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一万メートルの空に囚われた愛

一万メートルの空に囚われた愛

作家:  道草の旅人完了
言語: Japanese
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飛行機事故の時、夫の田村純一(たむら じゅんいち)は彼の幼馴染の大野翠(おおの みどり)と指をからめあっていた。 来世こそ夫婦になろう、と。そう誓い合って、二人は一緒に死のうとしていた。 飛行機は雪山に墜落して、私と翠は同じ場所に投げ出された。でも彼女は、私を殴って気絶させると、私の体から肉をえぐり取った。 私の肉を食べて、翠は雪山で生き延びた。そして私の死体を隠して、顔もぐちゃぐちゃにしたんだ。 その後、純一と翠は恋人になった。そして翠は、私の息子・田村樹(たむら いつき)の継母になり、私の両親にも実の娘同然に扱われ、私の全てを奪っていった。 一年後、私の遺体が発見された。それを解剖したのは、なんと夫の純一だった。でも彼は、それが私だとは最後まで気づかなかった。

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第1話

第1話

飛行機事故の時、夫の田村純一(たむら じゅんいち)は彼の幼馴染の大野翠(おおの みどり)と指をからめあっていた。

来世こそ夫婦になろう、と。そう誓い合って、二人は一緒に死のうとしていた。

飛行機は雪山に墜落して、私と翠は同じ場所に投げ出された。でも彼女は、私を殴って気絶させると、私の体から肉をえぐり取った。

私の肉を食べて、翠は雪山で生き延びた。そして私の死体を隠して、顔もぐちゃぐちゃにしたんだ。

その後、純一と翠は恋人になった。そして翠は、私の息子・田村樹(たむら いつき)の継母になり、私の両親にも実の娘同然に扱われ、私の全てを奪っていった。

一年後、私の遺体が発見された。それを解剖したのは、なんと夫の純一だった。でも彼は、それが私だとは最後まで気づかなかった。

私の遺体が見つかった時、そのあまりのひどさに、救助隊員たちは何人もトラウマになってしまったそうだ。

顔中が切り傷だらけで、元の顔なんて分からない。骨がのぞいているところもあった。夫の純一が現場に来たとき、周りの人たちはまた吐き始めた。

「田村さん、遺体は洞窟で見つかりました。事故の犠牲者じゃないかもしれません。誰かに殺されたハイカーみたいです」

純一の部下である山下健二(やました けんじ)の話では、遺体が見つかった場所は飛行ルートから外れているとのことだった。

普通ならあんな場所まで飛ばされるはずはない。自分で歩いた可能性もあるが、遺体の痕跡はどれも、私が誰かに殺されたことを示していた。

今日をもって、あの飛行機事故から丸一年が経った。純一は遺体の前で眉をひそめ、体をぶるぶると震わせていた。

「田村さん、ここは私たちに任せてください。田村さんもあの事故に遭われたんですから……これはあんまりにも酷いですよ」

「平気だ」純一は無理に自分を落ち着かせた。プロとして、情に流される姿を見せたくなかった。

しかし、そばにいた健二はぽつりと言った。「まだ28人も見つかってないんですよね。奥さんも、行方不明のままですし……」

「しっ」

純一は、私のことを話すのを許さなかった。私は純一のそばに漂いながら、彼が遺体を調べていくのをじっと見ていた。

私の服は、とっくに純一の幼馴染である翠にはぎ取られていたので、お腹にぽっかりとあいた二つの穴が、ひどく目立っていた。

「二か所、明らかにお肉がえぐり取られています。田村さん……切り口がすごく綺麗で、誰かがわざとやったんですよね」

「ああ」純一はさすがプロだ。細かいところも見逃さない。「右手の薬指が潰されてる。何か目的があったんだろうな。恨みによる犯行か」

翠は私を殺した後、結婚指輪を奪おうとした。でも抜けなかったから、逆ギレして尖った石で私の手を叩き潰した。

「あなたは純一とつり合わない!」って言いながら、彼女は私の指輪を盗んだ。

純一の視線が、遺体の手の甲に落ちる。そこにはハート形のあざがある。あと少し、裏側まで見てくれさえすれば、彼も気づくはずだった。

この遺体は、私なんだって。

でも、純一はその大事なことを見逃した。彼が傷だらけの顔をもう一度見ている。すると、健二は口を挟んだ。「墜落したとき、顔から落ちて木や石でこんなになった、とか……」

