結城理仁はまたあの鶴を手に取り、妻の話を聞いた。「あなたが持ってるその鶴は神崎さんにあげたのより一回り大きいのよ。もっときっちり作ったんだから、どう?きれいでしょう?」自分のが神崎姫華が持っているものよりも大きいと聞いて、結城理仁はわけもわからず嬉しくなった。しかしそれを表情には出さず、淡々とうんと一言答えた。「きれいだ」内海唯花は笑って「あなたが気に入ってくれたならそれでいいわ」と言った。彼女は車の鍵をロ―テーブルの上に置くと、キッチンのほうへと歩いて行った。「ちょっと夜食を作るけど、あなたも食べる?」と彼に尋ねたが、理仁の返事を待たずに独り言をつぶやいた。「あ、忘れてた。あなたって夜食は太るから食べないんだった」結城理仁は彼女が勝手に判断してそう言ったので、もう何も言えなかった。しかし、結局彼はお腹は空いていなかった。内海唯花はキッチンでまたうどんを作っていた。結城理仁は暫くそこに立っていて、キッチンの入り口へと歩いて行った。キッチンの中には入らず、その入り口に立ち止り、内海唯花がネギとミツバを洗っているのを見ていた。彼女はうどんを作る時にこの二種類の薬味を入れるのが好きだった。そして、たまごと焼いた餅も入れた。彼女は以前、焼き餅を入れると歯ごたえがよくなってもっと美味しいと言っていた。「プルプルプル……」内海唯花の携帯が鳴った。彼女はうどんを作る手を止め、ぶつくさと言った。「こんな遅くに一体誰が電話かけてきたのよ」彼女が携帯に表示されているのが金城琉生であるのを見た時、眉間にしわを寄せた。しかし、やはり金城琉生からの電話に出て、結城理仁は彼女が「琉生君、どうしたの?」と尋ねるのを聞いた。金城琉生め、また電話かけてきやがった!結城坊ちゃんはすぐにウサギのように、ぴんと聞き耳を立てた。「唯花姉さん、唯月さんの旦那さんって佐々木俊介って言いますか?」金城琉生は家に帰った後、聞いたことがあるような気がしていた佐々木俊介という名前をどこで聞いたのか思い出したのだ。内海唯花の義兄の名前が確かこの名前だった気がしたのだ。それで彼はすぐに内海唯花に電話をして確かめようと思った。もちろん、彼には内海唯花から感謝されたいという下心があった。「ええ、義兄さんの名前は佐々木俊介って名前だけど、どうしたの?彼と知り
九条悟はすぐにそれが金城琉生だと当てた。今夜、金城琉生はホテルのビジネスパーティーに参加していたのだ。彼は金城グループでは、まだまだただの社員に過ぎないが、会社の継承者に内定している。金城家の御曹司という身分だから、パーティーではまるで水を得た魚のように、周りの人間からチヤホヤされ、ご機嫌取りをされていた。結城理仁は何も言わず、それを黙認したと同然だった。「だったら、証拠を今すぐ君に持って行ってあげようか?今トキワ・フラワーガーデンにいるのか?」彼は親友が社長夫人の人柄を探るために、自分の正体を隠して結婚し、わざわざトキワ・フラワーガーデンに家を買ったのを知っていた。「いや、いい。明日俺にくれ。今日はもう遅い、早めに休んでくれ。俺も風呂に入って寝る」九条悟はずっと結城理仁と内海唯花のことを見てきたが、結城理仁は九条悟に多くのことを話したくなかったので、すぐに電話を切ってしまった。九条悟はぶつくさと言った。「今夜寝られるか?ライバルに手柄を横取りされようとしてるってのに」結城理仁が寝られるかどうか、それは彼自身だけが知っている。内海唯花は金城琉生の話を聞いた後、全く驚いた様子はなく、腹を立てていた。「琉生君、教えてくれてありがとう」内海唯花は腹を立てていたが、すぐには爆発させず、金城琉生にお礼をしてまた尋ねた。「彼らの写真はある?」証拠が必要だ。それがあれば金城琉生が出会ったのが佐々木俊介というゲス男であると証明できる。「写真はないんです。パーティーで彼の名前をどこかで聞いたことがあるような気はしたんだけど、すぐには彼の名前をどこで聞いたのか思い出せなくて。家に帰った後にようやく唯花姉さんのお義兄さんがそんな名前だったなって思い出したんです。だから、電話して確かめようと思って。唯花姉さん、お姉さんに夫の浮気の証拠をこっそりと集めるように伝えてください。あの男が財産を他の誰かに渡してしまわないように」「ええ、そうするわ、ありがとう」金城琉生は笑って言った。「唯花姉さん、ただ教えただけですから、お礼なんていりませんよ。じゃあ、お休みのところお邪魔してすみません。唯花姉さん、おやすみなさい。明日の朝、明凛姉さんが好きな朝食を持って行きますから、唯花さんも一緒に食べてください」金城琉生はよく従姉の好きな食べ物や飲み物
