狛村静恵は彼女の背中を見つめながら、口元に陰湿な笑みを浮かべた。当時彼女を助けてよかった。でないと今は本当に使う手先がいなくなる!松沢楠子と出会ったのは、彼女が海外で交通事故に遭った妹を助ける時だった。当時の病院では、同型の血液のストックが切れかけていた。途方に暮れた楠子は、偶然静恵に出会った。あの時の静恵はちょうど、とある金持ちの治療に付き合っていた。静恵は自分の優しさを見せつけるために、楠子と血液の照合をした。まさかあろうことか、静恵の血液は楠子の妹と完璧にマッチしていた!輸血をした後、静恵は楠子に、妹を助ける為の大金を渡した。しかし、その妹は結局助からなかった。まったく、金と血の無駄だった!だが、良いこともあった。静恵のその挙動に金持ちが感動したようで、巨額の金を渡してきた。それらを思い出すと、静恵は更につらくなった。影山先生などいなかったら、彼女は帰国などしなかった!今の窮地に陥ることもなかった!影山先生がすべての元凶と言っても過言ではない!静恵は自分の指をきつく噛んだ。死ぬなら、お前達全員を道連れにしてやる!!森川家旧宅にて。静恵が別荘に戻ると、次郎はリビング父と話していた。彼女は素早く眼底に浮かんでいた嫌悪を隠し、代わりに優しそうな笑みで挨拶した。「次郎さん、ただいま」次郎と森川世典が同時に静恵の方を見た。「お父様、ちょっと静恵に話があるので、これで失礼する」「分かった、行ってよい」2人は部屋に戻った。静恵はいきなり次郎の懐に飛び込み、問答無用にキスで彼の口を塞いだ。次郎の眉間嫌悪が浮かび、彼女を押しのけた。「何をする?」静恵は可哀想に次郎を見つめた。「次郎さん、何で私を押しのけたのよ?」「医者は何か言っていたか?」次郎は警戒して静恵に聞いた。「ただの蕁麻疹よ、特に問題はなかった」静恵は涼しい顔で答えた。「信じていいんだろうな」「本当だって。これからの人生を一緒に歩むのだから、嘘をついてもいずれバレるわ。医者さんは、春の空気が湿りすぎていて、蕁麻疹が発疹したと言っていたわ」次郎の深く寄せていた眉が解かれた。「俺を騙したらどうなるか、分かってるよな」「もちろん、分かってるわ」静恵は再び次郎に
入江紀美子は頑張って体を起こした。「あなたがここにいたら、会社はどうするの?」「ちゃんと引継ぎをしてきた。あなたが起きたら戻るつもりだったんだ。今日はゆっくり休んどいて」露間朔也は紀美子に説明した。「ダメよ」紀美子は首を振り、「午後には会議がある」と言った。「大丈夫だ、俺が出る」朔也は紀美子の枕を直しながら言った。「今会社の状態は安定してるし、売上も日に日に伸びている」紀美子は朔也を見つめ、そしてクスっと笑った。「随分と余裕があるじゃない」「まあまあだな」「でもやっぱり工場の方を見ておいてもらいたいの。もしまた前回のような火事が起きたら終わりよ」「ちゃんと火の用心を注意しておいた、それに、ボディーガードに見張り役を頼んでおいたよ!」「楠子は今日会社にいる」紀美子はやはり心配していた。「とにかく、会社の仕事は全部指示してあるので、心配無用だって!」もう出社する理由がなくなった紀美子は、大人しく静養することにした。昼頃。田中晴は森川晋太郎に会いにMK社に来た。彼は紀美子が熱が出たことを晋太郎に教えた。「あなた達、昨夜は一体どんな酷い喧嘩をしたんだ?紀美子はそのせいで熱も出てたし」晋太郎は書類の山から頭を上げ、眉を寄せた。「熱?今病院にいるのか?」晴は頷いた。「そうだよ。昨夜の話によると、体温が一度40℃を超えていて、意識があやふやになっていた」晋太郎はすぐ手に持っていたペンをおき、コートを持って出ようとした。「紀美子に会いに行くのか?」晋太郎は足を止めようとしなかったが、晴はまた口を開いた。「今の紀美子はあなたに会いたいと思うか?」晋太郎は足を止め、暫く考えてから口を開いた。「たとえ彼女が俺に会いたくなくても、彼女を1人で病院に残すことはできない!」「やめろ、彼女は熱が引いたばかりだ。あなたが行ってまた喧嘩になって具合が悪くなったらどうする?一体何を考えているんだ?こっそり検査してたらよいものを!」「俺が間違ってたとでも?」晋太郎は振り向いて、低い声で晴に聞いた。「そうじゃないけどさ、ただ、やり方が荒すぎてちゃんと紀美子の気持ちを考えていなかったことが良くなかった」晴は説明した。晋太郎の顔が更に曇ってきた。「ずっと心配し
