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私の死後一週間、彼は愛に気づく

私の死後一週間、彼は愛に気づく

By:  毛利一Completed
Language: Japanese
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婚約者の黒羽良平(くろは りょうへい)は私を国外へ送り出すと、真っ先に私の財布を燃やし、スマホを捨て、パスポートを破り捨てたのだ。 私、宇高優衣(うたか ゆい)が二度と帰国できないようにするため。目的はただそれだけだった。彼と本命の相手との結婚式に、何の邪魔も入らないようにするためだ。 友人たちは口々に彼を諫めた。 「あまりやりすぎるなよ。婚約者が本気で怒ったらどうするんだ」 けれど良平は意に介さない。 「俺が甘やかしすぎたせいで、少しわがままになっただけだ。今回のことは、あいつの性根を叩き直してやるためでもある。 それに才加との結婚は、しょせん形だけのものだ。先が長くない才加のおばあさんを安心させるためで、ふたりが男女の関係になるわけじゃない。 式さえ終われば、あとでちゃんと埋め合わせてやればいい」 結婚式が終わると、良平はすぐさま私のもとへ謝罪に訪れた。 私が部屋に閉じこもり、彼と会おうとしなかったためか、今度は以前ふたりで記入していた婚姻届を持ち出し、せめて先に提出しようとした。償いのつもりだろう。 どうやら彼は、本当に気づいていないらしい。 国外へ送り出されたその夜には、私がすでに死んでいたという事実に。

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Chapter 1

第1話

死んだはずの私が再び目を覚ますと、婚約者である良平の結婚式は、ちょうどクライマックスを迎えていた。

彼の本命である高須才加(たかす さやか)が、本来は私のために誂えられたウェディングドレスを纏い、良平と並んでケーキにナイフを入れている。周囲からは大きな拍手と歓声が上がっていた。

ふたりの薬指には、私が二か月かけて心を込めてデザインした指輪が光っていた。

あの指輪は私が心血を注いだものであり、私たちの愛の証だと、良平は言っていた。自分が預かっておき、大勢の祝福のなかで、私の指にはめてくれるはずだったのだ。

けれど今、その指輪は才加の指にある。

落ち込む間もなく、入刀を終えたばかりのふたりに向かって、誰かが茶化すような声をあげた。

「ぼーっとしてないで、新郎!さっさとキスしろよ!」

聞き覚えのある声だった。

目を凝らすと、はしゃいだ声を上げているのは良平の友人だった。

彼だけではない。傍らには、かつて私と良平の共通の友人たちの姿が何人も見える。全員、この結婚式に列席していたのだ。

彼らは口々に囃し立て、なかにはクラッカーを頭上に向けて景気よく鳴らし、「末永くお幸せに」と声を張り上げる者までいた。

覚えている。良平と才加が式を挙げると聞いた時、彼らはこぞって良平を最低だと非難し、「絶対に優衣の味方だ、あんな式には出ない」とまで誓ってくれたはずだった。

しばらく黙り込んだ後、私は思わず笑ってしまった。

考えてみれば、それも当然だった。

良平の会社が軌道に乗るまで支えた後、私はほどなくして仕事を退いて家庭に入り、会社の経営はすべて彼に任せた。この友人たちは、多かれ少なかれ良平の会社と関わりがある。役職に就いている者もいれば、取引先として付き合いのある者もいるのだ。

私に取り入るより、良平に取り入るほうがよほど大事だということだろう。

私は苦笑しながら、目の前でタキシードに身を包み、才加の腰に自然と手を回して幸せそうに笑う良平を見つめた。

複雑な気持ちだった。

けれど、驚きはしなかった。

ひと月前、式が目前に迫った頃、良平は突然、花嫁の座を才加に譲ってほしいと切り出した。才加の祖母の容態が日に日に悪化しており、最期の願いが、最も可愛がってきた孫娘の花嫁姿を見ることなのだという。