内海唯花はうどんを食べながら、姉にLINEを送った。まずは姉にまだ起きているかどうか尋ねた。佐々木唯月は返事を返さず、直接電話をかけてきた。文字を打つのは時間がかかって面倒だから、直接通話しようと思ったのだ。「唯花、まだ寝てないのね。さっき帰ってきたの?」佐々木唯月は妹が就寝する時間を把握している。以前、妹が彼女と一緒に暮らしていた頃、夜は遅く朝は鶏よりも早く起きていた。佐々木唯月は妹が義兄に気を使って、早起きして彼ら一家三人に朝食を作り、家事をしていたのを知っていた。妹はたくさんのことをしてくれていたのに、佐々木俊介からタダで住んで飲み食いしていると煙たがられてしまった。妹はお金も入れてくれていたのに……今その夫は傍にはいないから、佐々木唯月も気にしていない。彼女が今気にかけているのは妹だけだ。「うん、今夜食たべてるの。お姉ちゃん、ちょっと話したいことがあるのよ。琉生君がね、今日スカイロイヤルのビジネスパーティーに参加したらしいんだけど、そこで佐々木俊介に会って、あいつの横にはきれいな女の子がいたって。琉生君があいつはその人に対して特によくしていて、すごく仲がよさそうで熱々の恋人同士だったみたいって。琉生君はあいつに会ったことがないけど、佐々木俊介って名前を私から聞いたことがあったから、それで思い出して私に教えてくれたの。スカイ電機の部長だとも言っていたらしいから、きっと彼に間違いないわ。お姉ちゃん気を付けておいて、佐々木俊介の行動をよく観察しておいて。彼が財産を他に移動させたりしてないか注意して、自分をしっかり守るのよ」近年、妻を殺害してしまうような事件も増えている。内海唯花はまず姉にしっかり自分を守るようにと注意した。男がクソなら、さっさと別れるに越したことはない。クソ男のために命を懸けるなど、全く無意味なのだから。妹の話を聞いて、佐々木唯月は暫くの間黙っていた。彼女は実は早くから心の準備をしていた。佐々木俊介が外で浮気している可能性があるとわかっていたからだ。なんといっても彼はまだ30そこそこで、仕事でも成功していて、容姿もなかなか良い。外とは言わず会社の中にもたくさん若いお嬢さんがいるのだ。彼は毎日若くて綺麗なお嬢さんと接している。そして家に帰ると子供を産んで体形が崩れてしまった彼女を見ると、
佐々木唯月は涙を拭い、気持ちを落ち着かせて、できるだけ自分の声が震えないようにした。「そうだとは思っていたけど、まさかこんなに早くそうなるなんて思わなくて」佐々木俊介は浮気しているが、彼女にはそれを隠していてまだ離婚を突き付けてきていない。彼女の予想が正しければ、おそらく陽のためだろう。陽はまだ小さいから、世話が必要だ。彼女の義父母は自分の娘の子供の世話をしている。佐々木俊介は性根の曲がった人間だから、自分の家族のことしか眼中にない。彼自身も姉の味方で、両親が姉を手助けするのは当然のことだと思っている。彼らが離婚したら、佐々木家は必ず陽の親権を争ってくるだろう。しかし、佐々木俊介は両親が小さい子供二人の面倒を見るのは疲れるから心配していているはずだ。陽が幼稚園に上がってしまえば話は別だが。佐々木俊介はおそらく息子が幼稚園に上がってから、彼女に離婚を突き付けるつもりなのだ。それで、今は彼女に冷たくあたっているだけだ。「お姉ちゃん、今はまだ証拠がないから、この話は秘密にしておいて。証拠を集めてからまた話しましょう。私はお姉ちゃんに心の準備をしておいてほしいの。彼がまたお姉ちゃんに手を出さないように気をつけて」内海唯花は姉の声が少し涙声になっているのに気づいていて、全ては話さなかった。姉にも今の気持ちを整理する時間が必要だ。もし、泣いて発散しようとするなら、彼女は姉に思う存分泣かせてあげるつもりだ。3年という結婚生活でずっと一緒にいた男性だから、とても残酷な事実ではあるが、姉は30歳とまだまだ若い。佐々木俊介は不倫してしまったのだから、このような男と一緒にいる必要などない。「唯花、お姉ちゃんわかったわ。さあ、夜食を食べて、大丈夫だからね。一生懸命仕事を探してるんだし、離婚するためにそうしていたんだしね」突然両親を亡くし、両親の親戚たちから薄情な酷い態度を取られても彼女はめげず、妹を連れて今まで苦労して生きてきた。夫が不倫した程度で、別にこの世の終わりなわけではない。唯月は決して負けたりしない。「お姉ちゃんも早めに休んで、あまり色々考え過ぎないでね。同姓同名っていうこともあり得ない話じゃないから」この言葉はただの気休めだと内海唯花はわかっていた。「うん」佐々木唯月は自分から電話を切って、携帯を側に置くと横になり、ぐ