「そんなこと、私が起こらせるとでも?」森川晋太郎はあざ笑いをした。「ちゃんと準備してから行くに決まっている」「女一人の為に実の父親を監獄に入れるなんて、そんなことができる人間はあなたしかいないよ」田中晴は感嘆した。「父親、だと?」晋太郎の眼底に凍てつくほどの冷たさが漂った。「あんな奴は、父親と呼ばれる資格はない!」晴は絶句した。その話はあながち間違っていなかった。森川貞則は晋太郎に対して、本来父親にはあるべき愛情が全くなかった。彼は晋太郎を利用するばかりだ!今、森川次郎もMKに入ってきて、彼は将来晋太郎に取って代わる存在になるだろう。晴は心の中で自分の親友を心配した。病院の外にて。渡辺瑠美は塚原悟が車に乗り込んだのをみて、慌てて彼を尾行した。暫く走ると、悟はとある路地裏で車を止めた。瑠美も車から降りようとする時、路地裏から帽子の被った男が現れてきた。悟はその男に何かを言うと、男はすぐに頷いた。そして、二人が路地裏の奥に入って行った。瑠美は素早く車を降り、続けて悟を尾行した。2人の男は古ぼけた雑居ビルに入ったのを見て、瑠美は現在地を渡辺翔太に送信し、彼らの後について階段を登っていった。ビルの中はゴミだらけで、酷い匂いがしていた。何故塚原悟のようなきれい好きな男がこんな所に来たのか、瑠美は理解出来なかった。暫く階段を上り詰めると、瑠美は手すりの隙間から上を見上げた。2人の男の足音が止まり、ドアが開かれる音がした。瑠美は音の大きさを弁別していると、ドアが閉められたので、彼女は姿勢を低くしてドアの前に来た。そして彼女はカバンから盗聴ツールを取り出し、ドアにくっつけて中の様子を探った。しかし中からは人が話声が一切出てこなかった。聞こえたのは微かにキーボードを叩く音だけだった。約数分後、悟の声が聞こえてきた。「これだけではまだ物足りない、もっと面積を広げて、もっと分布範囲を大きくする必要がある」面積?分布?何のことなんだろう。「分かりました、後何かご指示ありますか?」「とりあえずこれくらいだ」そして、また足音がしたので、瑠美は素早く盗聴器を仕舞い、廊下へと走った。すると悟が部屋から出てきたので、瑠美は彼がビルを出てから降りて行った。
「3人じゃなくて?」松沢楠子は戸惑った。「バカなの、あなたは?!晋太郎の子に手を出したら殺されるじゃない!私はまだ死にたくない!」狛村静恵は楠子を罵った。「晋太郎と紀美子との関係は普通じゃない。あなたが彼女の子供に手を出して、もし彼にバレたら、きっと彼に怒られる」楠子は静恵に注意した。「もうそこまで構ってられないわ!」静恵は歯を食いしばった。「佑樹のガキが私に恥をかかせた。死んでもらうしかない!」楠子は黙って静恵を見つめた。彼女から見ると、静恵は恐らく心理的な問題があった。しかしその話は、彼女は口に出来なかった。静恵と分かれてから、楠子は会社に戻った。入江紀美子の体調は大分回復したようで、既に会社に戻ってきていた。楠子は書類を持って紀美子を訪ねた。ノックして事務室に入り、楠子は書類を紀美子に渡しながら、「社長、この書類をご覧ください」と言った。紀美子は書類を受け取り、中身を確認した。「社員教育?」楠子は頷き説明した。「今の秘書室のメンバーの能力はまだ足りていなくて、社員教育が必要です」紀美子は笑って、「君、随分と仕事熱心だね」と褒めた。「ありがとうございます。」紀美子は書類にサインした。「経費なら財務の方に伝えておくけど、教育は何回かに分けて行うこと。でないと、皆がいっぺんに出かけて会社は人手不足になりかねないから」「私ひとりでも暫くはもてるはずです」楠子は言った。紀美子は微笑んで、「そんなに頑張ってたら、体が疲れるじゃない?」と聞いた。「大丈夫です、HRにいる頃よりは随分と楽です」「なら、しばらくはよろしくね」楠子が出た後、紀美子の笑顔が消えた。彼女は楠子が他の秘書を遠ざけて何をしようとしているのか分からなかった。相手が既に動きを見せているのなら、彼女も警戒する必要があった。紀美子は、楠子の真の目的を掴むには、自分があまりに目立って行動してはいけないと分かっていた。彼女は暫く考えてから、露間朔也にメッセージを送った。「楠子が秘書達を社員教育に出したいと言ってるけど、私は何回かに分けてやるように伝えたわ」すぐ、昨夜からの返事があった。「何で急に社員教育とかやるんだ?その秘書達はどれもトップクラスの人材だったはず」「彼女
