ログイン深夜。
ベッドで眠りについていたセラは、強く口元を押さえつけられ、その不穏さに驚いて、跳ね起きるように目を覚ました。
「……っ⁉」
何が起きたのか分からないまま、過酷な実験の恐怖が脳裏をよぎり、全身の筋肉を硬直させる。視界が急速に冴え渡っていく中、月明かりのなかに見えた顔にセラの息が止まった。
そこにいたのは、昼間と変わらぬ冷ややかな表情を浮かべたレオンだった。
なぜ……。
セラは、レオンのおそろしげな様子に身を縮めた。
彼はセラの側により、低い声で囁いた。
「セラ様、静かに。ここを脱出します」
「……!」
深夜。 ベッドで眠りについていたセラは、強く口元を押さえつけられ、その不穏さに驚いて、跳ね起きるように目を覚ました。「……っ⁉」 何が起きたのか分からないまま、過酷な実験の恐怖が脳裏をよぎり、全身の筋肉を硬直させる。視界が急速に冴え渡っていく中、月明かりのなかに見えた顔にセラの息が止まった。 そこにいたのは、昼間と変わらぬ冷ややかな表情を浮かべたレオンだった。 なぜ……。 セラは、レオンのおそろしげな様子に身を縮めた。 彼はセラの側により、低い声で囁いた。「セラ様、静かに。ここを脱出します」「……!」 レオンの言葉に驚愕しながらも、セラは彼の肩越しに視線を巡らせた。暗いままの部屋の中には何人かの黒い衣装を纏った男たちが動き回っている。 男たちは手際よく、天井の四隅に取り付けられている魔道具を取り外している。それだけではない。椅子の下、窓枠の隙間、暖炉の奥に隠されていた怪しげな仕掛けまでも、一切の音を立てずに手際よく回収しているようだった。 レオンが、真剣な声で続ける。「今は、詳しく説明している暇はありません。今から向かうのは、ジェイドのもとです。……分かりましたか?」 レオンの言葉が、セラの胸に突き刺さる。『ジェイドのもと』——その響きだけで、迷いは一瞬で吹き飛んだ。セラは大きく何度も首を縦に振った。 セラが頷いたのを確認すると、レオンは静かにセラの口元から手を
朝の光が窓の隙間から差し込み、冷たかった石造りの部屋を静かに満たしていた。 食卓には、湯気を立てるスープと柔らかく焼かれたパン、煮込んだ野菜が並べられている。「はい、セラ姫。右腕はまだ無理をしちゃダメだからね。一口サイズに切っておいたよ」 キャンディは手際よくナイフとフォークを動かし、セラの皿の上に細かく切り分けた料理を並べていた。その動作はどこまでもかいがいしく、丁寧だ。表面だけを見れば。 セラは静かに「ありがとうございます」とだけ答え、左手で小さなフォークを取った。 そこへ、ノックもなしに扉が開く音が響いた。「おい。もうさすがに、公式文書が届いているだろ」 入ってきたのはレオンだった。彼はいかにも面倒という顔で、冷めた視線をキャンディへと向けた。「お、正解。昨日の夜遅くに届いたよ。はい、これ」 キャンディは机の端に置いてあった封蝋のされた立派な羊皮紙を取り上げ、ひらひらと振ってからレオンへと手渡した。「早く渡せよな……」 レオンは眉をひそめながら文書を受け取り、ためらわずに封をあけ、中身を検める。キャンディはクスクスとおかしそうに笑いながら、肩をすくめてみせる。「きみって有能な見張りみたいだからさ。せっかくだし、ギリギリまでセラ姫の見張りをしてもらおうと思ってね」「脱走は一回だけ、報告通りだったろ?」「ああ。部屋に仕掛けた魔道具の記録でも、夜に扉が開いたのはあの日だけだった。セラ姫、えらいね」 キャンディがセラの頭をなでる。 セラが実験
キャンディが使う不思議な医療用の魔道具は、おそろしいほどの速さでセラの右肩を回復させていた。 監禁が始まってから、まだ十日ほどしか経っていない。それにもかかわらず、砕けて肉を裂いていた傷口は塞がり、全身を苛んでいた激しい痛みもかなり小さくなっていた。「どう、セラ姫。肩、動かせそう?」 キャンディがセラの右肩にそっと手を添え、伺うように顔を覗き込んできた。セラは慎重に右腕に意識を向け、わずかに上腕を持ち上げてみる。「はい。動くようです」「うん、いいね。骨まで細かく砕けていたけれど、ぼくってパズルも得意だからね。ある程度動かしてあげるとさらに回復が早くなるから、痛みが出ない範囲で少しずつ動かしてみて」「……骨がくだけていても、こんなに早く治るものなんですね」「まさかぁ、普通なら絶対に無理だよ」 キャンディは楽しそうに笑いながら、セラの服の隙間から覗く透明な糸——肌にクモの巣のように張り巡らされた魔道具を指先で軽く弾いた。「この透明な糸みたいなやつがあるでしょう? これはね、ただ外側に張り付いているだけじゃないんだ。セラ姫の肉の内側にまで深く潜り込んで、砕けた骨をつなげたり、引き裂かれた肉をつなげたりしているんだよ」「すごいですね」「そうでしょ! 元々は痛めつけるための拷問器具として開発したんだけど、応用してみたら医術にも使えたんだよね」 誇らしげに語るキャンディの様子に、おそろしい気持ちになる。「とはいえ、まだ骨も肉も、本当にくっついて元通りになったわけじゃないよ。今はこの糸で無理やりつなぎ留めているだけの状態だ。……ふふ