佐々木唯月は長い間泣き続けた。佐々木俊介が帰ってきて、彼女はやっと涙を拭い、寝たふりをしながら耳をそばだてて彼の様子をうかがっていた。家庭内暴力事件から、夫婦二人は別々の部屋で寝ている。佐々木俊介はおそらく寝ている隙に唯月にまた襲われるのではないかと恐れているのだろう。部屋のドアが開いたが、佐々木俊介は入って来なかった。ただ入り口に立ってちらりと中を窺い、妻と息子が寝ているのを見てドアを閉めた。そして、隣の部屋へと入って行った。彼はドアを閉めるとすぐに成瀬莉奈に電話をかけた。「佐々木部長」「会社の中じゃないんだから、俊介って呼んでくれよ」隣の部屋にいる妻に聞かれないように、佐々木俊介は声をかなり小さく抑えていた。「俊介、家に帰った?私とっても心配なの。あんなにたくさんお酒を飲んで、自分で車を運転して帰ったんだもの、心配で心配でたまらないわ。次はこんなことしないで、お酒を飲んで運転したら危険よ。もし警察に捕まったら面倒でしょう」成瀬莉奈は電話で佐々木俊介を心配して、彼をメロメロにさせるくらい、とても関心を持っているのだとアピールしていた。「わかったよ。次は酒を飲んだら代行に頼むからさ。莉奈、早めに休んで。君におやすみの挨拶するために電話したんだよ」佐々木俊介はその関心すべてを成瀬莉奈に注いでいた。この夜は二人ずっと一緒にいたのに別れて間もなく、彼はまた彼女が恋しくなった。彼女のあの美しい顔、セクシーな体、甘い声が恋しくてたまらないのだ。彼女の全てが恋しい。たぶんお酒を飲み過ぎたせいだろう。こうやって成瀬莉奈を思うだけで、佐々木俊介は全身が火照っていた。「俊介、早めに寝てね。明日も仕事があるんだもの。おやすみなさい、夢の中でもあなたを想っているわ」成瀬莉奈はそう言いながら携帯に向かってチュッと唇を鳴らした。「キスしてあげる」佐々木俊介は笑った。「そんなんじゃ俺にはキスできないよ。明日この分補填してもらわなくっちゃ。ディープなやつがいいなぁ。莉奈、俺、本当に君が欲しくて欲しくてたまらないんだ……わかるだろ」「俊介、おやすみね」成瀬莉奈はわざと彼のその言葉に隠された意味を無視し、甘い声でおやすみの挨拶をした後、電話を切ってしまった。佐々木俊介は成瀬莉奈とのラブラブな空気にまた刺激され、彼女への気持ちが更
「どれだけお酒を飲んだのよ、酒臭いわね。さっさとシャワーしてきたら」佐々木唯月は嫌悪して彼の足をひと蹴りした。彼が不倫していることを知っているが、妹の話通りにとりあえず彼を刺激せず、何も知らないふりをしていた。まずは裏で彼が不倫しているという証拠を集めて、彼の逃げ道をなくさなければならない。佐々木俊介が彼女に何かひどい仕打ちをしてくるかどうかについては、唯月は彼はまだそこまでむごいことはないだろうと思っていた。しかも、今の科学技術は発達しているから、警察が事件を調べる方法も高度になっていて、彼が彼女に何かしようものなら、悪事はすぐにばれてしまうことだろう。彼は自分の将来と命を引き換えにまでして彼女の命を狙ってはこないはずだ。佐々木俊介は悪態をついていたが、結局はお風呂に入りに行った。浴室から出てくると、彼は再び息子の傍に横になった。しかし、二分も経たず彼はベッドから身を起こし、息子の足の下をくぐり抜けて唯月の太ももを触った。何をしたいのかは明らかだ。彼は佐々木唯月の体には全く興味はなかったが、成瀬莉奈に刺激されて彼はこの時、体が火照っていた。だから、仕方なく唯月と夫婦の営みをしてそれを抑えるしかなかった。どうせ彼らも法律上夫婦だから問題はない。以前なら、彼がこうやって彼女に触れば、唯月もそれを拒否することはなかった。今夜、彼はまだ唯月の太ももを触っただけなのに、唯月から蹴りを入れられ、油断していた彼はその衝撃でベッドから追い出され床に倒れてしまった。この時の佐々木俊介の怒りようといったら、まあ。床から立ち上がり、佐々木唯月を指差して怒鳴りつけようとした。しかし、佐々木唯月がベッドから降りて、彼女のスリッパを掴み、すごい剣幕で殴りかかって来ようとするのを見て、彼は唯月に包丁を持って街中を追いかけ回されたあの恐ろしい情景を思い出した。本来怒鳴ろうとしていたが、一言も出てこなかった。「出ていけ!」佐々木唯月はスリッパを放り投げ、低く冷たい声で怒鳴りつけた。「私の子を起こしでもしてみなさい!」佐々木俊介は彼女のほうに指差して、顔を真っ赤にさせていたが、一言も口から出すことができず、最後には怒って去っていった。佐々木唯月は部屋のドアを閉め、中から鍵もかけた。もし一時間前に妹から電話がなかったら、もしかしたら彼
佐々木唯月は市場に買い物に行ったのではなかった。彼女は今昼間はいつも仕事を探しに行って、夜帰って来た後、買い物に行っていた。夜になると値引きセールをしていることも多いので、節約できるからだ。仕事はまだ見つかっておらず、夫は頼りにならないが、彼女の貯金はまだ尽きてはいなかった。以前妹からできるだけ貯金をするように言われて、そのようにしていて助かった。実は結婚当初、彼女が仕事を辞めて家で子供を産む準備をすることに妹は反対していた。妹が女性は結婚前にしろ、結婚後にしろ自分で稼いで、男に頼るばかりではいけないと言っていた。夫が自分に対して良くしてくれていれば、そんなのは関係ないのだが。夫が自分に嫌気をさすようになったり、浮気するようになってしまうと、仕事がなければ稼ぎもなくていつも不利になってしまう。