「ゆみちゃん、お兄ちゃんはもうすぐ終わるから、あとで遊んであげるね」入江ゆみは、パソコンの画面に映っているわけのわからないコードを見て、ため息をついた。「もうすぐゆみがあなた達と遊ぶ時間がなくなるのに、遊んでくれないなんて酷いわ」ゆみは不満をこぼした。「何で遊ぶ時間がなくなる?」森川念江は聞いた。「周りにいたずらっ子がいなくなったら、いいことじゃない?」入江佑樹も振り向いて、妹をからかった。「お兄ちゃんのバカ!自分がどんな酷いことを言っているか分からないの?」「酷いことなんか言ってないよ、時間がなくなるなんて、どこにいくつもり?家には毎日戻ってくるだろ?」ゆみは怒ってそのまま床に座り込んだ。「お母さんは、ゆみを修行に送り出すと言ってたよ!」「修行って?」念江は呟いた。「確かに芸術類の習い事なら、ゆみに合いそうだ」「彼女が?」佑樹はあざ笑いをした。「ゆみの音楽の感覚最悪だぞ」「じゃあ、絵を描くのも悪くない」「勘弁して、彼女が描いたネコが、ネズミにしか見えない」「じゃあ、楽器とか?」「ゆみはリズム感が全くないし」「ダンスは?」「リズム感が全くないと言っただろ?」「……」念江はもうそれ以上の習い事が思いつかなかった。「酷い!」ゆみは小さな拳を握り緊めて言った。「お兄ちゃんのバカ!今日はこの拳で痛い目に合わせてあげる!」ゆみは手を上げて佑樹を殴ろうとしたが、佑樹は防御の姿勢をとり、殴り返そうとせず、怒ってもいなかった。「分かった、分かった!」佑樹は妹を慰めた。「今は本当に忙しいから、後でアイスクリームを買ってあげる」ゆみは先ほどの騒ぎで疲れていて、荒い息をしながら兄に確かめた。「本当に忙しいの?ゆみに黙って二人で遊んだりしていない?」念江は慌ててゆみに説明した。「本当だよ、ゆみ、とても大事なことをしているんだ」ゆみは諦めた。「そう。分かったわ……」そう言って、ゆみは部屋を出ようとした。出る前に、ゆみはもう一度2人を見ると、彼達はまたパソコンに注目していたので、彼女はそのまま出ていった。ゆみは庭に出て、森川晋太郎が買ってくれた携帯を出して、ボイスメッセージを送った。「お兄ちゃんたちが遊んでくれない……」晋太
森川晋太郎は藤河別荘に着いた。車を降りようとすると、電話が鳴った。森川次郎の電話番号を見て、晋太郎の顔色は一瞬で曇った。あまり考えずに、彼は電話を切った。しかし車のドアを開けたばかり、次郎の電話がかかってきた。晋太郎は苛立ってきて、電話に出た。「貴様、死にたいなら俺が殺してやる!」「晋よ、俺達はもう同僚になって大分経ってるのに、まだそんなに怒ってるか?」「俺の怒りは、貴様がくたばるまで収まらない!」晋太郎は怒鳴った。「そうか」次郎は笑って聞かせた。「俺が言いたいのは、会社の管理層がお前の態度に相当な不満を抱えているということだ」「だったら何なんだ?」晋太郎は聞き返した。「本当に自分の気持ちを制御できないな、晋。このままだといずれ全てを失ってしまうよ」「黙れ!」晋太郎は怒り狂いそうになった。「失せろ、二度と言わせるな!」「失せてどうする?俺は、お前が少しずつ握っていた権利を失うのを、見届けたくて仕方がない。忘れるなよ。あの日お前が父の前で跪いた無様な姿、俺はもう一度見たいんだ」「貴様!」晋太郎は歯を食いしばった。「死にたいのか?」「そうさ!」次郎は陰湿な笑みを浮かべた。「お前が殺しに来るのを待っている。がっかりさせるなよ!」晋太郎は電話を切ったが、瞳の中は怒りの炎に満ちていた。隣の杉本肇は見ていられなかった。「晋様、あんなクズに怒る必要はありません、そいつは今もう薬漬けになっていますから」晋太郎は拳を握り緊めた。「奴が今担当しているプロジェクトはあと何がある?」「数日前、とある遊園地の再建のプロジェクトを引き受けたそうです……」晋太郎は一瞬で目つきが鋭くなり、脳裏に母が墜落事故に遭った時の惨状が浮かんできた。彼はまるで胸がナイフに刺されたかのように、痛くて窒息しそうなった。次郎がそのプロジェクトを引き受けたのは、自分への復讐に違いない!絶対に彼の思うつぼにさせてはならん!「全力で奴を阻止しろ」晋太郎は冷たい声で指示した。「晋様、会社のハンコですが、ずっと引きずっていると、資金の損耗になりかねません!」肇は晋太郎に注意した。「何故MKキャッシュフローを使う必要があるんだ?」晋太郎は目を細くして言った。
この間、森川晋太郎はその御守で入江紀美子とちょっとした喧嘩になっていた。「ゆみちゃん、それ外した方がいいと思う。変な細菌がついているかもしれないし、ネックレスが好きなら、俺はもっといいのを買ってあげるから」晋太郎は眉を寄せながら、ゆみに言った。「嫌だ!」ゆみは彼を断った。「ゆみはこれが好きなの、これをかけたら夢を見てたの!」「夢?どんな夢?」「仙人のお姉さんと、とてもきれいなおばさんがゆみと遊ぶ夢だよ!隣にワンちゃんもいたの!真っ白な毛並みで、とても大人しくて可愛いワンちゃん!御守をつけたら夢を見るなど、晋太郎は不思議に思った。「よくその夢を見てたのか?」晋太郎は続けて聞いた。ゆみは頷いた。「この御守をつけてからね、ゆみは毎日その夢を見るようになったんだ!今でもはっきり覚えてるの!