LOGIN※当作品にはホラー描写、要素、グロ描写等を含みます。 “夜住(やすみ)”──人の世に仇なす異形を討つため、帝都を護る四家には代々「刀主」と「灯守」が存在する。 刀に宿るは力、灯に託すは命。 その刃は、血筋と契約をもって受け継がれる。 明神家の次期当主・宗一郎は、己に刀を教えてくれた師匠でもある灯守・帳と、共に戦う運命共同体“番(つがい)”の契を交わす。 それは、夜を祓うための唯一にして最後の道。 奪われた平穏を取り戻すため、男たちは己が命を灯して戦う。
View More雨の降っている夜だった。
ざぁざぁと身体を打つ冷たい雨に混じって、男の身体から血が流れ出していく。 かろうじて吐き出される息は白く染まり、その身が冷え切っているのがわかった。 雨除けの外套は、すっかり油が落ちて少しも水を弾かない。
男が細めた目は、虹彩がないかのように真っ白だった。
生まれつきの、色のない瞳。 明るい日差しの中ではものを見る事も困難なこの目が、男は大嫌いだった。 瞳だけではない。 髪もまた老人のように白く、男が生まれると同時に、母は命を落としたと聞く。 自分を育ててくれた名家の主の言葉を聞いて、男はただただ、己の存在を呪った。だからだろう。刀を持つ事になんの違和感も、疑問も抱きはしなかった。
夜の闇に住まう怪異なら、この陽の光に弱い身体でも殺すことが出来る。 呪われた自分でも、明るい日の本で暮らす人々を守る事が出来るのだ。──このまま、夜闇に溶けてしまえたら。
真逆の色である己が夜に溶けるなんてことは出来そうにもないが、それでもそんな事を思う。 誰も自分を知らないうちに。 誰にも心を傾けぬうちに。 そうやって死にたいと、思ったのだ。 「だいじょうぶ?」 そのままどのくらいジッとしていただろう。 失血と寒さで目蓋を開く事すら「ねぇ、いきてる?」
目を開くのにも相当な時間を必要としたが、男はなんとか目を開けた。 途端に入り込む朝焼けに、目と頭に酷い痛みが走る。 血を失いすぎたのだろうか。それとも、やはり陽光がいけないのか。 男には、それを判別するだけの体力すら、もう残っていなかった。「……こんな時間に、お外にいては、いけない、よ……」
「もうあかるくなってきたから……」 「それでも、何とか肺から息を絞り出して影に声をかける。
肺は凍ったように寒くて、痛くて。 それでも、恐らく子供であろう眼前の影に向かって、男は目を細めながら笑いかけた。男の目には、その子の姿は最早見えない。
子供は、怪異の名すら知らぬ幼子か、それとも夜の闇に潜んで人を襲う怪異など、夜には眠る子供は知らないままの方がいい。
それが、健全な人の営みというものだ。 この帝都では、その夜の闇をどんどん人が開拓し始めていて、だからこそ夜住に襲われて死ぬ者が増えた。その怪異から人を守る事が、男の生きる意味でもあったけれど。
「しんじゃだめだよ」
子供が、小さくてあたたかな手を、男の頬に当てた。
男は何とかうっすら開いていた目を閉じて、すぅと深く、息を吸う。 あたたかい。 こんなにあたたかいものには、しばらく触れていなかった。 触れられても、いなかった。「ねぇ、しなないで」
さっきまでの冷たい雨とは違うあたたかい水の雫が、ぽたりぽたりと、男の頬に落ちてくる。
あぁ涙すらもあたたかいのかと、男は不思議な心地になった。 死ぬ前にあたたかなものに触れられたことは、生まれてから唯一の僥倖だと、男はうっすら笑みを浮かべる。 この子のような子供が生きる世界を、少しでも守れたのなら──それだけで、よかった。最早、刀を掴む手には、力は入っていなかった。
しかし子どもの手が、そっと男の手に重ねられる。 まだ死ぬ事を赦さぬとでも言うような、小さいわりに力の強いその熱に、男はまたゆっくりと、目を開いた。
「あ、起きた」 開かれた男の目に、すっかり見慣れた赤い瞳が入ってくる。 ほんの少し驚いてきょとんと目を丸くすれば、赤い瞳は呆れたように細められた。 大きくなったこの子は、もうすっかり生意気な顔をする。「どしたの。何か用事?」
