「食事くらい、当たり前のことだろ」念江は微笑んで言った。「紗子ちゃん、何が食べたい?」そう言いながら、念江メニューを二人に差し出した。「私は何でもいいよ。お二人で決めて」紗子はふっと笑って答えた。「じゃあゆみの好きなものを頼もう」念江は頷いた。「はい」注文して暫くすると、ウェイターが料理を運んできた。ゆみはエビが大好物なので、念江はえびの殻を剥いて、器に入れてやった。ゆみは、夢中で食べながら紗子と話に花を咲かせていた。二人が盛り上がっている最中、ゆみの視線が突然窓の外に釘付けになり、笑顔が一瞬で凍りついた。紗子はその異変に気づき、ゆみの視線を追った。窓の外では、清楚な男性の隣を女性が歩いていた。女性は楽しそうに話しながら、手に持った食べ物を男性に差し出していた。しかし、男性は食べなかった。ゆみは頬っぺたを膨らませたまま、外の二人を見てぎゅっと唇を結んだ。紗子はゆみの反応を見て、その男性が澈だとすぐに分かった。彼女は視線をゆみに戻し、心配そうに見つめた。「ゆみ……」「大丈夫!さあ、どんどん食べよう!」ゆみは口いっぱいの食べ物を噛みながら答えた。二人の会話を聞いて、念江はゆみを見つめた。「どうした?」目に怒りを浮かべた妹を見て、念江は眉をひそめた。「見たくない二人が見えちゃった。最悪!」ゆみはエビを飲み込みながら答えた。念江は紗子に視線を送り、紗子にそれ以上聞かないよう首を振って合図した。しばらくして、ゆみは席を外してお手洗いに言った。念江はようやく紗子に確かめるチャンスを得た。「さっき、ゆみは澈を見たのか?」「ええ、澈の隣に女の子がいて、仲良さそうだった」紗子ちゃんは率直に答えた。「あの子、まだ澈と打ち解けるのを拒んでいるようだな」念江は軽くため息をついた。「ゆみと澈の事情は聞いたわ」紗子は言った。「私がチャンスを見て澈と話してみる。このままではらちが開かないから」「すまない、頼む」念江は軽く笑いながら言った。「いいえ」夕食後、三人は潤ヶ丘に戻った。ゆみたちが家に着いてすぐ、佑樹も帰宅した。玄関の物音を聞いて、ゆみはすぐに佑樹だと分かった。彼女はさっと立ち上がり、玄関に向かった。「我が家
ゆみは唇を尖らせたが、紗子の提案を拒まなかった。14年前なぜ澈があんな風に連絡を絶ったのか、実は彼女が誰よりも気になっていた。ただ、ゆみはプライドが高くて、相手が自分を無視した本当の理由を知るのが怖かった。だから真相を調べようとはせず、事実を知ろうともしなかった。他人にすがりつくような真似はしたくない。無視するならそれまでだ。別に構わない!紗子の入学手続きに付き添った後、ゆみは彼女と一緒に教室を見て回った。日曜日だったので、校舎にはほとんど学生がいなかった。教室に着くと、二人は腰を下ろして休んだ。「紗子ちゃん、本当に佑樹兄さんのことが好きなの?」澈の話題はもう続けたくなかったゆみは、話題を変えて紗子に尋ねた。「何でいきなり?」紗子は笑顔で彼女を見た。「念江お兄ちゃんだっているじゃない!優しくて細やかで、あの短気な次兄よりずっと良いのに!」ゆみは長兄を持ち上げて言った。「念江さんの性格って私と似てると思わない?」紗子は言った。「似た者同士が一緒になると、お互いを敬って一生過ごすことになる。喧嘩はないけど、とても平凡な日々になる。でも、私が求めているのはそれじゃないの」「それってなんかつまらないわね」ゆみは目尻をピクつかせた。「そうでしょ?」紗子は自分の頰に手を当てながら言った。「佑樹さんが私を惹きつけるのは、その性格なの」「佑樹お兄ちゃんを選ぶなら、本当に恋路は険しくなるよ」ゆみはため息をつき、紗子をじっと見つめた。「どうして?」紗子はぽかんとした。「うまく説明できないけど、佑樹兄さんは簡単に人を好きにならないタイプなの。特に海外から帰ってきてからは……」「海外で何かあったの?」ゆみは唇を噛み、念江から聞いた話を紗子に伝えた。その話を聞いた紗子は呆然とし、しばらく放心状態だった。夕方。ゆみは紗子を潤ヶ丘に連れて帰った。念江は一日中家にいて、佑樹はまだ会社から帰っていなかった。念江は、3人で紗子の歓迎の食事会をしながら佑樹を待とうと提案した。レストランに着くと、ゆみは紗子が来たことと店の場所をLINEで佑樹に伝えた。そして、すぐに佑樹から返信が来た。「行かない」ゆみは兄の返事を読んで呆然とした。「みんなで紗子ちゃ
