LOGIN美園から連絡が来たのは、それから二週間後のことだった。
來はようやく美容室に復帰していた。結局、丸二週間かかった。 右手の薬指に光る指輪を外すべきか、何度も迷った。 常連客たちは、來が也夜とパートナー協定を結んだことも、結婚式を控えていたことも知っている。そして、式の直前に起きた事故で、也夜が昏睡状態にあることも。 だから來が姿を見せると、誰もが「也夜さんは?」と口にした。 気を遣って何も聞かない人もいたが、やつれた顔を見て心配の色を隠せない。 二週間で復帰するには早すぎたか、大輝はそう思いながらも、來が仕事に戻り、ハサミを握り、客と笑って話すうちに少しずつ以前の表情を取り戻していくのを見て、胸を撫で下ろした。 愛する人のそばにいながら、家族ではないという理由で面会すら叶わない。 來がどうにか立っていられたのは、大輝が支えてくれたからだ。 元恋人としてではなく、一人の人間として。だが、彼の中でもまだ割り切れない思いがあった。 そんなある日の昼下がり。 ようやく休憩を取った十四時過ぎ、ポケットのスマホが震えた。 上社家と來をつなぐ唯一の存在……美園からだった。 心臓が跳ねる。 けれど、手は思ったよりも静かに画面を開いていた。 『お久しぶりです。ようやくお兄ちゃんの病室に入れました。本当に寝ているみたい。写真は撮れませんでした、ごめん』 美園とはときおり他愛ないやり取りをしていた。だから、この口調もいつものことだ。 「……」 來は短く返信した。 『ありがとう。やっぱり僕は病室に入れないよね』 『うん、ごめん。病院も厳しくて……ほんとなんなんだろうね。何もできなくてごめん』 やっぱりか。來は深く息を吐いた。 一目でいい、彼の姿を見たかった。 なぜ写真を撮らなかったのかと、胸の奥で小さな苛立ちが芽生える。 会いたい。けれど、足は動かない。 也夜の父に言われた言葉が、今も心に重くのしかかっている。 最初から、二人の結婚を快く思っていなかったのかもしれない。 同意してくれた母でさえ、息子の意志に仕方なく従っただけだったのではないか。 來は唇を強く噛みしめた。 結局、同性婚というだけで、拒まれたのだろうか。 休職中、友人たちは何度も話を聞き、励ましてくれた。 とりわけ親身だったのは、也夜と家族ぐるみで付き合っていた隆と祐の夫夫だった。 彼らは八年前にパートナーシップ協定を結んでおり、言うなれば“夫夫の先輩”だ。 美容室の常連でもあり、隆は高校教師で人当たりがよく、祐は元バーテンダーで調理師免許と栄養管理士の資格を持っている。 來は特に隆と気が合った。 彼は生徒思いの教師で、人の心の痛みに敏感だった。そんな隆に、來は自然と心を預けていた。 結婚前も、事故のあとも、隆たちは來を気にかけ、何度も家を訪ねてくれた。 「今は無理に動かず、少しでも手を動かして、忘れる時間を作って」と隆は言った。 その言葉どおり、彼は仕事の帰りに夕飯を作りに来てくれた。部活の顧問もしている多忙な中で、疲れた体に鞭打って。 料理が苦手な大輝の代わりに、來を支えてくれた。 最初は台所の隅でその姿を眺めるだけだった來も、次第に手伝うようになり、復職前には自分で料理を作れるようになっていた。 久しぶりに「おいしい」と笑ったその夜、來は少しだけ前を向けた気がした。 本当は、也夜がいつも作ってくれていた。 モデルとして体調管理に厳しく、自炊にこだわる人だった。 來は料理を任せきりにしていたが、やってみれば自分にもできると知った。 祐にも料理を教わった。 だが、それが次第に違う形へと変わっていく。 祐が來の家に通うようになり、気づけば二人は身体の関係を持っていた。 祐は拒まなかった。 「人が好き」という彼にとって、性別も関係なかった。 來はそれをわかっていたのに、也夜のぬくもりを求めてしまった。 料理や仕事では埋められない、孤独があった。 祐は來の弱さを理解しながらも、どこかでそれを利用していた。 來も気づいていた。 それでも、誰かの腕の中でしか呼吸ができなかった。 やがて、美園からの連絡も開けなくなった。 忘れるためには、すべてを閉ざすしかなかった。 仕事は順調で、食欲も戻り、体も健康的になっていった。 