「用事? じゃないでしょう。稽古つけてくれるって言ったじゃないですか」 「あぁ、もうそんな時間? ハルくんとそれじゃ行こうか、と籐の椅子から立ち上がれば、子どもの赤い瞳がちょっとだけ歪む。
子ども子どもと言うが、出会った頃が子どもだっただけで、彼はもう二十を数える歳になった。 自分よりは随分下だが、それでももう立派な一人の男だ。──あの時黒かった瞳も、今や立派に赤く染まった。
じきに当主を引き継ぐ、己の
あの夜瀕死だった己を担いで、泣きながら母に助けを求めていたちいちゃな子どもは、もう居ない。
「面倒なんで、悪戯しないで下さいよ……
わざと様を付けて呼んでやると、嫌そうに顔を歪める所は小さい頃から変わっていないのに。
それでも彼はもう腰に二本の刀をそこにあるのは、紐で括られた本だった。 それだけで、相当古い本なのがわかって、手に取るのに少しだけ怖気づく。 日向子もちょっとばかり怯んだ表情をしていたが、一冊一冊手にとって表紙を確認し、時折中身を確認していく。 俺も一番近くにあった本を手に取り、開く。 パリパリと乾いた墨の音がして、手書きの本なのだということが分かって、また驚いた。 「ん……? これ」「ど、どうなさいましたかっ」「ここに、五家って書いてある。先生が話してた、いつつめの刀主の家だ」 俺の開いた本は、火族五家の役目について書かれているものだった。 火族四家ではなく、五家。 先生が以前「すでに滅びた家がひとつある」と言っていた、そのいつつめ家だ。 そう言ってやると、日向子も持っていた本を俺に見せてくる。 そこにも火族五家の記載があって、同じ時期の本であることから当時は五家目も精力的に活動していたのだとわかった。 夜住との戦いで滅び、火種を途絶えさせた家──神守家。 俺の持っている本には、『神守家は五家を統括し、四家を守護するものである』と書かれている。 日向子の本の方には、神守家が継いでいた術式についての記録があった。 だが肝心の術式のページは乱暴に握りつぶされたように破られていて、思わず日向子と顔を見合わせてしまう。 他に何か資料はないかと背表紙を眺めて、確認していく。 と、いくつかの本のページの一部が同じようにぐしゃりと潰され、破られているものがあった。 どれもこれも、神守の記録の一部だ。「えぇと、大地を焼き、冷気を熱として食らうヤマタノオロチを神守、神風、深神の三家が封じ……?」「この続き破られちゃってますね。なんででしょう……」「この頃にはまだ三家しかなかったってことなのか?」「い、いえ! こっちには五家って書いてありますので、明神と御
「お、おぉ……」 ゴゴ、と重い音をたてて、扉が勝手に開いていく。 機械仕掛けなのか、それとも何らかの術式が組まれているのか。 俺にはその辺はサッパリだが、一歩足を踏み入れれば感じる墨と紙の匂いに、胸が落ち着いた。 鼻腔をくすぐる古い墨の匂いが、手にこびりついて離れなかった鉄臭い血の記憶を、一時だけ遠ざけてくれた気がする。 何より、踊り場はあんなにも湿気ていて寒かったのに、封庫の中はほのかにあたたかく、湿気を感じない。 立ち止まっているというのに前髪がわずかに撫でられて、どこかからあたたかい風が吹いているような気がする。 これが、神の風を司ると言われている神風の封庫か。 明神家の封庫にすらろくすっぽ足を運んだことのない俺は、妙に緊張をして胸元に手を当てた。 かじかんでいた指先が、あたたかく包まれているような、そんなあたたかさだ。「えーっと……直紹様が仰っていたのは……」「神風さんは、何を見てこいって言っていたんだ?」「明神様たちが見た、擬態する夜住について、です。何百年か前の書物に、そのような記載があったような記憶がある、と」「……もしかしてあの人、ここにある本全部覚えてるのか?」「当主の勤めだって、仰ってましたっ」 それが本当に当主の役目なんだとしたら、俺は当主になれないかもしれない。 俺は、この帝都でも有り得ない、蝋燭の火だけで照らされているだだっ広い封庫の入口でうんざりとしてしまった。 封庫の中は本当に広くって、半地下だからもしかしたら別邸そのものよりも広いんじゃないかと思えた。 その中に、所狭しと書棚が詰め込まれていて、広さのわりに圧迫感が強い。 奥へと進んでいくと書棚の形が変わっていくのを、不思議な心地で見る。 書棚の形が変わったのは、保管されている書物の形が変わったからだ。 近場の書棚には普通に本がおさめら