ゆみは澈を怒鳴りつけると、すぐに教室を飛び出した。澈は追いかけようとしたが、ちょうど授業が始まってしまった。この二人のやり取りは教室の隅に座っていたある人物にしっかりと聞きとられていた。澈が去ると同時に、その人物も後を追った。一週間後。ゆみはMK社の私有空港で紗子の到着を待っていた。ヘリコプターのドアが開くと、巻き毛のロングヘアをした紗子が現れた。彼女は背が高くスタイルは抜群で、雪のように白い肌をしており、人形のように美しい存在だった。活発なゆみに対し、紗子は上品なお嬢様タイプだ。「紗子ちゃん!!」ゆみは嬉しそうに手を振った。紗子は声の方を向き、ゆみを見つけるとほほ笑んだ。そして急ぎ足でゆみの元へやってきた。「あ~、相変わらず良い香りがする」ゆみは両手を広げて紗子に飛びつき、彼女の胸に顔をうずめて深く深呼吸をした。「ちょっと、ゆみ……」紗子は顔を赤らめ、周りを気にしながら小声で言った。「紗子ちゃん、帝都に戻ってきて、私よりも佑樹兄さんに会いたいんでしょ」ゆみは悪戯っぽく笑いながら顔を上げた。「佑樹さん……戻ってきたの?」紗子の表情は一瞬固まり、ゆみをそっと押しのけた。「他の都市にいても、きっとこっちの事情よくチェックしてたでしょ」ゆみは眉を上げて彼女をからかった。「ゆみったら、いつも佑樹さんのことで私をからかう!」紗子はゆみを睨みつけた。「だって面白いんだもん」ゆみは大笑いした。「さ、行こう。車が待ってるから」「まず帝都大学に寄ってから、一緒に行く?」車に乗り込むと、紗子が尋ねた。「もちろん!今日は一日紗子ちゃんと一緒だよ」ゆみはまた紗子の腕に抱きついた。「夜はゆみの家に行くね」紗子は目を細めて言った。「あ、そうそう。で、佑樹兄さんに会うんだね」ゆみは即座に茶化した。「また佑樹さんの話をしたら、もう知らないよ」紗子は怒ったふりをしてゆみを押しのけた。「もう言わないからさ~。でもさ、私たち似てるよね。好きな人をずっと諦められないんだもん」ゆみは紗子にまたくっついて言った。「ゆみの澈は?」紗子はゆみの表情をうかがうように尋ねた。「あの人の話はやめて」ゆみは眉をひそめて煩わしそうに言った。「『ちゃんと
「どうして今まで、一言も言わなかったの……」ゆみの目からは涙がこぼれ落ちた。「君が優しすぎるのが心配になったんだ。そうじゃなければ、こんな怖い話はあえてしなくていいだろ?それでもまだ兄さんのことを手段を選ばない冷酷な人間だと思うか?」念江は優しい声で言った。「もう思わない。兄さんの言いたいことはわかった。一撃で仕留めなければ後で大変なことになるんだね」ゆみは激しく首を振った。「泣くな。もう過ぎたことだ」念江はゆみの涙を拭き、抱きしめて慰めた。「もう二度とそんな危ないことしないと約束して。あんたたち二人を失いたくない」ゆみは念江を強く抱きしめた。「もうしないさ」念江は軽く笑った。「ずっとゆみのそばにいるから」「うん……」昼食を食べながら、ゆみの胸は異常に重かった。彼女はただただ胸が痛んだ。自分は両親と美味しいものを食べ楽しく過ごしていたのに、お兄ちゃん二人は外で苦しんでいたなんて。ゆみは、大きな成長にはある程度の代償がつきものなのだと悟った。午後。念江がゆみを教室に送り届けてから数分も経たないうちに、入口に澈の姿が現れた。ゆみが顔を上げると、彼は階段を上がり、そばに静かに座ってきた。「何しに来たの?」ゆみは彼を睨んだ。「剛の件、念江さんが助けてくれたんだね」「気にする必要ないわ」ゆみは手でペンを弄びながら言った。「剛が私にあんなことをしたから、兄さんが仕返ししただけ」「でも、君が言わなかったら、彼は知らなかったはずだ」澈は言った。「君がこうしたのは、僕が退学処分を喰らうことになると分かったからだろ?」「何を根拠にそんなこと言ってるの?澈くん、何年も会ってないうちに随分ナルシストになったわね!」ゆみは軽くあざ笑いをした。「最初から念江さんに言うつもりなら、昨夜すでに言ってたはずだ」澈は冷静に分析した。「剛の悪事がばらされたのが、朝ではなく昼過ぎだったこともその証拠だ」「……」「ゆみ、どう礼を言えばいいかわからないけど、ありがとう」澈は振り向き、ゆみの横顔を見た。「いいの。元々私のせいであんたがトラブルに巻き込まれたんだから」ゆみは唇を噛んだ。「違う、僕自分から進んでやったことだ」澈は言った。「もしこれが奈
