LOGIN「ご飯食べに行くよ」
クロエちゃんの号令で鬼子神社を出発した。でもご飯にありつけるのは山道を1時間以上ひたすら歩いて四ツ辻に着いてからだと言った。それを聞いただけであたしのお腹は猛烈な空腹に襲われた。だって、昨日の異端のタコライス以来何も口に入れていなかったから。来た時とは別方向にある石段を登ると、杉木立の中にまっすぐな石畳の道があった。それは正式な参道らしく杉木立のトンネルが切れるあたりに朱に塗られた3本足の鳥居が見えていた。「気をつけて。すべるから」クロエちゃんが言ってくれたのに、早速こけたのはあたしだった。敷き詰められたゴロタ石全てが苔むして緑色をしていた。尻もちはつかなかったけれど、手をついた時に手首を捻ったらしく、それからずっとズキズキと痛み、それを耐えながらの山道になってしまった。途中、クロエちゃんが、「休もう」と丸太のベンチに腰掛けた。そこは休憩所兼見晴し台で眼下に明るい景色が広がっていた。遠くに霞んで見えるのはおそらく辻沢の街並みなんだろう。「あれって青墓の杜だよね」西山の裾野に近い所から黒々とした森が広がっていた。真ん中あたりに小高い丘がハゲ頭を出していて、それが青墓で一番高い亀山だとクロエちゃんは教えてくれた。それから北の端の辺りはヒイラギ林でその根の下は流砂地帯なのだそう。なんでそんなに詳しいのかと聞いたら、学生の頃ユウと一緒にスレイヤー・Rというバトルゲームに参戦したからだと言った。「スレイヤー・Rって、あの?」「逆に夏波は知ってるの?」知ってるも何もプレイヤーに襲われた。でもそのこと、クロエちゃんが知ってる範囲なのかどうかわからなかったから、冬凪に目線を送る。冬凪は小さく首を振ったので、「町誌を読んだら出てた」と苦しい言い訳をした。「そんなことまで書いてあるんだ。顕示欲お化けの元辻川町長だな、それ作ったの」なんとか誤魔化せたけど、後でどこまで言っていいかとか冬凪と擦り合わせしようと思った。再び山道を歩き出したけれど、お腹が空き過ぎて歩けなくなった。するとあたりの草陰から例の音がし始めた。下草を掻き分け踏み分けて付き従う音。ヒダルが森の中あたしが薬指の疼きと共に閃いたのが、「これって十六夜の居場所なんじゃ?」 ということだった。「そうだとすると、結構なご都合主義だけども」 ミユキ母さんの言葉を思い出いた。「ご都合主義は現実で使うと人を傷つける」 それは避けなければいけないことだ。でも、あたしが真球に向かってユウさんの薬指を差し上げた時、中の何かとシンクロして、ガチャ!と音をたてたことを忘れていない。だからこれは絶対に前園十六夜の居場所なんだ。「あたしを信じて」 鈴風がいつも以上に落ち着いた口調で、「六道園プロジェクトが始まってからいろんなことが起きました」 あたしはそれら一つ一つを思い描く。 クチナシの人の夢。瀉血にチブクロ騒動。遺跡調査。まゆまゆさんたちには20年前に飛ばしてもらった。千福みわさんや蘇芳ナナミさんに会った。鞠野フスキの案内で辻川ひまわりとともに四つの爆発事件に立ち会った。鬼子の発現も経験した。柱は全部ではないけどいくつかはぶっこ抜けた。豆蔵くんと定吉くんも一緒に闘ってくれた。蓑笠連中やエンピマン、そしてトラギクとの対決。さいごは十六夜の掠奪を許してしまった。そしてその時出来た真球に激突してなぜか宇宙へ。←今ココ(死語構文)。 鈴風が続ける。「それらは全て十六夜先輩に集約されている気がします。だから」 そう、あたしは自分の直感を信じたいと思ったのだった。「ワンチャン、ありくね?」(死語構文) 冬凪も賛成してくれた。 白地図にプロットされた赤い点滅で、計器はないけど石舟が動いていることが分かるはずだった。でも、赤いポイントの位置ってどれくらいの距離があるのだろう。地図をスワイプしたりタップしたりして設定を表示させようとしたけれどなにも起きなかった。せめて縮尺がわかれば。また何十万光
