LOGIN翠の目が、一瞬で冷たくなった。「じゃあ、私を警察に突き出すってわけ?」「自分の犯した間違いには、自分で責任をとるべきだ」純一は心を決めた。スマホを取り出して警察に電話しようとする。でも、翠は笑い、突然さっきの犯人たちが現れた。木のバットが、純一の頭に振り下ろされた。翠は笑いながら言った。「チャンスはあげたのに、あなたがそれを無駄にしたのよ。私、美羽を殺した時、目をパチクリすることも無かったわ。彼女はずっと私に命ごいしてたのよ」純一は血の海に倒れながら、あの狂った女が逃げる相談をしているのを見ていた。彼は必死にもがいていた。本当に、愚かな人。私は宙に浮かびながら、苦しみもだえる純一の姿を見て、なんだか笑えてきた。たしかに私も愚かだった。翠を警戒しなかったんだから。でも、純一はもっと愚かじゃない?相手が殺人犯だと知ってるのに、わざわざ殺されに来るなんて。本当に笑える。私はそこにしゃがんで、純一が苦しむ様子を眺めていた。彼は手を伸ばして這い出そうとするけど、もうどうにもできなかった。幸い、純一の部下である健二がこの件を把握していて、警察が駆けつけた時にはまだ間に合った。純一は死なずに済んだのだ。翠は、その場で取り押さえられた。まったく、純一のそばに賢い人がいてくれてよかった。健二はため息をついた。「田村さん、どうしてそこまで人間を信じようとするんですか。奥さんのご遺体を見つけた時から、もっと用心するべきだったんですよ」健二が言うには、あんな残酷なことができる相手は、人間らしい心なんて持っていない。ほんの少しの愛情で、そんな相手が改心するなんてありえない、と。純一は何も言わなかった。ただ病院のベッドに横たわって、口の中で、「ごめん、美羽」と呟くだけだった。私の両親が、樹を連れてお見舞いに来た。母は泣き崩れていた。「人殺しを娘みたいにかわいがってたなんて……美羽は天国で、きっと私にがっかりしてるわ」「パパ、ごめん」樹は、自分が間違っていたと謝った。純一はうつろに天井を指さした。「お前が謝る相手は、ママだろう」みんなが今さら反省している姿を、私は絶望的な気持ちで見ていた。樹を身ごもっていた時のつらい日々も乗り越えてきたのに。自分の産んだ子だから、きっと私を大事にしてくれると信じていた。それな
「助けて……純一。あなたの子どもを、妊娠してるの」その言葉を聞いた純一の顔は、血の気が引いて、すごくこわばっていた。そばにいた拉致の犯人が冷たく鼻で笑った。「さっさと金を出せ。さもないと、お前の女と腹の中の子どもは、もうおしまいだ」ここへ来る前、純一は私にけじめをつけると言っていた。でもこの瞬間、彼は迷って、動揺した。翠のお腹には、彼の子どもがいるんだ。純一はお金を犯人たちに渡し、翠を傷つけないように頼んだ。犯人たちは金を受け取ると、倉庫に火をつけた。そして、純一をあざ笑う声が聞こえてきた。「まったく、バカな男だよな。自分からわざわざ金を持ってくるんだから。でも、あの女の言った通りだ。もっとふっかけておけばよかったぜ」純一に助け出された翠は、彼に抱きつこうとした。でも、純一はさっと身をかわした。「私、純一との赤ちゃんができたのよ、うれしくないの?」「俺に、何か打ち明けることはないのか?」純一はタバコに火をつけて、冷たい表情でそう言った。彼は翠に何度もチャンスをあげていた。真相を知ってからも、すぐには警察に通報しなかったんだ。純一が私に対して抱いているという罪悪感なんて、いったいどれだけが本物だったんだろう。翠は何か言いかけて、口をつぐんだ。彼女の目はみるみるうちに潤んで、ふるふると首を横に振った。「あなたが何を言ってるのか、わからないわ」純一はあの箱を取り出した。中には、変形した指輪が入っている。「美羽を殺したのは、お前なんだろ?」「違う、私じゃない」翠の顔は真っ青だった。いつかこの日が来るとは思っていた。でも、まさかこんなに早いなんて。あの指輪、残しておくんじゃなかった、と彼女は後悔した。「言い訳はもういい。あの洞窟でお前の痕跡も見つかってる。認めないのはわかってるけど、どうして美羽を殺したんだ?」翠は泣きじゃくりながら、突然その場にひざまずいた。彼女はきっと、この何年もずっと、純一にばれる場面を頭の中で何度も繰り返してきたんだろう。じゃなきゃ、あんなにすぐ言い訳が出てくるはずがない。「目が覚めたら、彼女がもう目の前にいて、手を出そうとしてきたんだ!私は自分の身を守っただけよ」翠は嘘をついた。私が彼女を殺そうとして、返り討ちにあったんだって。そういうことにしたんだ。純一は目