しかし、日向子の手はまだ震えていて、ゴシゴシと袴で手を拭ってから着物の袖から木の板のような鍵を取り出した。 袴で何度も手を拭う彼女の仕草は、まるで自分の臆病さを拭い去ろうとしているようにも見えた。 彼女も怖いのだ。 それでも、彼女は俺を一人きりにさせない道を選んでくれた。 神風の家紋の彫られた、灯守の力を感じる鍵。 差し出された木の鍵は、幾星霜を経て黒ずみ、鉄のように冷たい色をたたえている。 そっと手を差し出した指先から微かな風の唸りが聞こえた気がして、俺は思わず息を呑んだ。 俺は、鍵を見てからゆっくりと日向子を見る。「代々の灯守に預けられていた鍵だそうです。直紹様が預けて下さった……これは、きっと、明神様と開けるべき扉だと、思うんですっ」 彼女の声は、俺のものよりもはっきりと力強い。 日向子が案内してくれた神風の書庫は、封庫と呼ばれる「当主と灯守のみに入室を許される」という場所だった。 確かに俺は明神の次期当主だが、神風の当主ではない。 それでもいいのかと日向子を伺うと、日向子は一切の問題を覚えていないようだった。 振り返りもせずに廊下を真っ直ぐ進んでいく日向子の背後を、背を丸めた大男がついていく。 その様子は少しばかり奇怪だろうと思って、出来るだけ真っ直ぐ背筋を伸ばした。 封庫は、渡り廊下を通った先の、別邸にあった。 いつの間にかチラついていたのか、渡り廊下には雪が積もり始めている。 夜明けか。 夜中治療室の前に引っ付いていたのかとぼんやりと思って、それだけの時間目覚めない和穗に歯噛みする。 神風さんも、帳先生も、つきっきりだ。 俺がやらかしたことの後始末を、俺以外の人がしている。 ハル──ハルは、どうしただろう。 和穗の流す血溜まりを見て俺と同じように動けなくなっていた、もう一人の幼馴染み。 そういえば昨夜から、俺はハルの姿を見ていない。 彼もまた
和穗は即座に、神風家に運び込まれた。 俺が切断してしまった腕は、あの場で帳先生が応急処置をして、何とか彼女の肉体とは繋がっている。 夜住との戦いにおいて、刀持ちが四肢を失うことはよくあることだ。 けれど、それは大体にして凍結した部位が折れて落ちたもの。 今回みたいに、刀によって切断されたものとは、違う。 俺は、神風さんと先生の手によって彼女の身体にぐるぐる巻きつけられていく長い呪符を呆然と見ていた。 包帯に墨で術力の封じ込められた呪符は、神風家が作っている特別なものであると聞いている。 ただ、俺が見たのはこれが初めてで、本来であれば見ない方が良かったものだろう。「あの、御神苗様の腕は今、帳様と直紹様が接合されています。無事に、くっつくとは……思い、ます」 何も出来ない俺は早々に治療部屋から追い出されて、廊下に立ち尽くしていた。 戸を閉めても治療室の中はバタバタと騒がしく、何もしていない俺がいても邪魔だったんだろう。 隔てられた向こうから、和穗のうめき声と、肉を焼いて接合するようなジウジウという嫌な音が漏れ聞こえてくる。 その音に俺の右手の指先が、和穗を斬った瞬間の振動を思い出して小さく跳ねた。 そんな俺を気遣ってか、追って部屋を出てきた日向子がおそるおそるに励ましてくれた。 彼女だって確信はないのだろう。 己の赤い袴を小さな手で握ったり開いたりしながら、顔は俯き気味だ。「……動きは」「う、動くかは……予後に、よるかと……」「……だよな」 やっぱりぼんやりと聞いた俺に、日向子は嘘をつかなかった。 もし無事にくっついたとしても、元通りに動くとは限らない。 俺は、それほどのことをしてしまったんだ。 人間に化けて近付いてくる夜住のような〝何か〟──それを恐れてしまったのが、最大の敗因だ。
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