ただ……その仙人のお姉さんがおばさんが言っていた話、ゆみはよく分からなかったの……」晋太郎から見れば、ゆみが言っていることはあまりにも突拍子だった。だが、ゆみが楽しんでいるのを見て、彼はそれ以上何も言わなかった。ただ、ゆみがあの人の弟子になること、何故入江紀美子が自分と相談しなかった?たとえ自分がまだ子供の父親の身分で彼女とゆみのことを相談していないとしても、彼女の独断でこんなにも簡単に決め手はいけない!いかんせんそれはゆみの将来に関わる事情だから!藤河別荘にて。昼ご飯の時間になったので、竹内佳奈が子供達を呼びに2回に上がった。部屋に入って、佳奈は入江佑樹と森川念江に「お昼だよ」と呼んだ。そして、佳奈はゆみがいないことに気づいた。勇気と念江も驚いて佳奈を見た。「ゆみ、下にいなかった?」佑樹は緊張してきた。「庭は?」念江も心配してきた。ことの重大さに気づいた佳奈は、慌てて降りてボディーガード達に確かめに行った。佑樹と念江も彼女の後ろについておりてきた。佳奈はボディーガードに、「ゆみちゃんを見なかった?」と尋ねた。「見ました、先ほど森川社長が連れていきました」ボディーガードは頷いて答えた。「森川社長って?晋太郎さんのこと?」「はい」その返事を聞いて、佳奈はほっとした。「なんだ、連れていくのなら教えてよ」そう言って、彼女は別荘に入った。佳奈が
「あ……あぁ、わ、わかりました」舞桜はどもりながら答えた。紀美子は違和感を覚え、「どうしたの?」と尋ねた。「な、なんでもないです!」舞桜は焦りながら、「ちょうど今、子供たちのおもちゃを片付けてるんです!切りますね!」と電話を切った。「わかった」紀美子は言った。電話を切った後、舞桜は慌てて階段を駆け上がった。ドアを開け、子供たちに向かって言った。「大変!お母さんが帰ってきちゃう!ゆみがまだ帰ってないけど、どうしよう?」子供たちの顔色が変わり、念江は急いで晋太郎にメッセージを送った。その頃、晋太郎はゆみを連れて自宅への帰路に着いていた。ゆみとおしゃべりしていたため、座席の上で点滅している携帯に気づくことはなかった。晋太郎が返事をくれなかったため、念江は電話をかけたが、電話にも出なかった。念江は眉をひそめて携帯を置き、「たぶんお父さん、気づかなかったんだろう」と言った。「多分、今帰ってきている途中だと思う。ゆみがうるさくしてて、着信の音が聞こえなかったんじゃない?」佑樹は言った。「帰ってくる途中で紀美子さんと鉢合わせしちゃわないかな……」舞桜は言った。佑樹は気にしていないようで、背もたれに体を預けてのんびりとした様子で言った。「どうせ叱られるのはゆみじゃなくて、晋太郎の方だろ?」念江は、佑樹を見て困ったように言った。「僕たちも叱られるんじゃない?」佑樹は後ろで頭を支えていた手を止め、「たぶん、大丈夫だろう……」と答えた。車内。ゆみは遊び疲れたようで、晋太郎の膝に頭をのせ、可愛い目をうつろにしていた。晋太郎はゆみの柔らかい髪に手を当て、「ゆみ、眠いのか?」と尋ねた。ゆみはぼんやりとうなずき、あくびをして、「少し寝たい……」とつぶやいた。晋太郎は腕時計をちらりと見て、「もうすぐ着くから、少し我慢して、帰ってから寝ようか?」と言った。ゆみは身をひるがえして、目を閉じたまま、「ちょっとだけ……」と小さい声で呟いた。晋太郎は微笑みを浮かべながら、「いいよ」と答えた。その言葉を聞くやいなや、ゆみはすぐに眠りについた。10分後。藤河別荘に到着し、晋太郎がゆみを抱きかかえて別荘に連れて行こうとした時、紀美子の車も敷地に入ってきた。晋太郎の車が庭に停まって
紀美子は翔太に事情を簡単に説明した。話を聞いた翔太は深くため息をついた。「あの子たちはみんなしっかりした子たちだ。自分で決めたことなら、無理に引き止めるわけにはいかない。尊重してやらなきゃな。だが……こんな場所で気分転換するべきじゃない」「そういえば、翔太さんはここで何を?」佳世子は話題をそらすように尋ねた。翔太はバーの入口を一瞥しながら答えた。「あの連中は舞桜の遠縁の親戚たちなんだ」二人は顔を見合わせ、紀美子は怪訝そうに聞いた。「どうして舞桜の親戚と一緒に?」翔太は苦笑し、鼻をこすりながら答えた。「実はな、舞桜と一週間後に婚約する予定なんだ」「えっ!?」二人は声を揃えて叫んだ。「そんな大事なこと、どうして教えてくれなかったの?」紀美子は驚きを隠せなかった。佳世子は舌打ちした。「翔太さん、私たちより早いじゃない!」「彼らが帰ってから紀美子に話そうと思ってたんだ」紀美子は軽く眉をひそめた。「さっき見かけたけど、舞桜と同世代くらいの人たちみたいね。難しい人たちなの?」「なんというか……」翔太は小さくため息をついた。