تسجيل الدخول洸は、言うべきことはすべて話し終えていた。これほど多くの情報を一度に明かせば、咲夜が整理し、じっくり考える時間が必要になることも分かっている。それ以上は何も言わず、洸は踵を返して化粧室を後にした。咲夜に考えるための時間を残して。咲夜は手のひらにあるUSBメモリに視線を落とした。頭の中は確かに混乱していた。だが、いつまでも思い悩むことはしなかった。ほどなくして気持ちを切り替え、会場に戻る。USBメモリを自分のバッグにしまうと、何気なくスマートフォンを手に取った。そこには見知らぬ番号からメッセージが一通届いていた。【連絡したくなったら、この番号に】送信時刻は二分前。差出人の名前はなかったが、咲夜には洸からだとすぐに分かった。彼女はしばらく画面を見つめたあと、その番号を保存する。登録名は、ただ【*】マークだけだった。それを終えると、咲夜はスマートフォンをしまった。ふと見ると、短い間に香織と真奈美がすっかり打ち解けていた。二人はときおり顔を寄せ合いながら、ショーで披露された作品について熱心に語り合っている。真奈美の表情には、久しぶりに見る穏やかな笑みが浮かんでいた。香織は咲夜に気づくと、微笑みながら軽く頷く。今回のショーは大成功だった。とりわけ花江グループの作品は高い評価を受け、多くの来場者から絶賛された。すべて、咲夜の予想どおりだった。ショー終了から二日後、咲夜は自社の広報チームに作品の予約販売告知を公開させた。反響は予想以上に大きく、予約も好調だった。ここ数日、皆で必死に積み重ねてきた努力が報われた瞬間だった。詩乃率いるデザインチームの作品も高い評価を得た。彼女は所属デザイナー全員の了承を得たうえで、それらのデザインを正当な価格で咲夜に一括譲渡した。その後はチームの引っ越し準備に追われることになる。景浦市に滞在している間に、市中心部の高級オフィスビルを借り、新たにブランドデザインスタジオも設立していた。以前から口にしていた「景浦市で活動する」という言葉は、本気だったのだ。拠点も決まり、咲夜への協力も果たし、詩乃は見事に約束を果たした。ショー終了から三日後――金曜日の夜。咲夜は荻野グループ傘下のホテルで祝賀パーティーを開いた。今回の成功は、詩
洸がその一連の事実を突き止めたとき、真っ先に思い浮かべたのは静香だった。こんな陰惨なやり方で人を苦しめることを思いつくのは、あの悪辣な女しかいない。洸がそこまで確信していたのには理由があった。彼女自身も、かつて静香から同じような目に遭わされたことがあったからだ。以前、晴南に追い出され、責任を追及されたあと、洸は何者かに廃倉庫に連れ去られ、何日もの間、凄惨な拷問を受けた。命からがら逃げ出したあと、彼女はあらゆる手段を尽くして晴南の子を身ごもった。それは決して金目当てだけではない。洸が望んでいたのは、ただ森崎家の人間を心の底から苦しめること。そして、森崎家を滅ぼすことだった。それ以外は、もうどうでもよかった。咲夜もずっと澄江の行方を追っていた。だが、まさか澄江がすでに亡くなっていたとは思いもしなかった。これで手がかりは、再び途絶えてしまった。洸はスマートフォンをしまう。「森崎静香がどうして水野澄江をあんな目に遭わせたか分かる?水野澄江が森崎静香に隠れて、森崎英樹と関係を持っていたからよ。自分の夫と浮気した女が、平然と目の前をうろつくなんて、森崎静香が許すわけないでしょう」そう言うと、彼女はバッグからUSBメモリを一本取り出した。「この中には、水野澄江と森崎英樹の親密な写真や動画がたくさん入ってる。きっと、いつか役に立つわ」そう言ってUSBメモリを咲夜の手のひらに押し込む。「私の誠意は見せたつもりよ。今の私は森崎家の中にいる。だから森崎家の犯罪の証拠も集められる。私の望みは一つだけ。森崎家の人間全員を社会的に破滅させること。もう一つ教えてあげる。あの女を使って晴南を陥れたのは私よ。彼女は子宮を損傷していて、摘出しなきゃいけない状態だった。私は大金を払って、晴南が生殖能力を失うように仕向けたの」あれは、本当にただの事故だったのか。咲夜は以前からそう疑っていた。今、洸が自らの仕業だと認めたことで、すべての辻褄が合った。晴南から生殖能力を奪い、英樹の隠し子の存在を暴き、事態を大きく混乱させる。そして、その混乱の最中に、晴南の子を身ごもった洸が現れる。そうすれば、洸は森崎家に堂々と入り込み、森崎家に頭を下げさせ、自分を大切に扱わせることができる。もちろん洸も理解していた。
