LOGIN也夜が過去にアイドルであった話は人づてに聞いていた。アイドルと言っても地下アイドルグループに所属していたのに近いものだったらしい。そしてかなり若い頃に。 分二に体を起こされ朝ごはんを眠気まなこで二人で作り、それから分二が來を連れていきたいところがあると車を出してくれたのだ。「もしさ、あそこの家を也夜に渡すんだったらさ、もしもの話だよ?」 昨日あれだけ分二が嫉妬して來を服従させていたのにも関わらずまた也夜のことを話題に持ちかけてきた。 來はうん、と頷いた。「マンションあるからさ、まだ契約してるから。ほとんど倉庫みたいなもんだし、車ももう一台ある」「なんか分二の部屋汚さそう」「こら」「ごめんごめん……なんでも知ってるなんでも興味があるからいろんなものがありそう」「まぁね、ペットは知り合いがもらってくれたし」「……飼ってたの?」「前にね。一時期海外出張増えたから……ペットも命あるものだし。難しいね」 と言うのだがもしかしたらと思って來は聞いてみた。「ペットもだけど……家庭を持たないのも……」「そうだね、いろんな女性とお付き合いしてさ家庭を持つとかそうでない話して。中にはお子さんがいる人ともつきあったけどさ……僕は同時にたくさんの人を愛することはできない人間でね。ペットの時は全力でペットに愛を注いだ。女性も。でも……子供もとなるとどちらか……分散させるとか無理だなぁって。酷いだろ?」 なるほど、と來は思った。「だからさ、僕は子供を持つことができない男同士で結婚を考えたわけで。養子とかも親からは言われるけどそれもね。僕の性分では無理だな……」 確かに分二は西流ガールズneoに対してもすごい愛を注ぎ込みその子をトップにさせたのだが他の新人が入るとぴたりと前の好きな子を応援しなくなった、それをリカから聞いていたのだ。「なんだろうね、子供の頃からそうだったのかな。欲しいと言ったら何でも買ってもらえてとめどなく。それがだんだんわかってきて言わなくなったんだ」「そうなの。ラッキーじゃん。僕は反対に何も買ってくれなかったから羨ましいよ……だからバイトして学費とか貯めて欲しいものも買って……」「そう、僕もそうしたかった。他のみんなはちゃんと働いてお金を貯めて自分で買う……そしたらそれに愛着をすごく持てたんだよ」 と言うまに分二の車は大きなマンシ
美園よりも先にタクシーを降りた。マンションには地下駐車場があり、そのまま地下まで降ろしてもらう。 支払いは自分が、と言いかけたが、美園がカードを持っているからいい、と静かに制した。「……ありがとう」 來はそう言ったものの、美園は応えなかった。 その無言が胸のどこかに引っかかったが、今さらどうにもできない。ため息をひとつ、來はエレベーターへ足を向ける。 部屋の前に立ち、いつもの癖で軽く息を整えてからドアを開けた。鍵は開いていた。「ただいま」「おかえり」 奥から聞こえた声に、來は一瞬足を止める。分二だった。 気づけば、分二がすぐ玄関まで来ていた。「……おかえり」「ただいま」 同じ言葉をもう一度交わす。 わずかに空気がぎこちない。それでも、ほんの数秒のあとで分二はいつもの笑顔を作った。 その笑顔に安心したのか、胸の奥のざわつきが少しだけ静まった。「也夜、目が覚めたってな」「うん。話も少しした」「えっ、できたの?」「うん」 分二の顔が大きく揺れた。本気で驚いているのが分かる。その反応に、來は……そりゃそうだ、と胸の奥がざらついた。「ねぇ、分二が也夜のこと……」「なにを」「目を覚ましたこと……ネットとかで」「んなわけないだろ」 分二は笑いながら、ほんの少し食い気味に言った。「でも、あんなにすぐネットに流れるなんて……病院内とか、そういうところで漏れるんだろうね」「……だろうね。ごめん」「ううん」 言葉が続かず、二人の間にまた気まずい空気が落ちた。「でも也夜、目を覚ましたんだね」「うん」「よかったね、來」 返事に詰まる。胸がぎゅっと痛んだ。「……だからと言って、僕との結婚は無しにならないからね」 やっぱりそう言うんだ。 分二は來を抱き寄せた。思っていたよりも強い腕だった。「だよね? 來」「……分二」「なんだよ、YESじゃないの?」 抱きしめる力が一段階強くなる。呼吸が浅くなった。「YESとか、その前に……分二は、也夜のファン?」 來が問うと、分二の腕がほどかれた。 まるで反射的に、触れてはいけないところに触れたように。「……ファンじゃないわけでもない」 分二は、ほんの少し声を落とした。「ずっと気になってたんだよ。ファンでもなければ、なんなんだろうって」「そりゃ、彼は人気者だし。素敵な
