Share

第3話

last update Last Updated: 2025-06-13 11:00:41

翌日。僕は、本宮さんからもらったブレスレットをバッグに忍び込ませて登校した。アクセサリー類は、基本的に着用禁止だ。でも、バッグの中にしまっておく分には何も言われない。抜き打ち検査で見つかる可能性もあるけれど、それは例外中の例外だ。

ブレスレットをバッグに入れたのは、本当になんとなくだ。無意識のうちに、本宮さんの存在を求めていたのかもしれない。

「優樹。何か、いいことあったろ?」

昼休み、持参した弁当を教室で食べていると、僕の対面で弁当を食べている茶髪の男子生徒にたずねられた。僕の親友である渋井《しぶい》遼《りょう》だ。遼は、何かを確信しているような口ぶりだった。

「何で?」

「いや、朝からずっとにやけてたからさ」

「え!? そんなに?」

僕は、慌てて自分のほほに手をあてる。赤くなっているのか、いつもより熱い。

「もしかして、昨日、本宮さんとデートにでも行ったとか?」

遼はそう言って、にまにまと笑みを浮かべる。

「何で知ってんの!?」

一発で当てられてしまい、僕は驚いてしまった。

1年前、本宮さんに告白された僕は、どうすればいいかわからなくて遼に相談した。結果的には、自分に正直になれと言われたけれど、一緒に悩んでくれた。そういうこともあって、遼は僕と本宮さんがつきあっていることを知っているのだ。