「優衣、才加は俺の幼馴染なんだ。助けてやらないと。それに、これはおばあさんの最後の願いだ。人助けだと思ってさ。

式が終わったら、もっと盛大で、もっとロマンチックな式を挙げてやるから。な?」

その時の私は、ただ立ち尽くし、自分の耳を疑った。

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第1話
死んだはずの私が再び目を覚ますと、婚約者である良平の結婚式は、ちょうどクライマックスを迎えていた。彼の本命である高須才加(たかす さやか)が、本来は私のために誂えられたウェディングドレスを纏い、良平と並んでケーキにナイフを入れている。周囲からは大きな拍手と歓声が上がっていた。ふたりの薬指には、私が二か月かけて心を込めてデザインした指輪が光っていた。あの指輪は私が心血を注いだものであり、私たちの愛の証だと、良平は言っていた。自分が預かっておき、大勢の祝福のなかで、私の指にはめてくれるはずだったのだ。けれど今、その指輪は才加の指にある。落ち込む間もなく、入刀を終えたばかりのふたりに向かって、誰かが茶化すような声をあげた。「ぼーっとしてないで、新郎!さっさとキスしろよ!」聞き覚えのある声だった。目を凝らすと、はしゃいだ声を上げているのは良平の友人だった。彼だけではない。傍らには、かつて私と良平の共通の友人たちの姿が何人も見える。全員、この結婚式に列席していたのだ。彼らは口々に囃し立て、なかにはクラッカーを頭上に向けて景気よく鳴らし、「末永くお幸せに」と声を張り上げる者までいた。覚えている。良平と才加が式を挙げると聞いた時、彼らはこぞって良平を最低だと非難し、「絶対に優衣の味方だ、あんな式には出ない」とまで誓ってくれたはずだった。しばらく黙り込んだ後、私は思わず笑ってしまった。考えてみれば、それも当然だった。良平の会社が軌道に乗るまで支えた後、私はほどなくして仕事を退いて家庭に入り、会社の経営はすべて彼に任せた。この友人たちは、多かれ少なかれ良平の会社と関わりがある。役職に就いている者もいれば、取引先として付き合いのある者もいるのだ。私に取り入るより、良平に取り入るほうがよほど大事だということだろう。私は苦笑しながら、目の前でタキシードに身を包み、才加の腰に自然と手を回して幸せそうに笑う良平を見つめた。複雑な気持ちだった。けれど、驚きはしなかった。ひと月前、式が目前に迫った頃、良平は突然、花嫁の座を才加に譲ってほしいと切り出した。才加の祖母の容態が日に日に悪化しており、最期の願いが、最も可愛がってきた孫娘の花嫁姿を見ることなのだという。「優衣、才加は俺の幼馴染なんだ。助けてやらないと。それに、こ
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第2話
我に返った私は、きっぱりと断った。「結婚したいなら、ほかに相手を探せばいいでしょう。お金を積んで誰かを雇うことだってできるはずよ。なんでよりによってあなたなの?なんでよりによって私たちの結婚式を使うの?」祖母が危篤だなんて話は、才加が良平と結婚するために都合よく用意した口実に決まっている。私がそう言い終えると、良平の顔つきが急に冷たくなった。彼は私を、心が狭く、自分勝手で疑い深い女だと責め立てた。そのままドアを荒々しく閉めて出て行き、それから1ヶ月間、口もきかない状態が続いたのだ。私は必死に機嫌を取って、なんとか彼の考えを変えさせようとした。3日前、良平はようやく私の話に耳を貸す気になり、説得が実を結んだのだと、私は安堵していた。けれど誰が想像しただろう。あの日、良平と会ったことが、私を破滅へと導くことになるとは。今、彼の顔に浮かぶ笑みと、囃し立てられて満足げなその表情を見つめても、それが演技なのか、それとも本心からのものなのか、私にはもう見分けがつかなかった。「いや、お似合いすぎるって。美男美女、これ以上ない組み合わせだろ」「今すぐこの写真SNSに上げるわ。絶対みんな羨ましがるって」友人のひとりが、ふたりの晴れやかな姿を写真に収め、そう言いながら投稿しようとスマホを操作し始めた。