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なんでもかんでも明け透けに、喋ればいいと思うなよ!《6》

Author: 砂原雑音
last update Last Updated: 2025-05-14 15:40:00

「あっ、すんません! いつの間にか寝ちゃってた? 俺」

「はい。それより、お電話がかかってます」

テーブルの上を指差すと、陽介さんがのっそりと身体を起こして携帯に手を伸ばす。

画面を見て、少し眉根を寄せた。

「二度目です。起こそうか迷ってたんですが」

「あー……」

「どうぞ、僕は静かにしてますから」

相手が誰かをわかってて、こんな風に言った僕はずるい。

わかっているけど、他にどうすればいいのか僕にはこういう時の正しい対処法などわからない。

「いや、元カノなんで……覚えてますか、翔子って名前」

「ええ、覚えてますよ」

陽介さんが正直にちゃんと言ってくれたことには、ホッとした。

だったら僕も、気にしてはいけない。いけないんだと思う。

「今の男と上手くいかなくなったらしくて、此間から時々泣き言漏らしにかけてくるんです。日替わりで」

「日替わり?」

「まあ、女友達んとこかけたり、あちこち」

陽介さんのところにだけかけてるわけじゃないのか、とまた少し安堵して。

それが本当だということを確かめたいという衝動が今度はむくむくと顔を出す。

「……俺が好きなのは慎さんです」

余程僕は、不安そうにしていたんだろうか。

確認させるように陽介さんが言葉にして、僕に手を伸ばそうか迷っているような素振りを見せる。

「知ってますよ、ちゃんと」

「はい」

「だから、どうぞ出てください。今の恋が上手くいかなくて、悩んでらっしゃるんでしょう?」

「いや、でも」

「貴方は、こっちが辟易するくらい優しい人で、そんなところを僕は嫌いじゃありません。僕に遠慮して、失くすことはないです」

きっとあなたは、僕に限らず、優しい人で。

元カノからの連絡をいきなり断ったりほったらかしたりは、出来ない人だ。

それを変えることはない。

半分は、本音で。

残り半分は、どろどろした、すごく汚い感情だった。

僕がいないところで後から連絡されるほうが、よっぽど嫌だ。

「いやいや、好きな人と居るのに前の彼女の電話に出るとか、しないっすよ」

「でも、随分長く鳴ってます、ほら」

今も陽介さんの手の中では携帯が早く出ろとばかりに震えている。

僕がそれを指差すと、陽介さんは困惑して黙り込んだ。

困らせてるのは、僕なんだろうか。

自分のしてることや相手の気持ちを考えれば、答えはなんにでもちゃんとあるものと思っていたし、わかるものだと思ってた
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    「えっ、ちょっ、慎さん?」「時間的に中途半端じゃないですか。なんだかんだですぐ夕食の時間だし。カフェで無駄にお金使うことはないです」「いや、でも」「ああ、散らかってて見られたくない、とかなら」「そうじゃないですけど」「僕に気を使ってるだけなら、おきになさらずに」男が男の部屋に入るのに、何が怖いことがある。あるとすれば、陽介さんの暴走だけだ……いや、それが一番マズいのだけど。「それに、貴方は僕の嫌がることはしないでしょう?」階段途中で、半分振り向いてそう言うと、陽介さんがこくんと息を飲むのがわかる。そしてビシッと背筋を伸ばした。「しません、絶対!」「はい、信用してます」「こっちです!」うむ、扱いが大分わかってきた。信頼していると、常に伝えればいいのだ。張り切った様子で僕を追い越し、部屋へと先導してくれる。大きな背中がやたら可愛らしく見えて、こっそりと苦笑した。「どうぞ、ここ!」「はい」促されて、二人掛けのソファに座る。然程広くはないリビングだけれど、寝室は別のようでそこは遠慮なく安心した。コーヒーいれますね、と陽介さんの様子はどこか慌しい。散らかっている、というほどではないけれど、雑誌が読みの途中でテーブルに伏せられていたりする。今朝方飲んだんだろうコーヒーのカップも置いてあったが、それはさっき陽介さんが慌てて下げていた。生活感がある、と言えば良く言い過ぎかな。だけどそう思っておいてあげることにしよう。「そういえば、慎さん。今日は何時ごろまで一緒に居られるんですか」「特に……何もないですけど……」コーヒーカップを二つ持ってキッチンから戻った陽介さんが、その一つを僕に差し出しながら尋ねる。「じゃあ、晩御飯は外に食べに行って、その後送ります」「丸一日って約束だったけど、いいんですか」「このテンションで深夜に二人だと俺の理性が持ちません」「なるほど。帰ります」じゃあ休憩がてら洋画でも観ますかと、陽介さんがつけてくれたのは映画館の前で僕がテレビ放送を見損ねたと話していたタイトルのものだった。「観ながらディスクにもコピーしときますね」「ありがとうございます、嬉しいです」ソファから降りてラグの敷かれた上に座ると、背中をソファの足元に預ける。「ソファ座っててくださいよ、俺が床に座りますから」「実はぺたん

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  • 優しさを君の、傍に置く   大人の男は安全牌を装うのが上手いらしい《2》

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