LOGIN懐かしい夢を見ていた気がする────────
……いつの間に、眠りに落ちていたのかしら?
まだ夢の残り香があるのか、眠い。
何か大切な言葉を、もらった気がするわ。えーっと、想い出せない。なんだっけ?
「涙。なんで泣いてるの、あたし……」
頬にはらりと零れる雫。
あれ、哀しい夢とか見てたのかな。
うーん、全然記憶にないや。あたしはグーーーっと伸びをして。漆黒の尻尾をブンブン振ってみせる。
ここは平安、いつもの水鏡さまの屋敷だ。
あたしは化け猫なんだけど、けっこうお料理や雑用も人間並みにできるんだ。だから割と待遇がいい。厚畳のある広い部屋を与えられてるの。
文机もあるしね〜。
爪とぎ用に転がっているのは、松の大木を切った「丸太」だ。あたしこれ、めっちゃ好き! たまにバリバリしては、スッキリした気分を満喫しているの。
10才で、化け猫の才能を見出したあたしは。
ある日ただの猫から「ヒトに化けること」を覚えた。
もうここ数年はずーーっと、毎日ヒトの娘の姿で生活してるんだ。慣れてしまえばなんて事はないもの。
不思議なんだけど人に変化すると「
人の目には映らないんだって。
腰まで流れる紅い髪は、見えるみたいなのに。
なんだか腑に落ちませんけどー。
他人から見たあたしは「18歳くらいの乙女姿」をしているらしい。
水鏡様が女房(身の回りの世話をする人のこと)に作らせた緋色の
それを短く切って走りやすくした特別仕様の着物を、毎日着てるんだ。前に水鏡様が「かわいい〜」って、褒めてくれたっけ。
最近は、そういえば言ってくれないな。
あの藤の花の精霊が、水鏡さまの心を奪ったからだわ。
あの妖に出逢ってから、水鏡さまはすっかり変わってしまった。
また、元の優しい水鏡さまに……戻ってくれるといいのだけれど。
……あれ? 今なんか音がした気がする。
「あの、どなたかいらっしゃいませんか?」
ふいに玄関から声がした。
そういえば、水鏡さまの父上が「今日は客人が来るからな」って言ってたっけ。確か、陰陽師の来客がなんとかしゃーん、みたいな言葉を告げて、お出かけしたような。
「はーーい」
あたしは返事をして、引き戸をガラリと開けた。
──待って。好きな顔、降臨!!!!
「
あ……ごめんなさい、恋でした。
あたしはこの刹那、ひとめ惚れしたの。
サラリと艶めく金色の髪、空色の澄んだ瞳。足なっが!
怯えるくらい足が長いですわ。
細いけれども鍛えられた体に、緋色の狩衣がよく似合ってる。
お顔のぜんぶと体のぜんぶが好き……!
え、何これどうしよう、意味わかんない。心臓の鼓動が早い……っ!
「あのさ、藤原雪人さまの屋敷ってここで大丈夫? 先日、退治してほしい藤の花の妖怪がいるって、依頼があったんですけど」
「あ、お聞きしております。陰陽師の方でいらっしゃいますか?」
「いえ、陰陽師はこちらの方です」
すり切れたむしろが敷いてある土間。
戸口の外は砂煙がまいあがり、人影が朧にみえた。
そこに──黒衣の男が立っていた。
烏帽子に、
「はいどうもーーーー! 安倍晴明です」
「安倍晴明!? あの有名な陰陽師の?」
「いかにも! 藤の花のあやかしが、この屋敷の姫君を
え、なんか思ってたんと違う。
安倍晴明って、もっと「闇を孕んで格好いい陰陽師」の印象だったのだけど。
チャキチャキに明るい人、来ちゃいましたわ。
あと、藤原雪人さまのお話だと、年齢六十って聞いていたのだけど、とてもそうは見えない。肌は淡雪のように白く、二重の大きな瞳には生命力があり、とても若々しく見えた。そうね、齢三十といった所かしら。
こんな若い姿なのに、まこと安倍晴明さまなのかしら?