「念江兄さん、でもこれは私が昨日わざとやったことだし、ここまでやらなくてもいいんじゃないかな」ゆみは軽く咳をして、箸を置いた。彼女は最初、念江に理事長に話をつけてもらおうと思っていた。まさか兄がこんな方法を取るとは思わなかった。考えてみれば、彼女が罠を仕掛けなかったら、剛も暴力を振るうことにならず、今のような事態にはならなかったはずだ。「ゆみ、自分にも責任があるから、彼を見逃してやりたいとでも?」念江が尋ねた。「そう…」ゆみは頷いた。「じゃあ、彼に弄ばれた女の子たちのことは考えたか?」念江は問いかけた。「彼のような人間は社会を害するだけだ」「確かに、そこまで考えてなかった……」「過度に他人に情けをかけるのは、自分に残酷なことをするに等しい」念江は遠い目をした。「僕と佑樹は、優しさのせいで何度騙されたか知ってるか?」ゆみは興味深そうに彼を見た。「ソンフィエルというジャングルを知ってるか?」念江はペットボトルの蓋を開け、一口飲んで喉を潤した。「知らない」ゆみは眉をひそめて考えたが、すぐに首を振った。「あの雨林は想像を絶する危険に満ちているんだ。5年前、僕と佑樹はそこに送り込まれた。同じくらいの年の子供たちと一緒に。僕たちを含めて20人いたが、出て来れたのは5人だけだった。残りの15人がどうなったかわかるか?」「みんな……死んだの?」ゆみは唾を飲み込んだ。「そうだ」念江は言った。「彼らは死んだ。食料の奪い合いで、あるいは仲間を信じすぎた優しさで」「死ぬことと仲間を信じることに何の関係が?危険な時ほど団結すべきじゃないの?」「違うさ。自分が危険な目にあっている時ほど、裏切るものだ。未知の危険に遭遇すると、真っ先に仲間を犠牲にしようとする。仲間の死が、彼らに危機を脱する方法をもたらすからな。仲間を守ろうとして無理に自分から問題解決に乗り出すと、痛い目にあう」念江は軽く笑って言った。ゆみは念江の言葉を理解できず、ただ残酷さを感じた。「念江兄さんたちもそんなことしたの?」ゆみはしばらく沈黙してから尋ねた。「生き残るためだ。そうしなければ、死ぬのはこちらのほうだった」「……」念江は腕を上げ、長袖を捲り上げた。肌白い腕に、恐ろしい傷痕が見えた
「ゆみの目には澈しか映ってないんだね。兄さんは君のために動いて、お腹が空いてるのに」念江は呆れたように彼女を見た。「わかったよ!おごるよ!」ゆみは甘えた声でそういうと念江の手を繋いだ。「君のポケットマネーで、兄さんを食事に誘えるのかい?」念江は軽く笑った。「外では無理だけど、学校の食堂なら大丈夫」ゆみは照れくさそうに頭を掻いた。「じゃあ、食堂で」食堂。ゆみは念江の好物をたくさん注文した。「これ全部、念江兄さんの好きなものだよね?」彼女は料理を念江の前に運びながら言った。念江は答えず、微笑んである方向を見た。ゆみが訝しげに兄の視線を辿ってみると、少し離れた席に座っている澈の姿が見えた。澈は一人ではなく、奈々子や他のクラスメイトと一緒だった。彼らは近くに座っており、ゆみにはその会話がはっきりと聞こえた。「まさか剛があんな奴だったなんて!」「ほんと!見た目はまともそうだったのに。昔、女の子を妊娠させて捨てたんだって!」「彼の親が教室に来た時の顔、見た?」「もちろん!『澈をどうにかする』って騒ぎながら入ってきたのに、すぐ後に先生が来て剛の噂が広がっているって言われてさ。一番笑えたのは、親自身、何が起きたか知らずに先生と喧嘩し始めたところだよね。先生が堪えきれずに剛の悪事を暴露したら、顔色が一瞬で真っ青になってたわ!」「でも変だよ。きっと誰かが澈を助けたんだ。だって剛のことこんな急に急に知れ渡るなんて」その言葉を聞いて、澈の箸を握る手が一瞬止まった。しかしすぐにまた静かに食事を続けた。ゆみはゆっくりと視線を戻した。念江が言っていた「解決した」という言葉の意味がよくわかった。彼は剛の過去を調べ上げ、彼がやらかした悪事を広めたのだ。「その手際のよさに感心するわ」ゆみは兄を見上げ、牛肉を彼の皿に取り分けた。「どうやらわかったみたいだね。でもこれはまだまだ序盤だ」念江は笑みを浮かべた。「え?」ゆみの手が止まった。「そう」念江は相変わらず爽やかな笑顔で言った。「言っただろう?『彼を社会的に葬り去る』って。その言葉の意味をよく考えて」「もっと詳しく教えて……」ゆみは心臓を掴まれたような感覚を覚えた。「彼が傷つけた女の子たちの親には、全てこ