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第二章 第18話 逢魔が刻に神は鳴き

Auteur: 輪廻
last update Date de publication: 2026-02-04 22:16:11

その後、二、三度のトイレ休憩を挟み、私たちは鳴神山地の東端に位置する、海と山とに面した町……此岸町の香々星神社《かがせじんじゃ》に到着しました。

香々星神社は、依頼人の平坂さんが宮司をしていらっしゃる神社で、此岸町の中で二番目に大きな神社とのことです。御祭神は言わずもがな星を司る神・天津甕星。香々星とは天津甕星の·としての名前だと、平坂さんからそう伺っています。

日本書紀に於ける天津甕星は、"香々背男《カガセオ》"の名を持つ男神なのですが、鳴神山地では男神とは扱っていないようで、明らかに当て字であろう·の字を本来の·に戻し、名を呼ぶ際は"香々星《カガセ》"さまと呼称しているのだとか。

「────」

ワゴンから降り立つと、私は風に靡く自身の長い黒髪を右手で抑えながら、溜め息混じりに空を仰ぎ見ます。轟く雷鳴、慟哭する強風。渦を巻く巨大な暗雲が町全体の上空を覆い尽くし、遠目に見える雄大なる太平洋の水面には白波が立っているのが確認出来ます。

「……陰鬱って言葉が良く似合うわね、この町」

私に倣って空を見上げながら、和さんが何処か不安そうな様子でそう呟きます。周防さんや鈴木さんも似たような感想を抱いたのでしょう。依頼人の平坂さんがいる前で、ある意味失礼極まりない彼女の発言を、二人とも特に咎めようとはしませんでした。

左手首にはめた腕時計を、私はちらりと見やります。午後五時十五分……まだ、日の入り前です。にも関わらず、香々星神社は既に宵の口かと錯覚する程に暗く、周囲の光源と言えば精々、社務所内の電気の明かりか、雲の隙間より漏れ出る雷の煌めきくらいのものでした。

「────」

ふと……獣の唸り声が耳に届き、私は空を見上げることを止めて、声の聞こえた駐車場の出入り口へと流れるように視線を向けました。

そこに居たのは──山椒魚《サンショウウオ》を彷彿とさせる四足歩行の異形。黒みがかった身体のあちこちから人間の顔や手足を生やし、血を思わせる真っ赤な体液を滴らせながら、私たちの様子を窺っています。

彼の異形は·······の下級神格。上位神格ほどの強い力を持たぬが故、常に飢えた状態で更なる力を欲して彷徨い歩く哀れなる子。秋津に殺された····と、ほぼほぼ同じ存在です。

何か一つ、····との相違点があるとするならば、私や清さんに対し友好的だった····とは異なり、彼の異形は目につく全てを捕食対象として認識していることでしょうか。身体の表面に浮かび上がる人間の顔や手足……それらは全て、彼の異形に捕食されし犠牲者の成れの果て。彼は虎視眈々と、私たちを捕食する機会を窺っているのでした。

しかしながら、私たちが居るのは星を司る神・天津甕星を祀る香々星神社の敷地内。天津甕星とは敵対関係にあるのか、それとも天津甕星を本能的に恐れているのか。真相は不明ですが、どうやら彼の異形は神社の敷地内に足を踏み入れることが出来ぬ様子でした。

「──金剛さん」

私の目線から、駐車場の出入り口に··居ることを察したのでしょう。一声掛けただけで、彼は私の意図を汲んで即座に頷いてくれました。

「──分かりました。直ちに」

阿吽の呼吸とは、正しくこのことを言うのかもしれません。金剛さんは和さんたちに、手荷物を持って直ぐに社務所の中へと入るよう指示を出し、私たちに声を掛けるタイミングを逸して佇んでいた平坂さんに対し、今直面している生命の危機について説明しました。

最初は困惑していた平坂さんでしたが、私がずっと駐車場の出入り口に陣取る彼の異形の動きを注視しているのを見て、どうやら私の視線の先に本当に··が居るらしいと理解したようで、青ざめた顔で小さく頷きながら、私と金剛さんを社務所へと案内してくれました。

下級神格とは言え、彼らは八百万の神々の一柱。並の人間程度なら、容易く息の根を止められるだけの力は普通にあります。不可解な事故死や病死などは基本的に彼らの仕業です。安全圏に逃れるに越したことはありません。あのまま駐車場に留まっていれば、何らかの攻撃行動を取ったかもしれません。あの外見でも飛び道具を有する可能性はある。こと·······に関しては、見た目に騙されぬが吉なのです。

私たちが駐車場を離れて社務所の前まで逃れると、異形は何処か諦めたように顔を背けました。ひとまず、身の安全は確保されたと言って良いでしょう。

私は異形への警戒を解いて、敷地内をぐるりと見回します。御神体を祀る拝殿も、社務所も立派な造りの建物で、敷地内にはその他にも神楽殿まであります。見た限りでは、設備はかなり充実していました。

「奏さんや皆さんにはこれから、調査が終わるまでの間は社務所で寝食を共にして頂くことになります。私の家が皆さんに提供出来るだけの大きさがあれば、斯様なご不便をお掛けすることもなかったのですが……」