「いや、切り口が綺麗すぎる」純一はそう言うと、「まずDNA鑑定だ。事故の犠牲者のデータと比べてみてくれ」と指示を出した。

彼らが話していると、ドアの外から別の部下が入ってきた。

「田村さん、大野さんが外でお待ちです。あの事故のショックから立ち直れていないんじゃないかって心配で、わざわざ来てくれたそうですよ」

私の魂も純一の後について外に出る。彼は慌てたように、なんでも翠に報告するな、と部下を叱っている。

純一が部屋を出てすぐ、翠が彼の胸に飛び込んできた。「お仕事の邪魔しちゃいけないって分かってる。でも、雪山で遺体が見つかったって聞いて、もしかして美羽さんなんじゃ……」

「考えすぎだよ。また夜、うなされるぞ」純一は翠を優しくなだめていた。

……

飛行機が激しく揺れて、泣き声と悲鳴が飛び交っていたあの時のことが、今も忘れられない。もうだめだ、死ぬんだって、分かっていた。

なのに純一は、翠の手を固く握っていた。指を絡ませて、死を目の前にして、お互いの本当の気持ちに気づいたみたいだった。

純一が彼女をなだめる声が聞こえた。「怖がらなくていい。翠、俺がそばにいるから。

お前と一緒なら、死ぬのだって怖くない」
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第1話
飛行機事故の時、夫の田村純一(たむら じゅんいち)は彼の幼馴染の大野翠(おおの みどり)と指をからめあっていた。来世こそ夫婦になろう、と。そう誓い合って、二人は一緒に死のうとしていた。飛行機は雪山に墜落して、私と翠は同じ場所に投げ出された。でも彼女は、私を殴って気絶させると、私の体から肉をえぐり取った。私の肉を食べて、翠は雪山で生き延びた。そして私の死体を隠して、顔もぐちゃぐちゃにしたんだ。その後、純一と翠は恋人になった。そして翠は、私の息子・田村樹(たむら いつき)の継母になり、私の両親にも実の娘同然に扱われ、私の全てを奪っていった。一年後、私の遺体が発見された。それを解剖したのは、なんと夫の純一だった。でも彼は、それが私だとは最後まで気づかなかった。私の遺体が見つかった時、そのあまりのひどさに、救助隊員たちは何人もトラウマになってしまったそうだ。顔中が切り傷だらけで、元の顔なんて分からない。骨がのぞいているところもあった。夫の純一が現場に来たとき、周りの人たちはまた吐き始めた。「田村さん、遺体は洞窟で見つかりました。事故の犠牲者じゃないかもしれません。誰かに殺されたハイカーみたいです」純一の部下である山下健二(やました けんじ)の話では、遺体が見つかった場所は飛行ルートから外れているとのことだった。普通ならあんな場所まで飛ばされるはずはない。自分で歩いた可能性もあるが、遺体の痕跡はどれも、私が誰かに殺されたことを示していた。今日をもって、あの飛行機事故から丸一年が経った。純一は遺体の前で眉をひそめ、体をぶるぶると震わせていた。「田村さん、ここは私たちに任せてください。田村さんもあの事故に遭われたんですから……これはあんまりにも酷いですよ」「平気だ」純一は無理に自分を落ち着かせた。プロとして、情に流される姿を見せたくなかった。しかし、そばにいた健二はぽつりと言った。「まだ28人も見つかってないんですよね。奥さんも、行方不明のままですし……」「しっ」純一は、私のことを話すのを許さなかった。私は純一のそばに漂いながら、彼が遺体を調べていくのをじっと見ていた。私の服は、とっくに純一の幼馴染である翠にはぎ取られていたので、お腹にぽっかりとあいた二つの穴が、ひどく目立っていた。「二か所、明らかにお肉がえ
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第2話