うーん、ちょっと聞いてみよう。
「あの、安倍晴明ってご本人ですか? 噂では、京の都一の陰陽師って、聞いていたのですけど」
「いかにもー! 私が安倍晴明だ。そなた、化け猫の秋華殿かな?」
「え、あたしのこと知ってるんですか!?」
「無論な。
安倍晴明様が、隣に立つ唐橋千年さまに視線を移す。
金色の髪が陽に透けて、キラキラと琥珀色の輪郭を浮かび上がらせた。
紅の着物を纏うその姿は、さながら一服の絵画のようだわ。
夢のような笑みをたたえて、あたしへと瞳を向けた。
なんて、綺麗なひと──
「ええ、聞いておりますよ! 秋華殿は、化け猫のあやかしだとか。ずっと水鏡殿を守ってるんですよね?
「今も、お守りしてますよ。あ、ご案内しましょう。藤原雪人さまがお待ちです」
あたしは二人を、大広間へと案内した。
昼下がりの陽光が、御簾のすき間から美しい影をつくる。
白い几帳が左右に置かれた、一段高い畳の上。そこに、主人である雪人さまが座っていた。
紅い蝶の細工をほどこした銀の鏡。
それが雪人さまの背後で煌めいてみえる。
新しい畳の匂い。瑠璃色の香炉。雪人さまの横で、淡雪のように白い几帳が風をうけて揺らめいた。その時、瞳に暗い影をおとし、藤原雪人さまが呟いたの。
「水鏡は、夢のあやかしに恋をしているのです」
長い烏帽子に、緑青色の狩衣。口髭をたくわえ、白瑪瑙のごとき美しい直衣(のうし)を召して。
衣装はこんなに典雅で煌めいているのに、その瞳は哀しみで濁っていた。
娘の身を案じるためか、顔色は月のように蒼い。
雪人さまは、ながーーい溜息を吐くと、安倍晴明様に向き直る。
「晴明さま、どうか……わしの娘を救ってはくれませぬか?」
「無論。そのために、この屋敷に参りましたからのう〜」
ニコニコと人懐こい笑顔を浮かべて、晴明さまは返事をした。
雪人さまは意を結したように、口を開く。
「今宵、夕月夜という名のあやかしが、この屋敷を訪れましょう。銀髪美少年の姿をしていますが、その正体は『藤の花の精霊』。その妖から水鏡を守って欲しいのです……!」
あたしは無礼かなと思ったけれど、その言葉に続いた。
「晴明さま、あたしからもお願いします! 水鏡さまは、藤の花の妖に恋をしているの。恋したおなごの元へ三度現れ、三度目に連れ去ってしまうという、噂の妖ですけど。実は……!」
「今宵が、三度目の逢瀬。なのじゃな?」
先刻まで、ニコニコと笑顔を浮かべていた安倍晴明さまの瞳が、スッ……と見開いた。
ゾクっと肌が泡立つ。
この人やはり、本物の陰陽師なのだわ————
「夕月夜はな、妖怪『枕返し』のチカラを、吸収しておったようじゃ」 蛍火自慢の料理、魚の煮物をつまみながら、晴明さまがトツトツと話してくれる。 あの事件から、数日がすぎた。 「枕返しの力って、夕月夜はサトリですよね?」 「そうじゃな。どこかでサトリになってから、枕返しを食べたのであろうな」 「そっか、それで力だけを吸収したと」 「ああ。夕月夜は格別チカラの強い、サトリだったようじゃ。他の妖怪を喰らい、夕月夜の姿のまま、強化する事ができたようじゃな」 なんていうか、あたしは大変な闇の王と戦っていたらしい。 今更ながらに、あれは大物であったと理解ができたわ。 「なんか生きてて良かったです!」 「誠にのう」 こうやって皆でいつものようにお膳を囲み、おいしい料理に箸をはこんでいると、ふと千年さまがあたしの隣で笑っている気がして、まだ切なくなる。 けれどあたし、日常に帰ってきたよ。 ここは晴明神社。式神の住まう屋敷。 いつものように広い座敷に、みんな向かい合わせで膳を並べ、晴明さまも式神も、いっしょになってご飯を食べるのだ。今は朝餉の時間。 春の陽射しがまぶしく煌めき、御簾から光がこぼれてお膳を照らす。 