でも、昨日のデートのことはまったく話していない。どうして知っているのだろう。

「マジかよ。カマかけただけなのに。で? どこ行ったんだよ?」

さっさと白状してしまえとばかりに、遼が詰め寄ってくる。

「実は、隣町のアウトレットモールに……」

照れながらも、僕は正直に答えた。

洋服店に立ち寄っていろいろな服を試着したことや、本宮さんがどんな服でも似合うことなども話した。

「いいね、ショッピングデート! 俺も行きたいなー」

「遼が買いそうな服、何かあったかな?」

昨日行った店を思い出しつつ、遼が選びそうな商品があったか記憶を辿る。

「そうじゃなくて! 俺も恋人とデートしたいってこと!」

と、遼は力強く告げた。

「あ、なるほど。そっちね」

「ていうか、俺のことより優樹の話! どうだったんだよ?」

「どうって、楽しかったよ。昨日、本宮さんの誕生日でさ、一昨日買ったプレゼント渡したんだけど、かなり気に入ってもらえたんだ」

「そりゃよかったじゃん!」

「うん! それどころか、お礼にってブレスレット買ってもらっちゃった」

と、僕はバッグからブレスレットを取り出して遼に見せた。

遼は、それを手に取ってしげしげと眺める。

「シンプルなデザインだな。本宮さんが選んだのか?」

「ううん、選んだのは僕。自分で買おうと思ってたんだけど、本宮さんが『俺が買いたいから』って」

遼からブレスレットを受け取りながら、そう説明する。

「へえ、かっこいいことするじゃん」

「でしょ! それだけで、もう惚れ直したよね!」

かっこいい本宮さんの姿を思い出して、自然にほほが緩んでしまう。

「本当に本宮さんが好きなのな」

遼は微笑んで、しみじみと言った。

その言葉に力強くうなずいた僕は、

「でも、本人を前にすると、まだ緊張しちゃって素直に言えないんだよね」

と、小さく息をついた。

「緊張する必要なくね? 自分の気持ち言うだけじゃん」

きょとんとして、遼は当然のことを口にする。

「それはそうなんだけどさ。なんか、恥ずかしくて」

どうしても照れてしまって、言葉にすることができない。

「そういうもんかねー?」

言いながら、遼は卵焼きを口に放り込む。

「たぶん?」

あいまいに答えて、僕は首をかしげた。

今まで恋人がいなかったということもあって、自分のことながらよくわからないというのが本音だ。

「それよりさ、本宮さんのこと紹介してくれよ」

と、遼が瞳を輝かせながら言った。

どうやら、遼は、最近おしゃれに目覚めたらしい。なので、どんな服でも似合う本宮さんにアドバイスをもらいたいのだそうだ。

「もちろん、いいよ」

僕としてもそのうち紹介したいと思っていたので、その申し出は願ったり叶ったりだ。

僕は、その場で本宮さんにメッセージを送る。

僕たちが弁当を食べ終わった直後、本宮さんから返信が来た。

「次の日曜なら空いてるって」

「日曜日ね。……うん、こっちも空いてる」

と、遼はスマホで予定を確認する。

もちろん、僕も予定は入っていない。

「じゃあ、確定だね! 何しようか?」

「うーん……遊びに行くってなると、ボウリングかカラオケぐらいじゃね? あとは、ファミレスとか回転寿司とか?」

遼が考えながら答える。

たしかに、選択肢は限られるかもしれない。映画館や小さな水族館なんかもあるけれど、男3人で行くのはちょっと違う気がする。しかも、遼と本宮さんは初対面だ。話ができる場所の方がいいと思った。

「何するか決めるのは、本宮さんの意見も聞いてからにしねえ?」

2人だけで考えるよりもいいような気がすると、遼が言った。

「そうだね。僕たちより経験豊富そうだし、ちょっと相談してみる」

そう言って、ブレスレットをバッグにしまった時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

午後の授業も何の問題もなく終わり、あっという間に放課後になった。遼は部活があるらしく、すぐに教室から出て行った。さすがバスケットボール部のホープだ。部活動推薦でこの高校に入学したのだから、相当に期待されているのだろう。

対する僕は、1年生の時からずっと帰宅部だ。まっすぐ家に帰り、本宮さんの到着を待つ。本宮さんが家庭教師をしてくれているおかげで、勉強が前よりも楽しいと思えるようになった。彼の教え方が上手いのもあるけれど、好きな人に教えてもらえるという状況がうれしかったりする。本宮さんを家庭教師として雇ってくれた母さんには、本当に感謝しかない。

「本宮さんは、ブラックのままでも大丈夫だったっけ」

つぶやきながら、コーヒーを淹れる。もちろん、コーヒーメーカーを使って、である。

前に一度だけ、父さんからコーヒーの淹れ方を教えてもらったことがある。けれど、お湯の温度は何度がいいとか、お湯は何回かに分けてゆっくり注いだ方がいいとかけっこう覚えることが多くてたいへんだった。なので、自分で飲む時は、たいていコーヒーメーカーに頼っている。

抽出されるコーヒーを眺めていると、来客を知らせるチャイムが鳴った。

「はーい!」

大声で返事をしながら玄関に向かう。

扉を開けると、白いシャツの上に黒いベスト、黒いスラックスを身にまとった本宮さんが立っていた。

「本宮さん、いらっしゃい。ナイスタイミング!」

「こんにちは。ナイスタイミングって、どういうことだ?」

と、不思議そうな本宮さんが、お邪魔しますと玄関に入る。

「今、コーヒー淹れてるとこなんだ。もう少ししたらできあがるから、先に部屋に行っててもらってもいい?」

僕がそう言うと、本宮さんはうなずいて階段に向かった。僕の自室が2階にあるからだ。

僕はキッチンに戻り、2人分のマグカップを準備する。そうこうしているうちに、コーヒーができあがった。片方にだけ砂糖を入れる。砂糖を入れた方が僕用だ。

トレーに乗せたマグカップを慎重に自室まで運び、テーブルに置く。

「勉強の前に、昼間、メッセで言ってたことなんだけど……」

本宮さんの対面に座って、僕は話を切り出した。遼のことを話しておかないと、気になって勉強に身が入らない。

「ああ、友達を紹介したいって言ってたよな」

「うん。渋井遼っていう男子で、僕の親友なんだ。本宮さんのこと話したら、会ってみたいって」

「なるほどな。それで、俺の休みの予定を聞いたわけか」

僕はうなずいて、次の日曜日は僕も遼も予定がないことを伝えた。

「それで、当日は何をしようかって話になってさ。カラオケとボウリングとファミレスと回転寿司が候補に挙がったんだ。本宮さんは、やりたいこととかあったりする?」

「やりたいこと、か……。ムーンリバーで話をするのは、だめなのか?」

僕の口からこの名前が出ないことが不思議だと言わんばかりに、本宮さんは首をかしげる。

「あー……うん、ちょっと」

歯切れの悪い言い方で、僕はそれを却下した。

『ムーンリバー』は、僕の両親が営んでいるカフェの名前だ。自宅のすぐ隣に店がある。日曜日も営業しているし、落ち着いた雰囲気だから話をするのには最適だと思う。でも、両親の店だからこそ、あえて選択肢からはずした。自分もたまに店員として手伝うこともあって、客として利用するのはなんとなく気まずい。

