バイトを終えて家に帰り着いた。まずは、ガチガチになった体を宥めながらのお洗濯。着替えたものには、子供ならどこで遊んできたのと怒られそうな勢いで泥が付いていて、そのまま洗濯機に放り込んだら配水管が詰ってしまうから、先にスロップシンクで泥落としをする。外での活動が多いミユキ母さんが何年か前に付けたものだけど、これがあって心底よかったと思った。洗濯機を回して、冬凪と順番にシャワーを浴びた後、しばらく体が動かせなくて、二人してリビングのソファーにぶっ倒れていた。それでも何か食べないと明日が辛くなると冬凪が言ったので、異端のナポリタンを作った。買い置きのレトルトソースを茹でたパスタにかければ食べられるけれど、それだと甘くて口に合わないのでソースに手を加える。フライパンでオリーブオイルを敷いてニンニクを炒めた後、細かく切ったベーコンを炒めてからパスタのゆで汁を加えて乳化させる。レトルトソースを混ぜてバジル粉を多めにかけた後かき混ぜて、最後にタバスコを思いっきり入れる。手を加えたソースにゆであがったパスタを入れてよくかき混ぜる。その時「ナポリタンは焦がしゃぁうめぇ」を復唱しながら炒めると美味しくなる。そのままでもおいしいソースに手を加えるところが異端ってことで勘弁してもらう。これにカプチーノを付けてお夕飯。
カップに口を付けた冬凪が、「なんで山椒?」 え? 自分のを見ると確かにシナモンでない粉が浮いていたので指に付けて嘗めるとピリピリした。しまった「シナモンで!」ってやんなかったから体が勝手に山椒ぶち込んだんだ。あたしってば辻沢に毒されてる。 ナポリタンを食べ終わってお腹いっぱいになったら今度は急激に眠気が襲ってきた。このままリビングにいたらソファーで朝まで眠り続けそうだったので、洗い終わった洗濯物を干しに行く。夏だからすぐ乾くけれど、鬼リピしたらすぐに痛んで着られなくなりそう。もう何着分か作業用の服を用意した方がいいかも。お休みになったらワークヤオマンで冬凪と一緒に買い出しだ。「今日は早く寝るんだよ。熱中症の一番の原因は寝不足だからね」 二階に上がるとき冬凪に言われた。前はバイトから帰ったら六道園プロジェクトを進めるつもりだったから、冬凪に内緒でロックイン制限ギリギリまで作業していただろう。でも今は「あ、夏波様が見えました。もしもし、でいいんですか? あ、ご機嫌ようでしたか? 高倉です。お邪魔いたします。どうぞよろしくお願いします」 このまま放っておくとあらゆる挨拶言葉を引っ張り出してきそうだったので、「普通にしていてかまいませんよ。ここはヴァーチャル空間ですが、コミュニケーションはリアルと違いありませんので」「ヴァーチャル? リアル?」「あ、仮想の空間と現実の空間のことです」 高倉さんの脳内で言語変換されるちょっとの間があって、「さようでございましたか。ならば、夏波様、お耳に入れたき儀がございまして、ご連絡差し上げました。お聞き届けいただけますでしょうか?」 まだ、なんか堅い。というより言い方が古くさく聞こえるけど、高倉さん、大丈夫?「十六夜のことですか?」「左様でございます」 高倉さんはここでは詳しいことは言えないけれど十六夜の様子に変化が見られるから、ヤオマン御殿に来て十六夜に会ってあげて欲しいと言ったのだった。それが今回の調由香里の首を探し当てたことと関係があるかどうかは分からなかったけれど、もしよい方の変化があったのならば、あたしたちが20年前の辻沢に行ったことには意味があったのだ。だから、「明日行きます」「いつ頃来られますか?」 六道辻の爆心地を出られるのが、早くて夕方の四時半ごろ、遅くなっても五時だ。それからヤオマン御殿へ直行するとなるといろいろ心配なこと(汗とか汗とか汗とか)があるけど、それは全身にシーブリぶっかけてなんとかして、「5時半に」「分かりました。それでは、そのころ裏門をゴリゴリンしてください」「ゴリ?」「ピンポンです」 あーね(死語構文)。 高倉さんは深々とお辞儀をしながらロックアウトしていった。ロックアウトの途中でVRギアを外したらしく、お辞儀したままの姿がVR空間にしばらく残り続けたのだった。 冬凪の部屋に行ってノックをすると、「どうぞ」 ドアを開けると、すでに部屋の中は真っ暗だった。「寝てた? ごめんね」「全然。いま電気消したとこだったか