美園とともにタクシーの後部座席に滑り込んだ瞬間、外の喧騒が一気に遠のいた。さっきまで胸の奥でざわついていた緊張が、扉一枚隔てただけで少しだけ薄れていく。「親御さんたちは、まだ病室のほうで待っててくださるって」と美園が静かに言う。 來は頷きながら視線を伏せた。事務所の社長やマネージャーたちも、励ましの言葉を残してすでに帰っていった。けれど、病院を出る最後の瞬間まで、周囲は落ち着かない。 病院側から「正面は報道陣が来ている」と伝えられ、先に出た社長たちが裏口へタクシーを回してくれていた。 どうやらこの病院、タレントから政界の大物まで、名のある人物がよく運ばれてくるらしい。スタッフたちの動きは無駄がなく、その場の混乱を最小限に抑えることに慣れているのが一目でわかった。 來自身は、自分がそんな大げさに扱われる存在だとは少しも思っていない。だが……(有名人になったみたいだ……) そんな、妙な気持ちが胸をよぎった。けれど、実際の“有名人”は來ではない。也夜だ。どちらかといえばその“恋人”として、來は巻き込まれる立場だ。 建物の上階の窓から下を覗くと、確かに数台の報道車が並び、カメラを構えた数人が出入り口付近に張り込んでいた。こんなにも早く情報が広まるのかと驚くと同時に、やはり也夜の名前にはそれだけの力があるのだと痛感した。 案内してくれた病院職員によれば、ここには報道陣専用の会見室まであるらしい。もっと大きなスターや政治家が運び込まれたときには、記者どころかファンの群れが押し寄せることもあるという。 今回、ファンが入り込んでいるかはわからなかったが……「一部ではね、お見舞いの品とか手紙とか持って来ようとしたファンがいたらしいの。でも病院も全部受け取り拒否にしたみたい。ファンの側にも“そういうのは控えよう”って暗黙のルールができてるって」 美園はそう説明した。 來はふっと胸の奥が温かくなるのを感じた。(……也夜は、本当にマナーの良いファンに支えられてたんだな) 表舞台に立つ人間は、どうしてもいろいろな人を引き寄せてしまう。だけど、彼の周囲には節度を守れる人たちが多かった。それは、也夜自身の人柄が生んだものなのかもしれない。 タクシーがゆっくりと走り出す。裏門から出た車は、報道陣の気配とは反対方向へと滑るように離れていった。 來は窓の外をぼんや
來は美園を先に帰し、マダムたちの接客を終えると、その足で急いで病院へ向かった。他のスタッフがすでに大輝へ連絡していたらしく、まだ予約があったにもかかわらず、彼はすぐにヘルプへ駆けつけてくれたらしい。 大輝は名のある美容師だ。急遽現れた彼の姿に、來の指名客たちも「今日は来てよかった」と口々に喜んでいた……と、後で聞かされた。 だが当の來は、そんなことがどうでもいいほど動揺していた。 也夜が二年ぶりに目を覚ました。 ずっと植物状態だった彼が、なぜ突然。 喜びなのか恐怖なのか、自分でも感情が掴めないまま、スタッフにタクシーへ押し込まれた。 マダムたちと最後に何を話していたのかも、もう覚えていない。 気づけば病院の前に立っていた。 震える指で美園へ「着いた」とだけメールを送る。送信が完了した頃、視界の端で誰かが小走りにこちらへ向かってくる。 也夜の事務所の社長だった。隣には久しぶりに見る秘書の姿もある。「元気だった? ごめんなさいね……なかなか連絡も取れずに」「いえ、ご無沙汰しております。タレントさんを何人か、僕の美容院に紹介してくださったと聞きました」「まあ……それは後でいいのよ。今は早く病室へ行きましょう」「はい」 社長に促され、一緒に院内へ向かう。 その途中……「どこから漏れたのかしら。也夜くんが目を覚ましたって情報、もうSNSに流れてるのよ」 その言葉に、來の心臓がひやりと音を立てた。「どこのどいつかしら。……看護師かしらね」 社長が苛立ち混じりに吐き捨てる。 來も一瞬、職場の誰かが漏らしたのではと胸をよぎったが……そんな邪推をしている場合ではなかった。 看護師の案内に従い、久しぶりに向かう病室。 しかし辿り着いたのは、以前とは違う部屋だった。 そしてその前には、美園と——何年ぶりかに見る也夜の両親が立っていた。 社長の姿を目にした瞬間、両親は揃って深く頭を下げる。 だが、來に視線が移った途端、その表情はぴたりと凍りついた。 嫌悪とも困惑ともつかない、なんとも言えない顔だ。「お久しぶりです……」「……久しぶり、だな。娘がそちらでお世話になっていると聞いた。……そそのかしたのか? せっかく大企業に勤めていたのに」 相変わらずな父親の物言い。 しかし、來はもういちいち反応できるほど落ち着いていなかった。