千年さまがいた場所に、今は士道さまと、鈴丸、桔梗さまが座っている。士道さまが、汁物を啜ると目を細めてあたしへと言の葉を紡いだの。 「秋華ちゃんが、生きていて良かったよ」 「士道さま」 「千年との約束が、守れて良かった」 「そう、ですね……」 そうしている間、鈴丸と桔梗さまはミカンを奪い合っていた。きゃいきゃい騒ぎながら、楽しそうに蜜柑を二人で頬張っている。鬼童丸も、今日はゴキゲンなようだ。 ああ、そういえば日常ってこんな感じだったっけ。 あたしは魚をはぐっと頬張ると、晴明さまに聞いてみたかった事を、投げかけた。 「ねえ晴明さま、妖怪『枕返し』について、もっと詳しくお聞きしたいな」 「枕返しか。人はな、夢をみている間、魂が肉体を離れると言われておる。夢うつつの状態で枕を返されると、どうなると思う」 「ど、どうなるのですか?」 「魂が黄泉の国にいったまま、二度と帰っては来ないのじゃ」 ゴクリ、と喉が鳴る。 「それって……死を意味するのでは」 「ああ、おそらくな」 「ではあのまま。一等優しい夢の中で溺れて
「みずか……さま……」 水鏡さまの穿たれた心臓から、一匹の蝶がまた生まれる。 あたしはその緋色の蝶に手を伸ばすけれど……するりと指の間を抜けていった。 体の先から深紅の蝶になっていく水鏡さまが、夢のように微笑する。「地獄でもかまわないと、いったでしょう? 私ね、愛しい人の傍にいられるのなら、鬼にも蝶にもなれるのよ。貴方ならわかるでしょう……? 秋華……」 彼女の瞳から、ひとすじの涙がこぼれる。 涙は、やがて蝶になる。 あたしに向かって差し伸べられた掌が、はらはらと崩れて。 やがてそれは数多の蝶へと変化した。「それでも、心は……残っていたのかな」 桜色の傘、あの日の雨音が聞こえる。 ねえ、それが貴方の夢だったの……? なつかしい微笑みは、小さな無数の蝶へとかわり羽ばたいていく。彼女の体がすべて蝶になってしまうのを、どうしても止められない。「どこへ行くの?」 炎の色を秘めた蝶は、あたしを取り囲むと、あたしの体をフワリと浮かびあがらせる。「え、浮いてるっ!?」 そのまま幾千の蝶達があたしの体を乗せて、闇の向こうへ運ぼうと舞いあがった。「いかせない」 パシン……! 右手に強い力を感じる。 あたしの腕をキリリと握り、桔梗さまが引きとめた。「秋華ちゃんは私の式神だ。行かせない!」 桔梗さまの掌は、しっかりと結ばれていた。 強い強い力で、あたしは地面へと引き戻される。 タンと、うつし世の地面に足をつける。 ここは現実、あの人のいない世界……!「それでも、生きていくからね。千年……!」 大好きな、あの人を想った。 どうしようもない恋だった。 それでも全部、真剣だったよ。この世なんかいらないと思う程、誰かを愛せたこと。 もうそれだけで、十分だったから──── あたしは桔梗さまに駆け寄ると、ぎゅぅぅぅぅっと抱きしめた。もう無くしたくない絆を、確かめるように。「ありがとう」「みずか、さま……?」 その光景をみていた幾百の蝶たちが、なにかを悟ったかのようにと方向をかえた。 そうして一斉に月へと羽ばたいたいていく。 ザン……! 深紅の蝶たちが、蒼い蝶を追いかけていく。 あたしの頬をかすめて飛びゆく蝶を、もう捕まえることはしなかった。抱きしめた桔梗さまから腕をはなして、照れたようにあたしは笑みを宿した。桔梗さま