冬凪、鈴風、あたしはできうる限り想いの芯に迫るため鬼子のエニシで心を一つにする。さっきみたいな失敗は許されない。今度間違えたらブラックホールに呑み込まれてしまうからだ。それだけは絶対に避けなければいけない。「「「世界樹へ」」十六夜の元へ」 宇宙がそれに応えたのか、それまで見えていた銀河の星々が一斉に眩い光を発散しだした。視野に光が満ちて目から入った光が後頭部に届き思考を真っ白にする。光の爆風があたしのことを石舟から引き剥がしにかかる。必死にしがみつくけど圧力で上体が仰け反ってしまう。石舟に掛かる指先も光の弄りで一本一本外されてゆく。ついにユウさんの薬指だけになった時、真っ白だった視界に変化が起きた。光の爆発は変わらず溢れていたけれど、白一色でなく、ところどころ濃淡が感じられ、ものの形が分かるぐらいの光度に落ち着いたようだった。「光の壁」 冬凪の声がした。冬凪は壁と言ったけど、あたしは目の前にあるものをそう言っていいか分からなかった。上はのけぞっても光で、下は見下ろし尽くしても光だった。左も果てしなく光で、右も永遠に光だった。あたしの前方全てが光だった。それは壁というより、「世界の果て?」「認識の境界ってこと?」 と冬凪。鈴風が落ち着いた声で、「これが宇宙ジェットなんでは?」 言われてみると前方に溢れる極彩色の光はゆっくりと上へ上へと移動していたのだった。「これからどうすれば」「そんなの分かんないよお」 もうヌルい返事しかしない冬凪だった。「この石舟動いてんのかな?」 前方の光があまりに広大なせいで、石舟が動いているかどうかも分からなかった。舳先からこちらの何もない平面を見る。「計器とかあればいいのに」 ふと思いつく。そうか、想ったらなんでも叶うんだった。
螺旋のトンネルを猛烈な速度で飛行した石舟は、エニシの月、巨大真球の壁に激突して爆裂粉砕した。もちろんそこに乗っていた冬凪、鈴風、あたしも暴力的に速やかに暗黒世界に転移した。つまり死んだはずだった。ところが世界が暗転してしばらくしたらとんでもない場所に放り出されたことに気がついた。 そこは視界いっぱいに何兆何億の星々が輝いていた。上はどこまでも上で前は果てなく前だった。左右などまったく意味をなしていない。「宇宙、だよね」「それな」 真後ろの冬凪が死語構文を忘れて言った。「あそこに何かあります」 一番後ろの鈴風が足元を指差していた。 足元のさらに下方を見ると巨大過ぎて大きさが認識できないほどの銀河が渦状腕を広げる姿があった。そこも無数の星が密集していたけれど、それ以外に何かあるようには見えなかった。「どこ?」「真ん中です」 銀河の中心、星がより密集して光り輝くあたりを指差している。そちらに目をやると、中心から光の柱が立ち上がっているのが見えた。それは銀河の円盤に対し垂直に、その直径に比して高く高く聳え立っていた。その光の柱は上に行くほど枝葉を伸ばす樹木のように広がっていた。「あれって世界樹なんじゃね?」「あれは宇宙ジェット。ブラックホールから吹き出すやつ」 冬凪が説明してくれた。銀河の中心には太陽の質量の数百万倍の巨大ブラックホールがあって、周辺の物質を呑み込むと同時に光速の99.99パーセントの速さで吹き出してるんだそう。詳しいな。真後ろで見えないけど、きっとL字にした指を顎に当てるいつものポーズしてるんだろうな。 世界樹でなかった。でも気になる。十六夜があそこにいるような気がする。「ちょっと行ってみようか?」「え? 遠いよ」「どれくらい」「光の速さで50万年かかる」 ってどれくらいか分か
どれくらい時間がたったかはわからない。その間ずっと周囲は暗黒の世界のままだった。ーーー静かだった。暗闇のなかで波間を揺蕩っている感じがした。あたしは石舟に跨ったままのようだった。 冬凪は、鈴風はどうしたろうか。あの激突で振り落とされてないだろうか?「冬凪」 呼んでみた。すると、すぐ後ろで返事があった。「いるよ」 声は普通だった。「ケガは?」「してなさそう」 大丈夫そうだった。「鈴風さんいる?」 冬凪が聞いた。「はい。すぐ近くに」 鈴風も普通の声だった。暗闇がずっとこのままか心配だったので、「この後どうなると思う?」 と聞くと、「わからないよぅ。そんなことぉ」 冬凪がぬるぬるで半ギレした。 暗闇が続く間に何度かうとうとしたらしかった。暗いから目をつぶっているかも分からないけれど、夢を見たから多分そう。 その夢にユウさんが出てきた。 あたしは六畳とキッチンだけの古いアパートにユウさんと同居していた。