そうすると簡単に奈落の底に突き落とされてしまう。彼女は大馬鹿者だ。彼女と佐々木俊介の心は深く繋がっていて、彼が彼女を裏切ることなど決してないと信じていたのだから。彼が彼女に一緒に住む家のリフォーム代を出させた時も、彼女は夫婦二人の愛の巣だから、きれいに立派にリフォームしたいと思った。彼女もそんな家に住むのが心地良いし。だから、佐々木俊介の提案に乗って、何年もかけて貯めていた何百万円も全てリフォームに使ってしまったのだった。彼は彼女が仕事を辞めても安心して家で子供を産む準備をしてほしいと言ったのだ。彼女を養ってくれると。彼女はその彼の甘いささやきを信じた。上司から仕事を辞めないほうがいいと言われたのをやんわりと断り、仕事を辞めて専業主婦になった。その結果、彼女は何を得た?傷だらけになっただけだ。佐々木唯月は息子が乗ったベビーカーを押して、歩いて妹の本屋へと行った。彼女は直接トキワ・フラワーガーデンには行かなかった。朝早くに行って妹の旦那の迷惑になりたくなかったからだ。歩きながら昔のことを思い出し、堪えきれず涙がこぼれた。彼女は自分が離婚する心の準備ができていて傷つくことはないと思っていたが、それは甘かった。彼女はこの時傷ついていた。それも深い深い傷だった。なんといっても、彼と知り合ってから十二年。全く彼に対して気持ちがないかというと、それは嘘になる。佐々木唯月がベビーカーに乗せていた佐々木陽はまだ起きていなかった
彼女が一階に降りたところで、夫が自分を呼ぶ声が聞こえてきた。付近で散歩をしているふりをしていたボディーガードたちは、女主人が降りて来たのを見て、すぐに反応し彼女に背を向けた。内海唯花を見ていないふりをして、引き続きゆったりと散歩を始めた。それからすぐに主人が妻を呼ぶ声が聞こえてきた。内海唯花は立ち止まり、後ろを振り返って結城理仁を見た。結城理仁は車の鍵を持っていて、内海唯花に言った。「やっぱり俺も君と一緒に行くよ」彼の義姉は佐々木俊介から家庭内暴力を受けた時、勇敢にもそれに歯向かうくらい荒い気性の持ち主だった。我慢して大人しく黙っているような人間ではない。夫の不倫を知って、佐々木唯月が黙っていられるか?もしかしたら夫婦二人はまた喧嘩するかもしれない。結城理仁は妻が武術に長けていて、佐々木俊介では彼女に敵わないとわかっている。しかし、その場に誰か男がいれば、佐々木俊介や佐々木家の人たちも事を荒立てないはずだ。彼は彼女の夫なのだから、そもそも頼りになるべき人物だ。彼女が何かトラブルに巻き込まれたら真っ先に彼を思い出してほしかった。結城理仁は内海唯花の手から弁当箱を受け取り、もう片方の手は唯花の手を握って彼の車のほうに一緒に歩いていった。「後で君を店まで送るから」彼が彼女と一緒に行くと言うのだから、唯花はもう断らなかった。姉の家に着いたら、彼にまた何か朝ごはんを作ろうと決めた。どちらにせよ、お腹を空かせたまま彼を会社に送り出すわけにはいかない。「昨日の夜、君がお義姉さんと電話で話しているのが聞こえたよ」もちろん、結城理仁は自分が九条悟に頼んで佐々木俊介の不倫の証拠をすでに集めているとは言えなかった。さらに彼がホテルで佐々木俊介とその不倫相手に会ったことがあるとも言えない。あの時は夫婦二人はまだ冷戦状態だったし、佐々木俊介本人を直接見たわけではない。ただボディーガードがそう言っていただけだ。内海唯花は少し黙ってから言った。「琉生君が昨日の夜、スカイロイヤルホテルでビジネスパーティーに参加したんだけど、そこでお姉ちゃんの旦那が若くて綺麗な女性と親しそうにしてるのを見たらしいの。たぶん、浮気相手よ。佐々木俊介のあのクソ野郎、不倫してるの!お姉ちゃんには隠さないでこのことを言ったのよ。こういうこと、隠して
神崎詩乃は冷ややかな声で言った。「あなた達、私の姪をこんな姿にさせておいて、ただひとこと謝れば済むとでも思っているの?私たちは謝罪など受け取りません。あなた達はやり過ぎたわ、人を馬鹿にするにも程があるわね」彼女はまた警察に言った。「すみませんが、私たちは彼女たちの謝罪は受け取りません。傷害罪として処理していただいて結構です。しかし、賠償はしっかりとしてもらいます」佐々木親子は留置処分になるだけでなく、唯月の怪我の治療費や精神的な傷を負わせた賠償も支払う必要がある。あんなに多くの人の目の前で唯月を殴って侮辱し、彼女の名誉を傷つけたのだ。だから精神的な傷を負わせたその賠償を払って当然だ。詩乃が唯月を姪と呼んだので、隼翔はとても驚いて神崎夫人を見つめた。佐々木母はそれで驚き、神崎詩乃に尋ねた。「あなたが唯月の伯母様ですか?一体いつ唯月にあなたのような伯母ができたって言うんですか?」唯月の母方の家族は血の繋がりがない。だから十五年前にはこの姉妹と完全に連絡を途絶えている。