バイトを終えて家に帰り着いた。まずは、ガチガチになった体を宥めながらのお洗濯。着替えたものには、子供ならどこで遊んできたのと怒られそうな勢いで泥が付いていて、そのまま洗濯機に放り込んだら配水管が詰ってしまうから、先にスロップシンクで泥落としをする。外での活動が多いミユキ母さんが何年か前に付けたものだけど、これがあって心底よかったと思った。洗濯機を回して、冬凪と順番にシャワーを浴びた後、しばらく体が動かせなくて、二人してリビングのソファーにぶっ倒れていた。それでも何か食べないと明日が辛くなると冬凪が言ったので、異端のナポリタンを作った。買い置きのレトルトソースを茹でたパスタにかければ食べられるけれど、それだと甘くて口に合わないのでソースに手を加える。フライパンでオリーブオイルを敷いてニンニクを炒めた後、細かく切ったベーコンを炒めてからパスタのゆで汁を加えて乳化させる。レトルトソースを混ぜてバジル粉を多めにかけた後かき混ぜて、最後にタバスコを思いっきり入れる。手を加えたソースにゆであがったパスタを入れてよくかき混ぜる。その時「ナポリタンは焦がしゃぁうめぇ」を復唱しながら炒めると美味しくなる。そのままでもおいしいソースに手を加えるところが異端ってことで勘弁してもらう。これにカプチーノを付けてお夕飯。 カップに口を付けた冬凪が、「なんで山椒?」 え? 自分のを見ると確かにシナモンでない粉が浮いていたので指に付けて嘗めるとピリピリした。しまった「シナモンで!」ってやんなかったから体が勝手に山椒ぶち込んだんだ。あたしってば辻沢に毒されてる。 ナポリタンを食べ終わってお腹いっぱいになったら今度は急激に眠気が襲ってきた。このままリビングにいたらソファーで朝まで眠り続けそうだったので、洗い終わった洗濯物を干しに行く。夏だからすぐ乾くけれど、鬼リピしたらすぐに痛んで着られなくなりそう。もう何着分か作業用の服を用意した方がいいかも。お休みになったらワークヤオマンで冬凪と一緒に買い出しだ。「今日は早く寝るんだよ。熱中症の一番の原因は寝不足だからね」 二階に上がるとき冬凪に言われた。前はバイトから帰ったら六道園プロジェクトを進めるつもりだったから、冬凪に内緒でロックイン制限ギリギリまで作業していただろう。でも今は
ハウスで作業着に着替え、ヘルメットと軍手をはめて空調服のスイッチを入れ外に出た。「始めましょう」 赤さんが号令を掛ける。皆さん、頭上の太陽に恨みを持っているかのように、下を向いたまま各自の持ち場に散らばって行った。小休止後も、あたしは冬凪が掘った土を箕に受けて土山を築く作業をした。こっちでは15分後だったけれど、実感としては久しぶりの作業だったので慣れるまでが大変だった。体全体が暖房器具になったように暑い。頭を下げた時にヘルメットからボトボト音を立てて落ちる汗には何回でもびっくりする。「夏波、水分補給。がぶ飲みして」 いつの間にかボウッとしていたらしく、冬凪が土壁で影になった所に置いた水筒を渡してくれた。蓋を開けると、中の氷がカラカラと鳴った。言われた通りごくごく喉を鳴らしながら飲むと、麦茶が冷たい棒のように胃の中に落ちてゆくのが分かった。