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八年の結婚、儚く散っていく

八年の結婚、儚く散っていく

By:  匿名Completed
Language: Japanese
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結婚八周年の記念日に、夫が子犬を一匹贈ってきた。 しかし、ICUから出てきた私は、彼に離婚協議書を差し出した。 夫の愛人は私の手を握りしめ、涙ながらに訴えた。 「紀藤夫人、全部私が勝手にしたことなんです。どうかこんな些細なことで紀藤社長に怒らないでください……」 夫は優しく彼女の涙を拭いながらも、私に眉をひそめた。 「わがままを言うな。君はもう三十歳だ。若い娘と張り合ってどうする」 目の前で寄り添う二人を見て、私は黙って背を向け、海外行きの飛行機に乗った。 ──再び紀藤航(きとう わたる)と顔を合わせたのは、一か月後のことだった。

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Chapter 1

第1話

結婚八周年の記念日に、夫が子犬を一匹贈ってきた。

しかし、ICUから出てきた私は、彼に離婚協議書を差し出した。

夫の愛人は私の手を握りしめ、涙ながらに訴えた。

「紀藤夫人、全部私が勝手にしたことなんです。どうかこんな些細なことで紀藤社長に怒らないでください……」

夫は優しく彼女の涙を拭いながらも、私に眉をひそめた。

「わがままを言うな。君はもう三十歳だ。若い娘と張り合ってどうする」

目の前で寄り添う二人を見て、私は黙って背を向け、海外行きの飛行機に乗った。

──再び紀藤航(きとう わたる)と顔を合わせたのは、一か月後のことだった。

……

家に戻ると、航はソファに腰掛け、眉間に深い皺を刻んでいた。

テーブルの上にはうっすらと埃が積もり、リビングの鉢植えはすでに枯れていた。

「家出?自分がまだ十八の小娘だとでも思ってるのか?もし俺が迎えに行かなければ、ずっと外にいるつもりだったのか?いい加減にしろ、もう三十なんだぞ」

私は一か月も海外を旅行していたのに、今日になってようやく、航は私が家にいないことに気づいたのだ。

彼は相変わらず、私が拗ねて彼を家に戻らせようとしているのだと思っている。

そして、いつものように私の年齢を持ち出しては、「もう若くはない、わがままを言う資格はない」と言い聞かせた。

けれど私は、彼を自分の世界の中心に置いていた紀藤美佳(きとう みか)ではなかった。

私は彼の言葉に返事もせず、手を動かして荷物をまとめ続けた。

航は鼻で笑い、まるで施しのように小さな箱を投げてよこした。

「もういいだろう。綾香もわざとじゃなかったんだ。犬を嫌いなら、代わりにプレゼントをやるさ。気に入るか見てみろ」

箱の中にはダイヤのネックレス。人気のデザインで、一目で適当に選んできたことが分かる品だった。

結婚したばかりの頃は、どんなに忙しくても私の好みに合わせて真剣に贈り物を選んでくれたのに。

今では、心のこもらない物で適当に済ませるばかり。

私は一瞥もくれず、黙々とスーツケースに荷物を詰めながら口にした。

「時間があるときに離婚手続きをしましょう。できるだけ早く」

結婚記念日のプレゼントすら愛人に選ばせるほど忙しい人だから、離婚の日取りも私が合わせるしかない。

航は鼻筋を押さえ、まだ私が駄々をこねていると思い込んでいる。

「ただ犬を贈っただけだろう。綾香だって君が犬嫌いだなんて知らなかったんだ。たかがそれで、いつまで怒ってるんだ?一か月も経ってるんだぞ」

曽根綾香(そね あやか)は航より五歳年下で、子どもの頃からずっと彼の後ろを追いかけてきた。二人は幼なじみで、卒業後も彼を追って同じ会社に入り、秘書となった。

常に一緒にいる二人は、周囲から「お似合いのカップル」と呼ばれるほどだった。

