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第5話

Auteur: 道草の旅人
私は純一の目の前までふわっと浮かんで、彼の表情をたしかめようとした。私が死んで、さぞかし安心してることでしょうね。

だって、もう私は二度と帰ってこられないんだから。

これで心おきなく、翠と一緒にいられるんだもんね。

「どうしたの、純一?仕事のことなの?」翠の声は、相変わらずやさしかった。

でも、今の純一はどこかおかしかった。彼はうなずいて、「ああ、ちょっと用事ができた。誰かに送らせるから、先に帰っててくれ」と言った。

「わかったわ。じゃあ、気をつけてね」翠はそう言うと、純一にキスをしようとしたけど、彼はさっと身をかわした。

翠の顔が曇り、その表情は険しかった。

私が純一について彼の職場に戻ると、彼は感情が爆発寸前みたいで、健二の前に歩み寄った。

「報告書はどこだ!」と、純一はヒステリックに叫んだ。まるで一番大事な人を亡くしたかのようだった。

でも、私にはわかる。純一は私のことなんて何とも思ってない。ただ世間に向けて、愛情深い夫を演じているだけ。

純一は報告書を握りつぶさんばかりに睨みつけた。その時、健二が口を開いた。

「すでに事件として捜査を開始しています。現場をもう一度しらみつぶしに調べたところ、警察は、他の生存者による犯行の可能性が高いと見ています」

純一の声は、ひどく震えていた。

「なんで、美羽なんだ?」

純一は絶望したように泣き叫ぶ。健二はそんな彼の横で、遺体から肉が二切れなくなっていたのは、誰かが意図的に切り取ったからだと、冷静に告げていた。

「あの状況で生き延びるには、人間性を捨てるしかなかったのかもしれません」

健二の言葉が何を指しているのかは明らかだった。純一は、握りしめていた拳を再びゆるめた。

「じゃあ、右手の薬指がないのは?これにはどんな意図がある?」

純一はまた遺体のそばまで歩み寄り、変わり果てた姿のおそろしい形相になった私を見つめた。

彼は膝から崩れ落ちそうになった。ぽろぽろと涙を流し、低い声でつぶやく。

「美羽、すごく痛かっただろう」純一はただの事故だと思っていたのに、私が誰かに殺されたと知って衝撃を受けていた。「安心してくれ。必ず犯人を見つけて、お前のかたきを討つから」

偽善ぶるのはもうやめてよ、純一。

こうして私の遺体が見つかって、死亡が確定した。これであなたもようやく、心おきなく翠と結婚でき
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