LOGIN婚約者の黒羽良平(くろは りょうへい)は私を国外へ送り出すと、真っ先に私の財布を燃やし、スマホを捨て、パスポートを破り捨てたのだ。 私、宇高優衣(うたか ゆい)が二度と帰国できないようにするため。目的はただそれだけだった。彼と本命の相手との結婚式に、何の邪魔も入らないようにするためだ。 友人たちは口々に彼を諫めた。 「あまりやりすぎるなよ。婚約者が本気で怒ったらどうするんだ」 けれど良平は意に介さない。 「俺が甘やかしすぎたせいで、少しわがままになっただけだ。今回のことは、あいつの性根を叩き直してやるためでもある。 それに才加との結婚は、しょせん形だけのものだ。先が長くない才加のおばあさんを安心させるためで、ふたりが男女の関係になるわけじゃない。 式さえ終われば、あとでちゃんと埋め合わせてやればいい」 結婚式が終わると、良平はすぐさま私のもとへ謝罪に訪れた。 私が部屋に閉じこもり、彼と会おうとしなかったためか、今度は以前ふたりで記入していた婚姻届を持ち出し、せめて先に提出しようとした。償いのつもりだろう。 どうやら彼は、本当に気づいていないらしい。 国外へ送り出されたその夜には、私がすでに死んでいたという事実に。
View More家に入ろうとしたその時、扉の向こうから、才加たち家族の声が漏れ聞こえてきた。才加の父の声は、氷のように冷たかった。「才加、お前一体何をやってるんだ?未だに良平くんの心を掴めないなんて。せっかくおばあちゃんに仮病まで使わせて、良平にお前との式を挙げさせてやったっていうのに、本当に役立たずだな」才加の苛立った声が、はっきりと聞こえてきた。「私だって知らなかったわよ。あの人があそこまでおかしくなるなんて。毎日毎日骨壺と一緒にいるのよ?見てるだけで気味が悪くなるわ」才加の母がしばらく考え込んだ末、こう言った。「じゃあいっそ、今夜彼をここに呼んで、事故に見せかけて始末しちゃったら?会社の人だって、あの人がもうずいぶん出社してないって言ってるんでしょう?すっかり生きる気力をなくしているらしいし、それなら自殺に見せかけるくらい、簡単なことよ」才加の父が手を打った。「それはいい考えだ」才加は口をとがらせた。「でも私たち、まだ籍を入れてないのよ。あの人が死んだって、遺産は私に入ってこないじゃない」そのひと言に、3人は再び沈黙に包まれた。扉の外に立っていた良平は、まるで全身の力を根こそぎ奪われたかのように、その場に崩れ落ちた。やがて顔を上げると、空を仰いで笑い出した。ひとしきり笑った後、良平は何事もなかったかのようにその場を後にした。家に戻ると、丸一日部屋に閉じこもった。そして最後には、何日も青々と伸びていた無精髭を剃り落とし、上等なスーツに袖を通す。すべてを終えると、その夜、彼は才加の実家へと足を運んだ。彼の姿を見て、才加の家族は驚いた様子を見せた。良平は淡々とした声で告げた。「少々厄介な用事に追われていて、皆さんにはすっかりご無沙汰してしまいました。本当に申し訳ない」その様子は穏やかで、感情の乱れなど微塵も感じさせなかった。才加の家族は、私のことなど何も知らないふりをして、彼を歓待した。才加は彼の手を握りながら、瞳の奥に嫌悪の色をよぎらせつつも、興奮と安堵を装って、ようやく気持ちの整理がついたのかと尋ねた。良平は頷いた。「お前の言う通りだ。俺たちにはまだまだこの先の人生がある。ちゃんと生きていくよ。明日、ふたりで婚姻届を出しに行かないか?」互いに別の思惑を胸に秘めながら、何食
時には、昼間ですら良平を訪ねてくることさえためらうようになっていた。私は少し不思議に思った。才加はあれほど、良平を愛していると言っていたはずではなかったか。私たちが結婚する前、才加とその両親は代わる代わる私を訪ねてきて、身を引くよう迫ってきたものだった。それが今では、こんな様子で、一体どういうつもりなのだろう。けれど、その答えはほどなく明らかになった。この頃の良平は、寝室に自分ひとりで閉じこもり、扉も窓も固く締め切ったまま、私の骨壺に向かって、思い出をうわ言のように語りかけていた。私はその部屋に縛り付けられていたが、彼に胸の内を吐露されても、少しも心を動かされることはなかった。ただただ気だるく、毎日のように、どうして私はまだ成仏できないのだろうと考えるばかりだった。半月もの間、良平はろくに食事も水分も取らなかった。本当に空腹に耐えきれなくなった時だけ、冷蔵庫から残っていたヨーグルトを少し口にした。賞味期限が切れていようがお構いなしだった。彼はどんどん痩せ細り、憔悴しきった様子で、まるで一気に何歳も老け込んだかのようだった。見かねた私は、彼の夢枕に立ち、もう私のことは考えないでほしい、このままでは私まで成仏できなくなってしまうと伝えた。夢のなかで、彼はぼろぼろに泣き崩れ、私の脚にすがりついて、行かないでくれと懇願していた。まさか翌日、彼が本当に自分のためにまともな夕食を注文するとは、思いもしなかった。てっきり生きる気力を取り戻したのだと思っていた。けれど実際は、死ぬ覚悟を決めただけだったのだ。その夜、彼は浴槽になみなみと水を張り、傍らに鋭い果物ナイフを一本置いていた。良平は果物ナイフを握りしめ、自分の手首に刃を当てようとした、まさにその時、傍らのスマホが鳴り響く。少し迷った後、彼は電話に出た。繋がった瞬間、友人の興奮した声が飛び込んできた。「黒羽社長!優衣を死に追いやった男を見つけました!」私の死を知った後、良平は雇っていた見張りの男に怒りに任せて電話をかけ続けていたが、一向に繋がらず、それきりその男の行方も掴めなくなっていた。良心が咎めたのか、その友人が自らこの件を引き受け、男を見つけ出してやると言い出したのだ。てっきり良平は、その男を警察に突き出すか、憤りをぶつけるだけだと思っていた。