「そうなると、候補に挙がった4つくらいじゃないか? デートで行くって言うなら、また話は別だけどな」

と、本宮さんが思案しながら言った。

たしかに、デートとして行くなら選択肢の幅は増えると思う。でも、今回は、遼と本宮さんの顔合わせという側面の方が大きい。

「日曜日で3人とも予定がないってことなら、カラオケでいいんじゃないか? 久しぶりに歌いたいし、優樹の歌声も聞いてみたいしな」

ある程度騒いでも、他の人の迷惑になることはそうそうないだろうしと、本宮さんが提案する。

「わかった、カラオケだね。でも、僕、そんなに歌上手くないよ?」

そう言いながら、僕は遼にメッセージを送った。今は部活中だろうから、後で確認してくれるだろう。

「別に上手くなくても平気だよ。メインはそこじゃないだろ?」

「そうだけどさ。それで、どこのカラオケ行く?」

「そうだな……。この近くだと『ワンのすけ』かな」

『ワンのすけ』は、僕が通う高校の近くにあるカラオケ店だ。同じ高校の生徒がよく利用している印象がある。かくいう僕も、たまに遼と一緒に行ったりしている。

「そこなら、僕もたまに行くよ」

「そっか。なら、ちょうどいいな。……うん、美味い」

本宮さんはコーヒーに口をつけると、そう言って笑みを浮かべた。

僕は、思わずにやけてしまった。こだわりを持って淹れたわけではないけれど、それでも褒められるとやっぱりうれしい。

「現地集合ってことにして――」

「ムーンリバーに集まるってことでもいいぜ?」

僕の言葉をさえぎった本宮さんは、いたずらっ子のような顔でそう言った。

「本宮さん!」

嫌だとは言えず、むくれながら彼の名前を呼ぶ。

「そう、むくれるなって。冗談だよ」

苦笑しながら、本宮さんは悪かったと謝った。

「それで、集合時間なんだけど、何時頃がいいかな?」

気を取り直して、時間について相談する。

「優樹たちの都合がいい時間でいいよ」

自分はそれに合わせるからと、本宮さんが言った。

僕はうなずくと、場所と集合時間のことを遼に連絡した。

「後は、遼と相談かな」

「決まったら教えてくれ」

「もちろん!」

とりあえず、気がかりなことはなくなったので、僕は机から勉強道具一式を取り出した。

それを見た本宮さんも、仕事モードに切り替えたようで、キリッとした表情をしている。それがまたかっこよくて、僕は見惚れてしまった。

「優樹? どうした?」

「え!? あ……ううん、何でもない」

急に現実の引き戻されて、僕はとっさにそう言った。

本宮さんに見惚れていたなんて、恥ずかしくて言えない。言ったら、確実に喜んでくれるとは思う。でも、僕の方が勉強どころではなくなってしまいそうだった。

「それじゃあ、お願いします」

気持ちを切り替えるようにそう言って、僕は教科書とノートを開いた。

* * * *

「――というわけで、ここはこの公式を使って解いた方がいいということになる。ここまではいいな?」

本宮さんの言葉に、僕はうなずいた。

本宮さんの授業が始まり、解説を聞きながら解いていく。ちなみに、1日1教科のみで、今日は数学だ。本当に、学校で習うよりもわかりやすい。学校の先生の教え方が、すべて本宮さんみたいにわかりやすかったならいいのにと思ってしまう。

「優樹、ちゃんと聞いてるか?」

「――っ! あ……うん、ごめんなさい!」

ちょっと違うことを考えていたら、注意されてしまった。表情に出ていたのかな? それとも、本宮さんだからこそ、僕が集中していないことに気づいたのかな? どちらにしても、彼が僕を見てくれていることに変わりはない。うれしい反面、ちゃんとしなきゃと思った。

本宮さんの授業は、1日につき2時間程度だ。でも、今日は勉強を始める前に休日の予定を話していたので、いつもより少しだけ延長した。少しでも、いつもより長く彼と一緒にいられることがうれしかった。

「よし! 今日は、ここまでだな。明日、今日の振り返りとしてテストするから、ちゃんと覚えとけよ」

と、本宮さんに釘をさされてしまった。

もし、明日のテストで赤点を取ってしまったら、きついお仕置きが待っているに違いない。さずがに、それは嫌だった。

(後で、ちょっと復習しておこう)

