LOGINメイナードを罠から解放する頃には、私の手はすっかり傷だらけだった。
メイナードがかかっていたのは、獣を捕まえるためのトラバサミ。田舎育ちの私は外し方を知っていたけど、それでも子供の手では難しい作業だった。 「大丈夫か……?」 私の手を取って、メイナードが今にも泣きそうな顔をしている。 「大丈夫よ」 私はその手を握り返して言った。 実際、私よりもメイナードの足の傷の方が酷い。 このまま放っておいたら、うまく歩けなくなるかもしれない。 「さあ、行きましょう」 「行く? どこに?」 「屋敷よ。傷の手当てをしなくちゃ」 「人間の……?」 メイナードは怯えたそぶりを見せる。 それも無理はないことだ。人間と狼族は、ずっと仲が悪いという設定だった。 狼族は魔法使いにとってあまりにも便利だから、人間たちはお金のために狼族を捕まえようとしたのだ。メイナードが捕まったのも、そんな人間の仕掛けた罠の一つだった。 「大丈夫よ。私の家だから、安心して」 「おまえの家……」 私の言葉に、ほんの少しだけ、メイナードの警戒心が緩んだ。 私はぎゅっとメイナードの手を握る。 手の傷が痛んだ。でも大丈夫、メイナードの方がもっと痛いはず。 「私が守るわ。誰にもあなたを傷つけさせたりしない」 「どうして……」 「放っておけなかったのよ」 最初は、ヤンデレにならなければいいって思ってただけのはずだったのに。 私はすっかり、この小さな男の子が可哀想で可愛くてたまらない気持ちになってしまっていたのだった。「お嬢様! どうなさったのですか!!」
私がメイナードを連れて戻ると、屋敷は大騒ぎになった。 私のケガ、連れているメイナード、すべてが混乱の材料だった。 ひっくり返されたボールみたいに右往左往する使用人たち。さすがにお父様も出てきた。 「シェリル! これは何の騒ぎなんだい……!」 いつもはおっとりとしていて、穏やかなはずのお父様もさすがに目を丸くしていた。 私はごまかし笑いをしながら、できるだけ可愛く見えるようにお父様を見上げた。 「この子、ケガをしていたの。だから連れて帰ってきちゃった……」 「おお、可愛いシェリル。だが、お前もケガをしているじゃないか」 お父様が私の前に膝をつく。 私はお父様の前にメイナードを差し出した。 「私のケガより、この子よ。この子のほうが重傷だわ」 「なんてことだ!」 メイナードの足を見て、お父様がこの世の終わりみたいな声を上げた。 「お前たち! 早く医者を呼ぶんだ! 温かい湯と清潔な布も持ってきなさい!」 「は、はいっ!」 お父様に言われて、ボールのように転がっていた使用人たちが慌てて駆け出す。 ――ああ、家に連れてきて良かった。 小説の設定では、シェリルの父親は優しい穏やかな人だったから……。だからこそ、シェリルが逆ハーレム状態になっても、ヒーローたちに押し切られてしまっていたんだけど。 今は、その優しさがありがたい。「ワォーーーーーーーーーーーーーン!」
だが、ホッとしたのもつかの間。
遠くから、狼たちの遠吠えが聞こえてきた。 「大変です! 狼族が屋敷を取り囲んでいます!!」 騎士が走ってきて告げた。 「狼族が……!?」 まさか、私がメイナードを連れて帰ってきちゃったから? 攫われたと思って取り返しに来たんじゃない……!? 私、助けたつもりだったのに……! 「みんなが来てる……」 メイナードの顔から血の気が引いた。 「おれを……迎えに来たんだ」 私も、こんな事態になるとは思っていなかった。どうしたらいいか分からずに立ち尽くす私の前で、お父様と騎士が深刻な顔で状況の話を続けていた。 ――私の「推しを助けたい」という軽い思いつきは、人間と狼族の争いにまで発展しようとしていた。「次は君たち自身の罪について、詳しく聞かせてもらおう」 エドワード公爵様の言葉に、マルコとベアトリスは揃って青ざめた。「ま、待ってください!」 先に声を上げたのはベアトリスだった。「確かに、寄付された品を売ったことは認めます!」「ですが、すべて私たちが使ったわけではございません!」「では、何に使った?」「孤児院の維持費です!」 必死に訴える。「建物の修繕にもお金が必要ですし、薪も買わなければなりません。子どもが三十六人もいれば、いくらあっても足りないのです!」 私は思わず黙り込んだ。 それだけを聞けば、少しだけ分かる気もする。 孤児院を維持するのにお金が必要なのは当然だ。 