唯月が佐々木家に嫁ぐ時、彼女の家族はただ唯花という妹だけで、内海家も彼女たちの母方の親族も全く顔を出さなかった。しかし、内海家は六百万の結納金をよこせと言ってきたのだった。それを唯月が制止し、佐々木家には内海家に結納金を渡さないようにさせたのだ。その後、唯月とおじいさん達は全く付き合いをしていなかった。佐々木親子は唯月には家族や親族からの支えがなく、ただ一人だけいる妹など眼中にもなかった。この時、突然見るからに富豪の貴婦人が表れ、唯月を自分の姪だと言ってきたのだった。佐々木母は我慢できずさらに尋ねようとした。一体この金持ちであろう夫人が本当に唯月の母方の親戚なのか確かめたかったのだ。どうして以前、一度も唯月から聞かされなかったのだろうか?唯月の母方の親族たちは、確か貧乏だったはずだ。詩乃は横目で佐々木母を睨みつけ、唯月の手を取り、つらそうに彼女の傷ついた顔を優しく触った。そして非常に苦しそうに言った。「唯月ちゃん、私と唯花ちゃんがしたDNA鑑定の結果が出たのよ。私たちは血縁関係があるのあなた達姉妹は、私の妹の娘たちなの。だから私はあなた達の伯母よ。私のこの姪をこのような姿にさせて、ひとことごめんで済まそうですって?」詩乃はまた佐々木親子を睨
一行が人だかりの中に入っていった時、唯花が「お姉ちゃん」と叫ぶ声が聞こえた。陽も「ママ!」と叫んでいた。唯花は英子たち親子が一緒にいるのと、姉がボロボロになっている様子を見て、どういうわけかすぐに理解した。彼女はそれで相当に怒りを爆発させた。陽を姉に渡し、すぐに後ろを振り向き、歩きながら袖を捲り上げて、殴る態勢に移った。「唯花ちゃん」詩乃の動作は早かった。素早く唯花のところまで行き、姉に代わってあの親子を懲らしめようとした彼女を止めた。「唯花ちゃん、警察の方にお任せしましょう」すでに警察に通報しているのだから、警察の前で手を出すのはよくない。「神崎さん、奥様、どうも」隼翔は神崎夫婦が来たのを見て、とても驚いた。失礼にならないように隼翔は彼らのところまでやって来て、挨拶をした。夫婦二人は隼翔に挨拶を返した。詩乃は彼に尋ねた。「東社長、これは一体どうしたんですか?」隼翔は答えた。「神崎夫人、彼女たちに警察署に行ってどういうことか詳しく話してもらいましょう」そして警察に向かって言った。「うちの社員が被害者です。彼女は離婚したのに、その元夫の家族がここまで来て騒ぎを起こしたんです。まだ離婚する前も家族からいじめられて、夫からは家庭内暴力を受けていました。だから警察の方にはうちの社員に代わって、こいつらを処分してやってください」警察は隼翔が和解をする気はないことを悟り、それで唯月とあの親子二人を警察署まで連れていくことにした。隼翔と神崎夫人一家ももちろんそれに同行した。唯花は姉を連れて警察署に向かう途中、どういうことなのか状況を理解して、腹を立てて怒鳴った。「あのクズ一家、本当に最低ね。もしもっと早く到着してたら、絶対に歯も折れるくらい殴ってやったのに。お姉ちゃん、あいつらの謝罪や賠償なんか受け取らないで、直接警察にあいつらを捕まえてもらいましょ」唯月はしっかりと息子を抱いて、きつい口調で言った。「もちろん、謝罪とか受け取る気はないわよ。あまりに人を馬鹿にしているわ!おじいさんが彼女たちを恐喝してお金を取ったから、それを私に返せって言ってきたのよ」唯花は説明した。「あの元義母が頭悪すぎるのよ。うちのおじいさんのところに行って、お姉ちゃんが離婚を止めるよう説得してほしいって言いに行ったせいでしょ。あ
佐々木親子二人は逃げようとした。しかし、そこへちょうど警察が駆けつけた。「あの二人を取り押さえろ!」隼翔は親子二人が逃げようとしたので、そう命令し、周りにいた社員たちが二人に向かって飛びかかり、佐々木母と英子は捕まってしまった。「東社長、あなた方が通報されたんですか?どうしたんです?みなさん集まって」警察は東隼翔と知り合いだった。それはこの東家の四番目の坊ちゃんが以前、暴走族や不良グループに混ざり、よく喧嘩沙汰を起こしていたからだ。それから足を洗った後、真面目に会社の経営をし、たった数年だけで東グループを星城でも有数の大企業へと成長させ、億万長者の仲間入りをしたのだった。ここら一帯で、東隼翔を知らない者はいない。いや、星城のビジネス界において、東隼翔を知らない者などいないと言ったほうがいいか。「こいつらがうちまで来て社員を殴ったんです。社員をこんなになるまで殴ったんですよ」隼翔は唯月を引っ張って来て、唯月のボロボロになった姿を警察に見てもらった。警察はそれを見て黙っていた。女の喧嘩か!彼らはボロボロになった唯月を見て、また佐々木家親子を見た。佐々木母はまだマシだった。彼女は年を取っているし、唯月はただ彼女を押しただけで、殴ったり手を出すことはしなかったのだ。彼女はただ英子を捕まえて手を出しただけで、英子はひどい有り様になっていた。一目でどっちが勝ってどっちが負けたのかわかった。