僕は、密かにそう思った。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • その色は君への愛の証   第35話

    「遼君とここで待ち合わせなんて、珍しいんじゃないかい?」と言う母さんに、僕はうなずいた。以前、僕は遼をここに連れてきたことがある。遼と知り合って、わりとすぐの頃だったと思う。両親が喫茶店を営んでいると話したとたん、連れて行けとせがまれたからだ。他の客に混ざって座席にいることが、当時はなんとなく気まずかった。それ以来、遼と待ち合わせをする時には、ムーンリバーを選択肢からはずしていた。「遼が、ここがいいって指定したんだ。そういうわけだからさ、遼が来たら、ここにいるって伝えてもらっていい?」「わかった。で、注文はどうする? 遼君が来てからにするかい?」母さんの問いに、僕はそうしてもらえると助かると答えた。「じゃあ、遼君が来たら案内するよ」そう言って、母さんは仕事に戻っていった。母さんがカウンター席の方に行ったのを確認した僕は、大きく息をついた。「昌義さん。僕、変じゃなかったよね?」本宮さんにたずねると、「ああ、いつも通りだったぜ」と、にこやかに言ってくれた。「よかったー。あの話のあとだったから、変に緊張しちゃったよ」と、僕はほっとして言った。あの話とは、もちろん母さん攻略作戦のことだ。母さんには、まだ内緒にしておかないといけない。でも、隠し事をしていることが、僕の表情に出てしまう可能性があった。できる限り普段通りにしていたけれど、内心はひやひやものだった。どうやら、いつも通りに振る舞えていたみたいなので、とりあえずはよしとする。「お疲れ」と、隣に座る本宮さんが僕の頭をなでる。それだけで、全身に重くのしかかっていた疲労感がきれいさっぱり消えた。照れ笑いを浮かべた僕は、テーブルに置かれているメニュー表を広げた。それには、コーヒーなどのドリンクメニューの他、ケーキなどのデザートメニューが掲載されている。「遼君が来てから、注文するんだろ?」と、本宮さんにたずねられた。「それはそうなんだけど、かなり悩むからさ。今のうちに決めておこ

  • その色は君への愛の証   第34話

    翌日、僕と本宮さんは、遅めの朝食を食べていた。もちろん、リビングにいるのは、僕たち2人だけだ。日曜日とはいえ、ムーンリバーは開店している。以前、聞いた話だと、日曜日にしか来られない客もいるらしい。そういうわけで、両親は今日も仕事に勤しんでいる。「それにしても、香川さん、大丈夫なのか? 昨夜は、かなり酔ってたみたいだけど」と、本宮さんが心配している。昨夜、父さんと本宮さんは晩酌をしていた。はちみつ酒でかなり酔っぱらった父さんは、呆れ顔の母さんに介抱される始末だった。普段からあまり飲酒をしない父さんだけれど、本宮さんがいるおかげで浮かれてしまっていたようだ。「それは、大丈夫じゃないかな? 母さんが何とかしてくれてるよ、きっと」僕が希望的観測で言うと、「まあ、それもそうか。あの亜紀先輩がついてるんだもんな」と、本宮さんも思い直したようにうなずいた。どうやら、本宮さんにとって母さんは、本当に頼れる存在らしい。(それにしても……)と、僕はサンドイッチを食べながら、本宮さんを盗み見る。僕の対面に座る本宮さんは、本当に美味しそうにサンドイッチを食べている。昨夜のことは夢だったのかと思えるほど、いつも通りの彼だった。本宮さんも酔ってはいたから、もしかしたら覚えていないのかもしれない。(でも、それはそれで、ちょっと嫌だな)なんて思うけれど、確認する勇気はない。もし、本当に忘れられていたらと思うと、胸が苦しくなる。だって、あの時、あの瞬間、一世一代の大きな覚悟をしたのだから。これは、僕だけのものだ。だから、胸の奥にしまっておく。本宮さんにだって、言うつもりはなかった。たぶん、彼は気づいていると思うけれど。「優樹? どうした?」僕の心の内なんか知らないだろう本宮さんが、いつも通りの口調でたずねる。「ううん、どうもしないよ。ちょっと、昌義さんに見惚れてただけ」と、僕が言うと、本宮さんは目を丸くしていた。「どうしたの?」と、今度は僕が首をかしげる。「あ、いや……なんか、優樹がいつもと違うっていうか……」本宮さんは、言葉に詰まっているようだ。「えー? いつも通りだよ?」僕自身は、変わったなんてこれっぽっちも思っていない。今だって、サンドイッチを食べているだけで絵になっている本宮さんに、見惚れていただけで。それを、素直に言葉にしただけなのだ。「自