私は何度も抗議したが、返ってきたのは決まって「考えすぎだ。俺はあいつを妹のように思っている」という言葉だけ。

けれど──出張で同じ部屋に泊まる「妹」、電話一本でどこへでも呼び出せる「妹」など、果たしてこの世にいるだろうか。

結局、そういう関係を許しているのは、他でもない航自身なのだ。

私が黙っていると、航はもう話が済んだと思い、息子の紀藤奏音(きとう かのん)の授業参観がいつかを聞いてきた。

私はきょとんとし、首を振って知らないと答えた。

奏音は七歳になったが、私は一度も授業参観に行ったことがない。

最後に会ったのも、一か月半ほど前だ。

出産後、紀藤家は「後継者をきちんと育てるため」、「庶民臭を移さないため」と言って、奏音を私から取り上げた。

私は泣き叫び、跪いてまで頼んだが、何の意味もなかった。

一年に会えるのはほんの数回。奏音が私に懐くはずもなかった。

航は不満げに吐き捨てた。

「もういい。綾香に聞く。家出する暇があるなら、もっと奏音に気を配ったらどうだ。あの子は綾香には懐いても、母親である君には懐かない」

──もちろん、奏音は綾香に懐いている。

私は自由に会うことすら許されないが、綾香なら紀藤家の屋敷を自由に出入りできる。

紀藤家の人々は綾香に住みついてほしがり、奏音のことも安心して任せている。

私は口元を歪めて言った。

「……だったらちょうどいいじゃない。私と離婚すれば、綾香は堂々と奏音の母親になれるわ」

その瞬間、航は冷たい気配を放ち、手にしたグラスをテーブルに叩きつけた。

「美佳、くだらないことを言うな。俺が君を宥めると思うなよ。三十にもなって駄々をこねるなんて、ただの迷惑だ。それに、君は今、子どもを身ごもってるんだろ……」

言葉を最後まで言わせず、私は遮った。

「いないわ」

静かに言葉を継いだ。

「伝え忘れてたけど、一か月前にもう流産したの」
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第1話
結婚八周年の記念日に、夫が子犬を一匹贈ってきた。しかし、ICUから出てきた私は、彼に離婚協議書を差し出した。夫の愛人は私の手を握りしめ、涙ながらに訴えた。「紀藤夫人、全部私が勝手にしたことなんです。どうかこんな些細なことで紀藤社長に怒らないでください……」夫は優しく彼女の涙を拭いながらも、私に眉をひそめた。「わがままを言うな。君はもう三十歳だ。若い娘と張り合ってどうする」目の前で寄り添う二人を見て、私は黙って背を向け、海外行きの飛行機に乗った。──再び紀藤航(きとう わたる)と顔を合わせたのは、一か月後のことだった。……家に戻ると、航はソファに腰掛け、眉間に深い皺を刻んでいた。テーブルの上にはうっすらと埃が積もり、リビングの鉢植えはすでに枯れていた。「家出?自分がまだ十八の小娘だとでも思ってるのか?もし俺が迎えに行かなければ、ずっと外にいるつもりだったのか?いい加減にしろ、もう三十なんだぞ」私は一か月も海外を旅行していたのに、今日になってようやく、航は私が家にいないことに気づいたのだ。彼は相変わらず、私が拗ねて彼を家に戻らせようとしているのだと思っている。そして、いつものように私の年齢を持ち出しては、「もう若くはない、わがままを言う資格はない」と言い聞かせた。けれど私は、彼を自分の世界の中心に置いていた紀藤美佳(きとう みか)ではなかった。私は彼の言葉に返事もせず、手を動かして荷物をまとめ続けた。航は鼻で笑い、まるで施しのように小さな箱を投げてよこした。「もういいだろう。綾香もわざとじゃなかったんだ。犬を嫌いなら、代わりにプレゼントをやるさ。気に入るか見てみろ」箱の中にはダイヤのネックレス。人気のデザインで、一目で適当に選んできたことが分かる品だった。結婚したばかりの頃は、どんなに忙しくても私の好みに合わせて真剣に贈り物を選んでくれたのに。今では、心のこもらない物で適当に済ませるばかり。私は一瞥もくれず、黙々とスーツケースに荷物を詰めながら口にした。「時間があるときに離婚手続きをしましょう。できるだけ早く」結婚記念日のプレゼントすら愛人に選ばせるほど忙しい人だから、離婚の日取りも私が合わせるしかない。航は鼻筋を押さえ、まだ私が駄々をこねていると思い込んでいる。「た