「茂の親戚と似たような連中だ。だから君には早く知らせたくなかったんだよ。彼らは本当に面倒を起こすから」「舞桜が止めないの?」佳世子は聞いた。「いつまでも我慢してばかりじゃダメよ!」「止めないわけじゃない」翔太は言った。「舞桜の父親からの試練のようなものだ。舞桜は彼らのことで父親と大喧嘩したんだ。でも、父親は自分だけでは決められないと言ったらしい。舞桜の祖父の意向もあるみたいで」紀美子は話の裏を読み取って聞いた。「もしかして、その祖父って……舞桜と兄さんの関係に反対してるの?」「そうだ」翔太は率直に認めた。「舞桜の祖父は、海軍の偉いさんでさ。我々のような商人のことを、なかなか認めてはくれない」「今どきそんな家柄を気にするなんて!」佳世子は呆れたように言った。紀美子はしばらく考え込んでから言った。「でも、そうでなければ、舞桜もここまで来て兄さんと出会うこともなかったわね」「うん、その通りだ。前に舞桜が俺に会いに来たことが、余計に彼女の祖父の反感を買ったらしい」「舞桜は良い子よ」紀美子は翔太を見つめて言った。
「結婚を発表する日に、この件も公表する」晋太郎はペンを置いてから答えた。今のところ、自分はまだ紀美子を正式に口説き落としていない。いきなりこんな話をしても、笑いものになるだけだ。夜。紀美子は佳世子に連れられ、帝都に新しくオープンしたバーに来ていた。入り口に入った瞬間耳をつんざくような音楽が聞こえてきて、紀美子は鼓動が早くなるのを感じた。彼女は佳世子の手を引き寄せ、耳元で叫ぶように言った。「佳世子、ここはやめようよ。あの人たちに知られたら、飛んでくるに決まってる」「どうしていけないの?」佳世子は紀美子の手を引っ張って中へ進んだ。「あの人たちはあの人たち、私たちは私たちよ。付き合ってるからって、こういう場所に来ちゃいけないルールでもあるの?正しく楽しんでるんだから、平気でしょ!」紀美子は佳世子が気分転換のために連れてきてくれたのだとわかっていた。だが、こういう騒がしい場所は苦手だった。理由は主に二つあった。一つは環境が乱雑なこと、もう一つは晋太郎の性格だ。彼が知れば、このバーごとひっくり返しかねない。自分でトラブルを起こすつもりもなければ、晋太郎に誰かに迷惑をかけさせるつもりもなかった。ボックス席に着いても、紀美子はまだ佳世子の手をしっかり握っていた。「佳世子、やっぱりここは嫌だわ。静かなバーに変えようよ?」「え、何?!」佳世子は聞き取れなかった。紀美子はもう一度繰り返し言った。「紀美子、まず座って落ち着いて話を聞いてよ」佳世子は言った。紀美子は彼女の意図を察し、しぶしぶ一緒に座った。佳世子は紀美子の耳元に寄った。「晋太郎、まだ記憶が戻ったって認めてないでしょ?」紀美子は彼女を見て尋ねた。「それがここに来ることと何の関係が?まさか、彼を刺激したいの?」佳世子は激しく頷いた。「男ってのはみんなそうよ。何か起こさないと本当のことを言わないのよ!」「だめだめ」紀美子は慌てて首を振った。「言わないのは彼の勝手よ。私がどうするかは私の自由。佳世子、本当にここにいたくないの」佳世子はまだ何か言いたげだったが、ふと目の端に映った人影に気づき、言葉を止めた。そしてじっとその見覚えのある姿を見つめながら言った。「紀美子、あの人……あなたのお兄
二人は涙を見せれば、ゆみがますます別れを惜しんでしまうことを恐れていたのだ。「ゆみ、待ってるから!毎日携帯見て、お兄ちゃんたちからの連絡を待ってるからね……ゆみはちゃんと大きくなるよ。ご飯もいっぱい食べて、悪さしないで……うう……早く帰ってきてね……」紀美子も、堪えきれず涙をこぼした。晋太郎がそっと近寄り、彼女を優しく抱き寄せた。この別れは、誰の胸にも重くのしかかっていた。ゆみは学校に行かなければならなかったので、佑樹と念江を見送った後、昼食を取るとすぐに急いで飛行機で帰って行った。紀美子は、がらんとした別荘を見回し胸の奥にぽっかりと穴が空いたような感覚に襲われ、ソファに座ったまま呆然としていた。今にも、子供たちが階上から駆け下りてきてキッチンで牛乳を飲むような気がしてならなかった。そんな紀美子の様子を見て、晋太郎は携帯を取り出し佳世子にメッセージを送った。1時間も経たないうちに、佳世子が潤ヶ丘に現れた。ドアが開く音に、紀美子がさっと振り向いた。佳世子と目が合うと、一瞬浮かんだ期待の色はすぐに消えていった。佳世子は小さくため息をつき、紀美子の隣に座った。「紀美子、まだ子供たちのことで頭がいっぱいなの?」紀美子は微かに頷いた。「うん……なかなか慣れなくて。佑樹と念江も行っちゃったし、ゆみもすぐ帰っちゃったし……」「あの子たち、本当にあなたに似てるわ」佳世子は言った。