LOGIN「あ、夏波様が見えました。もしもし、でいいんですか? あ、ご機嫌ようでしたか? 高倉です。お邪魔いたします。どうぞよろしくお願いします」
このまま放っておくとあらゆる挨拶言葉を引っ張り出してきそうだったので、「普通にしていてかまいませんよ。ここはヴァーチャル空間ですが、コミュニケーションはリアルと違いありませんので」「ヴァーチャル? リアル?」「あ、仮想の空間と現実の空間のことです」 高倉さんの脳内で言語変換されるちょっとの間があって、「さようでございましたか。ならば、夏波様、お耳に入れたき儀がございまして、ご連絡差し上げました。お聞き届けいただけますでしょうか?」 まだ、なんか堅い。というより言い方が古くさく聞こえるけど、高倉さん、大丈夫?「十六夜のことですか?」「左様でございます」 高倉さんはここでは詳しいことは言えないけれど十六夜の様子に変化が見られるから、ヤオマン御殿に来て十六夜に会ってあげて欲しいと言ったのだった。それが今回の調由香里の首を探し当てたことと関係があるかどうかは分からなかったけれど、もしよい方の変化があったのならば、あたしたちが20年前の辻沢に行ったことには意味があったのだ。だから、「明日行きます」「いつ頃来られますか?」 六道辻の爆心地を出られるのが、早くて夕方の四時半ごろ、遅くなっても五時だ。それからヤオマン御殿へ直行するとなるといろいろ心配なこと(汗とか汗とか汗とか)があるけど、それは全身にシーブリぶっかけてなんとかして、「5時半に」「分かりました。それでは、そのころ裏門をゴリゴリンしてください」「ゴリ?」「ピンポンです」 あーね(死語構文)。 高倉さんは深々とお辞儀をしながらロックアウトしていった。ロックアウトの途中でVRギアを外したらしく、お辞儀したままの姿がVR空間にしばらく残り続けたのだった。 冬凪の部屋に行ってノックをすると、「どうぞ」 ドアを開けると、すでに部屋の中は真っ暗だった。「寝てた? ごめんね」「全然。いま電気消したとこだったか白砂の海底で、あたし、冬凪、鈴風の順に石舟にまたがってみた。以前あたしがここに来た時、十六夜は長竿で移動してきたけど、そもそもそれは理屈で動いていたのではなさそうだった。「足で漕いでみようか」 三人して足で海底を蹴ってみることにした。「「「せーの」」」 蹴立てた白砂を舞い上がらせながら石舟がずるずると動き出した。「結構簡単でしたね」 鈴風が言った。でも、どうすれば六道園プロジェクトにロックインするか全然分からなかった。「どっか、ROCK・INのアイコンとかない?」 水中にそれらしいのがないか探してみた。ぐるっと見回したが全然なかった。「十六夜はどうやったの?」 あの時あたしは、助けられて安心しきっていたから何も見ていなかった。気が付いたら暗転して横ずれしてて……。 突然体がすっと横に引っ張られる感じがした。目の前が真っ暗になった。「冬凪、何した?」「なんもしてないよ」「じゃあ、鈴風」「何もしてないです」 目の前が明るくなったと思った次の一瞬、見覚えのある池の上空に浮かんでいて、すぐ落水した。「わたし泳げないんです」しょーわはいいからそのバタバタやめろ。「立てるし水じゃないから」 池の水を両手でかき混ぜる鈴風の二の腕を持って立たせる。「ありがとうございます」 あたしたちは池から池の中にある島にあがった。見回すとそこは日本庭園だった。美しく切り整えられた植栽にf値のアンジュレーションが効いた緑の絨毯と州浜。清浄な水をたたえる池の築山が際立っていた。「六道園だよね」 たしかにそうだった。でも十六夜の「元祖」六道園でもあった。州浜が十六夜が提案した白黒の波紋を描いていたから。どちらなのか。庭園の周りを歩いてみる。中島の北にある木橋を渡り遊歩道を歩く。植栽を観ると汀の草まで手入れが行き届いている。敷石の流れが整って見える。ここの庭師は腕がいい。「夏波、あれ見て」 冬凪に呼ばれて庭園の北西を見ると、銀色の円盤を屋上に載せた三角形のビルがそそり立っていた。20年前に倒壊した辻沢町役場だ。「ここって六道園プロジェクトじゃなくて」「辻沢町景メタバース移植プロジェクトだ」 もともと六道園を再生するプロジェクトは、ゴリゴリバース内に失われた辻沢町を移植する大きなプロジェクトの一部だった。それがいまここ