鳳凰の口から、炎の滝が一気に放出された。 「ゴオオオオォオオン」 「千年の仇、その身に業火を浴びるがいい!!」 鬼童丸の体躯から、修羅のような殺気が立ち昇っていた。 それと重なるように、地獄の豪華のような火炎が、夕月夜に向かって降りそそがれる。 「夕月夜、君を守る!」 「鈴丸!」 夕月夜をかばうように、鈴丸が両手を広げて、立ちはだかった。あたしも、何故か守ってあげたくなる。おかしいよね、あれは憎い……敵なのに! 「もういいよ、鈴丸」 「えっ」 「君は、誰より生きなきゃいけない」 そう呟くと、夕月夜は鈴丸をの背中をドン! と押して、いっしょにゴロゴロと転がった。滝のような炎は、二人から離れた場所で、ダクダクと降りそそがれる。その光景を見据えると、夕月夜は砂をはらいスルリと起き上がった。 「鈴丸、君がここに来るまで……人など滅べばいいと願っていた」 「夕月夜?」 「でも、君が生きているなら。ヒトも悪くないな」 「だけど。僕はもう、ヒトじゃないよ」 「いいや、誰よりも君は……ヒトであろう」 風がさやさやと頬を撫でる。 夕月夜に、やわらかな笑みが滲んでいた。 ああ、この優しい面差し。懐かしい感じがする。 それはかつて、あたしが雪椿だった頃に出逢った、あの夕月夜だったんだ。 「君は生きるといい。その為ならば、命を賭けたっていいや……!」 「夕月夜!」 あたしは思わず、彼の名を呼んだ。今ならば、あたしの声も届くような気がしたから。 「雪椿からの、伝言だよっ!」 「なんだって?」 「あの子は散って、幽霊になっちゃったんだ。あたし彼女に伝言を頼まれたのっ!」 「伝言って、雪椿からか」 「そうだよ、どうか……覚えててーっ!」 あたしが叫んだ刹那 天空をスーッと旋回する鳳凰が、大きく羽ばたいた。鬼童丸の殺気は、より激しい勢いをみせる。 体から瘴気のごとき金色の炎がメラメラと燃え滾り、その右手にたずさえた火神剣を、天空に高々とかかげた。そうして雄々しい咆哮をあげる。 「夕月夜、天の裁きを受けるがいい!」 鬼童丸は炎に包まれたまま、夕月夜に向かい、まっすぐに走っていく。当の傾国の美少年は、涼やかな瞳でそれを見つめていた。 もう、鬼童丸を止めることは出来ない! だったらせめて……この言葉だ
鈴丸はキリリと結んだ漆黒の髪を揺らし、その手にたずさえた刃を鬼童丸に向ける。 「お願いです、鬼童丸さん! 僕は、夕月夜を助けるために、式神になったんです!」 「なんだって」 「僕にはチカラがなかった。だから母上も戦乱に巻き込まれて、亡くしてしまった。もう、嫌なんです!」 「鈴丸、お前……っ!」 「僕はもう、大切な人を……失くしたくないんだっ!」 鈴丸の握りしめた刀が、かすかに揺れていた。 あの子、まだ十代であろうに。 人の身を捨てて、鬼へと変わるなんて──── 「この、鬼の力があれば戦える。もう一度、あの失われた長岡京を取り戻そうよ、夕月夜」 「鈴丸……っ」 「なあ、朝顔は元気?」 鈴丸が、夕月夜の前に立ちはだかると、チャキっと切先をこちらに向けて構え直した。まるで、「夕月夜の盾」となる事を決めたように。 だが、鈴丸の言葉を耳にした夕月夜は、氷のような表情を宿した。 「鈴丸。朝顔は……死んだよ」 「えっ、嘘だろ」 「誠さ。長岡京が滅ぶ少し前、大きな反乱があってな。私も命を狙われたのだ」 「そんな事が」 「朝顔は、母上に『雪椿』って新しい名をもらってね、可愛がられてたんだけど。父上と母上は討たれ。雪椿は、まるで私を庇うようにして、流れてきた矢に……射抜かれたんだ」 あわい紫の瞳から、涙の雫がシン……と流れる。 「私は、忘れられない。誰一人として、忘れてしまっても……私を、長岡京を滅ぼした人間どもを、許すことなど、出来やしない……っ!」 「そうか……、朝顔が。君の気持ち……わかった」 「鈴丸」 はらはらと、あふれる涙を拭うことも厭わずに、鈴丸はコクンと頷いた。 「君のチカラとなろう!」 夕月夜と鈴丸。二人は背中合わせとなり、あたし達にカッと、刃を向ける。 あたしは、夕月夜と暮らした事がある。 だから、二人の気持ちだって……痛いほどに理解ができたんだ! 「ごめん。できれば、殺めたくないっ!」 「小賢しい。ヒトなど、この都のためにも……滅んだ方が良いのだ!」 「うおおおおおおおおおおおおっっっっっ」 二人が共鳴するように、咆哮する! 天空では火神剣から生まれし鳳凰が、バサリと大きな羽を広げ、炎の紅玉を放とうとしていた。鬼童丸が、鳳凰とともに光に包まれていく。 「ほざくな