ハッと我に返ると、純一が車を買い替えていることに気づいた。車の中は翠の好きなぬいぐるみだらけで、助手席には【翠専用】と書かれたステッカーまで貼ってある。「樹を迎えに行こう。もうすぐお迎えの時間でしょ」「うん」純一は翠に優しくシートベルトをつけてあげて、頭をなでた。もう何も考えなくていいよ、とでも言うように。二人は運転している時でさえ、手を握り合っている。昔、私が信号待ちの時に手をつないで写真を撮ろうとしたら、純一にひどく怒られたのを思い出した。「危ないだろ!事故にでもなったらどうするんだ!」って。胸がずきりと痛んだ。車が停まると、息子である樹がこっちに走ってくるのが見えた。私は手を伸ばし、愛しい我が子を抱きしめようとした。でも樹は私をすり抜けて、翠の胸に飛び込んでいった。「パパじゃやだ!翠姉ちゃんに抱っこしてほしい!」樹は、翠にものすごく懐いていた。翠は樹の鼻を優しくつついて、「学校で、先生のお話ちゃんと聞いた?」と尋ねた。私は息が詰まりそうだった。私を死に追いやった人殺しに、私の息子まで奪われてしまった。今すぐ翠に飛びかかって、八つ裂きにしてやりたい衝動に駆られた。でも、私にはもうどうすることもできなかった。樹は翠の肩に甘えるように寄りかかると、こくりと頷いた。「うん、それにね、先生に褒められたよ。僕はこんないい子にしてるから、翠姉ちゃんは、いつ僕のママになってくれるの?」私は衝撃を受けた。この子が、翠に母親になってほしいって?本当に気が狂いそうだった。私を死に追いやったこの女が、純一を奪い、今度は樹まで奪おうとしている。なんて皮肉なの。「パパもがんばらないと、翠姉ちゃんは誰かにとられちゃうよ」死んでまだ一年しか経っていないのに。周りの人はもう私のことをすっかり忘れてしまったの?三人は笑いながら、私の実家へ帰っていった。明日は週末だから、純一は樹を私の両親に預けるつもりらしい。父が樹を遊びに連れて行ってくれた後、母が真剣な顔で純一に向き直った。「またご遺体が見つかったって聞いたけど、美羽じゃなかったの?」母が尋ねると、純一は翠を気遣うようにちらりと見て、静かに首を振った。あれは美羽のはずがない、どうやら事故で亡くなったハイカーのようだ、と純一は言った。母はため息をついた。「
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第3話
純一は私の両親の家に行ったその日の夜、翠にプロポーズした。何万人もいるコンサートで、彼はゲストとしてステージに招かれ、カメラに向けて翠への愛を宣言した。私は、幸せそうにキスを交わす二人を、ただ見つめていた。私の魂まで、きりきりと痛みだした。そうか、これが純一が人を本気で愛するときの姿なんだ。情熱的で、気持ちをまったく隠さない。私に対しては、こんなじゃなかったのに。翠は純一にネックレスを贈った。なんと、そのネックレスには、私が純一にあげた結婚指輪がつけられていたのだ。「美羽さんにも、私たちの幸せをちゃんと見届けてほしいから」翠は笑いながら、純一にそのネックレスをつけてあげた。彼女の思い通りだ。死んで魂だけになった私は、今まさにこの光景を見せつけられている。純一はやさしく翠を抱きしめて言った。「やっぱりお前は気が利くな」「私と結婚するんだから、過去とはちゃんと、さよならしないとね」……飛行機が落ちて、意識を取り戻した時のことを思い出した。あの頃の私は、翠が一緒だったことに、むしろ安心していた。一人じゃなかったから、きっと助かるって信じてたんだ。私は翠に聞いたんだ。私たちの隣にいたはずの純一はいないかって。だって、席は隣同士だったから。周りは亡骸だらけで、中には見るも無残な人もいた。翠はほとんど怪我もしてなくて、むくりと体を起こすと、「何か食べるものを探してくるね」と言ってくれたんだ。まさか、その後、翠が石を抱えて、私の頭に思いっきり振り下ろすなんて、私は死ぬまで思いもしなかった。