しかし、警察はどちらが勝ったか負けたかは関係なく、どちらに筋道が立っているかだけを見た。「警察の方、これは家庭内で起きたことです。彼女は弟の嫁で、ちょっと家庭内で衝突があってもめているだけなんです」英子はすぐに説明した。もし彼女が拘留されて、それを会社に知られたら、仕事を失うことになるに決まっているのだ。彼女の会社は今順調に行ってはいないが、彼女はやはり自分の仕事のことを気にしていて、職を失いたくなかったのだ。「私はこの子の義母です。これは本当にただの家庭内のもめごとですよ。それも大したことじゃなくて、ちょっとしたことなんです。少し手を出しただけなんですよ。警察の方、信じてください」佐々木母はこの時弱気だった。警察に連れて行かれるかもしれないと恐れていたのだ。市内で年越ししようとしていたのに、警察に捕ま
東隼翔は顔を曇らせて尋ねた。「これはどういうことだ?」英子は地面から起き上がり、まだ唯月に飛びかかって行こうとしていたが、隼翔に片手で押された。そして彼女は後ろに数歩よろけてから、倒れず立ち止まった。頭がはっきりとしてから見てみると、巨大な男が暗い顔をして唯月を守るように彼女の前に立っていた。その男の顔にはナイフで切られたような傷があり非常に恐ろしかった。ずっと見ていたら夜寝る時に悪夢になって出てきそうなくらいだ。英子は震え上がってしまい、これ以上唯月に突っかかっていく勇気はなかった。佐々木母はすぐに娘の傍へと戻り、親子二人は非常に狼狽した様子だった。それはそうだろう。そして唯月も同じく散々な有様だった。喧嘩を止めようとした警備員と数人の女性社員も乱れた様子だった。彼らもまさかこの三人の女性たちが殴り合いの喧嘩を始めてあんな狂気の沙汰になるとは思ってもいなかったのだ。やめさせようにもやめさせることができない。「あんたは誰よ」英子は荒い息を吐き出し、責めるように隼翔に尋ねた。「俺はこの会社の社長だ。お前らこそ何者だ?俺の会社まで来てうちの社員を傷つけるとは」隼翔はまた後ろを向いて唯月のみじめな様子を見た。唯月の髪は乱れ、全身汚れていた。それは英子が彼女を地面に倒し殴ったせいだ。手や首、顔には引っ掻き傷があり、傷からは少し血が滲み出ていた。「警察に通報しろ」隼翔は一緒に出てきた秘書にそう指示を出した。「東社長、もう通報いたしました」隼翔が会社の社長だと聞いて、佐々木家の親子二人の勢いはすっかり萎えた。しかし、英子はやはり強硬姿勢を保っていた。「あなたが唯月んとこの社長さん?なら、ちょうどよかった。聞いてくださいよ、どっちが悪いか判定してください。唯月のじいさんが私の母を恐喝して百二十万取っていったんです。それなのに返そうとしないものだから、唯月に言うのは当然のことでしょう?唯月とうちの弟が離婚して財産分与をしたのは、まあ良いとして、どうして弟が結婚前に買った家の内装を壊されなきゃならないんです?」隼翔は眉をひそめて言った。「内海さんのおじいさんがあんたらを脅して金を取ったから、それを取り返したいのなら警察に通報すればいいだけの話だろう。内海さんに何の関係がある?内海さんと親戚がどんな状況なの
その時、聞いていて我慢できなくなった人が英子に反論してきた。「そうだ、そうだ。自分だって女のくせに、あんなふうに内海さんに言うなんて。内海さんがやったことは正しいぞ。内海さん、私たちはあなたの味方です!」「こんな最低な義姉がいたなんてね。元旦那が浮気したから離婚したのは言うまでもないけど、もし浮気してなくたって、さっさと離婚したほうがいいわ、こんな最低な人たちとはね。遠く離れて関わらないほうがいいに決まってる」野次馬たちはそれぞれ英子を責め始めた。そのせいで英子は怒りを溜め顔を真っ赤にさせ、また血の気を引かせた。唯月が彼女に恥をかかせたと思っていた。そして彼女は突然、力いっぱい唯月が支えていたバイクを押した。バイクは今タイヤの空気が抜けているから、唯月がバイクを押すのも力を入れる必要があった。それなのに英子が突然押してきたので、唯月はバイクを支えることができず、一緒に地面に倒れ込んでしまった。「金を返せ。あんたのじいさんがお母さんから金を受け取ったのを認めないんだよ。じいさんの借金は孫であるあんたが返せ、さっさとお母さんに金を払うんだよ」英子はバイクと一緒に唯月を地面に倒したのに、それでも気が収まらず、彼女が持っていたかばんを振り回して力を込めて唯月を叩いた。さらには足も使い、立て続けに唯月を蹴ってきた。唯月はバイクを放っておいて、立ち上がり乱暴に英子からそのかばんを奪い、狂ったように英子を殴り返した。彼女は英子に対する恨みが積もるに積もっていた。本来離婚して、今ではもう佐々木家とは赤の他人に戻ったので、ムカつくこの佐々木家の人間のことを忘れて自分の人生を送りたいと思っていた。それなのに英子は人を馬鹿にするにも程があるだろう、わざわざ問題を引き起こすような真似をしてきた。こんなふうに過激な態度に出れば、善悪をひっくり返せるとでも思っているのか?この間、唯月と英子は殴り合いの喧嘩をし、その時は英子が唯月に完敗した。今日また二人が殴り合いになったが、佐々木母はもちろん自分の娘に加勢してきた。この親子は手を組んで、唯月を二対一でいじめてきたのだ。「警察、早く警察に通報して!」その時、誰かが叫んだ。「すみません警備員さん、こっちに来て喧嘩を止めてちょうだい。この女二人がうちの会社まできて社員をいじめてるんです」