「あなたが帝都を離れてS国に行った時も、こんな風に自分の目標に向かって突き進んでたもの」紀美子はぽかんとし、思わず苦笑した。「あれは状況に迫られてのことよ」「そんなこと言ったら、まるで子供たちがあなたから離れたくてたまらないみたいじゃない」佳世子は紀美子の手を握った。「そんな話はやめましょう。午後はショッピングに行くわよ!」「ちょっと!」紀美子は驚いたように彼女を見つめて言った。「どうして急に来たの?」佳世子はきょろきょろと周りを見回し、晋太郎の姿がないのを確認すると、小声で言った。「実は、あなたのご主人に頼まれて来たのよ!」紀美子は、ご主人様という言葉を聞いて顔が赤くなった。「え、え?ご主人なんて……私、彼とはまだそんな関係じゃないのよ……」「遅かれ早かれ、そうなるんだから!」佳
俊介は淡く微笑んだ。「晋太郎、子供たちは俺にとって実の孫同然だ。心配する必要はない」その言葉を聞いて、紀美子は少し安心した。一行は保安検査場の目の前まで来ると、紀美子は子供たちの前にしゃがみ込んだ。彼女は無理に笑顔を作りながら、子供たちの腕に手を置いて言った。「一時間後には搭乗よ。誰と一緒でも、自分のことはきちんと守って。無理しないでね」佑樹と念江は頷いた。「ママ、心配しないで。僕たち、できるだけ早く帰るから」佑樹は言った。「ママも体に気をつけてね」念江は笑みを浮かべて言った。「パパと一緒に、今度は妹を作ってよ」紀美子は一瞬固まり、念江の鼻をつまんで言った。「ママとパパはまだ何も決めてないの。その話はまた今度ね」ゆみを待っている晋太郎は、周囲を見回しながらふと紀美子の方を見た。口を開こうとした瞬間、背後から慌ただしい足音が聞こえてきた。「お兄ちゃん!!念江お兄ちゃん!!」ゆみの声が響き、一同が振り返った。ゆみは小さな体で次々と乗客の間を縫うように駆け抜け、全力で佑樹と念江の元へ突進してきた。そして両手で二人の首にしっかりと抱きついた。「間に合ったよ!」ゆみは泣きながら二人の肩に顔を埋めた。「お兄ちゃんたちの見送り、間に合って良かった」佑樹と念江は呆然と立ち尽くした。まさかゆみがこんなに遠くまで見送りに来てくれるとは思ってもいなかったのだ。二人の目が一瞬で赤くなった。これ以上の別れの贈り物はないだろう。二人はゆみをしっかりと抱きしめ、必死に冷静さを保ちながら慰めた。「もう、泣くなよ!」佑樹はゆみの背中を叩いた。「人がたくさんいるんだぞ。恥ずかしくないのか」念江の黒く大きな目は優しさに溢れていた。「ゆみ、わざわざ来てくれてありがとう。大変だったろう」ゆみは二人から手を放した。「向こうに行ったら、絶対に自分のことをちゃんと気遣ってね。時間があったら、必ず電話してよ。分かった?」佑樹と念江は、思わず俊介を見た。その視線に気づいたゆみは、俊介を睨みつけた。「あなたのくだらない規則なんて知らないよ!お兄ちゃんたちを連れて行くのはいいけど、連絡を絶たせるなんてひどいよ!ゆみは難しいことは言えないけど、家族は連絡を取り合うべきだってわか
紀美子は箸を握る手の力を徐々に強めながら、優しく言った。「念江、大丈夫よ。本当にママに会いたくなったら、会いに来ればいい」念江はぽかんとした。「でもあそこは……」紀美子は首を振って遮った。「確かにルールはあるけど、抜け道だってあるはずでしょう?」念江はしばらく考え込んでから頷いた。「うん。僕たちが認められれば、きっとすぐにママに会える」紀美子は安堵の表情でうなずいた。子供たちと食事を終えると、彼女は階上へ上がり、荷造りを手伝った。今回は晋太郎の部下に任せず、自ら佑樹と念江の衣類や日用品をスーツケースに詰めていった。一つ一つスーツケースに収める度に、紀美子の胸の痛みと寂しさは募っていった。ついに、彼女は手を止め俯いて声もなく涙をこぼし始めた。部屋の外。晋太郎が階下へ降りようとした時、子供たちの部屋の少し開いた扉から、一人背を向けて座っている紀美子の姿が目に入ってきた。彼女の細い肩が微かに震えているのを見て、晋太郎の表情は暗くなった。しばらく立ち止まった後、彼はドアを押して紀美子の傍へ歩み寄った。足音を聞いて、紀美子は子供たちが来たのかと慌てて涙を拭った。顔を上げ晋太郎を見ると、そっと視線を逸らした。「どうしてここに……」「俺が来なかったら、いつまで泣いてるつもりだったんだ?」晋太郎はしゃがみ込み、子どもたちの荷物をスーツケースに詰めるのを手伝い始めた。「手伝わなくていいわ、私がやるから」「11時のフライトだ。いつまでやてる気だ?」晋太郎は時計を見て言った。「もう8時半だぞ」紀美子は黙ったまま、子供たちの服を畳み続けた。最後になってやっと気付いたが、晋太郎は服のたたみ方すら知らないようだった。ただぐしゃぐしゃに丸めて、スーツケースの隙間に押し込んでいるだけだった。紀美子は思わず笑みを浮かべて彼を見上げた。「あなた、本当に基本的なことさえできないのね」晋太郎の手は止まり、一瞬表情がこわばった。彼は不機嫌そうに顔を上げ、紀美子を見つめて言った。「何か文句でもあるのか?」紀美子は晋太郎が詰めた服を再び取り出しながら言った。「文句を言ったところで直らないだろうから、邪魔しないでくれる?」「この2日間で、弁護士に書類を準備させた。明日届く