鬼のような形相で、彼女は怒鳴った。「なんであなたが生きてるのよ!手間かけさせないで!愛されてない方が邪魔者なの!あなたが死ねば……純一は完全に私のものになるんだから!」私は翠に殴られて血まみれになった。彼女は私の薬指にはまった結婚指輪をにらみつけると、今度は狂ったように私の手を殴りつけた。私の指は、ぐちゃぐちゃにつぶれてしまった。私はすぐには死ななかった。ただ気を失ってただけ。でも、体中がすごく、すごく痛かった。意識が戻ると、お腹をすかせた翠が、じっと私を見ていた。そして彼女は、私の体から肉を二切れ……切り取った。……夜、翠は悪夢にうなされて目を覚ました。隣にいた純一が、すぐに彼女を抱きしめた。「また怖い夢でも見
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第5話
私は純一の目の前までふわっと浮かんで、彼の表情をたしかめようとした。私が死んで、さぞかし安心してることでしょうね。だって、もう私は二度と帰ってこられないんだから。これで心おきなく、翠と一緒にいられるんだもんね。「どうしたの、純一?仕事のことなの?」翠の声は、相変わらずやさしかった。でも、今の純一はどこかおかしかった。彼はうなずいて、「ああ、ちょっと用事ができた。誰かに送らせるから、先に帰っててくれ」と言った。「わかったわ。じゃあ、気をつけてね」翠はそう言うと、純一にキスをしようとしたけど、彼はさっと身をかわした。翠の顔が曇り、その表情は険しかった。私が純一について彼の職場に戻ると、彼は感情が爆発寸前みたいで、健二の前に歩み寄った。「報告書はどこだ!」と、純一はヒステリックに叫んだ。まるで一番大事な人を亡くしたかのようだった。でも、私にはわかる。純一は私のことなんて何とも思ってない。ただ世間に向けて、愛情深い夫を演じているだけ。純一は報告書を握りつぶさんばかりに睨みつけた。その時、健二が口を開いた。「すでに事件として捜査を開始しています。現場をもう一度しらみつぶしに調べたところ、警察は、他の生存者による犯行の可能性が高いと見ています」純一の声は、ひどく震えていた。「なんで、美羽なんだ?」純一は絶望したように泣き叫ぶ。健二はそんな彼の横で、遺体から肉が二切れなくなっていたのは、誰かが意図的に切り取ったからだと、冷静に告げていた。「あの状況で生き延びるには、人間性を捨てるしかなかったのかもしれません」健二の言葉が何を指しているのかは明らかだった。純一は、握りしめていた拳を再びゆるめた。「じゃあ、右手の薬指がないのは?これにはどんな意図がある?」純一はまた遺体のそばまで歩み寄り、変わり果てた姿のおそろしい形相になった私を見つめた。彼は膝から崩れ落ちそうになった。ぽろぽろと涙を流し、低い声でつぶやく。「美羽、すごく痛かっただろう」純一はただの事故だと思っていたのに、私が誰かに殺されたと知って衝撃を受けていた。「安心してくれ。必ず犯人を見つけて、お前のかたきを討つから」偽善ぶるのはもうやめてよ、純一。こうして私の遺体が見つかって、死亡が確定した。これであなたもようやく、心おきなく翠と結婚でき
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第6話
