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第4話

作者:
琴音が目を覚ますと、消毒液の匂いが鼻を突き、思わず眉をひそめた。

目を開けると、ベッドの脇に瑛介が座っていた。上着は椅子の背もたれに掛けられ、シャツの袖は肘まで捲られていた。

「琴音!」琴音が起きたのを見て、瑛介はすぐに身を乗り出し、温かい手で彼女の頬を触った。「まだ痛むか?」

琴音は、思わず頭をそらした。

瑛介の手が途中で止まり、躊躇ってから口を開いた。

「ごめん」と、彼はかすれた声で言った。「昨日はどうしても外せない仕事があって、電話に出られなかったんだ。事故に遭ったなんて知らなくて……許してくれるか?」

外せない仕事?

沙耶と体を重ねることは、大切な仕事だったのかしら?

琴音は、あの電話の向こうから聞こえてきた、淫らな喘ぎ声を思い出した。無理に笑顔を作ってみたが、大粒の涙が頬を伝った。

瑛介は琴音が痛がっているのだと思い込み、慌てて医師を呼んだ。

医師は診察を終えると、こう伝えた。「傷口の縫合はうまくいきました。ただ、少なくとも2週間は安静が必要です」

医師は言葉を区切り、瑛介に視線を向けた。「誰かがそばに付き添って、世話をしてあげるのが一番ですね」

「分かりました。自分が付き添います」と、瑛介は頷いた。

その言葉に嘘はなかった。それからの日々、瑛介は文字通りつきっきりで琴音の看病をした。

琴音に静かに休んでもらうためだけに、彼は特別病棟のフロアを丸ごと貸し切った。

琴音が庭に行って風に当たりたいと言えば、瑛介は彼女を横抱きにして階下まで連れて行った。まるで大切な宝物を抱えているように、とても慎重だった。

琴音が夜中に西区の料理が食べたいと言い出せば、瑛介は嫌な顔ひとつせず車を走らせた。戻ってきたとき、料理はまだほかほかと湯気を立てていた。

以前の琴音なら、嬉しくて涙が出るだろう。

けれど、今の彼女の心は、瑛介に対して何の感情も抱けなかった。

沙耶に対する瑛介の、狂おしいほどの愛をこの目で見ていなければ、この優しさを信じてしまっていただろう。

退院の日、瑛介は助手席の琴音にシートベルトを締めてやり、優しく囁いた。「琴音、ちょっとしたサプライズを用意しているんだ」

琴音が返事をする前に、彼のスマホが突然鳴り出した。

「瑛介、今夜昔の同級生で集まるけど、来るか?」電話の向こうから、同級生の声が聞こえた。「いや、聞くだけ野暮だな。お前は絶対に来ないよな……

来ない方がいいかもな。今回は入江のやつも来るんだよ。本当に図々しいよな!当時、校長の息子があいつを海外に連れていけるからって、お前を振ったことは誰もが知ってた。あんな見栄しか気にしてない女、みんな嫌いなのに、よくも顔を出してくるよな……」

瑛介は一瞬動きを止め、口を開いた。「行くよ」

相手は耳を疑った。「え?来るのか?」

「ああ」と、瑛介は琴音に視線を送り、何事もないかのように答えた。「俺の彼女も連れて行くよ。最近、入院していてね。ちょっと気分転換させたいんだ」

同級生は、嬉しそうな声を上げた。「いいね、それ!入江に見せつけて、恥をかかせてやろうぜ!」

通話が終わると、瑛介は琴音を優しく見つめた。「お前の気分転換になればと思ってね」

琴音はうつむき、指先を小さく震わせた。

気分転換?

