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第10話

Author: 饅頭
パソコンを閉じ、キーボードの上に置いた指先をしばらく止めてから、ゆっくりと離した。

彼女は急いで荷物をまとめ、約束の場所へ向かった。

エレベーターの扉に、青白く疲れきった顔が映っている。奈津美は鏡の中の自分を見つめたが、その目はうつろで、口角を上げることさえ億劫だった。

ビルの回転ドアから出ると、排気ガスのまじった冷たい風が吹きつける。ぼんやりしていた頭が、それで少しはっきりした。彼女は思わずコートの前をあわせ、駅へ向かおうとする。そのとき、ラッシュ時の車の騒音を突き抜けて、明るく元気な声が聞こえた。

「奈津美!」

奈津美は足を止め、声のする方を見た。

すぐそこの街灯の下で、ほっそりとした明るい姿が、自分に力いっぱい手を振っていた。キャメルのコートを着た睦月は、冬の温かい飲み物みたいに、明るくて温かな雰囲気をまとっていた。

睦月の姿を見て、張り詰めていた奈津美の神経はようやく解きほぐされた。「どうしてここに?いつもの場所で会うんじゃなかった?」

睦月は数歩で駆け寄ってきて、奈津美の腕を組んだ。そして、冷えきったその手にカイロを押しつける。「早く会いたかったんだもん」彼女は奈津美の肩に頬をすり寄せ、甘えるような声で言う。「それに、また夜中まで残業になったら、そのまま家に帰って寝ちゃうかもでしょ?そしたら私、すっぽかされちゃうし」

睦月はそのまま、路肩に停めてあった赤いスポーツカーの方へ彼女を連れて行った。

「いつもの場所」というのは路地の奥にある静かなバーで、落ち着いた音楽が流れる、大学時代からの行きつけだ。

店員が二つのグラスを運んできた。グラスの中の青い液体は、まるで小さな海が閉じ込められているかのように揺れている。

睦月はグラスを持ち上げ、奈津美のグラスにこつんと合わせた。カチン、と澄んだ音が響く。「で、最近どうなの?」

奈津美はお酒を一口飲んだ。冷たい液体が喉を滑り落ちていく。その奥に、かすかな苦みが混じっていた。どうなのって……

脳裏には、人工呼吸器をつけた母の姿と高額な請求書が浮かんだ。最後に浮かんだのは、いつも冷淡な夫、鈴木圭太の顔。

嫌な記憶が早送りのように頭をよぎったが、彼女は睦月に精一杯の笑顔を見せた。

「まあ、いつも通りだよ」奈津美は何でもないように言った。重くて暗い気持ちを、大切な友達にまでうつしたくはなかった。
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