「何、このお守り!? 何か入ってるの?」 水鏡さまの指先から、黒煙がブスブスと立ちのぼっていた。 まるで、火傷でも負ったようだわ。 水鏡さまが、お守りに触れた部分の皮膚が、赤くなっている。この袋の中身って、ただのお守りじゃないのだろうか? なんだか、心がざわめく。 あたしはお守りの袋の中から、ちいさな一枚の板を取り出したの。 「それは石神さんの、鬼を祓う守りの札じゃな」 「晴明さま! これは夏妃って人が散る前に、千年さまに渡した……形見だったんですよ」 「夏妃か。よう、うちの神社にも出入りしておったな」 晴明さまは、いつかの記憶に想いを馳せるように、虚空を見上げた。 その瞳はどこか、憂いを帯びているように見える。 「生きてほしかったんじゃろうな。そのお守りの御神体は『玉依姫』じゃから」 「玉依姫、ですか?」 「おなごの願いを……たった一つだけ叶えてくれる、女神なんじゃよ」 女の子の願いを、たった一つだけ──── 「ああ……そっか。生きて欲しかったんだ」 まるで、あたしみたいに。 一度も逢った事のない、夏妃さんの面影。 この守り袋には、恋の『残り香』を感じたの。 あたしは、出逢ったこともない彼女に、少しだけ巡り逢えたような気がしたんだ。 「この恋のチカラ、借りるね……夏妃さん」 あたしは刀をギリッと握りなおす。 月灯りの下、水鏡さまの銀の髪が光を浴びて風にゆれた。 桜の下に佇む銀髪の少年と、紅蓮の単衣をまとう鬼の水鏡さま。現し世でありながら、二人だけは夢の住人のようで、言葉が届かない気がする。 それでもあたし、今伝えなきゃ。 永遠に届かなくなる、その前に! 「秋華ちゃん、全力で君を守ろう。俺の大っ嫌いな、千年の代わりに……!」 「士道、さま」 「どうしようもないアイツの、最後の頼みだったしね」 士道さまは笑いながら、あたしの肩をポンと叩いた。その瞳には、雫が浮かんでいたことを、あたし見逃さなかったよ。 「ありがとう。士道さまの力、借りるね……!」 心臓がじわりと温かくなっていく。 すると鬼童丸が、あたしの後方から声をかけてくれた。 「秋華、夕月夜を斬ってくれないか」 「鬼童丸」 「俺も全力で戦う、だから最後の一太刀は、秋華が頼む」 「あたしで、いいの?」 「秋華じゃなきゃ、納
「やっと、気が付いたんだね。秋華ちゃん……!」 「士道さま……?」 蘇芳色の着物に、漆黒の艶めく長い髪。 いつもの士道さまなのに、見た事ないくらい泣きそうな表情だ。 いつも陽の空気を纏っているのに、どうしたんだろう。あたしを見つめる瞳は、とてもとても辛そうで、見ていると心臓がキュッと痛んだ。 「そんな哀しい顔で、どうしたんですか?」 「哀しいに決まってるだろ! 千年がいなくなったんだよっ!」 「士道さま……っ」 あたしは、突然ギュッと抱きしめられた。 どうして、士道さまの方が震えてるんだろう。 だって、もう何も無いんでしょう。 あたしなんか、心配しなくてってもいいのにさ……っ。 「なん、で」 「哀しかったら泣いていい。もう、我慢しなくていいんだ!」 「だって、千年さまは、もう」 「そうだ。平気なフリなんか、もうしなくていいっ! 秋華ちゃん無理してただろ……っ。俺たち皆、めちゃくちゃ心配したんだから……っ!」 心配。そっか、あたし心配されてたんだ。 全然分からなかった。だってね、この世にある色彩を、全部失くしたみたいだったんだよ。 「あたし、千年さまのいない世界なんか……いらなかった……っ!」 