アレンさんの新しい命令が全体に伝わると、馬車の速度は落ちた。
少し進んでは休んでを繰り返し帝都出立から半月が過ぎた。食糧はもつのかと思ったがその心配は無用だ。何しろ物資を運ぶ馬車は二十台ある。300人に対して多すぎる程の物資量であり、アレンさんは元々速度を落とすのも視野に入れていたようであった。ただ魔物の襲撃はひっきりなしに行われている。襲ってくる魔物が弱いのか討伐作戦に参加している面子が強いのかは分からないが今のところ大きな怪我を負った者はいない。「このまま真っ直ぐ魔神の根城に向かうんだけど、カナタのお姉さんが最寄りの街にいるらしいんだ。だから少数精鋭で街に忍び込もうと思ってるんだけど、どうだい?」
アレンさんの提案に反対するはずも無く僕はすぐに頷いた。あまり多すぎてもバレては厄介だ。そこで選ばれたのは僕と姉さんと面識があるアカリ。そして戦闘能力という面でフェリスさんと気配を消す事ができるリサさんに決まった。全員フードを深く被りできるだけ顔は見えないようにしているが、魔族だらけの街に潜入するのは緊張する。
僕らは本隊と別れ徒歩で街へと向かった。距離にしておよそ一日。道中魔物との戦闘も避ける為リサさんを先頭に僕らは進む。「……見えた」
遠くの方に建物がいくつか並んでいる光景が視界に飛び込んでくる。街というには少し規模が小さいのかそれほど大きな建物も見えなかった。「あそこに姉さんが……」
「……ここからは私の能力で全員の気配を消す」まだ距離はあるが魔族の気配察知は馬鹿にできないとリサさんが全員に気配を消す魔法をかけた。何も感じないがリサさん曰く、僕らの身体に薄い気配遮断の膜が張ってあるそうだ。夜になった魔族の街に入るとさほど帝国の街並みと変わらなかった。恐らく田舎の町なのか規模は小さいが建物の外観は似ている。「問題はどの魔族に守
喫茶店レーベを後にし、レオンハルトさんに連れられて僕は宿り木の前までやってきた。建物を見ると思い出してくる。ここに"黄金の旅団"の方々がいるんだ。「着いてこい」レオンハルトさんが玄関をくぐり僕も同じように宿り木の住宅へと足を踏み入れる。連れてこられたのは客間だった。誰もいない客間で待っていろと僕は一人にされる。見覚えのある家具に懐かしさを感じていた。そういえばここでちょっとしたパーティーをしたな。わちゃわちゃしていたけど、あれも今思えばいい思い出だ。しばらく待っているとアレンさんが客間へと入ってきた。そのすぐ後ろにはレオンハルトさんとレイさんもいた。「君がボクらの事を知っている謎の人間、かな?」アレンさんも当然僕のことを覚えてなどいない。分かってはいたがこうやって直接初対面の対応をされると少しだけ辛い。「あ、どうもはじめまして。城ヶ崎彼方です」「ふむ、カナタ君か。それで?レオンハルトの名前といいこの宿り木の事といい、少し知りすぎている気がするんだけど理由を教えてくれるかい?」どっから話せば納得するだろうか。いざこういう場面に遭遇するとなんて言ったらいいのか難しいな。「あー、えっと、信じて貰えるか分かりませんが僕は失われた未来の記憶を持っています」「失われた記憶、ね。ふむ、続けてくれるかい?」そこから僕が異世界ゲートを作ったこと、それに伴う死者は数多くでたこと、そして異世界で魔神を倒したことまで、全て話した。アレンさん達は黙って話を聞いてくれていた。「――それで世界樹の精霊の力を借りて僕はこの平和だった時間軸へと戻ってきたんです」「ふむふむ……なるほど。荒唐無稽な話だったけど、ボクらしか知らない情報も握っているとなると信じざるを得ないか」流石にすぐに信じては貰えなさそうだったが、魔神の見た目とか魔族国の地形や滅多な事では会うことすら難しいクロウリーさんの事まで話すと、どうやら嘘ではない