翠の目から、一瞬で涙があふれ出た。「遺体が見つかるまでは、まだ希望があった。でも、もう……」彼女は声を詰まらせた。「誰かに助けられて、一生見つからなくてもいいから、世界のどこかで生きていてほしかった」と、翠は言った。「目が覚めた時、美羽はそばにいなかったのか?」純一が尋ねた。翠は立ち上がる。「ええ、あなたもいなかったわ。私が目を覚ました時、周りは亡くなった人たちばかりだったもの」翠は頭を抱えて、とても苦しそうにしている。でも、純一は彼女を慰めようと近づかなかった。代わりに、私の息子の樹がしゃがみこんで、優しく翠をなだめる。「翠姉ちゃん、もう終わったことだよ。考えすぎちゃだめ。ママが死んだのは事故なんだから、自分を責めないで。パパ、翠姉ちゃんがすごくつらそうだよ。こっちに来て、なぐさめてあげてよ」樹は本当に「やさしい子」だ。翠のために、純一を呼んであげようとしている。でも、今夜の純一はなんだか変だった。テーブルに並んだ料理に、一口も手をつけなかった。翠は樹を抱きしめて言った。「大丈夫よ。あなたのパパがつらいのも当たり前だわ。だって、死んだのは彼の妻だったんだもの」「うん、わかってる。僕のママでもあるから」樹は、彼が死ときちんと向き合えるから、純一にも早く立ち直ってほしいと言った。まったく、なんて「いい子」なんでしょうね。こんな時だっていうのに、必死に翠を慰めるなんて。完全にあっちの味方じゃないか。その夜、純一は泊まらずに、また職場へ戻っていった。数々の罪悪感に苛まれ、翠は眠りにつけなかった。彼女は鏡の中の自分をじっと見つめた。「もう死んだくせに、どうしていつまでもつきまとうの!このクソ女、なんでまた現れるのよ!」翠の思惑では、私が白骨化するまで待つつもりだったのでしょ。そうなれば、たとえ見つかっても、誰も不審に思わないはずだから。でも、たった一年で、私は見つかってしまった。そして、雪山に隠されていた秘密も、一緒に掘り起こされた。その夜はひどい雨だった。翠は傘をさして純一を職場に探しに行ったが、​見つからなかった。彼女は狂ったように何度も純一に電話をかけた。そして二人の家に戻ると、純一がずぶ濡れでリビングに座っていた。純一は、ドアのほうから聞こえてくる物音に気づいた。翠が純一
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第7話
母は、私が死んだあとも、こんなふうにネットで色々書かれるのが可哀想だって言っていた。もともと純一が私たちのことをおおっぴらにしていたせいで、ネットでは彼を不倫男だと叩き、翠もその相手としてさんざん悪く言われていた。なかには、翠が私を殺した犯人なんじゃないかと疑う人までいた。だから母は、もうこの話を終わりにしよう、と言った。「ネットであんなに翠が叩かれてるのを見ると、私も胸が痛むの。みんな可哀想な子よ。美羽はもういない。これ以上、翠まで失うわけにはいかない」さすが、私の「やさしい」母だね。私は誰かに殺されたのよ。真犯人を探すこともしないで、現実から逃げてどうするの?すると、そばにいた翠は首を横に振った。「いいえ、美羽さんは殺されたんですから。絶対に彼女の為に真犯人を見つけなければなりません」「でも、ネットであなたがあんなにひどいこと言われて……家に嫌がらせに来る人もいるじゃない。何されるか心配で……」「大丈夫です」翠は首を横に振って、そんなことは気にしていないと言った。これを聞いて、両親はますます彼女を不憫に思った。両親は、結婚式は予定通り行うと言った。死んだ者は安らかに眠らせて、生きている者は前に進まないと、って。母は言い聞かせるように言った。「樹くんのためにも、ちゃんとした幸せな家庭が大事なのよ」目の前の光景に、私は言葉を失った。自分の娘のことも少しは見てよ。あんなに無残な姿で見つかったのに、なんとも思わないの?両親はずっと泣いていて、もう二度と誰かを失う痛みは味わいたくない、と言った。なにそれ。まさか、翠が死ぬとでも言うの?そんなに翠が傷つくのが怖いの?私はふと、純一と喧嘩した時のことを思い出した。彼と翠の怪しい関係が気になって仕方がなかった。純一は私を無視し続け、妊婦健診にだって一人で行かせた。私は実家に帰って、そのことを両親に話した。母はいつも「我慢して」って。結婚生活なんて、嫌なことがあって当たり前だって言ってた。純一みたいな人に見初められたんだから幸運だって。お金さえ握っていればいいのよ、とも。それに、別に浮気されたわけでもないでしょう、って言った。私は何度も離婚したいと思った。でも、そのたびに母から「樹くんのために、もう少しだけ我慢して」って止められた。そして、その我慢
