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栗山徹史:儚くて素敵な人

last update publish date: 2026-10-28 16:07:42

札幌の中心部。夜の街と言われている繁華街。路面電車の通る大きい道路から中道へと入ったところで眩しい電飾の看板が立ち並ぶ、商業ビルの三階に千坂に紹介された店はあった。階段を上っている途中で誰かの怒鳴り声が聞こえてきて、思わず階下で足を止める。

『お前もいい加減、年なんだから将来を考えた付き合いをした方がいいっつってんの。三十間近になっての売れ残りネコなんてセフレでも抱きたいとは思わねぇよ』

『はぁ?若い男にしか興味ないやつに言われたくねーよ。大きなお世話、お前なんかこっちから願い下げだわ。とっととうせろ』

 やはり此処は徹史のような平凡な男が来てはいけない場所なのではないだろうか。分不相応な気がする。

 今ならまだ引き返せる。そう思ったが、少しの好奇心から階段を一歩ずつ進めていくと、勢いよく駆け降りていく男とすれ違った。今の一瞬で男の口元が少しだけ切れていたのが見えて、ギョッとする。このまま上って行ったら確実に喧嘩の相手はいるだろうし、引き返すべきかと考えたが、それを凌駕する好奇心が勝って徹史は更に足を進めた。

 三階へと辿り着くと、目的のお店の扉横で煙草を燻らせながら物思いにふけた様子の男がいた。煙草を吸う男性など職場の給湯室で嫌と言うほど見ているはずなのに、徹史は不覚にもドキッとした。煙草の吸い口から離された唇がやけに艶っぽい……。右の目頭の下にある黒子が魅力的で冷めたような眼差しで煙を追う虚ろな切れ長な瞳はどこか守りたくなるほどの儚さを感じた。

「何見てんの?」

 徹史が思わず見とれていると、男と視線がかち合い、眉を寄せて怪訝そうな表情で問われる。

「いいえ……」

 声質からきっと、『うせろ』と怒鳴っていた方で間違いない。徹史は明らかに喧嘩腰の相手に怖気づいて咄嗟に俯くと、逃げるように店の中へと入った。

 店内に入ると、全体的に薄い桃色の蛍光灯がバーの雰囲気を醸し出していた。カウンター席の後ろには四人ほど座れるボックス席が三つ。数名ほどではあるが客もいて、一番奥のボックス席では目を伏せたくなる程、男性同士がキスなんかをしてイチャついている光景があった。

 徹史は店内を見渡した後で、出入り口に近いカンター席に座ると、バーカウンターに立っている胸板の厚い女性的な立ち姿のオーナーからお酒を頼んだ。

 御酒を呑んだところで自ら誰かに話し掛けるような勇気はない。見た感じでは、お一人様といえば先ほど扉口で会った男性が反対側の席に座っているくらいで、自分が場違いであることを思い知らされる。

「君、見ない顔だね?」

 今日は店の雰囲気を見に来ただけ……。この一杯を呑んだら帰ろうと飲み干したところで、背後から話し掛けられて振り返ると茶髪の黒いシャツに黒いジャケットを着た男に話し掛けられる。

「あ、はい……。初めてお店に来て……」

 僅かな口元の皺から、年は自分より上のような気がする。「隣いい?」と聞かれて徹史が頷くと、男は微笑みながら自分の隣の席に座った。

「君若そうだね、いくつ?」

「二十三です」

「へぇー。もしかして新卒?」

「はい、そうです……」

 舐めまわされるように顔を覗き込まれているのが気味悪い。おまけに僅かに距離を詰められているような気がして、これが千坂の言っていた獣に狙われるってヤツなのだろうかと頭を過らせた。

 今まさに自分は餌食にされているのだろうか。そう思った途端に全身が僅かな恐怖で膠着する。

「よかったら、これ呑んで?俺の奢りだから、少し話そうよ」

 男に透き通った青色の御酒が入ったグラスを手渡される。初めての御店で不信な男に声を掛けられたことに得も言えない恐怖心があった。あまり長居はしたくなかったが勝手な先入観で人を判断してしまうのも良くない。 

 男に出された飲み物を露骨に断るのも気が引けて、「少しだけなら……」とグラスを手に取り、口元に運ぼうとしたところでグラスを持っていた右手を誰かに掴まれた。

「おい、あんた。それ眠剤入ってんだろ」

 徹史の手を掴んできたのは、店の扉口で睨んできた男だった。二重瞼の切れ長の瞳が徹史ではなく、話し掛けてきた男の方へと向けられる。

「人聞き悪いな?俺はこの子と話していただけなんだけど、邪魔しないでもらえる?」

  扉口の男は舌打ちをした後で、徹史からグラスを奪い取るとその御酒を一気に飲み干し始めたかと思えば半分を呑んだところで口から勢いよく床に向かって吐き出した。

「っぺ。ほら、薬入れてやがる。お前こいつに飲ませてレイプする気だっただろ」

 男は口元を袖口で拭いながら、ジャケットの男の方へと回り込むと胸倉を掴んだ。

「なっ……」

「やり方汚ねぇんだよ。真面に男一人も口説けないゲス野郎が。この店にそんな汚ねぇやついらねぇ。今すぐ出てけ」

 扉口の男の怒号が店内に響き渡る。周りからの視線も集まり、怯んだジャケットの男はすぐさま座席から立ち上がると、カウンターにいたオーナーにお金を置いて颯爽と出て行った。ふと目線を移すと扉口の男とかち合い、睨まれる。

「あんた、他人から貰った飲み物。容易く口にすんじゃねーぞ」

 男は徹史にそう言い放つと、テーブルを伝いながら覚束ない足で「やべ……。おい和美かずみ。飲み過ぎた。水くれ……」とカウンターのオーナーに助けを求めているようだった。

「あら、まーくんヤダ。喧嘩の次はなに?」

 店の前で見た時は怖いと感じていたが、意外といい人なのかもしれない……。徹史の中でドクドクと心拍数が上がる音を感じる。

 今まで付き合って来た人は、もちろん全力で愛していたし、尽くしてきた。しかし、どれも月日を重ねて愛を育んできたに近くて、今回のような一目惚れは初めての感覚だった。こんなに呆気なく同性に好意を寄せてしまった自分に驚いたが、徹史には彼がカッコよく見えて仕方がなかった。

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