登入綾は縁側から、健吾と冬馬の二人で楽しそうに縁起の良い飾り付けをしている姿を見つめていた。喪中であるため、飾りの色は抑えめだったが、健吾は子供たちのためにと、家中のあちこちに可愛らしい装飾も並べていた。門松や鏡餅、ころんとした縁起物の人形……気づけば、家の中にもすっかりお正月の温かい空気が漂い始めていた。家の中にある飾りに目を細め、綾は思わず胸が熱くなる。去年の今頃は、彰人が椅子に腰かけて、子供たちに微笑みながらお年玉を渡してくれていたはずだ。綾は二つの小さな人形を手に取ると、子供たちの前で膝をつき、声をかけた。「壮真、瑞希、これを持って行って、庭の木を飾ってきてくれないかしら?」「いいよ!」声を揃えて答えると、二人は元気に庭へと走り出した。後ろからは使用人たちが笑って追いかけていく。今年は綾の勧めで幸子が実家に帰ったため、いつもと違う静かな年越しに、少しばかり寂しさを覚える。ふと我に返ると、綾はどこか浮かない顔をしているビアンカに気づいた。ビアンカは東都に来てから、ずっと彰人と長い時間を過ごしてきたからだ。言葉には出さないが、その心の中には他の誰よりも深い悲しみが隠されているようだった。綾は隣に歩み寄り、ビアンカの手を握った。「ねえビアンカちゃん、とっても良い知らせがあるわ」ビアンカは気力をなくしたまま答えた。「なあに?」綾はにっこりと微笑んだ。「ソフィアさんが東都に来てくれたの。お正月を一緒に過ごせることになったわ」すると、ビアンカの目がパッと輝いた。「本当に?嬉しい!ソフィアと一緒に神社に行きたい!」「ええ、健吾に車を出してもらって、みんなで行こう」ソフィアを招いたのは、落ち込んでいるビアンカの心に寄り添うためでもあった。それに、颯太はI国への婿入りを認めてもらうため、家族の説得に追われており、ソフィアにもしばらく彼に会えていなかったからだ。夕暮れ時、空港から戻ってきた車が到着し、ソフィアが姿を現した。ドアが開いた瞬間、ビアンカは嬉しそうに駆け出し、ソフィアに抱きついた。壮真と瑞希も後をついていき、興味深そうに顔を見上げる。瑞希はくりくりとした大きな瞳で見つめ、思わずといった様子で口にした。「まるでお人形さんみたい!」その言葉に笑い出したソフィアは、バッグから美しい人
和子の命日、綾は黒崎病院へ寄り、湊に墓参りへ行くかどうか尋ねようと考えていた。先日、達也から湊の精神状態がだいぶ落ち着いたと聞いていたからだ。車を走らせて黒崎病院に着いたが、綾はすぐに降りず、運転席に座ったまま達也に電話をかけた。「達也さん、今日は湊のおばあさんの命日なの。湊と一緒にお参りに行けたらと思うんだけど、会うことはできる?」受話器の向こうで少し間が空き、達也の声が静かに返ってきた。「綾、湊はもう東都を離れた。俺も今病院にいないんだ。今年は、綾ひとりで墓参りに行ってもらうしかないな」綾はきょとんとして問い返す。「どこに行ったの?」「南の方さ。それと、湊から伝言がある。綾の幸せを願っているとな」綾はスマホを握りしめ、心に穴が開いたような感覚に襲われた。顔を上げ、窓の外に高くそびえる黒崎病院を見つめた。大学卒業以来、湊の付き添いでここに何度足を運んだことだろう?直感が告げていた。湊は本当に、自分の世界から消えてしまったのだと。綾は車を発進させ、花屋でサザンカの花束を買った。和子が生前最も愛していた、艶やかな花びらを持つ鮮やかな花だった。花を抱えて、ひとりで墓地へと向かう。墓石に刻まれた和子の名前は、以前と変わらず優しく慈悲深く見える。綾はたくさんの話を胸に秘めていた。この一年で起きた波乱、湊との別れ、そして心の奥で複雑に絡み合う名もなき感情。しかし口を開いても、言葉はひとつも出てこなかった。結局何も言えず、墓石の前で夕暮れまで静かに座り続けた。かつて、和子が生きていた頃と同じように。当時は書斎で会社を切り盛りする和子の隣で、綾はこうして静かに本を読んでいたものだ。分からない箇所があっても、声には出さず、湊の方へ本を差し出していた。少年だった湊が顔を少し傾け、声を潜めて優しく教えてくれた、あの温かい時間。あの頃の穏やかで長い時間は、もう二度と戻らない。いまや和子はここで眠りにつき、湊は遠くへ去ってしまった。その記憶を抱きしめ、ここには綾一人だけが残された。陽が少しずつ沈み、地平線が真っ赤な夕焼けに染まる。綾は立ち上がると墓石に深く頭を下げ、その場を後にした。夕焼けに染まる道を一人で歩いていた。これまで味わったことのない孤独が、胸いっぱいに広がっていく。け