家を飛び出たのはいいが、アカリの所在が分からない。恐らく近辺に住んでいるだろうけど、闇雲に探すにはあまりに範囲が広すぎる。どうしたものかと足が止まってしまった。「どこに行けばいいだろう……あ、そうだ。喫茶店レーベ」記憶が完全に引き継げていないのか朧気ながら喫茶店レーベという名前が浮かんできた。確かレオンハルトさんだったはず。それすらも薄れた記憶だが、こっちの世界での名前は何だったかな。「ん?」レーベの近くまで来ると見慣れた顔の男性が丁度喫茶店へと入っていくのが見えた。なんとなくだが、多分今の人がレオンハルトさんに違いない。鐘の音をカランコロンと鳴らしながら扉を開けるとまばらに人がいた。レオンハルトさんはカウンターで一人座っている。僕が隣の席に座るとちらっとこちらを見た。多分、店はガラ空きなのにどうして自分の真隣に座るのかと思っていることだろう。「ご注文は?」「コーヒーを一つお願いします」注文を終えると店員さんがバックヤードへと入っていく。よし、今がいいタイミングだ。意を決して僕は隣の男性へと話し掛けた。「あの……レオンハルトさん、ですよね?」「ッッ!?」僕が名前を呼ぶと同時に勢いよくこちらを振り向いた。その顔色には驚愕の色が見える。「貴様……何故その名前を知っている」「話せば長くなりますが、ええっと……確か宿り木?まで案内してもらえませんか?」「なんだと?宿り木まで知っているのか&h
目を開けると見慣れた天井が視界に入ってくる。ここは僕の部屋だ。見渡すと机と参考書、それに散乱している研究結果の紙の束が無造作に置かれている。すぐに机の上に置いてあったスマホに手を伸ばし、電源を入れる。『2042年9月2日、7時45分』論文発表会当日の朝だ。ここで僕は初めて自身の研究成果を発表した。見ていた者は殆どが失笑、もしくは眉を顰め苛立った様子だったのを覚えている。「記憶が……残ってる」さっきまで世界樹の中にいたはずだ。足元から光に包まれていき、次第に視界が白に染まった。次に目を開けた時には僕は自分の部屋にいた。「時が戻ってる……」誰に聞かせるでもなくついつい独り言を呟いてしまう。あまりに一瞬の出来事で実感が湧いていなかった。パジャマから私服へと着替えると僕はリビングへと足を向ける。この時間なら姉さんは起きていない。仕事始まりは9時からだと言っていつもギリギリまで寝ていたなと、随分昔のことのように感じて思い出し笑いが溢れてしまう。今日、僕が論文発表会に出なければあの未来はなくなるだろう。ただ、その代わり卒業論文をどうするか考えないといけないが。そんなものこの世界に魔族を呼び寄せることに比べれば大したことではない。まあ、最悪の場合は留年するだけだ。そんな事を考えているといつの間にか時計の針は8時30分を差していた。2階の部屋からドタバタと慌てたような音が聞こえてくる。時間ギリギリまで寝ているせいで
「できない……ですか……」『一人の記憶をそのままに時間を戻す事すら容易ではない。ましてや三人もの記憶をそのままなど、不可能である』「では僕だけなら、可能でしょうか?」せめて僕の記憶だけは引き継がせて欲しい。また同じ悲劇を繰り返さない為にも。それにアカリやアレンさんとはまた仲良くなればいい。しかしそれも全て記憶がなければ、そもそも会ったことすらなくなってしまうのだ。『一人だけ……そなただけならば何とかなるかもしれん。しかし断片的に記憶は消えるだろう』ちょっと忘れてしまっている事だってあるかもしれないということか。それはもう仕方がないと割り切るしかない。少なくとも魔神の存在とアレンさん達の事さえ覚えていれば何とかなる。「それでも構いません。記憶が少しでも残るのなら」『それではこれより時空を超える御業を使う。時が戻ればもう会うこともないだろう。