頭が少しズキズキしているのに気がついたけれど、冷たい麦茶のせいなのか、暑さにやられたせいなのか分からなかった。 休憩の後、冬凪と堀り手を交代した。冬凪にも疲れが見え初めていたからだった。けれど、エンピで土を掘るのがこんなに難しいとは思わなかった。まず、土に入っていかない。手で押しても、見よう見まねで足を使ってもびくともしない。それならばと、掬い上げようとしたら、ちょっとしか土が乗ってこない。とにかく、今のあたしにはスキルが足りないようだったので、申し訳なかったけれど、すぐに冬凪に代わって貰ったのだった。 お昼になった。クーラーの効いたハウスで冬凪とおにぎりを食べた。一緒にハウスでお弁当していた江本さんが他の現場のクロー話をしてくれた。なぜか冬凪はむこうを向いていてあたし一人が聞いていたのだけれど、話を聞くうち、冬凪は聞きたくなかったんだと分かった。「昔、江戸時代のお墓を発掘したことがあったの。先生(江本さんは調査員の一番偉い人をこう呼ぶ)が、江本さん、幽霊とか祟りとか平気? って聞くから、全然平気ですって応えたら、じゃあ、遺骨出たから洗ってって言われてやったのよ。土がついてるお骨を水で洗うんだけど、もう何百年も経ってるから乾燥してるって思うじゃない。それがね、洗ってるうちになんだかベトベトしてきて、洗い桶に油が浮いてきてね。手なんかヌルヌル
暗闇の中、床が抜けて落下の感覚がやってきた。光の筋が下から上へと流れている。それがしばらく続いて、着地のイメージがしたら、目の前に細い縦筋が出来て光が入り込んできた。まぶしさに閉じた目を開けると、冬凪と黒い和装の千福まゆまゆさんが立っていた。「お帰り。夏波」「「無事のご帰還、おめでとうございます」」 黒千福まゆまゆさんが目を細めて言った。冬凪はバッキバキのスマフォを千福まゆまゆさんに返して、「ありがとうございました。調査の件、報告書は後日持参しますので」「「よろしくお願いいたします。では」」 挨拶が終わると、千福まゆまゆさんは黒い市松人形の中に入って扉を閉じた。そしてすぐに排気音がして千福まゆまゆTWブースはシャットダウンしたのだった。 土蔵の外に出ると驚いた。竹林の空き地の真ん中に豆蔵くんと定吉くんが立っていたのだ。ブクロ親方も一緒だった。ブクロ親方は冬凪に近づいてきて、ヘルメットを取ると、「藤野さん。この度は二人がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」 と頭を下げた。「迷惑なんて、そんな。豆蔵くんと定吉くんには本当に助けて貰ったんです」「しかし、約束の時間に間に合わなかったと」「怪我をさせてしまったためです。それでしばらく静養してから帰って来て下さいと、こちらからお願いしました」 ブクロ親方はそれを聞いて豆蔵くんと定吉くんに振り返り、「それならば、責めはしませんが」 と言ったのだった。 あたしは一週間後に帰ってくる予定だった二人がここに、しかもあたしたちより先に来ていることが不思議でしかたなかったので、冬凪に、「なんで、豆蔵くんと定吉くんがいるの?」 と聞いてみた。「向こうをいつ出発しても、到着する位置と時間は決められてるから。そうでないと戻ったとき宇宙空間に放り出されちゃうんだよ。だって、地球は太陽の周りを回り、太陽は天の川銀河の中を回り、天の川銀河は宇宙の大構造の中を回っていて、螺旋を描いて移動し続けているからね」 と説明してくれたけれど、まったく理解できなかった。 土蔵の前の広場から竹林の小道へ出
