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last update Huling Na-update: 2025-09-28 06:00:24

 夜が明け、庭の露が光る。

 冷たい空気を裂くように鶏の声が響き、美桜はいつものように竈に火を入れた。

 米を研ぎ、味噌汁を仕込み、洗濯物を干し、廊下を拭く。

 けれど、今日はどこか胸の奥がざわめいていた。

 夜会――それは久しく背を向けてきた社交の舞台。懐かしい。父が健在だったころは、よく家族で向かったものだ。そこで話術巧みな父が、新しい夜会の服の注文を取り付けたり、商談を成功させていたのを思い出す。

 かつて父が誇りを持って語った言葉が蘇る。


「東条の糸は人の心を織る。布は人を飾るためにあるのではなく、人を立たせるためにある」

(そうよね、お父様)

 今日のドレスは、私を立たせるものにしよう。

 そつなく朝食を出し終え、自身も質素な朝食を早々に終わらせる。食べさせてもらえるだけでもありがたいと思え、という西条たちの言葉。給仕として働かされて何年も経つが、ただ働きで給金などもらえない。美桜は人の3倍ほどこの屋敷で働かされていた。

「ちょっと、美桜。あの倉の中のドレス、出したの?」

 庭の掃除をしていると、綾音の甲高い声がバルコニーから降ってきた。すぐに続いて、母の声。


「そうそう、あの黄ばんだやつよ。間違えないでね」

「一緒に見に行きましょうか」

 掃除を中断させられ、倉へと連行される。

「ああ~、これこれ!」

 倉の奥は埃にまみれ、光が薄い。ボロボロになったドレスをわざわざ奥から引っ張り出してこられた。

 箱を開けると、そこには黄ばんだレースと、破れたドレス。

 袖はほつれ、胸元の飾りは取れ、裾には長年の染みがこびりついている。

「よかったわね~。ドレスがなくちゃ、夜会にも行けないものね~」

 綾音がにやにや笑っている。

 けれど――。

 布の質は良いものだ。それが彼女たちにはわからない。

 光の下でわずかに光沢を帯びる、東条家の織機でしか出せぬ手織りの絹糸。

 母が生前、「あなたの嫁入りの時には、この絹糸でドレスを仕立ててあげる」と言っていたものだった。

 美桜は息をのんだ。

 そして、そっと指先で糸の目を撫でた。やはり布触りは最高だ。これは恐らく東条の工場で作られたドレス。

(まだ、生きてる)

 糸が呼吸しているように思え、布の声が聞こえる気がした。

「ちょっと~、せっかくドレスをあてがってやったんだから、もっと喜びなさいよ!」

「はい。素敵なドレスをありがとうございます」

「ホホホ。感謝なさい。そのドレスはあんたにあげるわ。今までの給金として受け取りなさい」

「ありがとうございます。おばさまのご慈悲に感謝いたします」

「まあ~」

 散々恩着せがましく言われ、ようやく解放された。

 仕事を早々に終え、美桜はそれからドレスの補修を試みた。まずは丁寧に洗ってほこりや泥などの汚れを落とし、乾かした後に針を走らせた。

 破れた裾を繕い、黄ばみなどは専用の汁で落とし、レースの欠けを別布で補う。

 工場の娘として育った幼い日々、父の傍らで覚えた“針の道”が、ここで生きた。

 針先は迷わない。

 一針ごとに、心の奥に沈んでいた誇りが蘇る。

 風が吹いても手は止まらない。

 まるで、彼女の美しい名のとおり、灰の中から立ち上がる桜のように――

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