ログイン陽翔がミスギ家具に初出勤する日。
気に掛けてくれた笠原が、降車駅のホームの出口で待っていてくれた。「おはよう、陽翔」
「碧! 待っててくれたの?」「うん。僕が紹介したから、初日の挨拶ぐらいは見届けようかと思って」歩き出す笠原と並んで、陽翔も会社に向かう。
「実は、昨日、緊張してあんまり眠れなかった」
「大丈夫。工房の職人さんは鉄火なひとが多いけど、デザイン部は温厚なひとばっかりだから。すぐに馴染めるよ」案内されたオフィスは、温かみのある木製家具に囲まれた部屋だった。
働いている者たちも、マドカの企画室と違ってスーツではなく、ツナギや作業着を着ている。「うわ、なんか雰囲気いいな……」
「部長! 先日お話しした、僕の友人の小泉です」「ああ、笠原く……」オフィスの奥のクローゼットに顔を突っ込んでいた男が、振り返ろうとして開いているクローゼットの扉に、掛け
仕事の合間に、お茶を入れるため陽翔は席を立った。 ミスギの社屋に、休憩スペースは無い。 各オフィスに簡単なシンクと電気ケトルが置かれているだけで、喫食の内容は各個人が自己責任で管理をする。「小泉くん、これ試して!」 陽翔が電気ケトルのスイッチを入れたところに、草野が飛んでくる。「また、新しいハーブティーですか?」「今度こそ、美味しいから!」 草野は自宅でハーブを育てていて、それを自家製ハーブティーにして持ってくる。 一応自分で味見もしているが、草野自身が少々の青臭さが平気というか、飲み慣れすぎて〝ほぼ雑草味〟のものをばんばん勧めてくる。 同僚たちはすっかり辟易し、新人の陽翔がスケープゴートにされているのだ。「いいですけど」「小泉くん、無理して付き合わなくていいからね」 ちらとこちらに目をやった大和が、一言声掛けをしてくれた。「大丈夫です」「ん〜、小泉くんってホンットいいこ!」 草野が陽翔の頭を、ぐりぐり撫でてくる。「僕だって、本当に嫌だったら嫌って言いますよ?」「わかってるわよ〜。だって小泉くん、評価は結構辛辣だもの」 ガラス製のティーポットに、草野がドライハーブをパラパラと入れる。 陽翔はそこに、沸いたお湯を注いだ。「あ、匂いはいいかも」「でしょ? とぉっても気分が和むの。でも飲み口はスッキリするから、眠くはならないわよ?」「ホントだ。これはいいですね! 珍しく成功例です!」「珍しくは余計でしょ!」 陽翔の評価が良いと分かった途端に、同僚たちが集まってくる。「成功例なら、飲んでみたい」「いいけど、量はそんなにないから、一人一杯ね」 皆が出してくるカップに、陽翔は順にお茶を注いだ。「ねえ、小泉くん。なんかあった?」 茶葉を捨て、ティーポットを洗っている陽翔の隣に、草野は何気ない様子で立って、そう囁いた。「えっ? 僕、なんか変ですか?」
陽翔は、デザイン画を広げて、金山に向かって熱心に説明を始めた。 大和は、それを後ろから黙って見守っている。 営業担当の笠原が、学生時代の友人を紹介したいと言ってきた時、社長の美杉はろくな面接もせずに採用した。 理由は〝オメガだから〟だ。 そして、適性がデザイン部だからと、ほとんどなんの相談もなく、大和の下につけられた。(社長のいつもの〝悪い癖〟が出たな……) 美杉社長は、オメガを最優先で雇用する。 それはもう、創業からずっと一貫しているモットーであるため、大和は異を唱えなかった。 雇用均等を謳いつつ、社会は未だオメガに根強い偏見がある。 実際に、オメガを雇うことにリスクもある。「でも、才能があるのにオメガだからって使わないのは、むしろ損だよね」 というのが、美杉のモットーだ。 だからといって、美杉が甘いのかと言えば、そうでもない。「オメガだからって甘えるのは違うよ?」 と言って、本当の意味で〝使い物にならない〟場合は、容赦なく切る。 それが、美杉社長の方針なのだ。(さて、今度はどんな子がくるのかな?) そう思って迎えた陽翔は、期待以上に一途で熱心な若者だった。 退職した鈴木のデスクを見る、クリエイターとしての目。 ただはしゃぐだけでなく、見るべきところはきちんと見ているセンス。(なかなか、見どころのある子がきたな) 大和は、内心で思いがけない原石が現れたことに、一種、指導し育てる教育者的な楽しみを感じた。「それで、天板なんですけど、こういう木目と言うか、柄というか……。そっくり同じじゃなくても良いんですけど……、こういう〝THE 木!〟って感じの部分を使ってほしいんです!」 金山に向かって、陽翔が前のめりになっている。「そいつぁ、なかなか厄介な案件だな」「えっ……、駄目ですか?」「う〜ん