湊は振り返ることなく、小さくうなずいた。しばらく沈黙が流れた後、湊が口を開いた。「退院はいつできる?」窓の向こうには虹がかかっていた。色を失った湊の人生には、珍しい彩りだった。達也は戸惑いを浮かべ、湊の隣まで歩み寄った。「退院したら、どこへ行くつもりだ?中野家の屋敷に戻るのか?」湊は振り返ると、近くのソファに深く腰を下ろした。深く腰掛けたソファに体がすっぽりと埋もれ、その痩せ細った体はいっそう痛々しく見えた。湊は顔を上げ、静かな声で答えた。「あそこは綾の場所だ。もう二度と戻るつもりはない」「それなら、どこへ行くんだ?」達也がたたみかけるように聞いた。湊は窓に映る輝く虹に視線を向けたが、答えは見つからなかった。自分はどこへ行くべきなのか?綾を完全に失ったということは、帰る場所をなくしたのと同じだった。どこへ行こうと変わらない。見知らぬ街へ移り住み、流れ者のように生きていくだけだ。しかし、一つだけ確かなことがある。これ以上、東都に残ってはいけない。自分がここにいれば、綾を不安にさせてしまう。綾が苦しめば、自分もまた苦しむことになるからだ。綾のためにできる最後のこと。それは、彼女の世界から自分という存在を完全に消し去ることだった。達也が切り出した。「郊外にでも家を買わないか?静かな環境なら、療養にも適しているだろう」湊は痛み始めたこめかみを軽く押さえ、淡々とした声で決意を告げた。「東都を出る。南の方へ行くつもりだ」達也は口を開きかけたが、言葉を飲み込んだ。湊の交友関係も、馴染みのある生活も、すべてこっちに集まっている。南は彼にとって、未知の場所だ。だが、これ以上の引き止めは意味がない。執着するより去るほうがいいのかもしれない。湊が東都からいなくなる方が、みんなにとっても都合が良いのだろう。湊も同じように考えていた。綾は去り、誠は監獄の中、海斗も別の家庭の子となった。この街には、自分を必要とする人間などもうどこにもいなかった。「明日にでも退院手続きを頼む。明日の午後の飛行機で南へ飛ぶから」達也が顔を上げ、驚きを隠さずに言った。「急ぐことはない。もう1週間待とう。今の容態では、正直不安だよ」湊は唇を薄く結び、寂しげに微笑んだ。「安心してくれ。これ以上、誰かを傷つけたりし
明里は唇をぎゅっと結んだが、颯太のソフィアに対する感情の展開が突然すぎて、納得できない様子だった。真帆はお茶を注ぎ足すと、一気に飲み干した。「うちの祖父と父は二人とも頭が固いから、颯太がわざわざ海外に行って、向こうの家に婿入りするなんて、絶対に認めないはずよ」綾は様子を窺うように尋ねた。「真帆さん自身はどう思っているんですか?」真帆はしばらく沈黙してから、口元に自嘲めいた笑みを浮かべた。「個人的には、颯太がI国に行くのは反対よ。彼も男系継承にこだわる家に振り回されてきた被害者ではあるけれど、血の繋がった弟だし、性根も悪くないわ。つらい思いをしてほしくないの」明里がすかさず言葉を挟んだ。「確かに、ソフィアさんは何を考えているのかわからないところがあるわ。以前、綾が湊に公海で拉致されていた時も、ソフィアさんが裏で手を回していたんですから」その言葉を聞いて、真帆の表情はさらに曇った。綾が口を開いて止めようとしたが、明里は止まることなく喋り続けてしまった。綾は湯飲みを持ち上げ、静かにお茶を飲んだ。真帆の話から、綾は杉本家の考えがおおよそ把握できた。樹を除けば、ほとんどの家族が颯太のI国行きに反対しているのだ。情に厚い颯太の性格を知っているからこそ、彼とソフィアが歩む道は険しいものになるだろう。お茶を飲み終える頃には、来客たちもようやく帰路についた。真帆が立ち上がって挨拶し、明里もそれに続いて部屋を出たため、家の中が途端に静まり返った。綾は健吾の眉間に刻まれた長引く疲労の色に気づき、優しく声をかけた。「少し眠ったら?子供たちも疲れているし、一緒に寝てあげて」瑞希がその声を聞きつけ、健吾の前に飛び込んできた。小さな手で彼のシャツを握り、「パパ、眠たい」と呟く。健吾は屈んで瑞希を横抱きにすると、俯いて壮真にも声をかけた。「壮真も一緒に寝るか?」壮真は首を横に振った。瞳を輝かせて、「眠くない」と言い切る。健吾は空いた手で壮真の小さな頭を撫でた。「じゃあ、ママのことを頼んだぞ。ママは腕をケガしているから、痛くしないようにな」壮真は力強く頷き、胸を張った。「分かった、ママを守るよ」壮真は綾の隣に立つと、早く寝てくれと言わんばかりに健吾と瑞希を追い払った。健吾が瑞希を抱いて2階へ上がったのを見届けると