だが投稿するよりも早く、才加と並んで招待客に挨拶していた良平がはっと振り返り、スマホを奪い取った。「誰がSNSに上げていいって言った」眉間に皺を寄せ、骨ばった指で迷いなく削除を選択する。だが、確認画面が表示されると、彼の指がわずかに止まった。結局、押したのは「キャンセル」だった。スマホはそのまま友人の手に投げ返された。「SNSは人目につきすぎる。どうしても残したいなら、あとで俺に直接送ってくれ」隣にいた別の友人が頷いた。「そうそう、SNSはまずいって。優衣に見られたら、あの嫉妬深い性格だから、また面倒なことになる。にしても、俺たちここまでやっちゃってさ、後始末どうすんの?良平、優衣が本気で怒って結婚しないなんて言い出したらどうすんだよ」良平は鼻で笑った。「あり得ないね。俺たち、もう何年も一緒にいるんだ。あいつはこの式をずっと楽しみにしてきたんだから、今さら逃げるわけがない。普段俺が甘やかしすぎたから、あ
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第3話
「ほかのことはともかく、優衣って喘息持ちだろ。もしいつか発作が起きて、薬持ってなかったら、それこそぽっくり逝っちまうかもしれないぜ」その言葉が終わるや否や、少し離れた場所にいた良平の笑顔が、ぴたりと固まったのが見えた。「今、何て言った?誰が喘息だって?」部屋のなかに、一瞬の静寂が落ちた。そう問い詰められた友人は、少し自信なさそうに答えた。「前に優衣から聞いたんだよ、喘息持ちだって。この前の出張の時も、薬を持ってきてくれって頼まれたし」良平の表情がこわばる。すると隣にいた才加が、まるで冗談でも言うかのような口調で言った。「まあ、優衣とは8年も一緒にいて、今も同じ家に住んでるんでしょう?もし彼女が本当に喘息持ちなら、あなたが知らないわけないでしょ?」そのひと言で良平は納得したのか、顔に浮かんでいた疑念は、みるみるうちに薄れていった。私はというと、おかしくてたまらなかった。喘息を患ったのは、会社を立ち上げたばかりで一番苦しかった時期に、無理を重ねたせいだ。心配をかけたくなくて、良平には一度も打ち明けたことがない。その後、一線から退いてから何年か療養と治療を続け、症状はかなり良くなっていた。今回発作が起きたのは、結婚式の準備に追われた疲労と、良平から受けた精神的なショックが重なったせいだった。海外にいる今、薬を買いに行くこともできず、友人に頼み込むしかなかったのだ。良平がこのことを本当に知らなかったのは事実だ。だが、家の薬箱には私の喘息薬が入っていたし、関係が冷え切っている間にも家のなかで何度も発作の兆候が出ていた。彼が少しでも私に目を向けてくれていれば、気づけたはずのことだった。けれど彼の心は、ずっと才加のほうにしか向いていなかった。才加はさらに友人へと問いを重ねた。「いつ薬を頼まれたの?」「先週だよ」その場の誰もがまだ真意を測りかねているなか、才加は口元を手で覆い、くすりと笑いながら、からかうように言った。「先週って、ちょうど彼女と良平が一番こじれてた時じゃない。優衣って、本当に賢いのね。私だったら、友達を使ってさりげなく良平の耳に入れるなんて、こんな回りくどい芝居、思いつくかどうか」そのひと言で、皆もなるほどと納得した様子だった。友人も額を叩いた。「うわ、それじゃ俺
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第4話