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第8話
母は、たぶんネットの過激な人たちが、私の事件のせいでこんなことをしたんじゃないかって言っていた。正直、笑っちゃう。ネットの人たちなんて私とは赤の他人なんだから。せいぜいネットに書きこんで憂さ晴らしするくらいで、現実にこんなことするわけないのに。母は心配でたまらないみたいだったけど、純一は何も言わなかった。ただ、母に樹を連れて帰るよう促した。「俺が必ず翠を無事に連れて帰る」「ええ……」母は泣きながら言った。「もう娘を一人失ってるの。だから、翠だけは、絶対に連れ帰ってきて……」「ああ」母たちが帰った後、純一はすぐには犯人が指定した場所へ行かなかった。彼は家の中を、しばらく探し回っていた。本当は、純一にその気さえあれば、気づくのは難しくなかったはず。翠が助け出されてからの一年間、彼女の行動はおかしなことばかりだったんだから。翠はお肉を食べなかったし、見るとひどくおびえていた。それは、雪山でのトラウマのせいだった。彼女は、私を殺して生き延びたんだから。それから、翠がずっと大切に隠していた箱を、純一は部屋の隅っこから苦労して見つけ出した。彼はその箱をこじ開けた。そしてすぐに、変形した指輪を見つけたんだ。昔、プロポーズしてくれた時に彼が作ってくれた指輪……実は、私の指にはあんまり合ってなかったんだけどね。私は子供のころから純一に片思いしてたけど、言い出せなかった。だって彼は、ガリ勉は嫌いで、翠みたいに明るくて積極的な子が好きだって言っていたから。翠は男の子たちみんなと仲が良くて、純一ともそうだった。二人は一緒に泊まったり、同じプリンを分け合ったり、一つのドリンクを回し飲みしたりできるくらいだった。でも翠はいつも純一をぞんざいに扱っていた。「クールで強引なタイプは嫌いなの」って言って。彼女の好みは、草食系かと思いきや、急に肉食系に変わるような男性だった。ある日、二人の部屋の前を通りかかったら、純一が翠にこう言っていた。「試してみなきゃわからないだろ。俺だってお前のタイプになれるかもしれないのに」翠は彼を突き放して、甘えた声で笑った。「美羽さんが起きちゃうでしょ。またヤキモチ妬かれちゃうよ」あの時、純一は「冗談だよ」って言った。過去の出来事が一つ一つ、頭の中でどんどん鮮明になっていく。純一に告白
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第9話
「助けて……純一。あなたの子どもを、妊娠してるの」その言葉を聞いた純一の顔は、血の気が引いて、すごくこわばっていた。そばにいた拉致の犯人が冷たく鼻で笑った。「さっさと金を出せ。さもないと、お前の女と腹の中の子どもは、もうおしまいだ」ここへ来る前、純一は私にけじめをつけると言っていた。でもこの瞬間、彼は迷って、動揺した。翠のお腹には、彼の子どもがいるんだ。純一はお金を犯人たちに渡し、翠を傷つけないように頼んだ。犯人たちは金を受け取ると、倉庫に火をつけた。そして、純一をあざ笑う声が聞こえてきた。「まったく、バカな男だよな。自分からわざわざ金を持ってくるんだから。でも、あの女の言った通りだ。もっとふっかけておけばよかったぜ」純一に助け出された翠は、彼に抱きつこうとした。でも、純一はさっと身をかわした。「私、純一との赤ちゃんができたのよ、うれしくないの?」「俺に、何か打ち明けることはないのか?」