あたしはの説明を聞いた凪が、「でも、十六夜はもう」 やばい。そうだった。また助けに来てくれる気になってた。どうすれば?白砂の底を見渡してみた。すこし離れたところに岩陰が見えた。歩いて近づくと原初の海に沈んだはずの石舟が舳先を上にして白砂に突き刺さっていた。「トリマ、あれを使ってみよう」 石舟に取り付いて、横倒しにしようとしたが力が足りない。なんでかやっているのは冬凪とあたしだけだった。鈴風を探す。いた。最初にいたあたりで突っ伏したまま両手を掻いて白砂を巻き上げていた。「ちょっと行ってくる」 鈴風の元に戻ると、目を固く瞑り頬を膨らませてもがいていた。「鈴風。何してる?」「泳いでます」「あーね。でもいらなくね?」「だって泳がないと溺れますからー」 あたしは振り回している鈴風の腕を掴んで、「歩いてみ」 と立たせた。すると反対の腕をさらに激しくブン回しながら、「泳げました。介助ありがとうございます」 あたしは瞑っている鈴風の目を指でこじ開けて、「歩いてるから。息できてるから」 鈴風はしばらく目にしている景色と体感とをくらべてるみたいだったけど、「あっ」 あっ、じゃねーのよ。VRネーティブって設定どうした?ここに来て「しょーわ」に戻んの何なん? 鈴風を石舟のところまで連れて来て、3人で石舟を起こす作業に取り掛かったのだった。 石舟が倒れて白砂が水中に舞い上がった。それが海底に落ち着くのを待って、改めて自分たちの格好を確認した。みんな水に洗われたせいで光のマライヤ・キャリー状態は全盛期を過ぎてしまっていたけれど、ギリR指定には引っかからない程度には残っていた。つまり大事なところは見えてなさそうだった。3人の格好を見比べてみて、冬凪とあた
志野婦の光は石舟を置きざりにして暗雲の中をまっすぐに進みやがて地の果てに消えた。それにつれて石舟に繋がった極彩色の尾も消えてなくなっていった。「落ちてない?」 重力を感じた。すっと鼻に抜ける感じも懐かしかった。下がこんなにはっきりわかるのは久しぶりな気がした。「海?」 眼下に地表が黒々と見えていて、そこに白い波がいくつも立っていた。そこから見張らせる世界は黒い海と真っ赤な溶岩が覆う大地。まるで原初の地球のような。「ここ知ってる」 言ってる間に落水した。高度から落水したらコンクリと一緒って聞いたことがあったけど、案外25メートルプールで飛び込んだくらいの衝撃しかなかった。それでも水に濡れた感覚はあった。水はちょっと酸っぱくて塩味があった。「助けてください」 水面でジタバタしなが鈴風が言った。「石舟に掴まって!」 言ってすぐ冬凪は自分の言葉の矛盾に気がついたらしかった。石舟は自然の法則に従ってずっと前に沈んでしまっていた。「立ち泳ぎだよ!」 急いで別解を提示する。「私泳げないんです」 ツンでるじゃん! そこで、思い出した。「このまま沈もう」「溺れちゃうしょ」 ここが以前来た原初の海だったら。 あたしは全身の力を抜いて沈むことにした。「夏波! 何する気?!」 いったん顔をだして、「ワンチャン、あるかも」(死語構文)「何がよ?!」 冬凪が本ギレで答えたのだった。 夕霧物語を思い出す。夕霧太夫と伊左衛門は最後、青墓のエリクサー湛える伝説の池に沈んだ。その時夕霧は、「またすぐ会える」 と言ったのだ。そして実際に二人は再会している。紫子さんと鞠野フスキとして。だから鬼子は
気づくとあたしは石舟の上で後ろを向いてみんなと向かい合っていた。なんでか冬凪と鈴風も真っ裸だ。あたしは猛烈な光の暴力に晒されて死んだかと思ったけれど、生きてみんなの無事を確認することができたのはよかった。「大丈夫?」「う、うん」 冬凪は生まれたばかりの赤ちゃんのように全身ツヤツヤで光に包まれ輝いて見えた。その崇高さに目が離せないでいると、「ちょっと見つめすぎ」 目を伏せて胸を隠した冬凪を見て我に帰る。冬凪とは小さい頃に一緒にお風呂入った仲とはいえ、この状態でいるのはあたしだって気恥ずかしい。まずは前に向きかえる。「じゃ、じゃあ、また後で」 照れ隠しに何を言ってるあたし。 見上げるトンネルの中は光に満ち溢れていた。ずっと上で志野婦の爆光が、光の境界を穿って突き進み光のチップを撒き散らしているのが見える。それがキラキラ輝きながらこっちに降り注いでくる。光の粉があたしの体を包み込む。あったかい。