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第323話

Author: 北野 艾
響太朗のあの反応……よほど重要なゲストなのだろう。

秘書が去って間もなく、会場に柊也と志帆が入ってきた。

志帆の姿を捉えた瞬間、悠人の瞳が輝く。

吸い寄せられるように歩み寄ろうとするが、あと数歩という距離で足が止まった。

彼女の隣には柊也がいる。自分が出る幕などないのだ。

響太朗もまた、入口へと向かう途中で二人を見つけ、軽く挨拶を交わす。

その様子を見た悠人は、さきほどの「重要なゲスト」とは彼らのことだったのかと合点がいった。

悠人は志帆への未練を振り切り、意識を切り替える。今日の目的はビジネスだ。感傷に浸っている場合ではない。

「やあ、来てくれたか」

響太朗が柊也たちと形式的な挨拶を交わし終えた、まさにその時だった。詩織が会場に姿を現した。

志帆が口を開き、響太朗に話しかけようとした瞬間――

響太朗は満面の笑みを浮かべ、二人を素通りして詩織のもとへと歩み寄ったのである。

「江崎さん、本当にすまなかった!携帯を見ていなくて、君が足止めされていたなんて露知らず……遠慮せず電話をくれればよかったのに」響太朗は心底申し訳なさそうに、詩織の手を握った。

「いえ、謝らなければいけないのは私の方です。不注意で招待状を失くしてしまって、ご迷惑をおかけしました」

詩織が恐縮すると、響太朗は朗らかに笑い飛ばした。「人間だもの、うっかりはあるさ。うちの家内なんかしょっちゅう僕のことを忘れん坊呼ばわりするよ」

親しげに談笑する二人の姿を目の当たりにし、志帆の表情から笑みが消え失せた。

……招待状を持っていたというの?それも、本物の?

江崎詩織。あんな女のどこがいいのか。一体どんな手を使って、高坂響太朗をここまで夢中にさせているのよ。

主催者である響太朗は来客対応に追われ、詩織と二言三言交わすと、秘書に彼女のケアを頼んでその場を離れた。

「お気遣いなく。一人で大丈夫ですから、お仕事に戻ってください」

詩織は秘書を気遣い、会場の少し静かな一角へと身を引いた。

G市のビジネス事情に疎い詩織にとって、この会場はアウェイだ。知った顔もほとんどいないため、一人グラスを傾けるしかない。

その孤立した姿を、志帆は「冷遇されている」と解釈し、優越感に浸っていた。

対照的に、志帆の隣には柊也がいる。

エイジア傘下の企業が数多く上場しているこの街で、彼の人脈は絶
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