تسجيل الدخول1時。A国のS市行きの便が、定刻通りに離陸した。窓際の席に座った美羽は、眼下で小さくなっていく街並みを見下ろしていた。手の中には、柚葉の写真を納めたネックレスを強く握りしめている。もう、二度と柚葉に会うことはないのだ。柚葉、ごめんね。美羽は心の中で静かに呟く。心臓がえぐられるように痛かった。その頃、空港から邸宅へ戻るベントレーの中でのこと。突然、柚葉が激しく泣き出した。翔平がいくらあやしても、泣き止む気配はない。泣き疲れてようやく眠りにつくまで、その泣き声は続いた。翔平は眠った柚葉を腕に抱き、涙で濡れた頬をそっと拭った。そして優しく背中を叩きながら、娘に向けたその眼差しは、誰よりも温かかった。……5年後。天嶺の本社ビル。広大な社長室。どこを見ても子供用のおもちゃが散らばり、壁はパステルカラーで飾られている。壁には小さな絵画も飾られていた。デスクの横には、ベビーチェアが置かれている。まるでお人形のような女の子が椅子にちょこんと座り、短い足を揺らしている。髪はお団子にまとめられ、小さな宝石のヘアピンが光っている。柔らかな指先でタブレットを操作しながら、静かに一人でパズルを楽しんでいた。高身長の男性が窓際に立ち、白いシャツに黒いパンツを身に纏っている。いかにも裕福そうなその背中越しに、スマホで仕事を片付けていた。眉間に刻まれた皺は厳しい。電話を切りデスクの方を振り返ると、先ほどまでの冷たい顔は一転し、目元が和らいだ。足早に歩み寄り、100面まで解き終えた画面を見て目を細める。女の子の頭を優しくなでながら言った。「柚葉は本当に賢いな」柚葉が顔を上げると、長いまつ毛の下から星空のような大きな瞳が輝く。「パパ、お絵描きしてもいい?」甘えたようなその声は、まるで綿あめのようだった。翔平が柚葉を抱き上げると言った。「今は目を休ませよう。おやつでも食べようか?」柚葉は小さく頷いた。部下が差し入れたお菓子を、柚葉と一緒に食べる。柚葉は自分の分を翔平にも分けてあげようとしていた。その時、ノックの音がした。「入れ」すると、潤が入ってきた。社長室に充満するミルクの香りと、色とりどりの部屋に、潤もようやく慣れた。翔平が柚葉を職場に連れてくるようになってから、かつて凍り
玄関に入る前に、直美は大輔に、中では余計なことを言わないように釘を刺した。大輔は「そんな軽口叩かないよ」と答えた。「ほんとに?信用できないな!」「……」家に入ると、正人と澪が急いでみんなを迎え入れた。隆も手土産を持ってきた。「またそんなにたくさん買って……手ぶらで良かったのに」「いえ、そうはいきませんから。気を使わないでください」正人が荷物を受け取り、言った。「まあ、とにかく入って、少し座っててください。すぐ食事にしますから」あと2品、まだ調理中だった。涼太は台所へ手伝いに行った。美羽がみんなに挨拶すると直美が歩み寄り、美羽の手を取って座らせた。「顔色が良くなって安心しました。あのプレゼント、使ってくれてますか?」「ええ、すごくいいです」「それなら良かったです」「……」皆はソファで談笑していた。食事の準備ができると、皆が食卓を囲んだ。正人が一人ずつお酒を注ぎ、杯を掲げて言った。「美羽がこんな素敵な友人たちに恵まれるなんて、幸せなことです。皆さん、美羽を気にかけてくれて本当にありがとうございました。佐野先生、特に今回はチャンスをくださり、深く感謝しております」隆は慌てて立ち上がった。「そんな、とんでもありません。美羽さん自身が優秀なのですから。私はきっかけを作っただけですよ」「いえ、それでもお礼を。これからも美羽をよろしくお願いします。では乾杯しましょう!」隆もその掛け声に続き、乾杯した。正人は、続いて大輔と悠斗にもそれぞれ酌をした。正人は嬉しくなるとつい羽目を外してしまうのだ。澪も、滅多にない賑やかな席だったため止めることはせず、一緒にお酒を飲んだ。美羽はジュースで彼らに合わせ、杯を交わした。最も辛い時期、誰よりも支えを必要としていたときに、こうして自分を大切に思ってくれる人たちがそばにいてくれる。その温もりこそが、明日へ立ち向かう勇気になっていた。夜9時になり、隆たちは次々と挨拶をして帰路についた。皆お酒を飲んでいたため、代行運転を呼んだ。美羽は玄関までみんなを見送った。涼太はみんなをエレベーターまで見送った。悠斗が「涼太さん、もう戻っていいよ!」と言った。「気を付けて帰れよ」「……」エレベーターのドアが閉まる。涼太はその場を離れた。
