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last update Last Updated: 2025-11-18 06:00:32
 会場の空気が凍りついたまま一成の言葉が終わる。

 沈黙。

 沈黙。

 そして――聞こえるのは、誰かの喉がひゅっと鳴る音だけ。

(……怖い……こんな一成くん、初めて見る)

 美桜は胸の奥が熱くなりながらも、怖さに似た感情に身を震わせた。

 それでも――その手を離したいとは思わなかった。一成が美桜の手を軽く引く。

「行こう、美桜」

(もう少し歩こうか。……彼らの反応を見たい)とそのように囁かれた。

 肩越しにさらりと言う声が、優しいのに冷たい。

 その冷たさは――

 怒りを押し殺して沸騰寸前の鍋のようだった。

 美桜は立ち上がり、一成と共に人混みの中へゆっくりと足を踏み出した。

 と、その瞬間。

「浅野様……」

 背後から震える声がした。一成が足を止め、ゆっくり振り返る。

 そこには深紅のドレスの綾音がいた。

 扇子を胸の前で握りしめ、必死に笑顔を貼り付けている。

「すばらしいご挨拶でしたわ……。ですが、少し気になったことがありまして」

 一成は小さく息を吐き、微笑を浮かべた。

「どうされましたか? 犯人に心当たりでもおありですか?」

 周囲の視線がざあっと綾音へ向く。

 綾音はその注目を浴びて、うっとりするように瞳を伏せた。

(見てなさい、美桜。あなたの幸せごっこなんて今ここで終わらせてあげる)

「あなた様のお隣にいるその方……。東条美桜ですよね?」

 一成は頷く。

「そうです。僕の妻です」

 綾音は扇子で口元を隠し、わざとらしく肩を震わせた。

「……ご存知でした? 浅野様。その方、桐島京様の正妻として屋敷に住んでおりましたわよ」

 会場がざわっと揺れた。

 美桜は息を飲んだ。

 さっきの噂が、まさに本人の口から飛び出したのだ。

(いや……違う。私は……あの家に閉じ込められていただけで――)

 でも、言葉が出なかった。

 綾音は確信したように笑みを深めた。

「浅野様、どうかお気をつけくださいませ。その子を信じては――」

「綾音嬢」

 一成の声が、綾音の言葉を切り裂いた。

「……はい?」

 一瞬にして、綾音の身体が震えた。

 その声は怒鳴ったわけでもないのに、氷の刃のように冷たかった。

「あなたから昨日受け取った忠告状。あれは実に興味深かった」

 綾音の顔が、真っ青になる。

「な……なんのことかしら?」

 一成はゆっくりと微笑んだ。

「差出人は
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