私は思わず、鼻で笑ってしまった。魂だけの存在だというのに、それでも胸の奥に、抑えきれない痛みがこみ上げてくる。良平が他人の言うことは信じても、私の言葉だけは信じようとしない。そんな現実、認めたくもなかった。良平は踵を返し、階段を上っていった。その時、才加は私の化粧台の前に座っていた。退屈そうに引き出しを物色していた彼女は、やがて金色の房飾りがついたイヤリングをひとつ手に取り、イヤリングの裏側へ目を落とした。そこには、私と良平の名前のイニシャルがはっきりと刻まれていた。それは良平と付き合い始めて間もない頃、彼が自分の手で作って私に贈ってくれた誕生日プレゼントだった。受け取ったあの日、私は嬉しくてSNSに投稿までしたのだ。良平は、私がこのイヤリングをどれほど大切にしているか知っていた。普段は滅多に身につけず、触る前には必ず手を洗うほどだった。なのに今、才加の瞳の奥に、微かな軽蔑の色がよぎった。片手でイヤリングを握り、もう片方の手で房飾りを掴むと、思い切り力を込める。イヤリングはあっけなく真っ二つに折れ、房飾りが乾いた音を立てて床に散らばった。ちょうどそこへ、良平が階段を上ってきた。床一面に散らばった飾りのパーツを見て、彼の足がわずかに止まる。「ごめんなさい。さっきこのイヤリング、素敵だなと思って見てただけなのに、まさか急に折れちゃうなんて」才加は、いかにも困り果てたような顔で傍らに立っていた。良平はわずかに眉をひそめた。三秒ほど沈黙した後、彼はさほど気に留める様子もなく笑った。「気にするな、たかがイヤリングだろ。折れたなら折れたでいい。どうせ優衣がつけてるとこも、ほとんど見たことないし」「良平、私、本当に優衣が羨ましい。あなたみたいに優しい彼氏がいて……私、優衣に生まれ変わりたいくらい」才加は熱を帯びた眼差しで彼を見つめた。視線が絡み合い、ふたりの間に甘い空気が漂い始める。才加が彼の手を握りしめた。てっきり良平が雰囲気に流されるのだろうと、私は思っていた。けれど、彼は不意にその手を振り払った。「酔ってるだろ。今夜はここに泊まっとけ。俺はホテルを取って出る」数歩歩きかけたところで、才加が背後から彼を抱きしめた。良平の体がわずかに強張ったが、それでも振りほどこうとはしなかった。そ
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第5話
結局、彼は体を起こし、私に電話をかけた。もちろん、繋がるはずがない。最初は戸惑うだけだったが、続けて3回かけても応答がないと分かると、彼の眉間の皺は徐々に深くなり、苛立ちが表情ににじみ始めた。「優衣、死んだふりはやめろ。一分だけ待ってやるから、折り返せ」それは良平がいつも使う手だった。そしてそれは、私たちの冷戦を終わらせる合図でもあった。けれど今回だけは、その手は通用しない。なぜなら、私はもう死んでいるのだから。案の定、1分経っても何の音沙汰もなかった。良平の眉間の皺はさらに深くなった。「いい度胸だな。無視するなら、もう二度と連絡してこなくていい」彼はまたベッドに横になり、目を閉じて眠りについた。けれど彼には、決して想像もつかないだろう。冷戦のたびに最後には折れて、仲直りしてきた私が、今この瞬間、永遠に目を閉じ、異国の薄暗い片隅で、誰にも気づかれないまま朽ちていこうとしていることなど。翌朝目を覚ました良平は、私からの連絡がやはりないことに気づき、腹立たしげに悪態をいくつか吐き捨てた。それから車を出し、才加を連れて彼女の実家へと向かう。親戚たちは代わる代わる良平の手を取って「男前だ」「仕事もできる」と持て囃し、褒め終わるとついでのように会社の様子を尋ねた。才加の両親はソファに誇らしげに座り、時折お世辞を挟んでは満足げに頷いていた。その賑やかな輪のなかに、才加の祖母の姿があった。髪には白いものが交じっていたが、足腰はしっかりしていて、私よりよほど健康そうに見える。彼女はこの孫婿をすっかり気に入った様子で、良平と才加に早く子供を作るようせっついていた。普段は急かされるのを何より嫌う良平も、少し沈黙した後、頷いて応じた。高須家は3日間、人の出入りが絶えることなく賑わい続けた。そんなある日の夕食時、何がきっかけだったのか、話題はふと私のことに及んだ。才加の父が忌々しげに吐き捨てた。「優衣ってあの娘は駄目だな。心が狭いくせに、気ばかり強い」才加の母も苦々しげに舌打ちすると、すぐさま才加の手に残る小さな傷跡を、わざとらしく良平の前に突き出した。「見てちょうだい、これ優衣にやられた傷なのよ。才加がちょっと話しかけただけで、何も言わずいきなり手を上げてきて。女の子なんだから、もっと