でも――。「ならば」 ヴィクター殿下が口を開く。「なぜ寄付金の額を書き換えた?」「……っ」 ベアトリスが言葉を失う。「必要な支出なら、帳簿に記せばいい」「隠す必要はない」「それは……」 何も答えられない。 エドワード公爵様は騎士へ視線を向けられた。「引き続き帳簿を調べろ。孤児院の職員からも一人ずつ話を聞きなさい」「はっ」「売却先の商人についてもだ」 騎士が一礼する。 これで終わりではない。 むしろ、ここからが本当の調査なのだろう。 私たちが今日一日見ただけでは、何年も続いていたことのすべてなんて分かるはずがない。◇◇◇「それから」 エドワード公爵様がベアトリスへ向き直る。「子どもたちは、当面こちらで保護する」「えっ?」 ベアトリスが顔を上げる。「そんな! この孤児院はどうなるのです!」「それを今、君が心配する必要はない」 きっぱりとした言葉だった。「少なくとも、調査が終わるまで君たちに子どもを預けることはできない」 ベアトリスは何か言おうとしたけれど、騎士に促されて黙り込んだ。 私は食堂へ目を向けた。 子どもたちはまだ、温かい食事を少しずつ口にしている。 事情なんて何も分かっていないのだろう。 ただ、今日はご飯がある。 それだけで嬉しそうにしている子もいる。 その姿を見ていると、また胸が苦しくなった。「……シェリル」 隣から声がする。 メイナードだった。「大丈夫?」「うん」 私は頷いた。「ちょっと、悲しくなっただけ」 するとメイナードはしばらく私を見つめたあと、小さく呟いた。「シェリル
本当に裁かれるべきなのは、ミアだったのだろうか。 その答えは、もう分かっている気がした。「ヴィクター皇太子殿下」 私は隣に立つヴィクター殿下を見上げる。「昨日のお話を、覚えていらっしゃいますか?」「ああ」 ヴィクター殿下は短く答えた。「盗みの罰についてだろう」「はい」 私は頷く。 昨日、ヴィクター殿下はおっしゃった。 厳しい罰があるからこそ、人は罪を思いとどまるのだと。 その考え方が間違っているとは、今でも思わない。 でも。「ミアは、罰が怖くなかったのでしょうか」「……何?」「盗みをすれば、手を切り落とされる」「きっと、ミアも知っていたと思います」 家庭教師から教わるような難しい法律を知らなくても、大人たちが何度も口にする罰なら、子どもだって知っているだろう。「それでも、ミアは薬草園へ来ました」 ヴィクター殿下が黙り込む。「厳しい罰があっても、命令された子どもには盗みをやめることができなかった」 私はマルコを見る。 男は俯いたままだ。「だったら……」 少しだけ迷ってから、言葉を続ける。「罰を重くするだけでは、こういう盗みはなくならないのではないでしょうか」 部屋が静まり返った。◇◇◇ ヴィクター殿下はすぐには答えなかった。 十歳の少年とは思えないほど真剣な表情で、何かを考えている。 やがて、マルコへ視線を向けた。「お前は、自分で盗みに行かなかった」「……はい」「なぜだ」 マルコは答えない。「捕まれば、自分の手を失うからか」「……」 沈黙。
マルコが燃やそうとしていた書類は、孤児院の応接室へ運び込まれた。 端が焦げてしまったものもあるけれど、ほとんどはまだ読むことができる。「これは……」 エドワード公爵様が一枚ずつ確認される。 私たちも少し離れたところから、その様子を見守っていた。「寄付の記録ですね」 騎士が答える。「先ほど確認した帳簿とは、金額が違います」「どのくらい?」 ヴィクター殿下が尋ねる。「こちらが本物であれば、帳簿に記載されている額の倍近くございます」「倍……」 思わず声が漏れた。 つまり。 もらったお金を、最初から少なく書いていたということ? それだけじゃない。 子どもたちへ贈られた食料や日用品まで売っていた。「随分長く続けていたようだな」 ヴィクター殿下の声が低くなる。「はい。残っているものだけでも、数年分ございます」 私は言葉を失った。 数年。 あの子たちは、そんなに長い間――。◇◇◇「マルコを連れてこい」 エドワード公爵様が命じられる。 しばらくすると、両脇を騎士に挟まれたマルコが入ってきた。 昨日とはまるで別人のようだった。 顔は青ざめ、額には汗が浮かんでいる。「これは君が燃やそうとしていたそうだな」 エドワード公爵様が焦げた紙を見せる。「……」「なぜ燃やした?」「……知りません」「知らない?」「俺は……院長に言われただけです」 その言葉に、ベアトリスが勢いよく顔を上げた。「嘘をつかないで!」「あなたが勝手にやったことでしょう!」
