎮座していた。

「いくらなんでも、でかすぎでしょ」

僕は、思ったままを口にする。

「だよな。でも、このカツ、思ったよりあっさりしてて食べやすいぜ。一切れやるよ」

なんて遼が言うものだから、少し興味がわいた僕は、お言葉に甘えることにした。

カツを一切れもらい、カレーがかかっていない方を食べてみる。思った以上に衣がサクッとしていて油っこくない。肉自体も柔らかくジューシーで、かなり食べやすい。これなら、カレーの乗せてもぺろりと食べきれてしまいそうだ。

「そのカツカレー、結構な人気らしいぜ」

本宮さんが、そんな情報を教えてくれた。

「でしょうね。正直、こんなに美味いとは思ってなかったもん」

と、遼が舌を巻く。

「それはそうと、本宮さんはそれだけでいいの?」

僕がたずねると、本宮さんは笑顔でうなずいた。

「ここで頼むのは、いつもこれって決めてるんだ。チーズが濃厚で、結構ボリュームあるんだぜ」

と、本宮さんが笑顔で答えた。

たしかに、他の具材が見えないほどたっぷりのチーズが乗っている。チーズ好きにはたまらない代物だ。もしかしたら、本宮さんは、無類のチーズ好きなのかもしれない。後で聞いてみようと思った。

「なあ、優樹はブレスレットしてねえの?」

カツカレーを半分ほど食べた遼が、思いついたように聞いてきた。

「もちろんしてるよ」

そう言って、僕は右手首を見せる。そこには、キャラメル色のブレスレットが控えめながらも存在感をアピールしていた。

ふと、本宮さんが微笑んだ気配がした。気になって彼を見ると、とてもうれしそうな表情をしている。それだけで、僕の心は満たされた。ブレスレットをしてきてよかった。

「いいなー、そういうの」

むくれたように遼がつぶやく。

「いいなって、遼君にもいるんじゃないのか?」

本宮さんが当たり前のようにたずねる。

「いないですよ! ずっとバスケ一筋ですから!」

噛みつくように言って、遼はそっぽを向いてしまった。

「そ、そうなのか? それは、悪いことを聞いちまったな」

すまないと、本宮さんが素直に謝る。

「でもさ、遼だって、彼女作るよりバスケしたいって言ってたじゃん。それで、バスケ部の先輩とか顧問の先生に頼りにされてるんじゃないの?」

僕がそう問いかけると、それはそうだけれどと遼が口を尖らせる。

「正直、優樹がうらやましいぜ。俺も恋人欲しいー!」

遼の魂の叫びが響く。

「まあまあ。そんなに焦っても、いいことないぜ」

しかるべき時に出会いがあるからと、本宮さんが諭す。

もし本当に、すべての出会いが最高のタイミングでやってくるとしたら、本宮さんと出会えた1年前のあの日が、まさにそれだったのだろう。まさか自分に同性の――それも年上の恋人ができるなんて、あの日以前の僕は思ってもみなかったのだから。

「本宮さん。俺……貴方に興味があるんです」

突然、遼がやけに真剣な表情で、そんなことを口にする。

「俺に?」

本宮さんは、不思議そうな顔をして聞き返した。

「ええっ!? ちょっ……遼!?」

僕は、いきなりのことに動揺して声を荒げる。今まで、遼から同性が好きだと聞かされたことがなかったからだ。おまけに、本宮さんに興味があるというのも初耳で。驚きと疑念と困惑とで、心の中はぐちゃぐちゃだった。

そんな僕の胸中を知ってか知らずか、本宮さんは、

「ありがとな。でも、その台詞は、むやみに言わない方がいいぜ。勘違いしちまう奴もいるからな」

と、穏やかな表情のまま遼に忠告した。

(断ってくれた……ってことでいいんだよね?)

僕は、心の中で首をかしげた。

本宮さんの言葉は、一応、断ったと認識できるものだったけれど、どうにも腑に落ちない。というか、何かが引っかかる。それが、何なのかわからなくてもやもやする。

遼は素直に返事をして、

「試しに言ってみたけど、やっぱりだめかー。2人とも好き合ってるもんなー」

と、想定通りだと言わんばかりにつぶやいた。

でも、心なしか残念そうでもある。もしかして、本当は何かを期待していた……?

(まさか、本当に本宮さんを狙ってる?)