申し訳なさそうに頭を下げる平坂さん……それを見て私は、彼の言葉をやんわりと否定しながら、より深く頭を下げて感謝の意を伝えました。

「いえ、平坂さま。寧ろ、斯様な素晴らしい環境を用意して頂きましたこと……私たちの方こそ、平坂さまに感謝しなければなりません。有り難う御座います」

社務所を活動拠点として丸々貸し出してくれるだけでも有り難いのに、表向きは私や和さんを巫女として雇用し、住み込みの私たちのために光熱費負担までしてくれるのですから、感謝するなと言う方が無理な話です。せめて食費だけでも、自費出費にさせて欲しいくらいです。

そもそも……裏御三家に支払う依頼料だけでも、かなりの高額なのですから。平坂さんの生活が成り立たなくなってしまっては、本末転倒です。

私がそう言うと、平坂さんは私の手をそっと握りながら、優しく微笑みつつ首を横に振りました。

「……そう仰って頂けた。それだけで十分です。そのお気持ちだけ、有り難く受け取りましょう──奏さん。十五歳とまだまだ幼い貴方が、命を賭して危険なお役目に臨もうとしているのです。ですからどうか、私にも少しは無理をさせて下さい」

それでも、正直気が引けるのですが……金剛さんが平坂さん側に立って説得してきたこともあり、結局は光熱費に加えて食費まで、平坂さんに負担して貰う運びとなってしまいました。

「……調査任務を完遂した後、ご当主──宗一さまに頼み込んで、依頼料から食費と光熱費をそれぞれ、差し引いて貰えば宜しいかと。個人的には、ここで押し問答する時間ほど無駄で勿体ないものはないと思うのですが、奏さまは如何思われます?」

「…………」

金剛さんの言うことは尤もです。宗一さんなら、私の多少の我儘くらいならば、嫌な顔一つせずに聞いてくれるでしょう。それに日が照っていないので、季節は梅雨明け直後にも関わらず心做しか肌寒く、清さんのお下がりのカーディガンを羽織っていましたが、このままでは風邪を引いてしまいそうです。

「──では、また明日お会いしましょう。お疲れでしょうから、今日はゆっくりとお休み下さい」

「はい──平坂さんも、お気を付けてお帰り下さい」

私が手を振ると平坂さんも微笑ましそうに手を振り返し、私と金剛さんが見送る中、愛車のクラウンに乗り込んで帰宅しました。

駐車場前に陣取っていた異形に襲われないか心配でしたが、異形は平坂さんの運転するクラウンにはこれと言った興味関心を示さなかったので、取り敢えずは一安心と言ったところでしょうか。

「では、奏さま──」

金剛さんに促され、私が社務所に入ろうとした──その時でした。

「──っ!?」

突如として地面が激しく揺れ動き、私は大きくバランスを崩しました。異変に気付いた金剛さんが、咄嗟に手を引いて私を抱き寄せてくれなかったら、私はきっと石畳に後頭部を強く打ち付け、何らかの後遺症が遺る程の酷い怪我を負ったことでしょう。

その直後──

「────」

金剛さんの腕の中で震える私の耳に、鯨の歌を思わせる物悲しい鳴き声が届きました。此岸町は疎か、鳴神山地全体に響き渡る程の大きな鳴き声。だと言うのに、私を抱きしめている金剛さんや、社務所の中で揺れに狼狽えている和さん、周防さんたちには、天地を揺るがす程のその鳴き声が聞こえていないようでした。

しかしそれは、私にだけ聴こえる幻聴の類などではありません。揺れが始まり、鳴き声が耳に届いた際……私にははっきりと見えていました。

まるで何かに怯えたように、陣取っていた駐車場前から脱兎の如く逃げ出す、山椒魚に似た例の異形の後ろ姿が。

揺れは体感にして、凡そ十数秒程だったでしょうか。一際大きな鳴き声が、鳴神山地全体に響き渡ると同時……揺れはピタリと収まりました。

間違いない。今のは単なる地震などではなく、この地に眠る·······……その上位神格の顕現が近いことを報せる前兆に他ならない。鯨の歌のような鳴き声が揺れている間ずっと響いていたこと、鳴き声を聞いた下級神格が逃げ出したこと……それらを踏まえて、私はそう確信していました。

「……何処かお怪我は御座いませんか、奏さま?」

「……はい。私なら、大丈夫です。金剛さんのお陰で、ご覧の通り全くの無傷です。それよりも──」

先程揺れた際、鯨の歌を思わせる鳴き声が鳴神山地全体に響き渡ったことを金剛さんに伝えると、金剛さんはほんの少しだけ眉をひそめました。

「鯨の歌のような、物悲しい鳴き声……ですか。生憎と、そのようなものは、私の耳には届きませんでしたが……」

「そう、ですか……」

「……だからと言って、貴方が嘘を仰っているようには見えないし、幻聴の類とも思えない。果てさて、これから一体どうしたものか……」

ふむ、と金剛さんは右の親指を顎に軽く当て、何やら思案している様子でした。何時になく真剣な面持ちです。

そんな彼に、私は一つの提案を持ち掛けてみることにしました。彼ならば多分、乗ってくれると信じて。

「あの、金剛さん」

「……何か?」

一旦言葉を区切り、大きく深呼吸を一つすると、私は彼の顔を真っ直ぐ見据えながらこう言いました。

「──今夜、二人で星降山に登ってみませんか? 若しかしたら、何か得られるものがあるかもしれません」

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