豆蔵くんと定吉くんの包帯だらけの格好を見て冬凪は、「それで帰ったら皆んなびっくりするから一週間くらいこっちで養生してからがいいよ」 登山用リュックの中から何かを出し、「テント。ちょっと狭いかもだけど、これあれば宿泊費浮くでしょ」 と豆蔵くんに渡した。 それから冬凪とあたしは豆蔵くんと定吉くんに別れを告げて、来た時と同じように白漆喰壁の土蔵に入ったのだった。「あれでよかったの?」「うん。二人ならテントで充分。あたしのだから寝袋までは貸せないし」 そういうことでなく、「ブクロ親方怒らない? 一週間も留守にしたら」「そっか。夏波は初めてだもんね。心配ないよ」「でも」「まあ、見てて」 冬凪は、再び、白い着物の市松人形の前に立つと、「藤野冬凪と夏波。ただいま戻りました」 少しの間があって市松人形から排気音がしたかと思うと、「「はーーい」」 明るい二重音声がして市松人形の体が真ん中から真っ二つに割れると、中から市松人形と同じ服装をした千福まゆまゆさんが出てきた。「「無事のご到着、なによりです。それで、志野婦にお会いになりましたか?」」「はい」「「それはそれは。元気そうでしたか?」」「はい。とっても」 あれは元気なんてものじゃなかった。吸い込まれるような妖気だった。「「そうですか」」 そしてあたしに向かって、「「夏波さんは初めてなのに会えて羨ましいです。私どもは一度も。生まれてすぐに志野婦は亡くなってしまいましたので」」 生まれてすぐ? もし冬凪が言うように千福オーナーが志野婦なら死んだのは20年前、千福まゆまゆさんがあたしたちの二つ上ってことになるのはさっき確認ずみ。でもこの子はマジ小学生だよね。どう見ても。「夏波、帰るよ」 市松人形の中から冬凪が呼んていた。あたしは千福まゆまゆさんの年齢のことを考えていて、冬凪が先に立ったのに気がつかなかったのだった。 冬凪が入った市松人形がしまり中から光を発して排気音がした。しばらくするとゆ
しばらく歩くと見えてくるのが、爆心地、ではなく、白い花が美しい生け垣に囲われたお屋敷だった。近づくにつれてバニラエッセンスを振りまいたような甘い香りが漂ってくる。クチナシの匂い。月光の咎人の匂い。そして、辻沢最凶のヴァンパイア、志野婦の匂いだ。「ここって、千福オーナーのお屋敷だよね。辻沢建設の」この年の9月に千福オーナーが爆殺された跡が、あたしたちが遺跡調査をしている爆心地なのだった。「そうだよ」「なんでここに志野婦がいたの?」冬凪はいつもの顎に指を当てるポーズになって話し出そうとした。けれどそこは千福家の、クチナシの垣根が美しく両側を飾る打ち水がされた石畳の門前で、唐破風の玄関の奥から誰かがこちらを見ていたから、あたしは慌てて冬凪の腕を引いて裏手の竹林に向かったのだった。土蔵の前まで来ても冬凪の話は止まらなかった。それは辻沢を実質支配している六辻家に関する歴史的考察で、あたしには話の筋を追うのさえ大変だった。ようやく理解できたのが、六辻家の六つの旧家のうち辻一と棒辻という屋号を持つ二つの家だけ一代限りということ。それは絶えたのではなく20年前のこの時まで存続していて、その一つが実は千福家ということだった。「当主がヴァンパイアだから代替わりの必要がなかったってあたしは思う」 六辻家は宮木野と志野婦の血を引く家系だと言われている。「つまり千福オーナーって」「志野婦のこと」 冬凪は竹林の向こうに見える藁葺き屋根を見上げて言ったのだった。「でもさ、千福まゆまゆさんって、千福家の当主なんでしょ? なら二人って志野婦の娘とかなの?」「それはあたしもよくわからない。あの二人は爆発した年に生まれたらしいんだけど、年齢不詳だから」 爆発があった年に生まれたとしたら、あたしたちの二つ上の20歳のはず。でもあの容姿はどう見ても小学生だ。この後会ったらしらっと聞いてみようかな。「まゆまゆさんたちはおいくつですか?」 って。 そうこうしているうちに土蔵前の空き地に豆蔵くんと定吉くんとが現れた。「その格好はどうしたの?!」二人を見て息を呑んだのは冬凪ばかりでは