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第6話
才加の父の顔色がさっと曇り、何か言いかけたその時、才加が慌てて制止した。「お父さん、お母さん、もうやめて。良平の意向は尊重すべきよ。私、良平を愛してるの。だから、彼がしたいことなら、何だって応援する」そう言うと、才加は彼の頬にキスをしようとした。ここ数日、ふたりの親密なやり取りは数え切れないほどあった。最初のうちこそ、良平は人目のないところで才加に「これは芝居だ」と念を押していたものの、次第にそれにも慣れてしまったのか、この2日間の親密さは、私たちの1か月分をゆうに上回っていた。けれどこの時、良平は高須家の面々の目の前で、彼女を思い切り押しのけた。高須家の面々は皆、呆気に取られる。良平自身も、はっと我に返ったように薄い唇を震わせると、やがて立ち上がって言った。「もう十分いただきました。少し風に当たってきます」彼は席を立った。才加が慌てて追いかけていく。「ごめんなさい、気にしないで。両親も悪気はないの。ただあなたを助けたいだけで、これから先も……」「俺たちの間に、この先はない」良平が彼女の言葉を遮った。そのまま車のドアを開けた。「才加、俺たちのことは、お前の両親にもきちんと話しておくべきだった。これは芝居だ。本当に籍を入れる気なんてない」「でも私は、本当にあなたのことが好きなの。結婚したいと思ってる」その言葉を聞いて、良平が振り返った。目を細める。「才加。俺はお前を愛してない。俺たちの間に、可能性なんてものはないんだ」まさかそんな答えが返ってくるとは思わず、私は少し意外に思った。才加はそれ以上に衝撃を受けたようで、まるで信じられない話でも聞いたかのような顔をしている。「そんなはずない。良平、私に一度も心が動いたことはなかったの?」良平はしばらく考え込んだ。「あったかもしれない。だが後になって気づいたんだ。あれはただの執着だったんだと。俺が一番愛してるのは、やっぱり優衣だ」言い終えると、彼は才加に構うことすらせず、そのまま車を発進させて立ち去った。家に戻った良平は、以前ふたりで記入していた婚姻届を手に取り、区役所へと向かった。窓口がすでに閉まっていると分かると、彼は夜間受付へ向かい、婚姻届を提出した。そうしてようやくひと息つくと、彼は私とのLINEのトーク画面を開いた
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第7話
良平はその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。その目は虚ろだった。電話が切れた後もしばらく呆然としていたが、ようやく指を震わせながらスマホの画面を消す。車に乗り込もうとしたその時、背後から才加の声がした。「良平、どうしたの?そんな顔して」才加が心配そうな声を上げながら、足早に駆け寄ってきた。「手も、こんなに震えてる」才加は彼の手を取り、両手でそっと包み込んだ。良平の声は震えていた。「さっき、警察から電話があった。優衣が死んだって……俺のせいだ。俺たちのせいで、優衣は死んだんだ!」その激しい動揺と悲痛な様子は、とても演技には見えなかった。いつもの私なら、胸が痛んだかもしれない。けれど今の私の心は、驚くほど凪いでいる。才加は驚いたように目を見開いた。「死んだ?そんなはずないでしょう。だってさっきまで、優衣から電話で怒鳴られてたじゃない」そう言いながら彼女はスマホを取り出し、通話履歴を開いて良平の目の前に突きつけた。一番上には、一分間ほどの私との通話記録が表示されている。「優衣、今回のことにすごく怒ってて、帰国したら私のことも絶対に許さないって言ってたわ。それに、私たちに復讐してやるとも」その言葉を聞いた途端、慌てふためいていた良平の表情が、みるみるうちに落ち着きを取り戻していく。何かを思い出したように、彼はすぐさま雇った男へと電話をかけ直した。相手は言葉を濁した。「すみません、社長。