その後、二人は式場との打ち合わせが入っていたが、來の体調を考えて延期することにした。 家に戻ると、來はまるで糸が切れたように眠り込んだ。分二とほとんど言葉を交わすこともなく。 気づけば、部屋はすっかり暗い。 あれほど眩しく、煌びやかだった結婚式場……その光がまだ残像のように頭に刺さる。暗さに目が慣れると同時に、あれが頭痛の原因だったのか、いまの静けさが痛みなのか、わからなくなる。「來……起きた?」「うわっ」「なんだよ。お化けでも出たと思ったか?」 スマートフォンの灯りを自分の顔に向け、分二はよくある“お化けごっこ”をしてみせたが、その顔には笑みがなかった。「……まさか、僕が寝てる間ずっと……?」「横にいたよ。いつ起きるか気になって。途中、俺も少し寝たけど……なんか、あんまり眠れなくてさ。目を開けたり閉じたりしてただけ」「ごめんね……」 暗闇でも、分二がじっと自分を見つめているのがわかる。その視線の温度に胸がざわつく。 次の瞬間、分二がゆっくりと來に覆いかぶさった。 ためらいも、力加減も曖昧なまま――ただ、強く。 不安をごまかすように、でも確かめるように。「分二……?」 呼び名が喉で震える。 暗闇はふたりの境界を、あっさりと溶かしていった。「もう……お前の頭の中を、僕だけにしたい……來の全部を僕で埋め尽くしたいんだ」「分二……っ、ちょっと……力が強い……」 來の声が震えると、分二の腕はさらに強くなった。 掴むというより、すがりつくような力だ。「いつまでも……來は、也夜のことに縛られてる。 好きだった人を忘れられないのはわかる。俺だって……俺だってそうだった。だけど……!」 來の頬に、ぽたり、と温かい雫が落ちる。 涙だった。分二の。「ああ……悔しい。俺は、也夜を越えられないのか? こんなに……こんなに來を愛しているのに。なんで……なんでだよ……!」「分二……そんな、こと……。愛されてるのは、ちゃんと……すごく、わかってる」 必死で宥めようとする來の言葉を遮るように、分二は荒い呼吸のまま來の唇を塞いだ。 深く、荒々しいキス。 空気が奪われ、來は苦しげに身をよじる。「っ……分二……! はぁ……っ」 なんとか唇が離れたとき、來も呼吸が乱れていた。「じゃあ……來は、僕のことを愛してくれた……? 本当に?」
結婚が決まってからは驚くほどに物事が進んだ。 今回は親に言うべきこともない、と來は自分の親へ連絡しなかった。 分二の親とも会い、彼らは來の過去も含めて全て理解した上で賛成してくれた。 経営者として忙しくしながらも、息子を自由に伸び伸び育ててきたという感じの親たちで、過度な干渉はない。ただ、本当に自然に分二を愛しているのが伝わってくる。 來の実家も自由ではあったが、それはどちらかと言えば放置に近い自由だった。 その差が、なんとなく胸に残る。 也夜の時、最初に彼の家族から向けられた反応は渋々といったところで、今の分二の家族とはまるで違う。 今は裏も表もなく、分二と同じように屈託のない笑顔で歓迎され、式の話もどんどん進んでいく。それが來にはどこか落ち着かない。 気づけば、以前の結婚式とは真逆のことばかり選んでいた。 招待客も最小限。タキシードの色も形も避け、場所も全く違うところに。 違いを選んでいるのか、避けているのか、自分でもよくわからなくなっていた。 そんな中で、分二は初めての結婚式の準備に終始きらきらしていた。 見るものすべてが新鮮で、はしゃぐ子どものように目を輝かせている。 その姿を見て、來はつい口をついて言ってしまった。「分二、僕に気を遣ってないかい」「なんで?」「だって……なんかさ、僕の前の結婚式と違うようなものにしようとしていないかなって」「……え? そんなことないよ」 分二は数着のタキシードを抱えて來の前に来ると、次々と当ててみせた。「だって分二は、友達も取引先も親戚もたくさんいるのに呼ばずに……もっと呼んでもいいよ。僕は職場の人くらいだけだけどさ。僕のことは気にせず、ちゃんと呼びたい人を呼んでくれよ。家族いないから、建前とか本当気にしないし」「いやいや、人が多いのが却って嫌だよ」 分二はさらりと笑った。「だから君のプロポーズも店じゃなく家でしたんだろ? 人が多いと俺も疲れるし。それに、人をたくさん呼んだら後が大変だよ。ご祝儀、呼んだ人全員に返せると思う?」 その言い方があまりにも“分二らしくて”、來は言葉を失った。 気を遣っているというより、ただ彼自身の素直な価値観を述べているだけ。 そこには作った優しさも、遠慮も見えない。 ふと、前の結婚式で互いに大勢を呼んだことを思い出した。 もっとも、その多