彼は再びたまらず崩れ落ち、声を上げて泣いた。今度は才加がその体を抱き寄せ、肩を優しく叩く。良平も、もう彼女を拒もうとはしなかった。「もう自分を責めないで。これもきっと、そういう運命だったのよ。もし優衣があなたに隠さず、最初から喘息のことを話してくれて、あらかじめ薬を持っていれば、発作が起きてもすぐ薬を使えて助かったかもしれないのに。あんなふうに死なずに済んだかもしれないのに」その言葉を聞いた瞬間、良平の体がわずかに強張った。「お前、どうして優衣が喘息で死んだって知ってるんだ?」良平は赤く染まった目で、才加を見据えた。「俺はお前に、優衣が喘息持ちだってことは話した。でも、あいつがどうやって死んだかなんて、ひと言も話してないはずだ」その瞬間、才加の瞳の奥を、狼狽の色が確かによぎったのを、私ははっきりと見た。けれどそれもほんの一瞬のことだった。すぐに元の顔に戻ると、彼女は平然と答えた。「さっき警察署にいた時、良平が話してたじゃない。忘れちゃったの?」「俺が、話した?」才加は頷き、それからため息をついた。「良平、辛いのは分かる。いろいろ考えすぎちゃうのも仕方ないけど、こういうことで疑心暗鬼になるのはよくないわ。それに、この間ずっと私たちが一緒にいたこと、あなたも知ってるでしょう」その言葉に一理あると思ったのか、良平はそれ以上何も言わなかった。それから数日、才加は良平の代わりに私の葬儀やその後の手続きを引き受けようとしたが、良平はそれを断った。友人たちが私を見送りたいと申し出るのも、彼はすべて拒絶したのだ。それどころか、彼らとのすべての取引を一方的に断ち切ってしまった。最初のうちは、良平が私のために憤ってくれているのだと思っていた。けれど数日経って、私はようやく気づいた。彼には最初から、私の遺骨をお墓に納めるつもりなど、まったくなかったのだ。骨壺は、そのまま家に置かれ続けていた。才加はそれに驚き、感情に任せた行動はやめるよう彼を説得した。いつまでも遺骨を家に置いておくなんて気味が悪いし、周りに知られたら何を言われるか分からない、と。けれど良平の態度は、頑として揺るがなかった。彼は骨壺を丁寧に磨きながら、優しく、ただ一心に見つめていた。「優衣は暗闇が一番怖いんだ。ひとりでいるのが、何より怖いんだ。あ
肌は青白く、すでに腫れが出始めていて、変わり果てたその姿は、私自身でさえ直視するのが辛かった。けれど良平はそれに気づく素振りすら見せず、嗚咽を漏らしながら、狂ったように泣き崩れていた。傍らの警察官たちは、かける言葉も見つからない様子で、ただ黙って見守るしかなかった。彼が私にどれほど深い愛情を抱いていたかは、誰の目にも明らかだった。だからこそ、誰ひとりとして想像すらしなかっただろう。ほかならぬ良平自身が、自らの手で私を国外へと送り出し、死へと追いやったのだということを。良平が泣き疲れた頃になって、ようやく警察官が口を開いた。「司法解剖の結果、何らかの薬を服用した後に重い喘息発作を起こし、適切な処置を受けられなかったことが死因と判明しました。現段階で、事件性はないとみられています」事情聴取が一通り終わった後、警察は彼に、なぜ私がひとりで国外にいたのかを尋ねた。良平は数秒間押し黙り、再び目元を赤く染めた。やがて、掠れた声で絞り出した。「俺を逮捕してください。優衣は、俺が殺したんです。俺が、あいつを死なせたんだ」警官ふたりは顔を見合わせ、片方が慰めるように言った。「お気持ちはわかります。大切な方を亡くされた方の多くが、そうした自責の念に苛まれるものです。もっと早く駆けつけていれば、助けられたのではないかと。ですが、こうしたことは、誰にも予測できないものです。亡くなった方を大切に思う気持ちがあるなら、残された方は、しっかりと生きていかなければなりません」もうひとりの警官も言葉を添える。良平がなおも何か言おうとしたその時、才加が慌ただしく駆けつけてきた。「良平、優衣が……」才加は良平の顔色を見て、何かを察したかのように大きく目を見開き、よろめきながら数歩後ずさった。とんだ茶番だ。私は思わず、鼻で笑ってしまった。けれど誰にもその声は届かないし、才加の芝居を見破る者も誰ひとりいない。才加はそっと良平の肩に手を添え、悲しげな顔を装ってみせた。「良平も、自分の体を大事にして。あまり無理しないで」まるで良平が、私を無理やり国外へ送り出したことを警察に打ち明けようとしているのを察したかのように、才加はさりげなく話題をそらし、代わりに警察へと答えた。優衣は海外出張中だったのだと。良平がそれに異を唱えないのを見