レオンがセラの部屋を去り、鍵の上がる音が無情に響いたあと、部屋には再び静寂があった。 セラは重い身体を引きずるようにしてベッドへ戻ると、そのふちに深く腰を掛け、膝の上で固く手を握りしめたままじっと考え続けた。 今、何ができるだろう……。 ローゼンタール家の地下室にいたときは、こんな風には思わなかった。ただ、じっと、時がすぎるのを待ち、逆らわず、静かにすべてを諦めて受け入れる。それが、セラの生き方だった。 でも、今はちがう。 たとえ囚われていても、自由はここになくても、心まで縛られはしない。 自分が、そう思えていることが、なんだか、場違いにおかしくて、セラはくすっと笑った。 どうやら、己は、こんな状況でも、諦めていないらしい。 それは、すべて、ジェイドのおかげかもしれない。 戻りたい場所があるから。 ジェイドのもとへ帰りたい。彼の無事を、この目で確かめたい。 そのために、今の自分は何ができるのか。 セラ自身にとっても、自分が持つ能力は分からないことだらけだ。「……教えて、わたしに何ができるのか」 セラは目をつむり、全身の神経を澄ませて、己の周囲に漂う魔力の気配にそっと耳をすませた。 集中を深めていくと、周囲の空間に微細な魔力の揺らぎが感じられた。 今、近くに大きな魔力の動きはない。セラの右肩に張り巡らされた治療用の魔道具から、ごくわずかな魔力が揺らめいている程度だ。 だが、注意深く意識を向けると、部屋の四隅——天井の角のあたりに、魔力の気配が静かに潜んでいる
ふと目を覚ますと、静かだった。 セラはすっかり見慣れた部屋のベッドの上で、ゆっくりと瞼を開いた。窓の隙間から差し込む青白い月明かりが、石造りの冷たい室内を静かに照らしている。暖炉の火は、すっかり小さくなっていた。 気絶してしまったのね……。 キャンディによる過酷な実験。体内に流れ込んできたすさまじい魔力の濁流。それに耐えきれなくなったセラの意識は、途中でぷつりと途切れてしまっていたらしい。 身体を少し動かそうとした瞬間、全身に走ったのは激痛ではなく、重く引きつるような強烈なこわばりだった。キャンディが施術したクモの巣状の糸のおかげか、右肩の傷そのものの鋭い痛みは幾分引きいていたものの、実験の苦痛に耐えようと全身の筋肉を硬直させ続けた反動が、今になって全身を重くしている。 セラはまだ鈍く痛む右肩を左手でそっとかばいながら、ベッドの上に辛うじて上半身を起こした。そろりと足をベッドから出す。ひんやりとした空気にさらされる。 セラは右肩に振動をあたえないよう、そろりそろりと窓辺へ近づいた。 窓枠に手をかけ、外を見下ろしてみる。 そこには月明かりがうっすらと照らし出す夜の闇と、遠くに見える見知らぬ森の影が広がっている。近くに人影は見当たらなかった。 深夜なのかしら。 この部屋には時計は置かれていない。今が夜更けの何時なのかも分からない。あたりは、森にかこまれている。ここがどんな場所なのかもよく分からない。 このまま……ここでずっと、ジェイドに会えないまま……あの実験を続けられるのかしら……。 自分の命がこの見知らぬ場所で終わってしまうのだと
キャンディがセラの右肩を治療するときの仕草は、優しく、まるで壊れやすい繊細なガラス細工をそうっと扱っているかのような気遣いがある。「セラ姫、痛くはない?」「……」 キャンディはそうっとセラの身体に触れて、手際よくクモの巣状の糸を整え、紫青の温かな光を帯びた魔力を流し込む。いたわるように傷口の輪郭を触れる指先は、熟練の医師のようでも、慈愛に満ちた聖者のようでもある。邪悪な様子は微塵もない。 世話をされ、治療をされている間は、恐ろしい狂気などかけらも見えない。本当にただ優しく自分を特別に扱ってくれる相手なのではないかという錯覚さえ覚えてしまうほど、キャンディの態度は丁寧で穏やかだった。 けれど——治療が終わった途端、雰囲気が一変する。「よし、じゃあ次の実験に移ろうか」 キャンディは花が咲くような笑みを浮かべる。 その表情は、本当に嬉しくてたまらないとか、楽しいとか、そういったものに見えた。 キャンディの指先からのぼりたつ魔力が、ゆらりと揺らめきながら空中を漂い、セラの肩にある透明な糸を通じて体内に侵入する。そうすると、激しい痛みがセラの全身を襲った。 セラは与えられた痛みに必死で耐え、身を縮こまらせた。 ベッドの上で小さく丸まり、シーツを固く握りしめながら、浅い呼吸を繰り返す。苦痛に歪むこめかみから、ひとしずくの汗が落ち、白い枕に吸い込まれていった。 必死で空中をたゆたう魔力にふれて、内側に取り込むが、キャンディの魔力は大きくて強い。取りこぼした魔力が、セラの肩を引き裂くように痛めた。「じゃあ、これはどうかな」 キャンディが直接、透明な糸に触れて、魔力を流し込む