唯月がその相手を見るまでもなく、誰なのかわかった。その声を彼女はよく知っている。それは佐々木英子、あのクズな元義姉だ。佐々木母は娘を連れて東グループまで来ていた。しかし、唯月は昼は外で食事しておらず、会社の食堂で済ませると、そのままオフィスに戻ってデスクにうつ伏せて少し昼寝をした。それから午後は引き続き仕事をし、この日は全く外に出ることはなかったのだ。だからこの親子二人は会社の入り口で唯月が出てくるのを、午後ずっとまだか、まだかと待っていたのだ。だから相当に頭に来ていた。やっとのことで唯月が会社から出てきたのを見つけ、英子の怒りは頂点に達した。それで会社に出入りする多くの人などお構いなしに、大声で怒鳴り多くの人にじろじろと見られていた。物好きな者は足を止めて野次馬になっていた。唯月はただの財務部の職員であるだけだが、東社長自ら採用をしたことで会社では有名だった。財務部長ですら、自分の地位が脅かされるのではないかと不安に思っていた。唯月は以前、財務部長をしていたそうだし。上司は唯月を警戒せずにいられなかった。さらに、唯月が東社長に採用されことで、上司は必要以上に彼女のことを警戒していたのだ。唯月は彼女にとって目の上のたんこぶと言ってもいい。周りからわかるように唯月を会社から追い出すことはできないから、こそこそと汚い手を使っていた。財務部職員によると、唯月は何度も上司から嫌がらせを受け、はめられようとしていたらしい。しかし、彼女は以前この財務という仕事をやっていて経験豊富だったので、上司の嫌がらせを上手に避けて、その策略に、はまってしまうことはなかった。「あなた達、何しに来たの?」唯月は立ち止まった。そうしたいわけじゃなく、足を止めるしかなかったのだ。元義母と元義姉が彼女の前に立ちはだかり、バイクを押して行こうとした彼女を妨害したのだ。「私らがどうしてここに来たのかは、あんた、自分の胸に聞いてみることだね。うちの弟の家をめちゃくちゃに壊しやがって、弁償しろ!もし内装費を弁償しないと言うなら、裁判を起こしてやるからね!」英子は金切り声で騒ぎ立て、多くの人が足を止めて野次馬になり、人だかりができてきた。彼女はわざと大きな声で唯月がやったことを周りに広めるつもりなのだ。「あなた方の会社の社員、ええ、内海唯
「伯母さんはあなた達が簡単にやられてばかりな子たちだとは思っていないわ。ただ妹のためにも、あの人たちをギャフンと言わせてやりたいのよ」唯花はそれを聞いて、何も言わなかった。それから伯母と姪は午後ずっと話をしていた。夕方五時、詩乃はどうしても唯花と一緒に東グループに唯月を迎えに行くと言ってきかなかった。唯花は彼女のやりたいようにさせてあげるしかなかった。そして、唯花は車に陽を乗せ自分で運転し、神崎詩乃たち一行と颯爽と東グループへと向かっていった。明凛と清水は彼らにはついて行かなかった。途中まで来て、唯花は突然おばあさんのことを思い出した。確か午後ずっとおばあさんの姿を見ていない。唯花はこの時、急いでおばあさんに電話をかけた。おばあさんが電話に出ると、唯花は尋ねた。「おばあちゃん、午後は一体どこにいたの?」「私はそこら辺を適当にぶらぶらしてたの。仕事が終わって帰るの?今からタクシーで帰るわ」実はおばあさんはずっと隣のお店の高橋のところにいたのだった。彼女は唯花たちの前に顔を出すことができなかったのだ。神崎夫人に見られたら終わりだ。「おばあちゃん、私と神崎夫人のDNA鑑定結果がでたの。私たち血縁関係があったわ。それで伯母さんが私とお姉ちゃんを連れて一緒に神崎さんの家でご飯を食べようって、だから今陽ちゃんを連れてお姉ちゃんを迎えに行くところなの。おばあちゃんと清水さんは先に家に帰っててね」「本当に?唯花ちゃん、伯母さんが見つかって良かったわね」おばあさんはまず唯花を祝福してまた言った。「私と清水さんのことは心配しないで。辰巳に仕事が終わったら迎えに来てもらうから。あなたは伯母さんのお家でゆっくりしていらっしゃい。彼女は数十年も家族を捜していたのでしょう。それはとても大変なことだわ。伯母さんのお家に一晩いても大丈夫よ。私に一声かけてくれるだけでいいからね」唯花は笑って言った。「わかったわ。もし伯母さんの家に泊まることになったら、おばあちゃんに教えるわね」通話を終えて、唯花は一人で呟いた。「午後ずっと見なかったと思ったら、また一人でぶらぶらどこかに出かけてたのね」年を取ってくると、どうやら子供に戻るらしい。そして唯月のほうは、妹からのメッセージを受け取り、彼女たちが神崎夫人と伯母と姪の関係で