「血の匂いがする」 メイナードの一言で、地下室の空気が凍り付いた。「血?」 私は思わず聞き返す。「うん」 メイナードは棚の向こうを見つめたまま頷いた。「古いのと、新しいの」 エドワード公爵様の表情が険しくなる。「確認しろ」「はっ」 騎士たちが棚の奥へ向かう。 私も後を追おうとしたけれど、メイナードに腕を掴まれた。「シェリルはここ」「でも……」「何があるか分からない」 そう言われてしまうと、何も返せない。 私はその場に残り、騎士たちの背中を見つめた。 やがて。「公爵様」 低い声が聞こえた。「こちらへ」 エドワード公爵様とヴィクター殿下が奥へ向かう。 少しして、エドワード公爵様の声が響いた。「……これは何だ」 今まで聞いたことのないほど冷たい声だった。◇◇◇「ベアトリス」 呼ばれた院長の顔が真っ青になる。「来なさい」「……」「聞こえなかったか」「は、はい……」 ベアトリスは震えながら奥へ歩いていく。 私も気になって仕方がなかった。「メイナード」「だめ」「まだ何も言ってないよ」「行きたいって顔してる」「……」 どうやら全部分かってしまうらしい。 そのとき、奥からヴィクター殿下が戻ってきた。「シェリル」「はい」「来ない方がいい」 ヴィクター殿下までそう言う。 いったい何があるのだろう。 不安になっていると、騎
「地下へ続く階段が見つかりました」「地下?」「はい。しかし、扉に鍵が掛かっております」 私は思わず孤児院を振り返った。 まだ何か隠されているの……?「案内しろ」 エドワード公爵様の声に、ベアトリスが青ざめる。「お待ちください!」 今度は隠そうともしなかった。「地下には何もございません!」「ならば、見られて困ることもないだろう」「ですが――」「鍵を」 短い言葉だった。 ベアトリスは動かない。 エドワード公爵様の表情が変わる。「ベアトリス」「二度は言わない」「……っ」 とうとうベアトリスは震える手で鍵束を差し出した。 騎士がそれを受け取り、私たちは孤児院の中へ戻った。◇◇◇ 地下へ続く階段は、厨房の奥にあった。 狭い階段を下りていくと、ひんやりとした空気が肌に触れる。 先頭を歩く騎士がランプを掲げた。 その先には、頑丈そうな扉がある。 何度か鍵を試し、やがて。 カチャリ。 重い音を立てて鍵が開いた。「開けます」 騎士がゆっくりと扉を押す。 中を照らした瞬間、私は目を見開いた。「……薬草?」 棚いっぱいに、乾燥させた薬草が並べられていた。 一束や二束じゃない。 木箱にも大量に詰め込まれている。 サイラスがすぐに棚へ近付いた。「これ」 一つを手に取る。「昨日のと同じ」「ミアが持っていたもの?」「うん」 私は息をのんだ。 薬草園から盗まれたものと同じ薬草が、どうしてここにこんなにあるの?「購入した
「関係がないのなら」 エドワード公爵様が静かにベアトリスを見る。「なぜ、君が止める?」「それは……」 ベアトリスは口を開いたまま、何も答えられなかった。「確認すれば分かることだ」 エドワード公爵様が騎士へ視線を向ける。「行こう」「はっ」 私たちも公爵様のあとを追い、孤児院の裏手へ向かった。 そこには、一台の荷車が止められていた。 荷台には、大きな木箱がいくつも積まれている。 御者台に座っていた男は、騎士たちに囲まれて青ざめていた。「開けろ」 エドワード公爵様の命令を受け、騎士が木箱の蓋を外す。 中に入っていたのは――。「食べ物……?」 私は思わず呟いた。 小麦。 豆。 干した肉。 ほかの箱には、石鹸や布まで入っている。 どれも孤児院で必要になりそうなものばかりだった。「これは何だ」 エドワード公爵様がベアトリスへ尋ねる。「そ、それは……」「古くなったものを処分するために……」「これが?」 ヴィクター殿下が小麦の袋を見る。 どう見ても腐ってはいない。 布も汚れておらず、まだ十分に使えそうだった。「どこへ運ぶつもりだった」「……」 ベアトリスは答えない。 代わりに、荷車の男が慌てて頭を下げた。「わ、私は頼まれて運んでいるだけです!」「どこへ?」 エドワード公爵様が尋ねる。「町の商人のところです!」「いつも孤児院から品物を受け取って、代金を――」「黙りなさい!」 ベアトリスの鋭い声が響