母は、たぶんネットの過激な人たちが、私の事件のせいでこんなことをしたんじゃないかって言っていた。正直、笑っちゃう。ネットの人たちなんて私とは赤の他人なんだから。せいぜいネットに書きこんで憂さ晴らしするくらいで、現実にこんなことするわけないのに。母は心配でたまらないみたいだったけど、純一は何も言わなかった。ただ、母に樹を連れて帰るよう促した。「俺が必ず翠を無事に連れて帰る」「ええ……」母は泣きながら言った。「もう娘を一人失ってるの。だから、翠だけは、絶対に連れ帰ってきて……」「ああ」母たちが帰った後、純一はすぐには犯人が指定した場所へ行かなかった。彼は家の中を、しばらく探し回っていた。本当は、純一にその気さえあれば、気づくのは難しくなかったはず。翠が助け出されてからの一年間、彼女の行動はおかしなことばかりだったんだから。翠はお肉を食べなかったし、見るとひどくおびえていた。それは、雪山でのトラウマのせいだった。彼女は、私を殺して生き延びたんだから。それから、翠がずっと大切に隠していた箱を、純一は部屋の隅っこから苦労して見つけ出した。彼はその箱をこじ開けた。そしてすぐに、変形した指輪を見つけたんだ。昔、プロポーズしてくれた時に彼が作ってくれた指輪……実は、私の指にはあんまり合ってなかったんだけどね。私は子供のころから純一に片思いしてたけど、言い出せなかった。だって彼は、ガリ勉は嫌いで、翠みたいに明るくて積極的な子が好きだって言っていたから。翠は男の子たちみんなと仲が良くて、純一ともそうだった。二人は一緒に泊まったり、同じプリンを分け合ったり、一つのドリンクを回し飲みしたりできるくらいだった。でも翠はいつも純一をぞんざいに扱っていた。「クールで強引なタイプは嫌いなの」って言って。彼女の好みは、草食系かと思いきや、急に肉食系に変わるような男性だった。ある日、二人の部屋の前を通りかかったら、純一が翠にこう言っていた。「試してみなきゃわからないだろ。俺だってお前のタイプになれるかもしれないのに」翠は彼を突き放して、甘えた声で笑った。「美羽さんが起きちゃうでしょ。またヤキモチ妬かれちゃうよ」あの時、純一は「冗談だよ」って言った。過去の出来事が一つ一つ、頭の中でどんどん鮮明になっていく。純一に告白
母は、私が死んだあとも、こんなふうにネットで色々書かれるのが可哀想だって言っていた。もともと純一が私たちのことをおおっぴらにしていたせいで、ネットでは彼を不倫男だと叩き、翠もその相手としてさんざん悪く言われていた。なかには、翠が私を殺した犯人なんじゃないかと疑う人までいた。だから母は、もうこの話を終わりにしよう、と言った。「ネットであんなに翠が叩かれてるのを見ると、私も胸が痛むの。みんな可哀想な子よ。美羽はもういない。これ以上、翠まで失うわけにはいかない」さすが、私の「やさしい」母だね。私は誰かに殺されたのよ。真犯人を探すこともしないで、現実から逃げてどうするの?すると、そばにいた翠は首を横に振った。「いいえ、美羽さんは殺されたんですから。絶対に彼女の為に真犯人を見つけなければなりません」「でも、ネットであなたがあんなにひどいこと言われて……家に嫌がらせに来る人もいるじゃない。何されるか心配で……」「大丈夫です」翠は首を横に振って、そんなことは気にしていないと言った。これを聞いて、両親はますます彼女を不憫に思った。両親は、結婚式は予定通り行うと言った。死んだ者は安らかに眠らせて、生きている者は前に進まないと、って。母は言い聞かせるように言った。「樹くんのためにも、ちゃんとした幸せな家庭が大事なのよ」目の前の光景に、私は言葉を失った。自分の娘のことも少しは見てよ。あんなに無残な姿で見つかったのに、なんとも思わないの?両親はずっと泣いていて、もう二度と誰かを失う痛みは味わいたくない、と言った。なにそれ。まさか、翠が死ぬとでも言うの?そんなに翠が傷つくのが怖いの?私はふと、純一と喧嘩した時のことを思い出した。彼と翠の怪しい関係が気になって仕方がなかった。純一は私を無視し続け、妊婦健診にだって一人で行かせた。私は実家に帰って、そのことを両親に話した。母はいつも「我慢して」って。結婚生活なんて、嫌なことがあって当たり前だって言ってた。純一みたいな人に見初められたんだから幸運だって。お金さえ握っていればいいのよ、とも。それに、別に浮気されたわけでもないでしょう、って言った。私は何度も離婚したいと思った。でも、そのたびに母から「樹くんのために、もう少しだけ我慢して」って止められた。そして、その我慢