美羽は、悠斗から送られてきた柚葉の成長記録と動画を見た。【見て。柚葉ちゃんは、お前が贈ったお人形をしっかり握りしめてる。満足そうに笑っていて、きっとママが選んだ物だって分かっているんだろうね】画面の中で無邪気に笑う柚葉を見つめ、美羽は静かに微笑んだ。ようやく、この現実に折り合いをつけることができた。たとえ一緒にいられなくても、柚葉の成長を見守りたかった。写真の柚葉は大事に育てられているのが分かった。中山家の人々も、この子を心から可愛がっているようだ。【本当に賢い子ね】【言わなくても分かるよ。美羽に似て、聡明な子だ】【……】そんなある日。美羽のスマホが鳴った。翔平からの電話だった。「数日ほど出張に出る。柚葉の世話をしてくれ」翔平のその言葉に。美羽はその場で硬直した。離婚の話をするのかと思ったが、まさか柚葉の世話を任されるとは。あまりの驚きに言葉が出ない。どういうつもりだろうか?歩み寄ってくれたのか?もうすぐ、二人とも他人になるというのに。決断が早く、一度決めたら曲げない翔平のことだ。自分を嫌っているのは変わらない。離婚を後悔しているわけではない。せいぜい、子供のことで一時的に帰れと言っているだけなのだろう。美羽はスマホを強く握りしめた。電話越しに沈黙が流れ、翔平は美羽の答えを待っていた。一分、一秒がとてつもなく長く感じられ、胸の奥が押し潰されるように苦しかった。ようやく、美羽は絞り出すように答えた。「私は……柚葉の世話をしに行けない。あなたがよく見てあげて」溢れそうな感情を必死に押し殺した。翔平が与えてくれた、せめてもの機会だということは分かっている。そう伝えると、向こうは何一つ言い返すことなく、プツリと電話が切れた。受話器から流れる味気ない発信音を聞きながら、美羽は力が抜けたようにスマホを下ろした。堪えていた糸が切れ、鼻の奥がツンと熱くなる。堰を切ったように涙が次々と零れ落ちた。そこへ、果物を持った澪が部屋に入ってきた。目が真っ赤になった美羽の姿を見て驚いた。澪は慌てて歩み寄ると、ベッドに腰を下ろし、ティッシュを差し出した。「どうしたの?何があったの?」美羽は澪の肩に顔を埋め、声を上げて泣いた。胸が張り裂けそうになる澪は、美羽の背中を優しく撫でながら言
ただ、今日はなぜ翔平の妻がいないのか?みんなは疑問に思ったが、あえて問い質すことはしなかった。翔平が柚葉を抱いてベビーカーに乗せると、日和と剛がすぐに駆け寄り、柚葉を見て、しわだらけの顔に隠しきれない喜びを浮かべた。日和は柚葉のために準備していた、何十億もの価値がある宝石を差し出し、「このキラキラ、気に入ってくれたかしら?」と尋ねた。柚葉は大きな目をぱっちりさせて見つめるだけで、あどけない顔には特別な反応がなかった。「柚葉ちゃん、ひいおじいちゃんのプレゼントも見ておくれ」剛が特別に注文した赤ちゃん用のガラガラは、やわらかな素材で作られており、表面には剛自らが描いた絵が施されている。百合と慶は丹精込めてプレゼントを用意し、柚葉が笑ってくれることを願っていた。しかし、柚葉は大きな目を瞬かせるだけだった。日和がしみじみと呟いた。「本当に翔平の小さい頃とそっくりね」その時、悠斗は手に持ったお人形で柚葉をあやしながら言った。「柚葉ちゃん、これはどう?」柚葉がそのお人形を見ると、突然声を上げて笑った。その様子を見て、皆が驚く。日和が笑って言った。「あら、柚葉ちゃんは悠斗のこのお人形が気に入ったのね。これから健やかに育ってね」「……」悠斗は愛らしい柚葉を見つめ、優しく言った。「柚葉ちゃん、これがママからのプレゼントだって分かってるんだよね?」その言葉が放たれた瞬間、その場が凍りついた。杏奈は悠斗の言葉を困ったような表情で見つめた。悠斗は周りの反応などお構いなしに、柚葉に話しかけ続けた。「ママは、柚葉ちゃんが健康で無事に育ってほしいって願っているんだよ」その言葉を聞いた柚葉は、また声を上げて笑った。皆、悠斗の言葉を耳にしたが、誰一人として口を挟まなかった。杏奈が何かを言いかけて止める。ずっとソファから見守っていた勲が口を開いた。「柚葉ちゃんは情のある良い子だ。大きくなっても、きっと自分の母親のことを忘れないだろう。早くそのお人形を渡してやれ」「……」剛と日和は勲の言葉を聞き、何と返せばいいのか戸惑うばかりだった。他の者たちはなおのこと、言葉も出なかった。翔平は悠斗に言った。「寄越せ」悠斗は翔平を一瞥すると、お人形を手渡した。翔平は屈み込み、慎重に柚葉の横にお人形を