陽翔が考えたデスクのデザインは、ホワイトボードに張り出されて、デザイン部の同僚と共有された。 各人のデスクを見て回り、触れさせてもらえて、機能やデザイン性を体験したのみならず── 皆が、木材の特性や、職人が作業するうえでの注意点なども細やかに教えてくれたのだ。 そのセッションを通じて、同僚の顔と名前、それに性格までも知るに至った。 結果、周囲の意見を取り入れたデザインを、陽翔自身が皆に見てもらいたいと考え、ホワイトボードに張り出すことになったのだ。「おー。小泉くん、意外と合理主義だね」 年配の女性デザイナー草野が言った。「そうですか?」「うん。小泉くん、柔らかい印象だし。鈴木さんのデスクの使い心地を褒めていたから、もっと可愛らしいデザイン重視になるかなって思ってた」「うーん……、仕事をするからには、どっかで趣味とか私情から切り離す感じを出したくて……。それに、お客様にアピールするのと、僕が使いやすいのは違うかなって」「いいね、その考え方は嫌いじゃない。ねえ、高梨さんもそう思わない?」「そうだね。それじゃあ、このデザインをお願いして、職人さんが引き受けてくれるか、いってみようか?」「なんだか、コワイなぁ……」「大丈夫、大丈夫。デザイン部のみんなが良いって言ってくれたんだから、引き受けてはもらえるよ」 その言い方に、奇妙な引っ掛かりを感じつつ、工房へ向かう。「こっちの大きな建物は、ホームセンターみたいなところで売る、量産タイプの家具を作ってる工場だよ」「ミスギ家具って、高級家具のイメージがあったんですけど、量産タイプも作ってるんですね」「一点ものの家具だけ作ってる会社だと思ってた?」 大和は工場を通り過ぎ、その奥にある工房へと陽翔を連れて行く。「前にも言ったけど、工房の職人さんは鉄火なひとが多いんだ。特に親方は言い方が乱暴だけど、怒ってるわけじゃないから。小泉くんが、どういう気持ちでデザインをしたか、ちゃんと説明したら、わか
それから数日を掛けて、陽翔は自身のデスクのデザインに取り組んだ。 初日の午後、意気込んでデザイン画を大和に出したところ、「早すぎない?」と苦笑いされてしまった。「早すぎますか?」「うん。確かに使い勝手を試して、修正をすることを前提にしているけど。でも職人さんたちの時間と手間を掛けて作ってもらうんだよ? パソコンのデジタル画面で修正するのとは違うんだ。絶対の自信作とまでは言わないけど、修正ありきでデザインしちゃ駄目だよ」 と、諭されたのだ。「自分のデスクのデザインなんて、仕事にならないから早く片付けなきゃ……とか、思わなくていいからね。最初に言った通り、僕はきみが見せてくれるデスクのデザインで、きみの長所と短所を見る。逆に言えば、これはきみにとって最初のテストのようなものだ。もっと丁寧に腰を入れて考えて」「わかりました」 席に戻りながら、陽翔は考えた。(自分で納得出来るまで考える。職人さんにしわ寄せしないようにする。でも……修正することは前提……?) 大和の言ったことを、陽翔は付箋に書き出して、パソコンの画面の横に貼る。(修正は前提だけど、修正ありきで考えちゃ駄目……か) ニコニコと穏やかな笑みを浮かべてはいるが── あの眼鏡の奥の瞳は、既に根を詰めやすい陽翔の〝悪い癖〟を見抜いているような気がする。「あの……、皆さんの机を見て回ってもいいでしょうか?」 陽翔は立ち上がって、大和に問いかけたが。「いいよー!」「是非見て!」「むしろ、俺の苦労話を聞いていけ!」 それまでそれぞれ、黙々と仕事をしていたように見えた同僚たちが、嬉しそうに挙手をして答えてくれた。
午前中いっぱい掛けて、陽翔は〝最初の課題〟に取り組んだ。「小泉くん、お昼はどうするの?」 十二時のチャイムが鳴り、それぞれ弁当を取り出したり、席を立ってオフィスから出ていったりしている。「えっと……、笠原から社食があると聞いているので……」「じゃあ僕と一緒だ。案内してあげるから、おいで」「はい」 先に立つ大和が、社員食堂へと案内してくれる。 食堂もまた、木製家具に溢れていて、どこか西洋映画に出てくる教会のような佇まいをしていた。「うわ……、天井が高いですね」(なにもかもがマドカと違いすぎて、圧倒されちゃうな……)「ほぼ、社長の趣味だよ。……小泉くん、アレルギーは大丈夫? 蕎麦が平気なら、ガレットのランチがおすすめだよ」「高梨部長、ガレット食べるんですか?」「あ、おじさんがガレットとかって、みっともない? がっつり食べるなら、定食がいいよ。ご飯とおみそ汁がついてて、おかずもたっぷりだから」「みっともないとかは、ないですけど。足りるんですか?」