そして魔神が生きている時間軸へと戻る。だからこの場で伝えておく。この時間軸での魔神を消滅させてくれて感謝する』僕の頑張りも全てはあの日に戻るため。魔神を倒したこともこの世界で様々な人と交流したことも何もかもなかったことになる。一抹の寂しさを覚えたが、それは恐らくアカリも同じだろう。横を見るとアカリの目が若干潤んでいた。「誰も死んでいないあの時に、カナタが研究の成果を発表するあの日に戻るの?」「多分ね。僕の記憶が残っていれば二度と異世界ゲートなんて作りはしないさ」「でも……もしかしたらカナタ以外の人が作るかもしれないじゃない。五木さんだっけ?あの人ならいずれは作るかもしれないよ?」「その時は……その時だよ。それまでにアレンさん達を見つけて対
「扉が……勝手に開いていく、だと?」世界樹の入口が勝手に開くなど、ヨハネさんも初めて見た光景なのか目を見開いて驚いていた。「まさか……この三人を呼んでいる、とでも言うのか?」「そうに違いないだろうね。行かせてあげたほうがいいんじゃないかな?ほら、世界樹の精霊に逆らうわけにもいかないだろう?」「……いいだろう。行け」ペトロさんの後押しもあってかヨハネさんは渋々ながらも三人で入ることを許可してくれた。恐る恐るながら、世界樹の中へと入ると扉は勝手に閉まっていく。閉まる瞬間ペトロさんが手を振っていた。「またいつか会えたなら、今度は君の世界を案内してほしいな」そんなような事を言っていた気がする。閉まる直前だったから完全には聞き取れなかった。扉が完全に閉まると暗闇が僕らを包み込む。僕は二回目だから驚くこともなかったが、姉さんとアカリは狼狽えていた。目で見えているわけではないけど、ワタワタと手足を動かしているのが分かったからだ。「こ、ここ世界樹の中なの?どこにいるのカナタ!」「いるよすぐ横に」「きゃあっ!急に喋らないでよ!ビックリするじゃない!」じゃあどうしろというのだ。アカリは黙って僕の服の裾を掴んでいた。でも警戒しているのだけはわかった。何となく、アカリから放たれる殺気のようなものが僕の肌に突き刺さっていた。しばらく騒いで落ち着いてきたのか姉さんも静かになった。それを見計らってか突然目
ペトロさんと合流した後、僕らは世界樹の下まで移動した。姉さんは世界樹を見るのも初見だ。あまりの大きさに口をポカーンと開き雲を突き抜けて天まで伸びる天辺を見上げていた。「すっっごい大きな樹だね!これが世界樹?」「そうなんだ。あの幹のところに入口があって中に精霊がいるんだよ」「精霊かー、この世界に来て色んなものを見てきたけど精霊は初めてかも!」姉さんもしかして一緒に中に入るつもりか?世界樹の精霊が許してくれるだろうか。世界樹の幹までくると、そこには前回結界を解いてくれた使徒が勢揃いしていた。今回もまた結界を解除してもらわなければ中には入れない。「来たか……まさかこれほど早く戻って来るとは思わなかったぞ」ヨハネさんが最初に僕を見て口を開く。「久しぶりーカナタ!魔神を倒すなんてなかなかやるじゃない!ん?そっちの女の子はなになに?」「お久しぶりですアンデレさん。こちらは僕の姉です」「し、紫音です!」やはりアンデレさんは女性ということもあって、最初に姉さんが気になったらしい。僕の姉だと分かるとアンデレさんはニパッと花が咲いたように笑顔を浮かべた。「へぇ〜!別世界のそれもカナタの身内だなんて!私はアンデレよ、よろしくね!」「は、はい!よろしくお願いします!」何をよろしくするのか分からないが、まあ二人が仲良くお喋りするぶんにはいいだろう。どうせ元の世界に戻ったら二度とアンデレさんと会うことはないだろうから。「まさかほんとに魔神を倒してくるとは……人間の力も侮れませんね」トマスさんは感心したように頷いていた。僕だけの力ではないんだけど、わざわ