翠の目から、一瞬で涙があふれ出た。「遺体が見つかるまでは、まだ希望があった。でも、もう……」彼女は声を詰まらせた。「誰かに助けられて、一生見つからなくてもいいから、世界のどこかで生きていてほしかった」と、翠は言った。「目が覚めた時、美羽はそばにいなかったのか?」純一が尋ねた。翠は立ち上がる。「ええ、あなたもいなかったわ。私が目を覚ました時、周りは亡くなった人たちばかりだったもの」翠は頭を抱えて、とても苦しそうにしている。でも、純一は彼女を慰めようと近づかなかった。代わりに、私の息子の樹がしゃがみこんで、優しく翠をなだめる。「翠姉ちゃん、もう終わったことだよ。考えすぎちゃだめ。ママが死んだのは事故なんだから、自分を責めないで。パパ、翠姉ちゃんがすごくつらそうだよ。こっちに来て、なぐさめてあげてよ」樹は本当に「やさしい子」だ。翠のために、純一を呼んであげようとしている。でも、今夜の純一はなんだか変だった。テーブルに並んだ料理に、一口も手をつけなかった。翠は樹を抱きしめて言った。「大丈夫よ。あなたのパパがつらいのも当たり前だわ。だって、死んだのは彼の妻だったんだもの」「うん、わかってる。僕のママでもあるから」樹は、彼が死ときちんと向き合えるから、純一にも早く立ち直ってほしいと言った。まったく、なんて「いい子」なんでしょうね。こんな時だっていうのに、必死に翠を慰めるなんて。完全にあっちの味方じゃないか。その夜、純一は泊まらずに、また職場へ戻っていった。数々の罪悪感に苛まれ、翠は眠りにつけなかった。彼女は鏡の中の自分をじっと見つめた。「もう死んだくせに、どうしていつまでもつきまとうの!このクソ女、なんでまた現れるのよ!」翠の思惑では、私が白骨化するまで待つつもりだったのでしょ。そうなれば、たとえ見つかっても、誰も不審に思わないはずだから。でも、たった一年で、私は見つかってしまった。そして、雪山に隠されていた秘密も、一緒に掘り起こされた。その夜はひどい雨だった。翠は傘をさして純一を職場に探しに行ったが、見つからなかった。彼女は狂ったように何度も純一に電話をかけた。そして二人の家に戻ると、純一がずぶ濡れでリビングに座っていた。純一は、ドアのほうから聞こえてくる物音に気づいた。翠が純一
私は純一の目の前までふわっと浮かんで、彼の表情をたしかめようとした。私が死んで、さぞかし安心してることでしょうね。だって、もう私は二度と帰ってこられないんだから。これで心おきなく、翠と一緒にいられるんだもんね。「どうしたの、純一?仕事のことなの?」翠の声は、相変わらずやさしかった。でも、今の純一はどこかおかしかった。彼はうなずいて、「ああ、ちょっと用事ができた。誰かに送らせるから、先に帰っててくれ」と言った。「わかったわ。じゃあ、気をつけてね」翠はそう言うと、純一にキスをしようとしたけど、彼はさっと身をかわした。翠の顔が曇り、その表情は険しかった。私が純一について彼の職場に戻ると、彼は感情が爆発寸前みたいで、健二の前に歩み寄った。「報告書はどこだ!」と、純一はヒステリックに叫んだ。まるで一番大事な人を亡くしたかのようだった。でも、私にはわかる。純一は私のことなんて何とも思ってない。ただ世間に向けて、愛情深い夫を演じているだけ。純一は報告書を握りつぶさんばかりに睨みつけた。その時、健二が口を開いた。「すでに事件として捜査を開始しています。現場をもう一度しらみつぶしに調べたところ、警察は、他の生存者による犯行の可能性が高いと見ています」純一の声は、ひどく震えていた。「なんで、美羽なんだ?」純一は絶望したように泣き叫ぶ。健二はそんな彼の横で、遺体から肉が二切れなくなっていたのは、誰かが意図的に切り取ったからだと、冷静に告げていた。「あの状況で生き延びるには、人間性を捨てるしかなかったのかもしれません」健二の言葉が何を指しているのかは明らかだった。純一は、握りしめていた拳を再びゆるめた。「じゃあ、右手の薬指がないのは?これにはどんな意図がある?」純一はまた遺体のそばまで歩み寄り、変わり果てた姿のおそろしい形相になった私を見つめた。彼は膝から崩れ落ちそうになった。ぽろぽろと涙を流し、低い声でつぶやく。「美羽、すごく痛かっただろう」純一はただの事故だと思っていたのに、私が誰かに殺されたと知って衝撃を受けていた。「安心してくれ。必ず犯人を見つけて、お前のかたきを討つから」偽善ぶるのはもうやめてよ、純一。こうして私の遺体が見つかって、死亡が確定した。これであなたもようやく、心おきなく翠と結婚でき