「それは――龍介さんが自分で瑠美とちゃんと話すしかないんじゃない?」紀美子は微笑みながら言った。「紀美子、今夜は瑠美を呼んでくれてありがとう」龍介はグラスを持ち上げた。紀美子もグラスを上げて応じた。「龍介さんにはお世話になりっぱなしなんだから、こんな簡単なことでお礼言われると困るわ」夜、紀美子と晋太郎は子供たちを連れて家に戻った。紀美子が入浴を終えたちょうどその時、ゆみから電話がかかってきた。通話を繋ぐと、ゆみはふさぎ込んだ声で聞いてきた。「ママ、明日お兄ちゃんたち行っちゃうんでしょ?」紀美子はぎょっとした。「ゆみ、それは兄ちゃんたちから聞いたの?」「うん」ゆみが答えた。「ママ、お兄ちゃんたち何時に行くの?」浴室から聞こえる水音に耳を傾けながら、紀美子は言った。「ママも正確な時間わからないの。パパがお風呂から出たら聞いてみるから、ちょっと待っていてくれる?」「わかった」ゆみは言った。「ママ、それまで他の話しよっか」紀美子はゆみと雑談をしながら、十分ほど時間を過ごした。すると、晋太郎がバスローブ姿で現れた。ゆみの元気な声が携帯から聞こえてきたため、晋太郎は髪を拭きながらベッドの側に座った。「もう11時なのに、まだ起きてるのか?」紀美子が体を起こした。「佑樹たち明日何時に出発するのか知ってる?」晋太郎は紀美子の携帯を見て尋ねた。「ゆみはもう知ってるのか?」「知ってるよ!」ゆみは即答した。「パパ、私お兄ちゃんたちを見送りに行きたい」「泣くだろう」晋太郎は困ったように言った。「だから来ない方がいい」「嫌だ!絶対に行くの。だって次に会えるのいつかわからないんだもん」ゆみは強く主張した。その声は次第に震え始め、今にも泣き出しそうな顔になった。晋太郎は胸が締め付けられる思いがした。「分かったよ……専用機を手配して迎えに行かせる」そう言うと彼はベッドサイドの携帯を取り上げ、美月に直ちにヘリコプターを手配するよう指示した。翌日。紀美子は早起きして、子どもたちのために豪華な朝食を用意した。子供たちは、階下に降りてきてテーブルいっぱいに並んだ見慣れた料理を目にすると、驚いたように紀美子を見つめた。「これ全部、ママが一人
龍介は瑠美に笑いかけて言った。「瑠美、この前は助けてくれてありがとう」彼がアシスタントに目配せすると、用意してあった贈り物が瑠美の前に差し出された。「ささやかものだけど、受け取ってほしい」瑠美は遠慮なく受け取り、龍介に聞いた。「開けていい?」「どうぞ」瑠美は上にかけられていたリボンを解き、丁寧に箱のふたを開けた。中身を目にした瞬間、彼女は驚いて目を見開いた。「えっ!?これどうやって手に入れたの?!瑠璃仙人の作品でしょ!?」「前に君が玉のペンダントしてたから、好きなんだろうと思って」「めっちゃ好き!!」瑠美は興奮して紀美子に言った。「姉さん!これ梵語大師の作品よ!前に兄さんに探させたけど全然ダメだったのに!」紀美子は玉のことには詳しくないため、梵語大師が誰なのかもわからなかった。彼女はただ穏やかに微笑んで言った。「気に入ってくれて良かったわ」一方、晋太郎の視線は龍介に留まった。龍介の目には、かすかな熱意のようなものがある。紀美子を見る時には決して見せたことのない眼差しだ。もしかして、龍介は瑠美に気があるのか?晋太郎は探るように口を開いた。「吉田社長の狙いがこんなに早く変わるとはな」龍介は瑠美の笑顔から視線を外し、晋太郎の目を見つめて言った。「森川社長、それはどういう意味だ?」晋太郎は唇を歪めて冷笑した。「吉田社長、新しい対象ができたのに、なぜまだ紀美子に執着してるんだ?」それを聞いて、瑠美は驚いて顔を上げ、龍介と紀美子を交互に見た。紀美子は瑠美の視線を感じ取って、説明した。「私と吉田社長は何もないから、誤解しないで」「誤解なんてしてないよ」瑠美は言った。「でも晋太郎兄さんが言ってた『吉田社長の狙い』って、私のこと?」紀美子も、晋太郎のその言葉の真意はつかめていなかった。龍介のような、感情を表に出さず落ち着いていて慎重なタイプが、活発で明るい瑠美に興味を持つのだろうか。もしかすると、あの時瑠美が龍介を助けたことがきっかけなのか?二人の年齢差は10歳ほどあるはずだ。でも、性格が正反対なほど惹かれ合うって話もある。もし瑠美が龍介と結婚したら、みんな安心できるだろう。「もしよければ、瑠美さん、連絡先を教えてくれないか?」