さっきは確かに、サプライズがあると言っていたのに。

今となっては、その話には触れようともしない。気分転換なんて、単なる言い訳だ。

瑛介はただ、沙耶に会いたいだけなのだ。

しかし琴音は追及せず、疲れたようにそっと目を閉じた。

……

同級生たちは、会員制サロンに集まった。お洒落なライティングの部屋には、楽しげな乾杯の声が響いていた。

瑛介が琴音の腰を抱き寄せて姿を現すと、人々は興奮した様子で立ち上がった。

「まじかよ!瑛介、本当に来たぞ!」

「彼女さんも一緒か!学生の時に、いつも瑛介にべったりくっついていたあの後輩じゃないか?」

沙耶に聞こえるように、誰かがわざと大きな声で言った。「本当にお似合いの二人だな!こんなに可愛い彼女、金と権力にしか目がない誰かさんよりよっぽど素敵だ!」

部屋の隅で、沙耶は顔を真っ青にして、グラスを持つ指を微かに震わせていた。

だが瑛介は彼女が見えていないかのように、ひたすら琴音に関心を注いだ。

琴音が座る場所に、そっとクッションを置いた。

琴音が一口だけアルコールを口に含むと、すぐに水を差し出した。「怪我が治りきってないんだから、お酒は控えめにな」

周りが笑い出した。「そんなに彼女さんを可愛がるなんて、愛が深いな!」

瑛介は言葉を返さず微笑むと、琴音の髪を愛おしそうに撫でた。

だが琴音は見逃さなかった。

瑛介の視線は、自分をではなく、ずっと沙耶を追っていることを。

ついにその場にいるのが耐えられなくなり、琴音は席を立って洗面所に向かった。

しかし再び戻ろうとした途端、沙耶に行く手を阻まれた。

「昨日のこと、ずっと見てたでしょ?」沙耶は得意そうに笑った。「瑛介に抱かれる私を見てどんな気分だった?本当に我慢強いわね」

琴音は手のひらに爪を食い込ませながらも、冷静を保とうとした。「何ともないわ。そこをどいて」

「何ともない?よくそんなことが言えるわね!」沙耶は突如琴音の手首を掴み、吐き捨てるように言った。「言っておくけど、あの時私が判断を間違えなければ、瑛介は私のものだったの。そっちはただの泥棒猫よ。はっきり言うわ、私は瑛介を取り戻しに来たのよ!」

沙耶は顔を近づけ、唇を吊り上げた。「瑛介がかつてどれほど私に夢中だったか知ってる?高校の頃、北区の美味しいお菓子が食べたいと私が軽く呟いただけで、授業を抜け出して何時間も並んでくれたわ。大学時代は、お腹が痛いと言っただけで、一晩付き添ってくれたわ。今だってそうよ」

沙耶は声をひそめ、いかにも自慢げに囁いた。「口では憎んでるなんて言いながら、昨日は何度も何度も私を求めたのよ。朝まで一睡もせずにね。これだけ愛されてる私に、あんたなんかに勝ち目などないわ……」

琴音の胸に、微かな痛みが走った。

彼女はゆっくりと瞳を上げ、目の前の女を見つめた。

かつての琴音は、ただ遠くから瑛介を想っていた。そして、彼がどれだけ沙耶を愛していたかを見届けていた。沙耶と正面から言い争いをしたことは、これまで一度もなかった。

だから沙耶が瑛介を振ったと聞いたときも、何か人に言えない事情でもあったのではないかと、同情さえしていた。そうでなければ、瑛介があれほど沙耶を思い続けるはずがないと。

だが今、琴音はついに理解した。

沙耶は、最初から心の汚い人間なのだと。

自分のことしか考えず、プライドばかり高くて、どこまでも浅ましい女。

それなのに、瑛介は狂おしいほどに沙耶を求めていた。

「そう、ならあなたが成功するのを応援するわ」

琴音は突き放すように手首を引き抜くと、振り向くことなくその場を後にした。

部屋へ戻ると、一同はちょうど「指折りゲーム」に興じているところだった。戻った琴音を見かけると、みんなは嬉しそうに彼女をゲームに誘った。

ルールが分からない琴音のために、みんなが親切に教えてくれた。手を広げて、交代で自分がやったことのあることを言う。同じ経験がない人は指一本を折っていき、最初に全ての指を折った人が負け、という単純なものだ。

後から戻ってきた沙耶も仲間に加わろうと割り込んできたが、誰も相手にしなかった。

「さあ琴音ちゃんの番よ!最初に何て言う?」

琴音は自身のスラリとした手を広げた。さきほどの沙耶の挑発を思い出し、フッと冷ややかな笑みをこぼした。

それはまったく意味のない挑発だった。

なぜなら、瑛介への想いなんて、すでにきれいさっぱり捨ててしまったのだから。

琴音はごく自然な、澄み切った声で宣言した。「私、近々結婚します。

近々結婚する予定がない人は、指を一本折ってください」

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