純一はタバコに火をつけて、冷たい表情でそう言った。彼は翠に何度もチャンスをあげていた。真相を知ってからも、すぐには警察に通報しなかったんだ。純一が私に対して抱いているという罪悪感なんて、いったいどれだけが本物だったんだろう。翠は何か言いかけて、口をつぐんだ。彼女の目はみるみるうちに潤んで、ふるふると首を横に振った。「あなたが何を言ってるのか、わからないわ」純一はあの箱を取り出した。中には、変形した指輪が入っている。「美羽を殺したのは、お前なんだろ?」「違う、私じゃない」翠の顔は真っ青だった。いつかこの日が来るとは思っていた。でも、まさかこんなに早いなんて。あの指輪、残しておくんじゃなかった、と彼女は後悔した。「言い訳はもういい。あの洞窟でお前の痕跡も見つかってる。認めないのはわかってるけど、どうして美羽を殺したんだ?」翠は泣きじゃくりながら、突然その場にひざまずいた。彼女はきっと、この何年もずっと、純一にばれる場面を頭の中で何度も繰り返してきたんだろう。じゃなきゃ、あんなにすぐ言い訳が出てくるはずがない。「目が覚めたら、彼女がもう目の前にいて、手を出そうとしてきたんだ!私は自分の身を守っただけよ」翠は嘘をついた。私が彼女を殺そうとして、返り討ちにあったんだって。そういうことにしたんだ。純一は目
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第10話
翠の目が、一瞬で冷たくなった。「じゃあ、私を警察に突き出すってわけ?」「自分の犯した間違いには、自分で責任をとるべきだ」純一は心を決めた。スマホを取り出して警察に電話しようとする。でも、翠は笑い、突然さっきの犯人たちが現れた。木のバットが、純一の頭に振り下ろされた。翠は笑いながら言った。「チャンスはあげたのに、あなたがそれを無駄にしたのよ。私、美羽を殺した時、目をパチクリすることも無かったわ。彼女はずっと私に命ごいしてたのよ」純一は血の海に倒れながら、あの狂った女が逃げる相談をしているのを見ていた。彼は必死にもがいていた。本当に、愚かな人。私は宙に浮かびながら、苦しみもだえる純一の姿を見て、なんだか笑えてきた。たしかに私も愚かだった。翠を警戒しなかったんだから。でも、純一はもっと愚かじゃない?相手が殺人犯だと知ってるのに、わざわざ殺されに来るなんて。本当に笑える。私はそこにしゃがんで、純一が苦しむ様子を眺めていた。彼は手を伸ばして這い出そうとするけど、もうどうにもできなかった。幸い、純一の部下である健二がこの件を把握していて、警察が駆けつけた時にはまだ間に合った。純一は死なずに済んだのだ。翠は、その場で取り押さえられた。まったく、純一のそばに賢い人がいてくれてよかった。健二はため息をついた。「田村さん、どうしてそこまで人間を信じようとするんですか。奥さんのご遺体を見つけた時から、もっと用心するべきだったんですよ」健二が言うには、あんな残酷なことができる相手は、人間らしい心なんて持っていない。ほんの少しの愛情で、そんな相手が改心するなんてありえない、と。純一は何も言わなかった。ただ病院のベッドに横たわって、口の中で、「ごめん、美羽」と呟くだけだった。私の両親が、樹を連れてお見舞いに来た。母は泣き崩れていた。「人殺しを娘みたいにかわいがってたなんて……美羽は天国で、きっと私にがっかりしてるわ」「パパ、ごめん」樹は、自分が間違っていたと謝った。純一はうつろに天井を指さした。「お前が謝る相手は、ママだろう」みんなが今さら反省している姿を、私は絶望的な気持ちで見ていた。樹を身ごもっていた時のつらい日々も乗り越えてきたのに。自分の産んだ子だから、きっと私を大事にしてくれると信じていた。それな
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