昔の古い人間はみんなこのような考え方を持っている。財産は息子や男の孫に与え、女ならいつかお嫁に行ってしまって他人の家の人間になるから、財産は譲らないという考え方だ。息子がいない家庭であれば、その親族たちがみんな彼らの財産を狙っているのだ。跡取り息子のいない家を食いつぶそうとしている。それで多くの人が自分が努力して作り上げた財産を苗字の違う余所者に継承したがらず、なんとかして息子を産もうとするのだった。「二番目の従兄って、内海智文とかいう?」詩乃は内海智文には覚えがあった。主に彼が神崎グループの子会社で管理職をしていて、年収は二千万円あったからだ。彼女たち神崎グループからそんなに多くの給料をもらっておいて、彼女の姪にひどい仕打ちをしたのだ。しかもぬけぬけと彼女の妹の家までも奪っているのだから、智文に対する印象は完全に地の底に落ちてしまった。後で息子に言って内海智文を地獄の底まで叩き落とし、街中で物乞いですらできなくさせてやろう。「彼です。うちの祖父母が一番可愛がっている孫なんですよ。彼が私たち孫の中では一番出来の良い人間だと思ってるんです。だからあの人たちは勝手に智文を内海家の跡取りにさせて、私の親が残してくれた家までもあいつに受け継がせたんです。正月が過ぎたら、姉と一緒に時間を作って、故郷に戻って両親が残してくれた家を取り戻します。家を売ったとしても、あいつらにはあげません!」そうなれば裁判に持っていく。今はもうすぐ年越しであるし、姉が離婚したばかりだから、唯花はまだ何も行動を起こしていないのだ。彼女の両親が残した家は、90年代初期に建てられたものだ。実際、家自体はそんなにお金の価値があるものではないが、土地はかなりの値段がつく。彼女の家は一般的な一軒家の坪数よりも多く敷地面積は100坪ほどあるのだ。彼女の両親がまだ生きていた頃、他所の家と土地を交換し合って、少しずつ敷地面積を増やしていき、ようやく100坪近くある大きな土地を手に入れたのだった。母親は、彼女たち姉妹に大人になって自立できるようになったら、この土地を二つに分けて姉妹それぞれで家を建て、隣同士で暮らしお互いに助け合って生きていくように言っていたのだ。「まったく人を欺くにも甚だしいこと。妹の財産をその娘たちが受け継げなくて、妹の甥っ子が資格を持っ
姫華は唯花たちが引っ越し作業を終えてから、ようやく自分がそんなに面白いことを逃したのだと知ったのだった。だから彼女は明凛と唯花に不満を持っていた。明凛は唯花に姫華にも教えるよう言ったが、唯花が彼女はお嬢様だから家をめちゃくちゃにするという乱暴なシーンは見せたくないと思い姫華には伝えなかったのだ。確かに姫華は名家の令嬢であるが、神崎姫華だぞ。神崎姫華は星城の上流社会ではあまり評判が良くない。他人が彼女のことを横暴でわがまま、理屈が通じないというくらいなのだから、そんな彼女が家を壊すくらいのシーンで音を上げるとでも?逆に、彼女自身も機嫌が悪い時にはハチャメチャなことをしでかすというのに。「姉がもらうべき分はしっかりと財産分与させました。ただ内装費に関しては佐々木家が拒否したので、私たちが人を雇ってその内装を全て剥がしたんです」詩乃はそれを聞いて「それはそうすべきよ。どうして佐々木家においしい思いをさせる必要なんてあるかしら」と唯花たちの行動を当たり前だと言った。そして最後にまた残念そうにこう言った。「もし伯母さんが知っていれば、あなた達の家族として、大勢で彼らのところまで押しかけて内装費を意地でも出させてあげたものを。これは正当な権利よ」この時、唯花はふいに姫華の性格は完全に母親譲りなのだと悟った。「唯花ちゃん、もうちょっとしたらお店を閉めて私たちと一緒に神崎家に帰りましょう。家族みんなで食事をするの。そうだ、あなたの旦那さんはお時間があるのかしら?彼も一緒にいらっしゃいよ」唯花は「夫は今日出張に行ったばかりなんです。たぶん暫くの間帰ってきません。彼が帰ってきたら、一緒に詩乃伯母さんのお宅にお邪魔します」と返事した。「出張に行ってらっしゃるのね。なら、彼が帰って来てからお会いしましょう」詩乃はすぐに姪の夫に会えなくても特に気にしていなかった。彼女にとって、二人の姪のほうが重要だったからだ。今、彼女は姪を見つけることができて、姪二人にはこの神崎詩乃という後ろ盾もできた。ちょうど唯花に代わってその夫が頼りになる人物なのか見極めることができよう。「あなたのお姉さんは五時半にお仕事が終わるのよね?」「ええ」神崎夫人は時間を見て言った。「お姉さんはどこで働いていらっしゃるの?」「東グループです」神崎夫人は「そ