だが、それ以外のすべてが、少しずつ壊れていた。この日は大安吉日、快晴。 家族と数人の友人を招いた上社美園は、それでも今日という日を憂鬱な気持ちで迎えていた。 ……なんで花嫁なのにこんな憂鬱であるのか。 理由は明白であった。 これは政略結婚。父の上司で重役の息子との、整えられた未来のための結婚。レールの敷かれた人生、きっとこれは変えられなかった……それに抵抗するためにあれこれ逃げ道を作ったが無理であった。 「花嫁さん、ずいぶん浮かない顔してるね」 軽口を叩きながら、手際よく和装の着付けを進めているのは一つ年上の男友達、來だ。 身長差は三十センチ以上。 150センチもない美園からすると、180センチを超える來が自分に屈む姿は妙に非現実的で、申し訳なさすら覚える。けれど、来の手の動きは迷いなく、前撮りのときも女性スタッフ以上に繊細だった。 男性はなかなか女性の着付けを任せてもらえないのだと言っていたが、彼は美容師で、着付けもヘアメイクも得意だ。美園が頼んだ時、來は迷いもなく頷いてくれた。 「もう、あなたはわかってるくせに」 「まあね。でも、家族の方は今いないけど……この部屋を出たら、素敵な花嫁としてちゃんと笑顔にならないと」 「……」 美園は鏡の中の白無垢姿を見つめる。 ……自分、今日、結婚するんだ。 相手は別に悪い人ではない。 誠実で真面目そうな、五歳年上の次期取締役候補。父の会社の親睦会で見初められ、長年のアタックの末に美園は承諾した。 シンデレラストーリーといえば響きはいいが、美園にとってはガラスの靴が少し重い。 來がメイクに取りかかる。 指先が肌に触れ、顔が近づく。そのたびに胸の鼓動が跳ねた。 毎日この人に整えてもらえたらどれだけいいだろう。美容院にも何度も通った。彼以外に髪を触らせる気にはなれない。 「美園ちゃんのお母さん、呼んでくるね」 「えっ……もう?」 思わず声が上ずった。 來は筆を置き、ほんの少しだけ笑う。その笑みは、仕事の顔なのに、美園の逃げ場をひっそり守ってくれているようでもあった。 そういえば、まだ口紅だけはしっかり仕上げていなかった。 「紅をひいてもらうから」 「いいよ、來がやってよ」 「母から娘へ、だよ。お母さん、きっと喜ぶ」 「……恥ずかしいよ」 「いいから」 美
一つ気がかりだったのは分二のことだった。美園は分二を知っている。実は会わせていたのだ。 その時美園は分二と関係を持って2人の子供を作っても良いと言っていた。 也夜たちが幸せであればと。それを也夜の知らぬところで2人は関係を持っていた。 也夜はショックだった。 愛する分二が愛する妹と交わる……也夜と分二の間では男同士で子供ができないのはわかっている。だがまさかそんなことを自分の知らないところで。 その現実逃避で分二から離れた。その時に美園との関係を知ったことを話したら2人は青ざめた。 すぐさま2人は謝ったが也夜は許せなかった。その後分二、美園は別れた。 そしてまた來と交際した時に美園と会わせるのは抵抗があったが來はまったく美園に興味を持たず、子供を美園に任せることはしたくないという意志があった。 ホッとしたが美園が來に好意を持っていた。それを知った也夜は……自分から身を引くことを考えた。 だが結婚の話は進んでいく……。 分二から突然の会いたいというメールも受け入れてしまったのも……気持ちの整理もあったのかもしれない。 「分二は、元気か?」 と也夜が美園に聞くと彼女の顔色が変わったのがわかった。 だがすぐに 「うん、元気よ」 美園はそういって笑った。也夜は 「幸せそうか」 と尋ねると美園はまた一瞬戸惑った顔をしていた。 「ええ、幸せそうよ」 「そうか」 美園は外に出て行った。 也夜は1人になる。 「……」 目を瞑った。まだ現実を見ない方がいい。そう思いながら。 終 番外編に続く