  • その色は君への愛の証   第33話

    「ん? そうなのか?」と、僕の方を見る本宮さん。いつも以上に色っぽい彼に、僕は思わず息を飲んだ。まさか、こんなにも色気が増すなんて思ってもみなかった。小首をかしげる本宮さんから視線をはずして、僕はうなずいた。さすがに、妖艶な彼を直視するなんて勇気は、今の僕にはない。「普段、ほとんど飲まないからね。たまに飲むと、さすがに酔っぱらうみたいだよ。それに、今日は本宮もいるからね。浮かれてるんじゃないかい?」と、母さんがキッチンから戻ってきた。その手には、真新しいグラスが2つほどある。「はい」と、そのうちの1つを僕の前に置いた。「これは?」僕がお礼を言ってたずねると、「はちみつレモンだよ」微炭酸のねと、母さんが答えた。その言葉に、僕は面食らってしまった。今まで、食後――それも風呂上がりに作ってもらったことなんてない。早く寝なさいとどやされるのが、日常だった。(これも、昌義さんのおかげかな)そんなことを密かに思いながら、はちみつレモンに口をつけた。はちみつの甘さと爽やかなレモンの香りが、口の中で広がる。ほどよい微炭酸の刺激もあって、風呂上がりのほてった体に染み渡るようだった。「ほら! 修吾さんは、これ飲んで」と、母さんは父さんに水を勧めている。「……甲斐甲斐しい亜紀先輩、初めて見た」本宮さんが、ぽつりとつぶやいた。「そうなの? うちじゃあ、わりとこんな感じだけど」と、僕は両親を見ながら言った。父さんは、まだはちみつ酒を飲むと駄々をこねている。そんな父さんをあしらいながら、母さんははちみつ酒がまだ残っているグラスを水入りのグラスにすり替えて飲ませていた。たしかに、ここまで父さんの世話を焼くのは、珍しいかもしれない。でも、母さんは、基本的に誰かの世話を焼くのが好きなタイプだと思う。口では文句を言いながらも、母さん自身が楽しんでいるように見えたからだ。「たしかに、姉御肌で面倒見がいい人だよな。でも、俺が知

  • その色は君への愛の証   第32話

    「しばらく、そうさせてあげな。だいぶ、気に病んでたみたいだから」と、母さんが優しく言った。そんなことを言われてしまったら、何も言えなくなってしまう。僕は、もう一度ごめんと言って、父さんの気が済むまで抱きしめられていることにした。母さんがリビングに行くのを、横目で確認する。「本宮、今日はありがとね」「いえ。俺も心配だったんで」という母さんと本宮さんの会話が聞こえた。その短いやり取りだけで、僕がどれほど2人に――もちろん、父さんにもだけれど――愛されているのかを感じた。母さんと本宮さんの声音が、いつもより優しいものだったからだ。(もう、無理はしないでおこう)僕は、密かにそう心に誓う。僕が大切に思っている人たちを、もう悲しませたくないから。「そういえば、夕飯はもうできてるって言ってたよな?」気が済んだのか、父さんは僕から離れてそんな疑問を口にした。僕はうなずいて、すぐに準備するからと告げた。父さんが手伝うと言ってくれたけれど、笑顔で断った。病み上がりとはいえ、動けないわけではない。何よりこれは、心配をかけてしまったことへのお詫びみたいなものだからだ。全員分のカレーとスープを配膳して、食卓につく。「えっと……ご心配をおかけしました。これは、僕からのお詫びってことで」召し上がれと言うと、母さんがいきなり笑い出した。「何を改まってるんだい、この子は。心配するのは、当たり前だろ? でもまあ、せっかく作ってくれたんだし、いただこうかね」と、カレーに手をつける。母さんに続いて、僕たちもいただきますと言って食べ始めた。ほどよい辛さのカレーは、思ったよりもコクが増していた。隠し味に入れたチョコレートのおかげだろう。鼻から抜けるほんのりと甘い香りが、チョコレートの存在をアピールしている。「美味い!」と、本宮さんが顔をほころばせる。「よかったな、優樹」と、にこやかな父さんに言われ、僕は満面の笑みでうなずいた。