そう言うと、晋太郎はさりげなく紀美子から車の鍵を受け取った。佑樹が傍らで晋太郎をじっと見て言った。「パパ、違うよ。ママが誰かとお見合いするわけじゃん」晋太郎は生意気な佑樹を見下ろしながら聞き返した。「じゃあ、何だって言うんだ?」佑樹は笑いながら紀美子を見て言った。「ママみたいな美人、お見合いなんて必要ないじゃん。ママに告白したい人を並ばせたら、地球を一周できるよ」念江も付け加えた。「前におばさんから聞いたけど、ママの会社の重役や課長さんたちもママに気があるらしい」晋太郎の端整な顔に薄ら笑いが浮かんだが、その目には陰りがあった。「ろくでもない奴らだ。君たちのママはそんなやつらに興味ない」重役と課長か……晋太郎は鼻で笑った。計画を早める必要がありそうだな。「そろそろ時間よ。遅れちゃうわ。三人とも、もう出発できる?」紀美子は腕時計を見て言った。一時間後。紀美子と晋太郎は二人の子供を連れてレストランに到着した。龍介が予約した個室に入ると、彼はすでに待っていた。紀美子を見て龍介は笑顔で立ち上がった。「紀美子、来たね」紀美子が前に出て謝った。「龍介さん、ごめん。渋滞でちょっと遅れちゃった」「気にしないで」龍介は晋太郎を見上げて言った。「森川社長、久しぶりだな」晋太郎は鼻で嗤い、皮肉をこめて言った。「永遠に会わなくてもいいんじゃないか」龍介はその言葉を無視し、子供たちにも挨拶してから席に着いた。紀美子が子供たちに飲み物を注いだ後、龍介に尋ねた。「今日は何の用?」「じゃあ単刀直入に言うよ」龍介の表情が急に真剣になった。「紀美子、瑠美は君の従妹だよね?一度彼女に会わせてくれないか?」紀美子は驚き、晋太郎と視線を合わせてから龍介を見た。「この前の件で瑠美に会いたいの?」龍介は頷き、率直に答えた。「ああ、命の恩人に対して、裏でこっそり調べたり連絡するのは失礼だと思ってね」「紹介はできるけど、彼女が会ってくれるかどうかはわからないよ」「頼むよ。あれからずっと、ちゃんとお礼も言えてなかったから」紀美子は頷き、携帯を取り出して瑠美の番号を探し出した。「今連絡してみる」電話がつながると、瑠美の声が聞こえた。「姉さん?どうした?
どっちみち焦っているのは晋太郎の方で、こっちじゃないんだから。これまで長い年月を待ってきたのだから、もう少し待っても構わない。2階の書斎。晋太郎はむしゃくしゃしながらデスクに座っていた。紀美子が龍介と電話で話していた時の口調を思い出すだけで、イライラが募った。たかが龍介ごときに、あんなに優しく対応するなんて。あの違いはなんだ?ちょうどその時、晴から電話がかかってきた。晋太郎は一瞥してすぐに通話ボタンを押した。「大事じゃないならさっさと切れ!」晋太郎はネクタイを緩めながら言った。電話の向こうで晴は一瞬たじろいだ。「晋太郎、家に着いたか?なぜそんなに機嫌が悪いんだ?」晋太郎の胸中は怒りでいっぱいになっており、必然と声も荒くなっていた。「用があるなら早く言え!」「はいはい」晴は慌てて本題に入った。「さっき隆一から電話があってな。出国前にみんなで集まろうってさ。あいつまた海外に行くらしい」「無理だ!」晋太郎は即答した。「夜は予定があるんだ」「午後、少しカフェで会うだけなのに、それも無理か?」午後なら……夜の紀美子と龍介の待ち合わせに間に合う。ついでに、あの件についても聞けるかもしれない「場所を送れ」30分後。晋太郎は晴と隆一と共にカフェで顔を合わせた。隆一は憂鬱そうにコーヒーを前にため息をついた。「お前らはいいよな……好きな人と結婚できて」晴はからかうように言った。「どうした?また父親に、海外に行って外国人とお見合いしろとでも言われたのか?」「今回は外国人じゃない」隆一は言った。「相手は海外にいる軍司令官の娘で、聞くところによると性格が最悪らしい」晴は笑いをこらえながら言った。「それはいいじゃないか。お前みたいな遊び人にはぴったりだろ?」「は?誰が遊び人だって?」隆一はムッとして睨みつけた。「お前みたいなふしだらな男、他に見たことないぞ!」「俺がふしだらだと?!」晴は激しく反論した。「俺、今はめちゃくちゃ真面目だぞ!」隆一は嘲るように声を上げて笑った。「お前が真面目?笑わせんなよ。佳世子がいなかったら、まだ女の間でフラフラしてたに決まってるだろ!」「お前だってそうだったじゃないか!よく俺のことを言える