「うん、僕は少食だし。それに、社長が蕎麦好きで、蕎麦粉にこだわってるから、ここの蕎麦はすごく美味いんだ」「なのに、蕎麦じゃなくてガレットなんですか?」「いや、さすがにかけ蕎麦だと、夕方までもたないんだよ」 はははと笑って、大和はガレットのランチを頼んでいる。 見れば、意外にボリュームがあって、肉や野菜がたっぷり乗っていた。 陽翔は大和の勧めるガレットのランチを頼み、向かい合って座った。「それで、午前中の感想はどう?」「いろいろ違いすぎて、戸惑ってます」「うん。小泉くんは、少し頑張りすぎるかもね」「……えっ?」 午前中、最初の挨拶以外、今に至るまで会話はほぼなかったはずだ。「どういう……意味でし
陽翔がミスギ家具に初出勤する日。 気に掛けてくれた笠原が、降車駅のホームの出口で待っていてくれた。「おはよう、陽翔」「碧! 待っててくれたの?」「うん。僕が紹介したから、初日の挨拶ぐらいは見届けようかと思って」 歩き出す笠原と並んで、陽翔も会社に向かう。「実は、昨日、緊張してあんまり眠れなかった」「大丈夫。工房の職人さんは鉄火なひとが多いけど、デザイン部は温厚なひとばっかりだから。すぐに馴染めるよ」 案内されたオフィスは、温かみのある木製家具に囲まれた部屋だった。 働いている者たちも、マドカの企画室と違ってスーツではなく、ツナギや作業着を着ている。「うわ、なんか雰囲気いいな……」「部長! 先日お話しした、僕の友人の小泉です」「ああ、笠原く……」 オフィスの奥のクローゼットに顔を突っ込んでいた男が、振り返ろうとして開いているクローゼットの扉に、掛けている眼鏡ごと顔面をぶつけた。「ぎゃっ!」「ちょ……、なにやってんですか!」 周囲にいた社員たちが、慌てながら駆け寄った。「いたたた……、ごめんごめん。大丈夫だから……」「気をつけてくださいよ、もう……」 眉間をさすりながらこちらに歩み寄る中年男性は、パッと見はベータのように思えた。 背はさほど高くもなく、黒縁の眼鏡を掛けていて、ニコニコしている目尻に皺がある。「初めまして、僕は高梨大和(たかなしやまと)。デザイン部の部長をしてます」「初めまして! 小泉陽翔と申します。これから、よろしくお願いします」 陽翔ががばと頭を下げると、大和は穏やかに笑った。「そんなに緊張しないでいいよ」「じゃあ陽翔、頑張れよ」 笠原は陽翔の肩をポンッと叩き、大和に会釈をしてからオフィスを出ていった。
小泉陽翔(こいずみはると)は、キッチン用品メーカー〝マドカ〟に勤めて三年目になる。 今日も、陽翔の企画は通してもらえなかった。 否── 陽翔の企画は、企画会議の議題にすら上がらなかった。「神谷さん! なんで僕の企画、通してくれなかったんですか? 今回は、まあまあ良いって言ってくれたのに!」 会議室を出たところで、陽翔は上司の神谷悠真(かみやゆうま)に声を掛ける。「まあまあ良いとは言ったが、通すとは言ってないだろう」 しれっと躱される。「でも先日、良いと言ったら通してやるって……」「そうだ。良いと言ったら通してやると言った。〝まあまあ〟じゃ駄目だ」 そう言い置いて、神谷は
休みが明けて、陽翔はいつも通りに出社した。「小泉、俺の顔になにかついているか?」 目が合った神谷に、そう問われる。「いえ、別に……」「そうか? さっきから俺のほうばかり見て、仕事をしてないように見えるが?」「そんな……、つもりは……」 オフィスの中に、クスクス笑いが広がる。「イケメンに見惚れてんの?」「オメガが発情して、秋波送ってんのか? みっともねぇ……」
神谷は、陽翔が企画の提案を出してこないことを、疑問に感じていた。(救急車の一件で、周囲の目が厳しくなったからな……。よほど力を入れた企画を練ってるんだろうか……?) 今まで、企画を却下されて、陽翔が折れたことは一度も無い。 新卒のアルファや、中堅のベータも、陽翔にするような指摘をすれば、たちまち卑屈になるのを、散々見ている。「神谷くん。朝礼中、失礼するよ」 朝のミーティングを兼ねた朝礼の途中、課長がオフィスに顔を出す。「なんでしょう?」
あれ以来、陽翔は残業をしなくなった。(少しは、危機感を持ったようで、良かった……) 本人がどれほど頑張りたいと思っていても、オメガの体は無理やストレスですぐにも崩れる。 神谷は胸の内で安堵の息をつきつつも、日中の陽翔の様子をそれとなく気に掛けていた。「おい、そろそろ休憩を入れろ」 十時と三時に、声を掛ける。 陽翔が根を詰めやすいことも、集中すると時間が見えなくなることも知っていたから、時報のようなつもりだった。「……&helli