病室。 也夜は目を覚ました。この日もカウンセリングがある。日に日に現実を知る。体も少しずつ動かせるようになっていくとやりたいことも増えてきたがまだ自由に体が動くわけでもない。少しもどかしいけどもそのことを受け入れるしかない。 これからは自分はどうしていきたいかを時間をかけて医師と話している也夜。27になった自分、モデルとして再開するのか……美園からは自分のホームページが残っていることを聞いた時びっくりした。まだ復帰を願っている人たちがいるのか、嬉しくなった。 誰がそんなことをと思う間も無くきっと分二なんだろうとわかった。まだあの男は自分を好きであったのか。あの時会おうと言われて自分も会いに行ったのは結婚するからもう会わないで欲しいと直接言いたかったのだ。 別に会わなくても良かったのに。情が残っていた自分を悔やんだ。 自分から離れたのに今更会おうとしたことがいけなったんだ……と。 分二を忘れるがために自分から離れて新しく進もうとしたのに。恋人もできてこれから新しい生活をと思ったのに……。 「お兄ちゃん」 そこに美園がやってきた。 「リハビリ前にちょこっと顔を出したよ」 「ありがとう……」 家族や医師以外にはまだ会っていない。まだ他のものには会えないとのことを言われた。いつになったら会えるのだろうか。也夜は來のことを思う。 來にはかなり待たせてしまったと思ったがこの自分が眠っていた2年は彼は幸せだったのだろうか。1人で過ごせたのだろうか、そればかり気になってしまう。しかし医師は今は自分のことを優先しなさいとのことだった。 美園からは來が美容院を開いて店長として働いているとのことだ。 店を持つだなんてないよと言っていた過去を覚えていた也夜は來も成長した、この二年間の間にと。 もしそこに自分が戻ってきて結婚しようと言ったところで彼のその人生を壊してしまうのではないだろうか……だなんて不安になってしまった。 「さっきね、お父さんから聞いたけどそろそろ他の方のお見舞いを受け入れるって医師と相談してたそうよ」 「……そうなのか」 「私の結婚式もあるからお父さんたちはお婿さんやあちらの親御さんに会わせたいのよ」 「こんな兄貴なんてあわせる顔ない」 モデルといっても世間的にも安定しない食事用、中卒、なお
病院の駐車場でなく近くの提携している駐車場であった。 「……大輝から聞いたんじゃないの。僕と也夜のこと」 「聞いた……也夜から離れるほど何かしたのかい」 「したっていうかね、まだ僕も若かった。彼の気持ちを考えずに彼の心も体も傷つけた」 分二はなぜ病院に来たことを言おうとはまだしない。 「來も嫌だろ……僕のこと」 「なんでそんなこと……」 「本当はセックスが嫌いなんだろ」 確かに、と思いながらもそれが分二からの愛なのだからと受け入れていたがやはり嫌だった。 「也夜も嫌いだった……でも僕も嫌いで。也夜がセックス嫌いな理由はわかった」 「……ひどいことしてしまったな、也夜にも來にも」 分二はハンドルに伏せる。 「でもね、分二がすごく僕を愛おしいていう気持ちはわかってるよ。きっと也夜も」 「……來」 「それよりもなんで病院に来たの」 「也夜に会いに……」 「まだ面会はできないよ」 そう、まだ面会は家族のみだ。 「來なら通してもらえるだろ。その時に僕も」 「あわよくば?」 「そんな図々しいことできるわけないか」 來は笑った。 「僕も会えるかわからないよ。家族でもないし」 「……」 何も知らないリカからさっき也夜の家族だと言われていたのに否定する來。 「僕らのこと、來はどうやって也夜に伝えるんだ」 「……それずっと思っている」 「ちゃんと言ったら彼はショックを受けるのだろうか」 「そうなんだよね……」 來は分二の手を握った。 「これからそれをゆっくり考えよう。今は急ぐ時じゃない……」 「ってそれは先延ばしにしているんじゃないか」 「かも知れないね……でもさ、也夜もきっと今……なんで事故にあったのか、昔の恋人に会いに行ったから事故にあっただなんて僕にどう言おうか考えているかも知れないよ」 「そんな馬鹿な……」 分二も手を握り返した。 「……なんで也夜、あの夜に会ってくれようとしたのかな。僕のこと嫌いなのに」 確かにそうである。來も考える。 「多分……会いたくはないほど嫌いではなかったんじゃないかなぁ」 「それだったら嬉しい」 「でも実際にあったら也夜はどうしようとしたのだろう。会うだけ? 話す……ハグ……」 「僕は一目会うだけでもよかったんだ。君という婚約者がいたのに手を出そうとし