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第2話
一か月前──ちょうど私と航の結婚八周年記念日だった。私は一日かけてお祝いの料理を準備し、彼の帰りを待っていた。昼が夜に変わっても彼の姿はなく、最後に届いたのは綾香からの一枚の写真。そこには、彼女の肩に寄りかかり眠る航の姿があった。航は酔ってしまって、今夜は帰らないと。そう告げる言葉と共に、私に送られてきたのは──あの犬だった。犬を目にした瞬間、全身に拒絶反応が走り、腹部に鋭い痛みが襲った。必死に耐えながら救急に電話をかけた。病院に着いたとき、下半身はすでに血に染まり、緊急手術が必要な状態だった。看護師は私の携帯で航に連絡を入れたが、電話は何度鳴らしても出なかった。私は最後の力を振り絞り、自分で署名をして意識を失った。目を覚ましたとき、腹部は無惨に平らになっていた。子どもを失った瞬間──なぜだろう、痛みよりも安堵の方が大きかった。あぁ、これで私と航の結婚は、本当に終わったのだと。──航の手は、握るカップの縁で白くこわばっていた。だが彼は、なぜ知らせなかったのかなどと責めはしなかった。その翌日の通話記録を確認すれば、私がどれほど彼に電話をかけたかが分かるだろうし、あの夜自分が何をしていたかも理解しているはずだから。「……いなくなったならそれでいい。どうせ産まれても、君にはちゃんと育てられない。実の母子なのに、他人みたいになるだけだ」そう吐き捨てると、彼は背を向けて階段を上がっていった。だが彼は忘れている。奏音が生まれてから今日まで、私は一日たりとも彼と過ごしたことがない。どうして母親に懐いてくれるだろうか。それに──この結末こそ、紀藤家の人間が望んでいたことではなかったのか。結婚して七年。私はもう、航の性格を知り尽くしている。これは、私に折れて歩み寄れという合図。いつもの私なら、争いの後にキッチンでスープを作り、彼の部屋の扉をノックして差し出しただろう。それが、私の謝罪の形だった。けれど──もう疲れた。残りの荷物をまとめ、私はスーツケースを引いて振り返ることなく家を出た。……思えば、出会った頃の私たちは確かに甘かった。出会いは、使い古された一目惚れだった。その日から航は、狂おしいほどに私を追いかけた。けれど私は、彼の気持ちを信じることができなかった
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第3話
付き合い始めてから、私たちはごく普通の恋人たちのように愛し合った。紀藤家の人々に認められるため、私は空いた時間をすべてアルバイトに費やし、決して航のお金には頼らなかった。そして航も、私のために狭い賃間での暮らしを選んでくれた。昼間は疲れ切っていても、互いの顔を見ればすべてが報われた。励まし合い、語り尽くせないほどの会話があった。今の冷たい大邸宅と比べれば、あの狭い賃間こそが「家」だったのだと思う。笑い声が絶えず、目を開ければ大切な人が隣にいて……だが、それらはすべて過去のこと。私と航は、もう二度と戻れないのだ。私は自分で買った小さなマンションへ戻った。それは結婚前に、貯めたお金で購入したものだった。あの時航は首をかしげた。「俺がすぐに大きな家を用意できるのに、どうしてわざわざ自分のお金で?」私は笑って答えた。「いつかあなたに追い出されても、戻れる場所が欲しいの」――完全に自分だけの場所が。その時、航は真剣な顔で言った。「そんな日は来るはずないよ」……けれど、結果はこの通り。弁護士に離婚協議書を作ってもらったその日、航から電話がかかってきた。「奏音が学校でいじめられた。母親の自覚あるなら早く来い!」息子がいじめられたと聞いて、私は協議書をバッグに押し込み、車を走らせ紀藤家へ向かった。