急に遼のことがわからなくなって、疑心暗鬼に陥る。

もともと同性を恋愛対象として見ていたのか、それとも本宮さんのかっこよさに触発されたのか。どちらだろうと、僕の胸中は複雑だった。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • その色は君への愛の証   第40話

    翌日から、温めた牛乳を泡立てる工程を追加した。専用の電動泡立て器――ミルクフォーマーというらしい――の使い方を教えてもらって泡立てる。けれど、なかなか上手くはいかなかった。いろいろな方法を試していくと、どうにかそれっぽい形にできるようにはなった。でも、父さんのジンジャーブレッドラテとは、どこか違うような気がした。悩みながら試行錯誤をしていると、クリスマスパーティーを翌日に控えた12月24日になってしまった。まだ、自分で納得できるほどの仕上がりにはなっていないのに。(今日中には、どうにかしないと……)焦りだけが募っていく。僕は、大きく息をついた。このまま悩んでいても解決しない気がして、気分転換に出かけることにした。玄関を出た瞬間、冷たい風が吹き抜ける。「寒っ……!」思わずつぶやいて、僕は首をすぼめた。プレゼントをまだ用意していないことを思い出して、僕は学校方面へと足を向けた。学校の周辺には、いろいろな商店が軒を連ねている。プレゼントに最適なものが、何かは見つかるだろう。(予算は、たしか5000円以内だったよな)と、考えながら歩いていると、いつの間にかなじみの本屋に着いていた。「……まあ、何かはあるか」と、僕は入り口の自動ドアをくぐった。店内は、いつもより賑わっていた。冬休みに入ったからか、家族連れの客が多い気がする。以前、本宮さんと行った本屋よりも店舗は小さい。けれど、取り扱っている本は、そこそこ充実している。小説や漫画くらいなら、ここでも充分に買い揃えられるくらいだ。小説の新刊コーナーに行くと、多数の話題作が平積みにされている。中には、個人的に気になるタイトルもある。この中から探そうとして、僕は立ち止まった。(みんな、どんなジャンル読むんだろ?)本宮さんが読むジャンルは、リサーチ済だ。その時に、片桐さんがホラーを読むという話もしていたような気がする。両親も本は読む

  • その色は君への愛の証   第39話

    「そうか、もう2人はそこまで……。そうか」と、父さんが落ち着いた声でつぶやいた。「父さん……?」思っていた反応と違い、僕はおそるおそる父さんに視線を向けた。優しく微笑んでいる父さんは、「反対はしないよ」静かに、けれどきっぱりと告げた。いつもと同じ微笑みのはずなのに、どこか憂いを帯びているように見えた。もともと黒い瞳が、漆黒の闇のようだった。何かを言いかけた僕は、何も言えずに父さんから視線をはずす。本当は、言いたいことがあったはずなのに。でも、それが何なのか認識する前に、脳内から消えてしまった。叱られているわけでもないのに、なぜか気まずかった。「本宮君から、それとなく聞いてはいたけど、直接言われると……やっぱりくるものがあるな」父さんは、小さく息をついて言った。先ほどの口調とは打って変わって、弱々しかった。(……ん? 昌義さんから、それとなく聞いた……?)父さんの言葉に、引っかかりを覚えた。僕と本宮さんとの間で、両親にはまだ言わないという約束があったはずだ。それなのに、父さんは本宮さんから聞いたと言う。「父さん、どういうこと?」「ほら、昨日の夜、本宮君と飲んだだろ? その時に、優樹のことをどう思ってるのか聞いてみたんだよ。そうしたら、大切に思ってるって言っててな」と、父さんがうれしそうに答える。本宮さんの気持ちを聞いて、遅かれ早かれそうなるのだろうと思っていたらしい。そのせいで、飲酒ペースが速くなってしまったそうだ。そうだったのかと、僕は胸をなでおろした。「傷口抉るようだけど、父さんはどう思った?」と、僕は率直な感想を父さんに求めた。「……そうだな、率直に言うと、寂しさと感慨深さが同居してる感じかな。まだ子どもだと思ってた優樹が、もうそんなに大人になったんだなあって」