悠斗からメッセージがきた。【柚葉ちゃんの姿、見てみるか?】美羽が自ら柚葉の話を振ることはなかった。写真を見ると美羽の心がもっと苦しくなると、悠斗は分かっていたからだ。それでも美羽は、心の底ではずっと会いたくてたまらないはずだった。メッセージを眺めながら長い間黙り込んでいた美羽だったが、自室へ戻ってから【見せて】と短く返信した。どうしても、もう我慢ができなかった。悠斗から届いた写真は、柚葉の寝顔や笑顔……本当にかわいくて、大きな瞳は笑うと三日月のように細くなる。鼻筋も通り、口元は桜色の、透き通るような白い肌をした子だった。その姿を見て、美羽はこらえきれず目に涙を浮かべた。スマホを静かに置き、窓の外を見上げ、なんとか感情を落ち着かせてから、美羽はまた悠斗にメッセージを打った。【翔平は柚葉に優しくしてる?】それが美羽の一番の心配事だった。悠斗からの返信。【彼は柚葉ちゃんを溺愛しているよ。ほとんど自分ひとりで世話をしていて、マフラーと帽子も受け取ってくれたよ】美羽の予想とは違い、心からほっとした。【それならよかった】美羽はそれ以上何も聞かなかった。悠斗もあえて柚葉の話を続けることはしなかった。グループチャットでは相変わらず騒がしく、直美が美羽を何度もタグ付けし、ビデオ通話で話をしようと誘っていた。夜10時になり、澪にそろそろ寝るよう促された。美羽は皆におやすみと言うと、ベッドに入った。2月を迎えた。美羽は相変わらず家から出られないでいた。外の雪は降り止んでいる。正人と澪が外出の支度をし、涼太が家で美羽の面倒を見てくれた。すると、悠斗が二人を訪ねてきた。3人はそのまま夕方までカードゲームをして過ごした。美羽は二人分勝たせてもらっていた。その後数日間も、悠斗が時折顔を出してくれた。暇つぶしというよりも、涼太との仕事の打ち合わせが主な目的だった。涼太はまったく休んでいなかった。常に忙しく動き回り、会社にも足を運んでいた。これからの2年が成長の要だと考えていたため、一切気を抜けないでいた。時はあっという間に過ぎ去り、厳しい寒さは過ぎ去った。外は梅が咲き始めていた。隆と直美がすぐに会いに来てくれた。直美は海外旅行から戻ったばかりで、美羽の産後の回復に良さそうなギフトをたくさん抱
翔平は表情ひとつ変えず、悠斗の言葉を聞きながら、落ち着いた声でこう言った。「美羽のために、身内である祖父母や年長者に対して、そんなひどい言いがかりをつけていいと思っているのか?」悠斗は目を見開いて、翔平を見つめた。翔平は言葉を続けた。「彼女の気持ちを慮るのは構わない。だが、中山家は、お前の鬱憤を晴らすための場所じゃない。お前もまた、中山家の一員なのだから。もう子供じゃない。会社を経営し、一端の責任ある立場だ。言動にはもっと冷静になるべきだぞ」悠斗は指先に力を込め、ゆっくりと目を伏せた。表情は強張ったままで、それ以上何も口にはしなかった。場には沈黙が流れた。その時、使用人が2階に上がり、「翔平様、悠斗様、お食事が用意できました」と声をかけた。翔平は組んでいた足を解き、手元にあった紙袋を使用人に預けた。「俺の部屋に置いておいてくれ」使用人は両手で丁寧に受け取り、「承知いたしました」と答え、立ち去った。翔平は、椅子に座ったまま動かない悠斗を見下ろして促した。「いつまでそこに座っているつもりだ?」悠斗はスマホをポケットにしまい込み、腰を上げた。二人は一緒にダイニングへ向かった。食卓からは湯気が上がり、誰もが顔に笑顔を浮かべていた。柚葉を抱いた剛は、普段の厳しい表情が嘘のように、シワの刻まれた顔を慈愛に満ちた笑顔でいっぱいにしていた。日和がおもちゃで遊んであげると、柚葉がキャッキャと声を上げた。その場にいた全員が、思わず笑みをこぼした。今日が特別な日だと察しているのか、柚葉は一日中ずっといい子にしていて、ぐずることなく、あやす大人たちに満面の笑みを向けていた。無邪気な子供の笑顔は、そこにいる全員の心を和ませていた。「私に抱っこさせて」日和が柚葉をせがんだ。剛は首を振った。「さっき抱っこしたばかりだろ?」日和は剛を睨むと、柚葉に向かって話しかけた。「柚葉ちゃん、ひおばあちゃんに抱っこされたいわよね?」翔平が近づいた。「おじいさん、代わりますよ。さあ、みんなでご飯にしましょう」「そうだな。飯にしよう」翔平が柚葉を受け取ると、柚葉は彼に向かってにっこり笑った。翔平も愛おしそうに柚葉のほっぺを優しくなでた。それから注意深く柚葉をベビーカーに移し、隣に座らせた。お腹いっぱいで満足した