まるでおくるみのよう。 あたしが気を失っていた間、何があったのか鈴風が教えてくれた。「十六夜が?」「鬼子の姿で。でもいつのまにか夏波先輩だったので確かなことは」 あたしが銀製のフォークをブッ刺すのだって、何も瀉血したくてやってるわけではない。それは魂に危機を知らせて身中に鬼子を呼ぶためだ。だから光の衝撃で死にかけたあたしが鬼子になったというのはわかった。でも、それってもともと十六夜が鬼子の魂を分け与えてくれたからではなかったの?十六夜が死んでしまって鬼子の魂が彷徨ってるってこと?それとも、まだ十六夜が生きてるとでも?ありえるんだろうか?あんなシワシワになったのに。 ブラックホールに落ちた十六夜の抜け殻が気になって振り向いた。けれど目に入って来たのは胸を隠そうとする冬凪の姿だった。あたしそんな変態な目で見
頭上に迫る光のトンネル。微かに奥行きが見て取れる。「つっこむよ」「5」「4」「3」「「「!!!!!!!!!」」」 カウント間違えたった。 ゴリゴリーン! ゴリゴリーン! 呼び鈴? バスのアナウンス? どっちにしても場違いな音だった。 いや、ちがう。これは光の衝撃に体が擦り潰される音だ。あたし死んだな。 意識が遠くなって世界が暗転。 ―――そして、再びボクは目覚めたのだった。誰か状況を説明してくれないか?ボクの体が刹那ごとに死と再生を繰り返してるのはいい。光が満ち溢れてるのもいい。硬い石のベンチに跨ってるのも許す。でも、なんで後ろのあの子が死にそうなんだ?つまりボクはあの子を、冬凪を守らなきゃなんないってことか。ボクは死にかけ生き直しながら後ろを振り向いた。背中からゴリゴリーンって音がしている。真後ろに向き直ると、全身が溶けて肉塊になりつつあるあの子を抱き寄せる。まだ命は残っていた。 よくがんばったね。さすがボクの鬼子使いだ。 ボクの魂を半分与えてやる。こうすれば鬼子の再生力が移行して体が溶け切らないで済むはずだ。光の中にもう一人いるのが見えた。体が形を保っているってことは、鬼子か、ヴァンパイアか。 大丈夫か? 助けがいるか?「なんとかいけそうです」 それでも相当の負荷がかかっていそうだった。しばらくして光の圧力が小さくなった。あの子の再生に勢いがつきだした。あとちょっとすれば元に戻るだろう。それまではそばにいてあげたい。 光が悪さをしなくなって少しの間そこに止まっていた。あの子が元の姿を取りもどしたので与えた魂を撤収する。あの子が目を覚ます。その目がボクを見つめ
世界樹が作る境界のずっと上方に光を爆発的に放射する点があった。その光は世界樹の樹皮を削り光のチップを撒き散らしながら上昇を続けていた。極彩色の光の尾を引くその爆光こそ、さっき十六夜の体を脱殻にして自分だけギューンした志野婦だった。あたし、冬凪、鈴風が乗る石舟は、志野婦の極彩色の尾に引っぱられて光速を超えたようだった。「どこ行くんだろ」「そんなの(ry」(死語構文) ぬるギレ省略。 上へ上へ。志野婦は光に包まれながら突き進んでいた。石舟は世界樹を横に見てそれに追従する。 どれくらいか分からないけどかなりの時間が経ったはずだった。石舟の上で何回も寝たから。景色は世界樹の光の境界と視界の先を爆進する志野婦の光の点だけだから見てるのに飽きた。それでうとうとして夢を見て覚める。またうとうとして夢を見て覚める。それを何巡もした。見た夢で憶えているのもあるけど誰が見た夢か分からないようなものばかりだった「枝分かれしてる」 冬凪が言ったのは世界樹の光の密度のことだった。それまでは分厚い光が視界を遮って、認識の境界(冬凪)、世界の果て(あたし)にしか見えなかった世界樹が光の流れを分岐させていた。上に行くほど光の流れが枝分かれして別の光の流れを作る。新しくできた光の流れは他の光の流れを避けながら、さらなる分岐を繰り返すけれどそれらの光の流れはどれひとつ絡まることはない。未来に起こることを知っているかのように、時間を逆行するかのように。そうやって世界樹は枝を伸ばすように自らの領域を大銀河に広げていた。これこそ万物流転だった。十六夜と雨の校庭で見たアマゾン川と同じ万物流転を示すもののように感じたのだった。 気のせいか、石舟の速度がさらに上がったように感じた。世界樹の光の逆流が前より速くなったから。おそらく志野婦の爆光がさらに速度を上げたのだろう