  • その色は君への愛の証   第38話

    「サンキュ。こっちも、そろそろかな」と、本宮さんは鍋からキャベツを引き揚げた。火傷に注意しながら、僕たちはタネをキャベツで包んでいく。「こうして2人でキッチンに立ってると、何だか本当に結婚したみたいだね」僕は、何気なくそう口にした。「……っ! そ、そうだな」動揺しているのか、本宮さんの声が少しうわずっているように聞こえた。本宮さんを横目で見ると、彼のほほがほんのりと赤い。僕の言葉でドキドキしてくれたのだろうか。(もし、そうだとしたら……うれしいな)なんて思いながら、僕は次々とロールキャベツを量産していく。2人で作業していたおかげか、すべてのタネを包み終えるまで、それほど時間はかからなかった。けれど、4人で食べるには、多すぎる量ができてしまった。(でもまあ、明日の朝も食べられるわけだし、別にいっか)と、僕は思い直す。「さて、と。あとは、煮込むだけだな」本宮さんは、鍋にロールキャベツを敷き詰め、水とコンソメを入れて火にかける。洗い物は、僕が引き受けることにした。30分ほど煮込んでいると、両親が帰ってきた。「あれ? 本宮、まだいたのかい?」本宮さんの姿を見た母さんは、意外そうに言った。「母さん。失礼すぎ!」おかえりを言うのも忘れて、僕は母さんを非難する。申し訳程度に謝る母さん。どうやら、本宮さんがすでに帰宅したと思っていたらしい。「謝らなくていいですよ。俺も言ってなかったですし」と、本宮さんがにこやかに言った。「おや? 本宮君がいるのかい?」母さんの後ろから顔を出した父さんが、うれしそうに言った。「おかえり。今日の夕飯は、昌義さんが作ったんだ」「本当かい!?」と、父さんが目を輝かせる。「ええ。もう少しで、出来上がりますから」と、本宮さんがは

  • その色は君への愛の証   第37話

    「え? いいの?」「もちろん。その方が、楽しいだろ?」勉強にもなるだろうしと、本宮さんが告げる。まさか、本宮さんからこんなお誘いがあるとは思っていなかった。だからだろうか、僕はいつも以上に浮き足立っていた。キャベツや挽肉など必要な食材を購入して、帰宅する。食材を冷蔵庫にしまった僕たちは、リビングで休憩することにした。先ほど行ったスーパーに焼き芋が売っていたのをたまたま見つけて、1本だけ買ったのだ。帰ってくる間に冷めてしまわないか心配だったけれど、まだほかほかと温かかった。(焼き芋に合いそうなのは……)と考えながら、僕はリビングの隣にある倉庫部屋を物色する。せっかく食べるのなら、相性がいい飲み物を用意したいと思ったからだ。この部屋にあるものは、すべて店で使うものだ。けれど、少しなら使っていいと父さんから許可をもらっている。「優樹?」と、ふいに本宮さんに背後から呼ばれた。「はいっ!」僕は、わずかに肩を震わせて、勢いよく返事をする。振り返ると、本宮さんが不思議そうな顔をして部屋の入り口に立っていた。彼には、リビングで待っていてほしいと言ったはずだった。おそらく、僕がなかなか戻ってこないので不思議に思ってやってきたのだろう。「悪い、驚かすつもりはなかったんだ」と、本宮さんが申し訳なさそうに言った。「ううん、全然! 僕の方こそ、遅くなってごめん!」僕が慌ててそう言うと、本宮さんは僕の方へと歩いてくる。「何か探してるのか?」「あ、うん……。焼き芋に合う飲み物、あるかなって」と、僕は本宮さんから棚の方へと視線を戻す。「焼き芋に合う飲み物、か。牛乳とか緑茶とかが定番だったりするよな。でも、意外とコーヒーも合うんじゃねえか?」と、僕の隣に並ぶ本宮さんが言った。「え、そうなの!?」自分では試したことのない組み合わせを言われて、僕は驚いてしまった。「あ、いや……俺も試したことはねえんだけどさ」と、本宮さんが弁解するように言った。でも、試す価値はあるかもしれない。そう思った僕は、棚から蓋つきの容器を1つ手に取った。それには、『中煎り コロンビア』というラベルが貼られている。「昌義さん。悪いんだけど、これ、キッチンに持って行ってもらってもいい?」僕が、そう本宮さんに頼むと、彼は快くうなずいてくれた。彼が部屋から出るのを確認した僕は

