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第4話

Author: 楽しくお金を稼ごう
洋一がビジネスバッグからギフトボックスを取り出したところで、救急医が出てきて声をかけた。

「高橋沙綾さんのご家族ですか?少しこちらへ。今後の注意点についてお話しします」

時彦はギフトボックスを一瞥し、今はプレゼントを開けるような場合ではないと察した。

「先に沙綾の退院手続きを済ませろ」

洋一はギフトボックスをしまい、頷いて診察室へ入っていった。

沙綾が帰る支度をしていると、時彦の冷ややかな視線とぶつかった。

病室の入り口に毅然とした佇まいで立つ彼の声は、ひどく淡々としていた。

「帰るぞ」

沙綾のせいで、朱里を置いて駆けつけなければならなかったことが、明らかに彼の不満を煽っていた。

ふと、二年前に起きたあの交通事故のことが、沙綾の脳裏をよぎった。

目を覚まして、一番最初に見たのは時彦だった。

警察や医療スタッフから、彼が通報し、沙綾を救急車まで抱き上げて運んでくれたのだと聞かされた。

時彦が、自分を救ってくれたのだ。

意識を取り戻したばかりの頃、激しい衝突による脳震盪で、沙綾は一時的に視力すら失っていた。

幼い頃から母親と身を寄せ合って生きてきたが、母は体が弱く、看病を頼むことはできなかった。それに、何より心配をかけたくなかった。

奈々もその頃は専攻を変えたばかりで非常に忙しく、迷惑をかけたくなかった。

そんな中、ずっと傍にいてくれたのが時彦だった。彼の存在が慰めとなり、事故のトラウマから少しずつ立ち直り、健康を取り戻すことができたのだ。

来る日も来る日も顔を合わせるうちに、感謝の気持ちはいつしか愛情へと変わり、冷淡な性格の時彦もまた、それに応えてくれた。

時彦も自分を愛してくれているのだと、そう思っていた。

その後、遠藤家と高橋家の間に婚約話が持ち上がっていることを知り、二人はごく自然な流れで結婚に至った。

確かに、甘い時期もあった。

だが、いつからだろうか。

時彦はどんどん忙しくなり、次第に冷たくなっていった。

もしかすると、その頃にはすでに心変わりしていたのかもしれない。

そう考えると、不思議と少しだけ心が軽くなった。

少なくとも、時彦と朱里のいう真実の愛とやらが、自分たちより前から始まっていたわけではないのだから。

昔の恋が忘れられなかったわけでも、ヨリを戻したわけでもない。

自分が二人の茶番に巻き込まれたわけでもない。

彼はただ、別の女性を愛し、自分を愛さなくなった。

それだけのことだ。

朱里を愛しておきながら、離婚して自分を解放しようとはしない。

沙綾の穏やかだった瞳に、冷たい氷のような光が宿った。

もうあの家には帰りたくない。

彼と同じ屋根の下で暮らしたくない。

けれど、自分の荷物のことを思い出し、こくりと頷いた。

時彦が近づいてくる。

彼から漂うクチナシの香水の匂い――朱里が一番好きな香りだ。

それを嗅いだ瞬間、沙綾の胸の奥から強烈な嫌悪感が込み上げてきた。

沙綾は先を歩き出し、時彦との距離を大きく取った。

送迎車の中で、絆創膏を貼った手を突然、時彦に握られた。

驚いて横を見ると、ひんやりとした光を放つエメラルドのブレスレットが、絆創膏の上を滑るように手首にはめられた。

彼は冷ややかな表情のまま、さっと手を引いた。

代わりに、運転席に座る洋一が口を開いた。「奥様、結婚二周年おめでとうございます」

沙綾は洋一に向かって薄く微笑み、手の甲に走るかすかな痛みをそっと撫でた。

あの頃の自分は、どうしてあんなに愚かだったのだろう。

命の恩人だからといって身を捧げるなんて、今の時代にあるはずもないのに。

時彦は責任感が強いように見えて、どんな記念日にも必ずプレゼントをくれた。

だが、そこに心がこもっていたことは一度もない。

少しでも自分を気にかけていれば、絆創膏の下にある点滴の針跡に気づいたはずだ。

さらに皮肉なことに、このブレスレットは朱里の首にかかっていたエメラルドのネックレスと対になっている。

時彦は自分に微塵も関心がない。

プレゼント選びすら、洋一に任せきりなのだ。

フォレストテラス青葉台に到着し、車を降りて屋敷の扉を押し開けた沙綾は、黒いソファに横たわる朱里の姿に言葉を失った。

朱里は沙綾が買ったシートマスクを顔に乗せ、沙綾の白いガウンを纏っていた。襟元はだらしなく開き、足首まであるはずのガウンの裾は太ももの付け根まで捲れ上がり、豊かな胸元やヒップライン、長く伸びた脚が際どく露出している。

「時彦、お姉ちゃん、おかえりなさい。

もう待ちくたびれて寝ちゃいそうだったわ」

朱里は沙綾の怒りを帯びた視線を受け止めながら、近づいてきた。襟元のレースをいじるその仕草は、一見従順そうでいて、明らかな挑発だった。

「お姉ちゃん、私、着替えを持ってきてなくて。私たち体型が似てるから、貸してもらっても気にしないよね?」

沙綾が何か言い返すより早く、背後に立つ時彦が優しげな声で答えた。

「沙綾は気にしないさ。もう休みなさい」

朱里は大人しく返事をし、一階のゲストルームへ戻っていった。

ドアが閉まると同時に、彼は冷淡な唇を開いた。

「朱里のマンションの下には記者が群がっている。世間の騒ぎが収まるまで、俺たちの家で預かる」

それは相談ではなく、事後報告だった。

時彦は長い脚を踏み出し、沙綾の返事を待つこともなく、一人で二階の書斎へ上がっていった。

自分たちの家?