あたしはキッチンで得意料理のラザニアを作っていて、ユウさんは六畳でお笑い番組を観て笑っていた。やっと一緒に住める。あたしは夕陽が差すこの小さなアパートの幸せを噛み締めていた。 突然、六畳で食器が壊れる音がした。振り返ると鬼子に発現したユウさん立っていた。あたしに殺意を剥き出しにしてジリジリと近づいて来ていた。 目が覚めてから、「会いたい。会ってユウさんを慰めてあげたい」 と思ったら涙が出てきた。声を押しころして泣いていると、「きっと、会えるよ」 冬凪の声が聞こえた。こんな時まであたしの心に寄り添ってくれる冬凪だった。 やがてあたりが揺れだした。暗闇は相変わらず続い
それから、あたしと冬凪と鈴風とが乗った石舟はエニシの月に向かって、どんどんスピードを上げ突進して行く。螺旋が視界の後方に押しやられた途端直線になる。でも真球があまりに巨大なせいで近づいてる感じがしない。 ゼノンのパラドクス。いやな考えが浮かんで来た。 どんなに足が速い人でも半分ずつ進んだら決して着けないってやつ。このまま真球に届かず永遠に螺旋の渦の中を飛び続けるんじゃないか?「冬凪、どうしたらいい?」 あたしは冬凪に助けを求めた。冬凪も同じことを考えたらしい。すぐにあたしの言いたいことを理解して言った。「夏波、クロエちゃんが言ってたじゃん。こういう時は想うんだよ」 さすが冬凪。やっぱり答えを持ってた。「いいね」しとこう。「鈴風も一緒に想おう」「分かりました」 こんな時こそエニシの絆が役に立つ。冬凪、鈴風、あたしはみんなで意識を集中して想いを一つにした。少し前のめりが良さげだった。「エニシの月、超巨大化した真球にたどり着く」 それだけを想った。それが想いの芯だった。 急に勢いがついて何かに投げ飛ばされたようになった。そしてブレーキ。それまで感じていたぞわぞわがなくなった。鼻にツンも消えてホッと息がつけた。気づくと目の前に純白の壁が広がっていた。「失敗した!」「何を?」「何をですか?」 後ろから二人の声がした。「中に入ること想えばよかった」 石舟は大理石の壁にぶつかる寸前だったのだ。「「あーね」」 石舟の舳先が大理石の壁にぶつかって弾け飛ぶのが見えた。そこから先はスローモーションだった。石舟の本体が大理石にぶつかり粉々にすり潰されてゆく。あたしは少しでも衝突を遅らせようと体をのけぞらせたけど、無理ゲーだった。走馬灯とか見てる暇な
上空の物体が瓦礫の真球と分かったものの、それがどうしただった。あたしたちには何も情報がなかったからだ。リング端末でミユキ母さんに連絡しようとしたけれど圏外でホロ画面はザラついた映像しか映し出さなかった。途方に暮れつつも冬凪が何か知ってるかもと思って聞いてみた。「あれが目的地? あの世なの?」「そんなの、わかんないよ」 冬凪がぬる気味にキレて答えた。 冬凪、鈴風それとあたしの間に沈黙の時が流れる。派手目な制服を着た三人が跨がった石舟はゆらゆらと揺れながら空中にとどまったままだ。あたしたちは真球からの乳白色の光の中で、滴り上がる雨をぼうっと眺めるしかすることがない。「八方塞がりですね」 鈴風が肩を落としてつぶやく。「トリマ、何か他に方法がないか考えよう」 この感じ、一度どっかであったような。デェジャヴ? いや、そうじゃない。これってば、「ユウさんの指だ」「なに?」「クロエちゃんの想いだよ!」 冬凪もあたしが言いたいことが分かったようだった。「ミユキ母さんのビジョン!」「そうそれ!」 鈴風の顔がパッと明るくなって、「スピスピしてきましたね!」 みんな、枯れ葉の海脱出後、途方に暮れた時を思い出したのだ。 あたしはあの時と同じように、ユウさんの薬指が付いた左手を満天を覆い尽くす純白の真球に向けて差し上げた。ガチャ! そんな音はしなかったかも知れない。でもあたしはにユウさんの薬指が真球の中の何かとがっつりシンクロした音が聞こえたのだった。 下界の臙脂色の海から大量の雫が螺旋を描きながらゆっくりと滴り上がっていた。その螺旋の回転が速度を上げだしたのが目に見えて分かる。やがてあたしが生きてきた全ての経験を、全ての知識を、全ての関係を、全ての感情を巻き込みつつ、真球の中心に向かい大きな渦巻きを作りだした。