洸は、咲夜の言葉を否定しなかった。ただ目の前の女性を見つめ、微笑みながら言う。「でも、それは重要じゃないわ。大事なのは、今の私のお腹の子が、森崎家にとって何よりも大切な宝物だってこと」英樹も静香も、今では洸に対して実に丁重な態度を取っている。なにしろ、洸の腹に宿る子どもこそが、森崎家に残された唯一の希望なのだから。咲夜は否定も肯定もしなかった。ただ静かに忠告する。「でも、森崎家はそんな簡単に思いどおりにできる相手じゃないわ。気をつけて」「だからこうして、あなたに会いに来たのよ」洸は艶やかに微笑んだ。今回のファッションショーを晴南が視察すると知ったとき、洸は何としてでも同行すると言い張った。ショーそのものにはまったく興味がない。咲夜に会うことこそが、本当の目的だった。咲夜はじっと洸を見据える。「私に何の用?」「あなたは今、荻野千暁という後ろ盾を手に入れた。彼がいれば、森崎家を相手にするのも難しくないでしょう。私と手を組む気はある?」洸は率直に切り出した。そして、ゆっくりと言葉を続ける。「あなたも森崎家を潰したいと思ってるでしょう?少なくとも今この瞬間は、私たちの目的は同じ。私一人の力じゃ森崎家には到底敵わない。でも、あなたなら違う」洸は唇を強く噛みしめた。「咲夜、力を貸して。森崎家には、相応の報いを受けてもらいたいの」その瞳には、森崎家に対する激しい憎悪が燃えていた。目の奥に宿る憎しみは隠しようもない。その変わりように、咲夜は戸惑いを覚える。以前会ったときの洸は、ここまで森崎家を憎んではいなかった。自分の知らない間に、一体何があったのだろう。咲夜の視線に気づいたのか、洸はすぐに表情を整えた。「返事はゆっくり考えてくれていいわ。急がないから」洸の望みはただ一つ。森崎家を破滅させること。そのためには、咲夜との協力が最善の選択だった。もちろん、断られたとしても仕方がない。今日はただ、可能性を試しに来ただけなのだから。咲夜は洸を見つめながら問いかける。「どうしてあなたを信用できるの?」向こうから協力を持ちかけてきたからといって、信頼できるとは限らない。洸は静かに口を開いた。「水野澄江を探す必要はないわ。あの人は、もう死んでる」そう言うと、スマートフォンを取り出し、何
「大丈夫?私たち、まだ一緒につるめるような関係じゃないでしょう」咲夜は呆れたように言い、洸に立場をわきまえるよう釘を刺した。一度助けて、一度お金を渡したからといって、それで友達になったとは思っていない。洸のことは、最初からどうしても好きになれなかった。洸は腕を組み、鼻で笑う。「あんたが前に言ったでしょ。『敵の敵は味方』って。安心して、私だってあんたのことを本音を打ち明けられる親友なんて思ってない。所詮は上辺だけの薄っぺらい付き合い。お互い利用し合ってるだけよ」その程度のことは、洸自身もよく分かっていた。咲夜は何も言わず、ただ静かに洸を見つめる。その視線に耐えきれなくなったのか、洸は最後には肩をすくめた。「分かったわ。森崎家に入り込む方法なんて簡単よ。今、森崎英樹と晴南が一番欲しがってるものは何だと思う?」そう言って、ヒントだけを与える。自分はただ、あの一家が何より欲しているものを握って、それを武器にしているだけだ。――森崎家が今、一番必要としているもの。その瞬間、咲夜の脳裏にある考えがよぎった。まさか……彼女は思わず洸の腹部に視線を落とす。その視線に気づいた洸は、平らな腹をそっと撫でながら唇を吊り上げた。「そのとおり。私、妊娠したの。晴南の子よ。正確には、彼の精子で体外受精して授かった子だけど。このところ姿を見せなかったのは、体外受精が成功するのを待ってたから。