玄関を入ると、綾香の腕の中で泣きじゃくる奏音がいた。私は他を気にする余裕もなく、すぐに駆け寄った。「奏音、ママに教えて。どこを怪我したの?誰がいじめたの?」だが奏音は、私の手を嫌悪するように避け、顔を綾香の胸に埋めた。「いらない!触らないで!」胸を巨大な手で締め付けられるような痛み。私は母親なのに、息子は私を拒み、綾香にすがりつく。航の祖母、紀藤神奈子(きとう かなこ)が鼻で笑った。「相変わらず行儀がなってない。やっぱり卑しい家の出だね、品も教養もないわ」綾香は奏音を抱きしめ、肩を軽く叩いて囁いた。「奏音、ママみたいに無作法じゃダメよ。奏音は紀藤家の後継者なんだから」私は胸の奥で渦巻く怒りを抑え、「今日は息子に会うために来た」と必死に言い聞かせた。もう一度奏音の小さな手を握り、優しく問いかけた。「ねえ、ママに見せて。どこが痛いの?」しかし奏音は勢いよく
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第4話
私は綾香の目の前に歩み寄り、テーブルの上にあった花瓶を手に取り、彼女へぶちまけた。一瞬で綾香はずぶ濡れ。完璧だった化粧も髪も顔に貼り付き、頭には花びらが数枚残っていて――滑稽そのものだった。「消毒?じゃあまず、その偽りの仮面を洗い流してやるわ。毎日そんな面で生きていて、疲れないの?」まさかいつも黙って従っていただけの私が逆らうとは、思ってもいなかったのだろう。綾香は数秒間ぽかんとしたあと、甲高い悲鳴をあげた。「あなた、頭おかしいんじゃないの!?」神奈子はテーブルを叩きつけて怒鳴った。「下品な女!まさに下品な女だわ!」航の母、紀藤麗子(きとう れいこ)も続けた。「やはり罪人の血は隠せないわね。あの時、あなたたちの結婚を許すべきじゃなかった!」航の顔は炭のように黒くなり、声を荒げた。「美佳、自分が何をしたかわかってるのか!父親と同じように牢屋に入りたいのか?」……冷たい笑みが口元に浮かんだ。さすが十年以上一緒に過ごした男。どこを刺せば一番痛むのか、よく知っている。かつて愛情溢れた彼の言葉は、今となって私を傷つけるための刃になっていた。従順に頭を下げ、耐えてきた意味はあった?――なかった。彼らは結局、私を見下すだけ。なら、もう耐える必要なんてない。私は綾香の胸ぐらを掴み、左右の頬に力いっぱいの平手打ちをお見舞いした。「ずっとこうしてやりたかったわ。その汚い口、閉じなさい。このクソ女が!」次にテーブルの上の物を全部掃き落とした。ガシャン、と割れる音。破片が飛び散り、リビングは大混乱になった。「ふふ、いいわ。先私のことは『下品な女』って言ったよね?じゃあ本物を見せてあげるよ!」八年間の屈辱を思い返しながら、胸の奥が驚くほどすっきりしていくのを感じた。黙って耐えてきたからこそ、彼らは私を好き放題に侮辱できた。でも今、私は知った。耐えるだけではダメなのだ。反撃してこそ、奴らに好き勝手されない。神奈子は胸を押さえ、荒い息を吐きながら「早く離婚して!彼女と離婚して!」と叫んだ。私は冷笑した。ちょうど私の望み通りじゃないか。「ええ、じゃあ早くその可愛い孫に離婚協議書へサインさせなさい」バッグから協議書を取り出し、航の前へ叩きつけた。だが彼は一瞥すらせずに言
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第5話
家に戻ると、航から鬼のように電話がかかってきた。ひっきりなしに、一本、また一本。でもどうせ離婚の話に決まっているから、私は一度も出なかった。電話が通じないと分かると、今度は狂ったようにメッセージを送りつけてきた。【どうして離婚なんだ。あの犬の件のせいか?綾香は本当にわざとじゃなかったんだ】【それとも嫉妬してるのか?綾香とは小さい頃から一緒に育ったんだ。妹みたいに世話してきただけで、それ以上の気持ちはない】【お詫びとして新しいプレゼントも贈っただろう?なぜ許してくれないんだ?】一つ、また一つとメッセージが飛び込んできた。けれど私は一文字も返さなかった。