自分や子供たちがそばにいれば、少しは健吾の心も落ち着くはずだ。こんな時、健吾は一人になりたいわけじゃない。誰かに寄り添っていてほしいんだと、綾は分かっていた。涙を溜めたその瞳を見つめ、健吾は力なく唇を歪ませた。「いいよ。でも、弔問客の対応や顔出しはしなくていいから」綾は小さく頷き、車のドアを開けて降りた。後藤家の人たちも弔問に訪れていた。壮真と瑞希は、すでにユズちゃんと庭のあずまやで遊んでいる。子供の世界はどこまでも軽やかで、その笑い声が重苦しい空気を少しだけ和らげた。綾は後藤家の人たちに軽く挨拶をしてから、杉本家の面々のもとへ歩み寄った。颯太、義治、それに樹と真帆たちが来ていた。綾は丁寧な態度で一人一人に挨拶をした。最後に、ほっそりとした樹の姿に視線を向け、穏やかな笑みを浮かべた。「杉本おじさん、ご無沙汰しております」樹は微笑んで小さく頷いた。「颯太から話は聞いている。本当に、苦労したね」綾は首を振り、淡々と答えた。「生と死以外、大したことじゃないのかもしれません」その言葉に樹は深く感心したように、義治と真帆を振り返って言った。「綾さんを見習いなさい。颯太がI国に行くというだけで、みんなは大騒ぎしすぎだ」宗介はわざとらしく二度咳をし、声を潜めた。「外なんだ、そんな話はやめておけ」颯太は綾の脇を通り抜け、そのまま健吾の前に立ってその肩をポンと叩いた。「青木社長、心からお悔やみ申し上げます」健吾は一言感謝を返すと、手で案内するように彼らを中へ招き入れた。弔問客のほとんどはすでに帰っており、今青木家の本邸に残っているのは、もっとも近しい者たちだけだった。後藤家も杉本家も、綾にとっては親戚のような存在だ。リビングで応対する冬馬と健吾に対し、綾は明里、真帆とともに茶室に入り、腰を下ろした。お茶を口に含んだ真帆は、綾の顔をしばらく眺めると、ふと思い出したように聞いた。「ねえ綾さん、青木社長と、再婚したの?」綾は控えめに笑った。「いいえ、今はまだです」「今はまだ」という言葉を聞いて、真帆はすべての事情を察した。颯太を国内に留めようという企みは、これで完全に潰れたということだ。真帆はお茶に目を落とし、それ以上は何も追及しなかった。明里がお茶を注ぎ足しながら、好奇心に抗えず聞いた。「颯太
間もなく、医師たちは無言でベッドの周りから離れ、一人また一人と部屋を出て行った。最後に残った達也は、去り際に一度だけ健吾の方を振り返った。その目には、すべてを察したような悲しみが宿っていた。綾がベッドに目をやると、酸素マスクをつけた彰人の顔は青白く、息も絶え絶えだった。和子が息を引き取った時も、同じだった。あの時は、湊が最後まで母の手を握っていた。あの日感じた深い絶望は、今も消えることはない。綾は、健吾と冬馬と共にベッドサイドに寄り添った。3人はただ、動かない彰人を見つめることしかできなかった。東の空が白み始めたその時、彰人がふっと目を開けた。わずか数秒の後、その目はゆっくりと閉じられた。そして、二度と開くことはなかった。いつもと変わらず日が昇る朝、彼らは愛する肉親を失った。……葬式の日は、小雨が降り続くあいにくの天気だった。どんよりと垂れ込める雲が、まるで呼吸を苦しくさせるような圧迫感を放っていた。黒いドレスを着た綾は、静かに健吾の隣に立った。壮真と瑞希は墓前で正座し、精一杯丁寧に彰人へ手を合わせた。二人はまだ幼く、死というものを知らない。「天国へ遊びに行ったんだ」と信じているようだ。夜になると空を見上げて、「あのお星様のどこにひいおじいちゃんがいるんだろう」と小さく言い合っている。帰りの車の中は、重い沈黙に包まれていた。運転するマルスの後ろに、綾と健吾が並んで座る。健吾に少しでもゆっくり休んでもらおうと、子供たちは別の車に乗せてあった。健吾は何も語らず、じっと窓の外を眺めていた。その表情からは悲しみが隠しきれない。ここ数日、弔問客の応対以外、健吾はほとんど口を開くことがなかった。どんな深い悲しみも、時間が経つにつれて、薄れていくと綾は信じている。彼女は椅子に頭を預け、心の底から深くため息をついた。この数日間、どこか別の世界の夢を見ているかのような、奇妙な現実感のなさに包まれている。少し前まで、彰人は子供たちとかくれんぼをして、今度のお正月はみんなで里帰りをしようと笑っていたのに。それが、あっという間に死という結末を迎えた。ふと窓の外を眺めていた綾の目から、止めようのない涙がこぼれ落ちた。先に逝ってしまった人々――両親、和子……みんなの顔が脳裏に焼きついて離れな