それに妊娠初期は流産を防ぐために安静にしてなきゃいけなかったしね。だって、この子は森崎家に入るための唯一の切り札なんだから。慎重に慎重を重ねて、絶対に失敗しないように準備しないと、自分の未来は切り開けないでしょ」咲夜は驚きを隠せなかった。「私から二千万円借りたのって、そのために体外受精をする資金だったの?」「じゃなきゃ何のため?」洸は逆に問い返す。「私、お金なんてなかったし、体外受精だって一回で成功する保証はない。何も持たない私が、どうやって晴南の子を妊娠できるっていうの?」洸には、そのすべてを実現するための資金が必要だったのだ。そう説明されると、咲夜も納得せざるを得なかった。だが、まだ一つ疑問が残っている。「お腹の子、本当に晴南の子なの?」森崎家の人間も、それを確認したのだろうか。洸は頷いた。「森崎英樹はそんな甘い相
バックステージに入ると、モデルたちは手際よく衣装を着替え、メイクを直し、限られた時間でリハーサルを進めていた。咲夜は詩乃の指揮で問題なく進んでいることを確認すると、再びランウェイの客席に戻った。彼女は千暁の隣に腰を下ろし、その耳元に身を寄せると、晴南と洸が結婚することになったと小声で伝えた。「結婚?」千暁も、その知らせには明らかに驚きを隠せなかった。晴南が結婚するという話は、これまで外部にはまったく漏れていなかったのだ。彼はふと、以前に風一が一族会議を開き、後継者を交代させようとした件を思い出す。千暁は声を潜めて言った。「前に森崎家は後継者を替えようとしていたけど、結局うやむやになった。たぶん、白羽洸が現れたことで、その膠着状態が崩れたんだろう」だが、洸はいったい何をしたのだろう。風一までもが譲歩せざるを得なくなるほどの何かを。咲夜は、先ほど目にした光景を思い返す。あれは明らかに、洸が原因だった。晴南は洸を絞め殺したいほど憎んでいる。それなのに、本当に手を下すことだけはできずにいた。まるで、何か致命的な弱みを洸に握られているかのようだった。洸は姿を消していたあの期間、一体何をしていたのだろう。戻ってきた途端、森崎家の人間全員をあっさり自分の掌の上で転がしてしまうとは。その点については、咲夜も純粋に興味があった。千暁は咲夜の手を握り、静かな声で言う。「森崎家のことには、君を巻き込みたくない。咲夜、俺の言いたいことは分かるよな」今の森崎家は、すでに泥水をかき回したような状態だ。もはや澄み切ることはない。森崎家の命運は、もう決まってしまっている。だからこそ彼は、森崎家で何が起ころうとも、咲夜だけは自らその渦中に飛び込まないでほしいと願っていた。その言葉を聞いた咲夜は、少し意外そうな表情で千暁を見つめた。しかし、彼の目を一度見ただけで、ふっと微笑む。「うん」そう答えると、咲夜は再びランウェイに視線を向けた。すでに舞台の照明は調整を終え、司会者が最後のチェックを行っている。問題がなければ、ショーは予定どおり開幕する。森崎グループの出番は三番目、花江グループは最後から二番目だった。咲夜はパンフレットをめくりながら、千暁と他ブランドのコレクションについて小声で感想を交わして
洸が言い終わるや否や、晴南は顔を険しくし、怒りをあらわにして彼女を振り払おうとした。しかし洸は彼の腕をしっかりと掴んだまま離さず、笑みも崩さない。「どうしたの?そんなに怒らなくてもいいじゃない。本当のことを言っただけなのに、それで逆上するなんて」そう言うと、洸は何かに気づいたように目を丸くした。「ああ、分かった」口元を押さえながらくすりと笑う。「咲夜さんの前で本当のことを言われて、恥ずかしくなっちゃったのね?でも当の咲夜さんは、そんなこと全然気にしてないわよ」そう言って、再び咲夜に視線を向けた。「ねえ、咲夜さん。そうでしょう?」そう言って、洸は咲夜に答えを委ねた。一方、晴南の顔色はみるみる青黒く変わり、洸を見る目には剥き出しの殺気が宿っていた。だが洸はまるで意に介さない。むしろ晴南が怒れば怒るほど、彼女の機嫌は良くなっているようにさえ見えた。これまではいつも洸のほうが低姿勢で晴南の機嫌を取っていた。