そう――彼はいまだにわかっていない。なぜ私が離婚を決意したのかを。あの日の出来事を、私が「大げさに騒いでいるだけ」としか思っていない。私が返信しないことで、彼のメッセージはますます必死になり、通知音が途切れなく響き、頭に響いた。私はたった一言だけ返した。【早く離婚協議書にサインして】その瞬間、ぴたりと静かになった。それから数日、彼からは一通もメッセージが届かなかったが、私は催促もしなかった。八年間、私は彼を中心に生きてきた。でもこれから去るのだから――少しの猶予くらいは与えてやってもいい。その間、私は仕事探しを始めた。八年の専業主婦生活で、社会からすっかり取り残されていた。昔学んだ知識も今では役に立たない。私は近所のスイーツ店で働き始めた。お菓子作りは忍耐が必要で、全身全霊を注がなければならない。だからこそ、私の心を紀藤家から遠ざけてくれた。不思議と私はこの仕事に向いていた。ほとんどのレシピをすぐに覚え、次第にその過程が楽しくなっていった。店は住宅街のそばにあり、常連客が多い。「美味しい!」と褒めてくれる人もいれば、子どもたちが「毎日食べたい!」と駄々をこね、親を困らせることもあった。そんなやりとりに思わず笑ってしまう。少しずつ、私は外の世界に溶け込んでいく気がした。もう「紀藤家の従順な妻」ではない。私は自分自身――美佳なんだ。時折、子どもを見ては奏音を思い出し、胸が締めつけられる。それでも、私は新しい生活を歩み始めていた。数週間後、ようやく航からメッセージが届いた。【離婚の件で会おう】と。私は
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第6話
私は静かに彼に尋ねた。「航、覚えている?私の父が判決を受けたあの日、あなたが何を言ったかを」父は収監される直前、私を罵った。「この恩知らずで冷酷な娘、お前なんか絶対にろくな末路を迎えない!」その時、航は私の耳を優しく塞いで言った。「怖がらなくていい、俺が支えになる。世界で一番君を大切にする人になる。必ず幸せな家庭を作るよ」あの時の胸の高鳴りを、私は今でも忘れられない。けれど今――かつて私をときめかせた少年は、平然とその痛みを嘲笑に変え、人に語り、醜い姿へと変わり果てた。航も思い当たったのか、苦しげな顔をした。「美佳、俺が悪かった。これからは変わる。俺と綾香は本当に何もなかったんだ。あの夜はただ酔って……何もしてない。本当だ、信じてくれ!」私は問い返した。「それは不倫じゃないと言いたいの?……じゃ毎晩家に帰ってきてから、誰と熱心にチャットしていたの?会社の人間にとって『あなたの彼女』は誰?奏音にとって母親は誰?――私じゃなく、綾香でしょう?それを黙認してきたのは、あなた自身じゃないの?」航は青ざめ、震える声で言い訳しようとした。「美佳、俺は綾香を妹としてしか……」「もういい!」私は彼の言葉を遮った。顔に浮かんでいたのは、隠しようのない嫌悪。「妹だって?彼女があなたの会社に入ってから今まで、何度その言い訳を聞かされたか。本当に妹として見ていたのか?それとも『妹』という名目を利用して、彼女の好意を楽しんで、色褪せた結婚生活に刺激を求めていただけなのか?――それはあなたが一番知ってるはず。……どちらにせよ、私には吐き気がする」航は今にも崩れ落ちそうで、何度も口を開いたが、結局は沈黙した。私は部屋に入り、扉を閉めた。それ以降、彼は私を煩わせなかったが、離婚についても一切触れてこなかった。私は菓子作りに没頭し、むしろ気楽だった。いっそ自分のスイーツ店を持ちたい――そんな夢まで芽生えていた。そんなある日、神奈子から電話が来た。珍しく、「奏音に会いに来なさい」と。私は子どもが好きそうなスイーツをいくつも用意し、紀藤家を訪れた。奏音はまだ小さい。ママはいらないと口にしたのも、きっと大人たちに吹き込まれたせいだ。一度も彼と暮らしたことがない私には、罪悪感がずっとあった。奏音の
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