  • その色は君への愛の証   第31話

    「あ、いや、それは大丈夫! 僕の方こそごめん!」僕が頭を下げると、「どうして、優樹が謝るんだ?」と、本宮さんがきょとんとしながらたずねた。「いや、えっと……僕が、起こしちゃったかなって。昌義さんの髪、なでてたから」と、僕はしどろもどろに答える。「別に、気にする必要ねえよ。遠慮せずに、もっとなでてもいいんだぜ?」なんて言って、本宮さんは微笑んでいる。その笑顔がとてもかっこよく見えて、僕はときめいてしまった。顔が真っ赤になっているだろうから、すぐにでもベッドに潜り込みたい。けれど、さすがに許してはくれないだろう。「そ、それじゃあ……失礼して」と、意を決した僕はおずおずと彼の頭をなでる。うっとりと目を細める本宮さんは、とても無防備で。普段はなかなか見られない彼の一面に、ドキドキする。とろけるような笑みを見せる彼を、とてもかわいいと思ってしまった。(大人の男の人に、『かわいい』は、おかしいかな?)ふと、そんな疑問が浮かび、僕は手を止めた。「どうした?」と、本宮さんが小首をかしげる。「あ……いや、何でもない!」唐突に恥ずかしくなった僕は、取り繕うように言ってそっぽを向いた。「何でもないって態度じゃねえな?」と、本宮さんが僕の顔をのぞき込もうとする。僕は、それを阻止するように彼に背中を向けた。「優樹? こっち向いてくれよ」本宮さんはそう言いながら、僕を後ろから抱きしめた。彼のぬくもりが心地よくて、身を委ねたくなってしまう。それを知ってか知らずか、本宮さんは、僕のうなじに何度もキスを落とす。その感触に、変な声が出そうになった。どうにか我慢していると、「なあ、優樹。何か思ってることがあるなら、お前の言葉で教えてくれないか?」と、本宮さんが僕の耳もとでささやいた。「――っ!」一瞬、心臓が止まるかと思った。い

  • その色は君への愛の証   第30話

    (どうして、そんなこと……)涙がほほを伝い、2人の楽しかった思い出が走馬灯のように脳裏に浮かぶ。「どうして……? 僕のこと、嫌いにでもなったの?」どうにかそれだけを口にすると、本宮さんは鼻で笑った。「お前とは遊びだったんだよ、最初っからな。なのにお前、本気なんだもん。マジでウケるぜ」嘲るような笑顔を浮かべながら、本宮さんはそう言った。けれど、彼の焦げ茶色の瞳は、一切、笑ってはいなかった。「じゃあ……あのリングネックレスも、プロポーズの言葉も、うそだったのかよ?」悲しみと怒りがごちゃ混ぜになって、そう告げる僕の声は震えている。「ああ、うそだよ。ちょーっと、からかっただけ。まさか、お前みたいなガキに、本気になるとでも思ったのか?」本宮さんは、小馬鹿にするように言って、くぐもった笑い声を上げる。彼の言葉を、信じていたのに。彼に愛されていると、実感していたのに。『遊びだった』たったその一言だけで、僕の心は引き裂かれていた。それでも、初めて恋をした人に縋《すが》りたくて。「昌義さん……」僕は、わずかな希望を抱いて彼の名を呼んだ。薄ら笑いを浮かべていた本宮さんは、いきなり冷めた表情をすると、「気安く呼ぶな」と、冷たく言い放った。ほんの少しでいいから、過去形でもいいから、好きだと言ってほしかった。ただ、それだけだったのに。無残にも一蹴されてしまった。たぶん、僕は涙を流したまま怯えた表情を浮かべていたのだと思う。それほど、本宮さんの本気の拒絶に恐怖を感じた。そんな僕を興味なさそうにちらりと見ると、「じゃあな」と、短く別れを告げて本宮さんは席を立った。「あ……」呼び止めようとしたけれど、言葉が出ない。あれだけのことを言われたのに、僕の心はまだ、彼に囚われたままだ。(これは、夢だ。本物の昌義さんに、直接言われたわけじゃない!)自分にそう言い

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status