自分は休みだが店に行くと美園がもう1人のレセプションの女性に引き継ぎをしていた。どうやら美園がやめたらフルで入れるとのことで正社員として正社員として採用することになった。すごく助かると思いながらも美園じゃないのかと感じるがいつかそれも慣れなくてはいけない。 美園の薬指には指輪が輝いていた。婚約指輪だ。普段アクセサリーなんてつけていない彼女が、と思いながらも彼女も現実を受け止めているのかも知れない。 自分も早く……と思いながらも店内に入ると常連のお客さんや新規のお客さんもたくさん入っている。 すると分二から電話がかかってきた。 『今日休みだよね』 「うん、そうだよ。朝言ったじゃん」 『そうだったなぁー。じゃあ今から車そっちにつけるからドライブしようよ』 「うん」 と行ったそばから店の前に分二の車が止まった。常連客やスタッフに声をかけてから店を出て分二の車に乗った。 「少し髪の毛すっきりしたね。確か大輝の所に行ったんだっけ」 「それは覚えているんだ」 「ん?」 少し惚けた感じであった。 「カヨさんが妊娠したらしくってさ」 「ほー、人員減っちゃうけど大丈夫かね。カラーは彼女が主体だったじゃん」 「まぁなんとかなるとか言ってたけど」 「そこまで心配してなさそうだね、前の職場なのに」 「大輝ならなんとかできるさ」 と変わりなく会話をする。分二はどこに向かっているか言わなかったが來はわかった。でも言わずして会話を続ける。 「それにさ、リカにもあってさー」 「マジで? どこで」 「美容師になるって。前の学校で学び直しているらしい」 「いつかは採用しようか……って冗談だけどさ」 「冗談もよしてくれよ」 「前の女をそばに置くのは嫌だなぁ」 「前の女……」 と複雑な気持ちになるがもっとその向かっている場所に進むにつれて來は複雑になる。そこは也夜のいる病院だった。
帰り道、偶然、以前リカが勤めていた美容室の前を通りかかった。 オーナーが変わったのだろうか。店名も内装も以前とはまったく違う。 この通りを使うことはほとんどなくなっていた來は、ふと立ち止まった。 店の奥に、リカがいた。 地味な装いではあるが、やはりアイドルの頃の残り香のようなものが漂っている。 雑巾を持ってフロアを拭く姿は、かつてのきらきらした彼女とは違うのに、不思議と目を奪われた。 來がじっと見ていたのに気づいたのか、リカがこちらを見上げ、目を丸くした。 立ち去ろうとしたその瞬間…… 「來……」 リカが店の扉を押して出てきた。 「久しぶり……今、仕事中だろ?」 「ずっと來が見てるから、先輩に“行ってきたら?”って言われて」 店内のスタッフとも目が合い、來は少し気まずさを覚えた。 きっと自分とリカの関係を知っているのだろう。 「今お客さん少ないし。控室、来て」 「わかった」 言われるまま店内に入ると、雰囲気も匂いも、何もかもが変わっていた。 控室も以前とは場所が違う。 椅子に座らされ、甘めのコーヒーが出された……來の好みを覚えていた。 「美容学校、入り直したの」 「そうなんだ……じゃあ学校は前と同じ?」 「うん。先生に声かけられて戻ったの。……情けないよね」 「そんなことないよ。なりたいんだ、美容師に」 「なりたい。ほんとは、最初から普通に美容師になってればよかったのにさ。 遠回りしたけど、一から勉強してる。クラスメイトも若い子から年上までいろいろで……結構楽しいよ」 そう話すリカは、かつての不安定さが嘘みたいに穏やかだった。 久しぶりなのに、まるで昨日も会っていたように自然に話せて……それが逆に胸に刺さる。 「來の店もすごい人気じゃん。求人は出さないの?」 「まぁ、おかげさまで。近いうち採用は考えてるよ、中途がメインかな」 「だよね。大輝さんの店も求人あったけど……あのカヨさんがいるところは、ちょっと無理かなぁって」 「いや、カヨさん今妊娠してるからしばらくはいないと思うよ。大輝さんの元で学ぶのは、おすすめだけど」 「いやー、あの人ならすぐ産んで戻ってきそう」 リカがカヨを苦手だったのは來も知っている。 「育休産休もらって、またすぐ妊娠して……って、お金のこと大輝