  • その色は君への愛の証   第36話

    「お待たせしましたー」と、母さんが注文した商品を持ってやってきた。僕たちの目の前に、それぞれ注文した飲み物が置かれる。と同時に、注文していないはずのケーキまで置かれた。「母さん。僕たち、ケーキは頼んでないよ?」と、僕が言うと、「新作ケーキの試作品だよ。味見しておくれ」もちろんお代はいらないからと、母さんが言った。「え、でも……」僕が言い淀むと、「大丈夫だよ。他のお客さんにも出してるから」母さんは、心配するなと笑顔を見せる。「それなら、いいんだけどさ」少し偉そうに言った僕は、内心ほっとしていた。もし、僕たちだけに提供されていたら、他のお客さんに申し訳ない。それに、身内にだけサービスしているだなんて、思われたくなかった。まあ、そんなことを思うお客さんは、そうそういないとは思うけれど。「新作ってことは、レギュラーメニューになるんですか?」遼がたずねると、母さんは首を横に振った。「とりあえずは、12月限定かな。人気があれば、レギュラーメニューになるかもしれないけどね。味の感想は、帰る時にでも聞かせておくれ」それじゃあと、母さんはカウンター側に戻っていった。「せっかくだし、食ってみようぜ」と言う本宮さんに、僕と遼はうなずいた。見た目は、ごく普通のパウンドケーキだ。表面には、こんがりとした焼き色がついていて、とても美味しそうだ。ケーキの内側は、きめ細かい生地で淡い黄色に染められている。りんごの甘い香りが、ほのかに香っている。中には、四角形の果肉が入っていた。おそらく、角切りのりんごだろう。いただきますと、僕たち3人はほぼ同時に食べた。口に入れた瞬間に、りんごの爽やかな香りが広がる。ケーキ自体は、しっとりしているのにふんわりと軽い。角切りの果肉は、さくっとした歯ざわりが心地よくて、噛んだあとにりんごの甘みがじわりとにじみ出てくる。口の中が、幸せでいっぱいになった。「んーーー! うんまい!」僕は、自然に上がる口角をそのままに、そんな感想を口にした。「美味いもの食べてる優樹って、本当に幸せそうだよな」遼が、優しい笑顔を浮かべながら言った。その笑顔は、僕の表情を見てのものなのか、それともパウンドケーキが美味しいからなのか、判断がつかない。でも、どちらにしても、遼も幸せそうなことに変わりはなかった。「だって、美味しいんだもん。幸せ

  • その色は君への愛の証   第35話

    「遼君とここで待ち合わせなんて、珍しいんじゃないかい?」と言う母さんに、僕はうなずいた。以前、僕は遼をここに連れてきたことがある。遼と知り合って、わりとすぐの頃だったと思う。両親が喫茶店を営んでいると話したとたん、連れて行けとせがまれたからだ。他の客に混ざって座席にいることが、当時はなんとなく気まずかった。それ以来、遼と待ち合わせをする時には、ムーンリバーを選択肢からはずしていた。「遼が、ここがいいって指定したんだ。そういうわけだからさ、遼が来たら、ここにいるって伝えてもらっていい?」「わかった。で、注文はどうする? 遼君が来てからにするかい?」母さんの問いに、僕はそうしてもらえると助かると答えた。「じゃあ、遼君が来たら案内するよ」そう言って、母さんは仕事に戻っていった。母さんがカウンター席の方に行ったのを確認した僕は、大きく息をついた。「昌義さん。僕、変じゃなかったよね?」本宮さんにたずねると、「ああ、いつも通りだったぜ」と、にこやかに言ってくれた。「よかったー。あの話のあとだったから、変に緊張しちゃったよ」と、僕はほっとして言った。あの話とは、もちろん母さん攻略作戦のことだ。母さんには、まだ内緒にしておかないといけない。でも、隠し事をしていることが、僕の表情に出てしまう可能性があった。できる限り普段通りにしていたけれど、内心はひやひやものだった。どうやら、いつも通りに振る舞えていたみたいなので、とりあえずはよしとする。「お疲れ」と、隣に座る本宮さんが僕の頭をなでる。それだけで、全身に重くのしかかっていた疲労感がきれいさっぱり消えた。照れ笑いを浮かべた僕は、テーブルに置かれているメニュー表を広げた。それには、コーヒーなどのドリンクメニューの他、ケーキなどのデザートメニューが掲載されている。「遼君が来てから、注文するんだろ?」と、本宮さんにたずねられた。「それはそうなんだけど、かなり悩むからさ。今のうちに決めておこ

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status