こんな家には、もう一分たりともいたくなかった。

二階の主寝室に戻り、沙綾は荷物をまとめ始めた。パソコン、研究資料、それに結婚の時に母が持たせてくれた嫁入り道具。

ふと、母親と撮った写真が一階の書斎にあることを思い出した。

階段を下りかけた時、書斎から何かが割れる甲高い音が響いた。

慌てて書斎に駆け込むと、床一面にガラスの破片が散らばっていた。

「ごめんなさい、お姉ちゃん。手が滑っちゃって」

朱里の声には罪悪感など微塵もなく、むしろ挑発するような響きがあった。

沙綾は目を赤くして朱里の前に歩み寄り、思い切りその頬を平手打ちした。

朱里は即座に手を振り上げて反撃しようとしたが、その手が沙綾の顔に触れる直前、突然動きを変えて自分の赤くなった頬を覆った。そしてすぐさま瞳に涙を浮かべ、いかにも可哀想そうな声で言った。「お姉ちゃん、ちゃんと謝ったのにどうしてぶつの?いくらなんでも酷すぎるわ」

沙綾が眉をひそめると、時彦特有の静かで重い足音が近づいてくるのが聞こえた。そして、事の顛末も聞かずに一方的に責め立てる声が降ってきた。

「妹に対して、話し合いもせずにこんなに殴るなんて、どうかしてるぞ」

朱里は本当に見事な猫かぶりだ。さすがは、あの母親の直伝だけある。

視線を落とすと、割れたガラスの下にあったのは自分と時彦の結婚写真だったことに気づき、沙綾は驚いた。

新婚当時の睦まじかった光景が脳裏をよぎるが、今となっては皮肉にしか思えなかった。

胸の奥が痛んだが、気にしないように努めた。

幸い、母親との写真はまだデスクの上に残っていたので、それを手に取り、胸に抱き込むようにして背を向けた。

時彦は、朱里がしゃがみ込み、結婚写真を片付けながらいかにも申し訳なさそうに独り言を呟くのを聞き流しつつ、沙綾の去っていく後ろ姿に視線を落とした。

あれほど怒って手を出したのに、それが自分たちの結婚写真だと分かった途端、沙綾は少しも未練を見せなかった。

時彦は朱里をなだめて二階へ上がると、沙綾が荷物をまとめているのが見えた。

出て行く気か?

沙綾が過去に二度、離婚を口にした時の光景が、時彦の脳裏にフラッシュバックした。

――こいつ、本気で俺と離婚するつもりなのか?

まさか、あり得ない。

あの時、俺と結婚するために、沙綾はあれほど嫌っていた父親のことも飲み込み、遠藤家の娘であると認めたのだ。

ましてや、俺に嫁いだのは遠藤家の母娘に復讐するためだったはずだ。

沙綾が俺から離れるはずがない。

時彦はテキパキと動くその背中を見つめ、深みを増した瞳で彼女へと近づいた。

沙綾は写真と研究資料をスーツケースに詰め、ウォークインクローゼットへと足を踏み入れた。

広々とした室内には、時彦から贈られたジュエリーやブランドバッグ、服が並んでいる。

もっとも、これらはすべて洋一が手配したものだが。

これらの物は、一つも持って行く気になれなかった。

引き出しを開けると、中には母が持たせてくれた嫁入り道具のジュエリーが入っていた。

時彦との結婚に、母は猛反対した。

母は父の愛人を心底憎んでいた。そして時彦もまた、そのような境遇で生まれた存在だったからだ。

母は彼の血筋を問題視し、この結婚は長続きしないと断言していた。

結婚後、母の態度は次第に冷たくなり、母娘はもう随分と長い間、顔を合わせていない。

あの時の自分の身勝手な決断を、母は許してくれるだろうか。

物思いに耽っていると、背後から突然、熱い体温が押し当てられた。

時彦の大きな手が沙綾の細い腰をきつく抱き寄せ、その温かな顔をうなじに埋めてきたのだ。

心臓が跳ね、沙綾は彼の腕を押さえつけた。

「離して」

「二日も騒ぎ立てていたのは、これが目当てだったんだろう?」

その声は冷たく、一欠片の温もりもなかった。

耳の後ろに吹きかかる灼熱の吐息には、むき出しの生理的な欲望が混じっている。

昔の時彦は、とても魅力的な男だった。

ここ数年、夫婦関係が冷え切り、コミュニケーションがベッドの上だけになってからも、それなりに満たされてはいた。

しかし今、その施しを与えるような口調を聞いて、沙綾はようやく悟った。

時彦は自分を、ただの性欲の捌け口としか見ていないのだと。

昨夜は朱里の添い寝をしていたくせに、今夜は自分を抱こうというのか?

手の甲に貼られた絆創膏を見つめる。

自分はまだ病み上がりですらないのに。

昔はあんなにも大切にしてくれたのに、今は……

沙綾は僅かに目を潤ませ、身を翻して彼を突き飛ばそうとした。

しかし逆にキャビネットへと押し付けられ、手首がジュエリーケースに激突して「ドンッ」と鈍い音が響いた。

砕けたエメラルドのブレスレットの破片が手首を切り裂き、沙綾は痛みに顔をしかめながら、冷ややかな視線を時彦に向けた。

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