だから夢に囚われても、良かったんだ──── 「それじゃ困るんだよ! 僕は、千年に約束したんだから……っ」 「士道さま、に?」 あたしを呪縛から解き放つように、抱きしめていた腕をゆるりと振り解いた。月の光を浴びて、漆黒の髪が蒼身を帯びて煌めく。 士道さまは、あたしの肩にそっと手を置いた。そうして、優しい瞳で言の葉を紡いだの。 「千年からの伝言だ」 「でん、ごん?」 「秋華を守ってくれって。もう、守って……あげられないからって……っ」 肩に触れた手のひらが、カタカタと震えている。 士道さま、泣いてる? あたしは眼から零れる雫に、指先でソッと触れてみたの。 「泣かないで」 「だって、僕じゃ代わりになれないから……っ! 皆、心配したんだよっ。このまま永遠に、目が醒めなかったらどうしようって、僕は……っ!」 「そっか、そうなんだ。あたしなんかを、待っててくれたんだ……」 あたしね、何もかも諦めてたんだ。 こんな世の中、終わっちゃえばいいと思ってたんだよ。全然、ダメな女じゃない? こんなのさ。 だから自ら進んで、この夢
「ここが、あの夫婦の屋敷ね」 千年さまと二人、辿り着いた屋敷は思った以上に大きくて立派だった。 「あ、鴨がいます!」 「本当だ。かわいいな〜」 大樹の幹で紡がれた荘厳な門をくぐると、風情のある和庭園に池があった。そこには鴨が二羽、仲睦まじく水の上に、ぷかぷか浮いていたのだ。 二羽はお互いの羽を毛繕いしたり、寄り添いながら泳いだりしている。ほのぼのとした光景はまるで、一服の水墨画のようであった。 「仲良しさんだ〜」 「本当だな。こころ癒されるぜ」 「こういう二人に……なりたいです」 「ああ。俺もだ……」 すると、背後に人の気配があった。
声にはじかれて、ふり向く。 安倍晴明さまを真ん中に、鬼童丸、花蓮が立ち並んでいた。 「さあ、お相手願おうか」 鬼童丸はゆっくりと、構えを見せた。 楼門の下に立つ晴明さまは風をうけ、砂煙まいあがる向こうで、静かな殺気を泡だたせる。黒衣の陰陽師たる迫力をみなぎらせ、あたし達をみるや『安心しろ』とでも言うように、強くうなづいてみせた。 「もう一つのあやかし討伐に時間がかかってしまってな。遅くなってすまない」 「鬼童丸、ありがとう!」 あたしは嬉しくて、思わず声をあげる。鬼童丸が来てくれたなら、これほど心強いことはないわ。傷を負った夕月夜なら、今夜中に倒すこともきっと可能だ。 夕月
士道さまに、お姫さま抱っこされた。 どんな甘美な囁きも、あたしには響かない。 あたしの恋はたった一つ 千年さまに向かっているから──── 「秋華、まずは花嫁を助けよう」 「はい!」 この一年、千年さまと一緒に戦ってきたんだ。苦戦した時もあったけれど、先刻は夕月夜の右腕に、はじめて一撃を当てる事ができた。たしかに手強い敵だけれど、絶望なんかしない! 「呼吸、合わせようぜ! 俺たちなら、きっと夕月夜を打破できる」 「ですね、はい!」 スウゥゥゥ……あたしは思いきり息を吸った。 ゆっくりと構えながら、背後に立つ千年さまと呼吸をあわせる。瞳を閉じて、心静かに、いつもの声を待つ。
白き霧が風を孕み、闇に溶けてゆく ゆらめく篝火の向こうで、ムラサキの瞳が妖しく揺らめいていた。 「お待たせしたね。安倍時宗どの」 「気やすく私の名を呼ぶな」 「何度でも呼ぶよ。君と、化け猫ちゃんの命をいただくまでは」 ゴッ──── あたしの頬を、炎の固まりがかすめて飛んだ。 「きゃあああああああ」 境内のあちこちで、宮司や巫女の悲鳴が聞こえる。 夕月夜がまっすぐに放った、炎の球が地面に落ちたり、榊に燃え移ったりしていた。よく見ると、白無垢に身を包んだ花嫁が、榊の木の下で座り込んでしまった。 「これは、水が必要じゃな」 晴明さまの漆黒の狩衣が