それなのに今は、いったい何をしたのか、晴南はここまで屈辱を味わいながらも、怒りをぶつけることすらできない。咲夜は冷たく言い放った。「私を巻き込まないで。私には関係ないから」その声は冷え切っており、眼差しにも嫌悪しかなかった。それを聞いた洸は嬉しそうに晴南を見上げる。「ほら、聞いたでしょ?咲夜さんは晴南さんのことなんて全然気にしてないの。自分を買いかぶりすぎよ。晴南さんは彼女の中では、もう何でもない存在なの」その言葉は、容赦なく晴南の胸を抉った。次の瞬間、晴南は洸を乱暴に突き飛ばすように振り払い、その首を掴み上げた。「洸」陰鬱な声で警告する。「いい加減にしろ。これ以上調子に乗るな。本気で俺を怒らせたら……君も俺も、ただじゃ済まない」その目には強い殺意が宿っていた。今にも洸を絞め殺しそうなほど冷酷な眼差しだった。だが口ではそう言いながらも、首を締める手にはほとんど力が入っていない。目の中の殺意だけは隠そうともしていなかった。その様子を見ていた咲夜は、心底呆れてしまう。目の前の二人は、あまりにも歪でちぐはぐだった。こんな茶番を見せられることに、これっぽっちも興味はない。何が目的であろうと、咲夜からすれば、二人ともどこかおかしい。洸は晴南の手を自分で首から外すと、何事もなかったかの
晴南も、外の騒がしさにはすでに気づいていた。つい先ほどまで浮かべていた穏やかな笑みは、咲夜の姿を認めた瞬間に凍りつき、その冷ややかな瞳には露骨な不快感と詰問の色が宿る。咲夜はその視線を真正面から受け止めながら、感情を削ぎ落とした無表情のまま、真奈美の背後に静かに立っていた。「晴南さん、うちの咲夜が分からず屋で本当にごめんなさい。ちゃんとお詫びさせようと思って、連れてきたの」真奈美は卑屈な笑みを顔に貼りつけ、機嫌を窺うような声音で言った。そう言いながら、咲夜の背中を突き飛ばすようにして、彼女を晴南の目の前へ押し出す。晴南はただ冷ややかにその様子を眺めるだけで、自分から口を
実家へ向かう帰路の途中、咲夜のスマートフォンに晴南から着信が入った。受話器越しに響いてきたのは、怒りに我を失った彼の声だった。「咲夜、今すぐ病院に来い。這いつくばってでも洸に謝るんだ」背後では、洸のすすり泣く声がかすかに混じっている。想像するまでもない。晴南は洸を不憫に思うあまり、怒りの矛先をすべて自分へ向けようとしているのだ。咲夜は深く考えることもなく、電話口から浴びせられる怒号を無視し、そのまま通話を切った。しかし晴南は執拗だった。すぐさま何度もかけ直してくる。病院へ来て謝罪するまで決して許さない――そんな執念すら感じさせる勢いだった。苛立ちが限界に達した咲夜は
洸は、咲夜が手にしていたコーヒーを奪い取ると、そのまま自分の顔へとぶちまけた。続けざまに、自らの頬を思いきりひっぱたく。華奢な身体は、計算し尽くされた絶妙なタイミングで床へと倒れ込んだ。額がテーブルの角にぶつかり、生温かい液体が視界を滲ませる。「ごめんなさい……私が悪かったわ。晴南さんに付きまとったりして、本当にごめんなさい。私を打って気が済むのなら、いくらでも打って。抵抗なんてしないから」床に座り込んだ洸は、首を振りながら、しゃくり上げるような声で泣き叫んだ。晴南は、かなり離れた場所にいながらも、ダイニングルームの騒ぎを聞きつけていた。慌てて階段を駆け下りた彼の目
「晴南さん、一人だと……少し怖いの」背後から、震える洸の声が追いかけてきた。晴南はすぐさま手を伸ばし、洸の手をしっかりと握り締めると、宥めるように優しく声をかけた。「どうした?慣れない環境で落ち着かないのか?」洸はただ、消え入りそうな様子で小さく頷いた。その痛々しい姿に、晴南の胸は締め付けられた。「俺がそばにいる。何も怖いことはないよ」「……ごめんなさい。私、あなたと咲夜さんの邪魔をしてしまったかしら」洸の視線が咲夜へと向けられる。それはまるで、今この瞬間に初めて彼女の存在を認識したかのような、白々しいまでの素振りだった。洸は緊張に声を震わせながら言葉を継いだ。