あの女、思いのほか手強くて。少し目を離した隙に逃げられちまって。でも安心してください、人を大勢使って捜させてますから、すぐ見つかりますよ」才加は「ほら、私の言った通りでしょう」とでも言いたげな顔で良平を見つめた。「それに、電話をかけてきたの、この辺りの管轄じゃないでしょうでしょう。優衣の地元の警察よ。良平、あの辺りの土地勘なんてないでしょう。もし行った先が、優衣の仕掛けた罠だったらどうするの?私はどうなってもいいけど、良平が傷つくのだけは嫌なの」才加はため息をついた。その言葉に、良平はどうやら心を動かされたようだった。それでも念のため友人に電話をかけ、海外にいる私の消息を調べるよう頼んだ。夜も更けた時間だったのだろう、友人は寝起きの不機嫌そうな声で、渋々と応じた。「優衣は多分、俺た
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第8話
もう隠し通す気力もなく、どうにでもなれという気持ちで、使い切った吸入器をそのままゴミ箱に放り込み、良平に病気のことを打ち明けようと決めていたのだ。けれど私が口を開くより早く、彼がお茶に混ぜた薬が効き始め、私は国外へと送り出された。まさか彼が、こんな形でそれに気づくことになるとは、思いもしなかった。潔癖症であるはずの良平が、この時ばかりはためらうことなくゴミ箱に手を伸ばし、吸入器を顔の高さまで持ち上げた。そこに記された薬の名前や注意書きを見て、彼はほんの少し沈黙した後、何かに思い至ったように、突然立ち上がって寝室へと駆け込み、ベッドサイドの引き出しを開けた。なかには、私たちが毎年受けてきた健康診断の結果が仕舞われていた。かつての良平は、私の体調をとても気にかけていて、毎年の診断結果には必ず目を通してくれていたのだ。けれど才加が現れてからというもの、彼の関心は私から離れ、めったに気にかけることもなくなった。考えてみれば、ここ三年ほど、ふたり揃って健康診断を受けることもなくなっていた。良平はしばらく書類を漁った末、直近の診断結果を取り出して開いた。医師の所見欄に書かれた「喘息」の文字を目にした瞬間、彼は膝から崩れ落ちた。「良平、どうしたの?」才加が慌てて彼を支え起こした。「何があったの?」良平は強張った顔をゆっくりと上げ、薄い唇を震わせた。「優衣は、本当に喘息だったんだ」才加は口元に笑みを浮かべたが、すぐに驚いたふりを装った。「そんな。あなたたち、もうすぐ結婚するのに、優衣はそんな大事なことも黙ってたの?」良平はその言葉の裏にある含みには気づく様子もなく、ただ頭を垂れ、低い声で呟いた。「俺は、喘息持ちのあいつをひとりで国外に置き去りにしたんだ。もし発作が起きたら?もし……」喉の奥が詰まったように、彼はその先を言葉にできなかった。けれど私には分かっていた。彼が言おうとしていたのは、「もし本当に死んでしまっていたらどうする」ということだ。「そんな風に考えないで」才加がいつものように彼を慰めようとしたその時、良平はそれを最後まで聞かず、遮った。「悪いが、少しひとりにしてくれ。落ち着いて考えたい」才加が何か言いかけたその瞬間、良平のスマホが鳴った。彼は通話ボタンを押す。「社長、
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第9話
肌は青白く、すでに腫れが出始めていて、変わり果てたその姿は、私自身でさえ直視するのが辛かった。けれど良平はそれに気づく素振りすら見せず、嗚咽を漏らしながら、狂ったように泣き崩れていた。傍らの警察官たちは、かける言葉も見つからない様子で、ただ黙って見守るしかなかった。彼が私にどれほど深い愛情を抱いていたかは、誰の目にも明らかだった。だからこそ、誰ひとりとして想像すらしなかっただろう。ほかならぬ良平自身が、自らの手で私を国外へと送り出し、死へと追いやったのだということを。良平が泣き疲れた頃になって、ようやく警察官が口を開いた。「司法解剖の結果、何らかの薬を服用した後に重い喘息発作を起こし、適切な処置を受けられなかったことが死因と判明しました。現段階で、事件性はないとみられています」事情聴取が一通り終わった後、警察は彼に、なぜ私がひとりで国外にいたのかを尋ねた。良平は数秒間押し黙り、再び目元を赤く染めた。やがて、掠れた声で絞り出した。「俺を逮捕してください。優衣は、俺が殺したんです。俺が、あいつを死なせたんだ」警官ふたりは顔を見合わせ、片方が慰めるように言った。「お気持ちはわかります。大切な方を亡くされた方の多くが、そうした自責の念に苛まれるものです。もっと早く駆けつけていれば、助けられたのではないかと。ですが、こうしたことは、誰にも予測できないものです。亡くなった方を大切に思う気持ちがあるなら、残された方は、しっかりと生きていかなければなりません」もうひとりの警官も言葉を添える。良平がなおも何か言おうとしたその時、才加が慌ただしく駆けつけてきた。「良平、優衣が……」才加は良平の顔色を見て、何かを察したかのように大きく目を見開き、よろめきながら数歩後ずさった。とんだ茶番だ。私は思わず、鼻で笑ってしまった。けれど誰にもその声は届かないし、才加の芝居を見破る者も誰ひとりいない。才加はそっと良平の肩に手を添え、悲しげな顔を装ってみせた。「良平も、自分の体を大事にして。あまり無理しないで」まるで良平が、私を無理やり国外へ送り出したことを警察に打ち明けようとしているのを察したかのように、才加はさりげなく話題をそらし、代わりに警察へと答えた。優衣は海外出張中だったのだと。良平がそれに異を唱えないのを見
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第10話
彼は再びたまらず崩れ落ち、声を上げて泣いた。今度は才加がその体を抱き寄せ、肩を優しく叩く。良平も、もう彼女を拒もうとはしなかった。「もう自分を責めないで。これもきっと、そういう運命だったのよ。もし優衣があなたに隠さず、最初から喘息のことを話してくれて、あらかじめ薬を持っていれば、発作が起きてもすぐ薬を使えて助かったかもしれないのに。あんなふうに死なずに済んだかもしれないのに」その言葉を聞いた瞬間、良平の体がわずかに強張った。「お前、どうして優衣が喘息で死んだって知ってるんだ?」良平は赤く染まった目で、才加を見据えた。「俺はお前に、優衣が喘息持ちだってことは話した。でも、あいつがどうやって死んだかなんて、ひと言も話してないはずだ」その瞬間、才加の瞳の奥を、狼狽の色が確かによぎったのを、私ははっきりと見た。けれどそれもほんの一瞬のことだった。すぐに元の顔に戻ると、彼女は平然と答えた。「さっき警察署にいた時、良平が話してたじゃない。忘れちゃったの?」「俺が、話した?」才加は頷き、それからため息をついた。「良平、辛いのは分かる。いろいろ考えすぎちゃうのも仕方ないけど、こういうことで疑心暗鬼になるのはよくないわ。それに、この間ずっと私たちが一緒にいたこと、あなたも知ってるでしょう」その言葉に一理あると思ったのか、良平はそれ以上何も言わなかった。それから数日、才加は良平の代わりに私の葬儀やその後の手続きを引き受けようとしたが、良平はそれを断った。友人たちが私を見送りたいと申し出るのも、彼はすべて拒絶したのだ。それどころか、彼らとのすべての取引を一方的に断ち切ってしまった。最初のうちは、良平が私のために憤ってくれているのだと思っていた。けれど数日経って、私はようやく気づいた。彼には最初から、私の遺骨をお墓に納めるつもりなど、まったくなかったのだ。骨壺は、そのまま家に置かれ続けていた。才加はそれに驚き、感情に任せた行動はやめるよう彼を説得した。いつまでも遺骨を家に置いておくなんて気味が悪いし、周りに知られたら何を言われるか分からない、と。けれど良平の態度は、頑として揺るがなかった。彼は骨壺を丁寧に磨きながら、優しく、ただ一心に見つめていた。「優衣は暗闇が一番怖いんだ。ひとりでいるのが、何より怖いんだ。あ
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