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第七話「仮面舞踏会」

Author: ひなた翠
last update Last Updated: 2026-01-19 21:43:37

 あれから、僕はいくつかのパーティに参加した。社交界で開かれる華やかな舞踏会に、一人で足を運んだ。

 煌びやかなシャンデリアの下、美しいドレスを纏った人々が笑い合い、踊り、会話を楽しんでいる。僕もその輪の中に入ろうとするが、誰も声をかけてくれなかった。

 視線が僕に向けられると、すぐに逸らされる。ひそひそと囁き合う声が聞こえ、蔑むような笑いが耳に届いた。噂は相変わらず消えることなく、むしろ四度目の結婚という事実が新たな話題を提供していた。

「エミール・フェルゼンだって」

「フェルゼン伯爵の妻になっても、結局何も変わらないのね」

「夫が可哀想よ。あんな淫乱なオメガを妻にして」

 聞こえてくる言葉に、胸が痛んだ。壁際に立ち、グラスを握りしめる。

 ただ遠くから見られ、嘲笑されるだけ。

 パーティが終わると、一人で馬車に乗って屋敷に帰った。窓の外には暗い夜景が流れ、冷たい風が馬車を揺らした。何の収穫もなかった。誰とも話すことができず、誰にも相手にされなかった。

(誰でもいいと思っているのに)

 僕は相手を選ぶつもりなどなかった。子どもを授けてくれる相手なら、選り好みはしない。それなのに、相手たちは僕だけを拒絶する。

 屋敷に戻ると、既に深夜になっていた。使用人たちは皆寝静まり、廊下には明かりがほとんどなかった。蝋燭の灯りだけが、薄暗い道を照らしている。

 自分の部屋へと向かう途中、レオニードの部屋の前を通った。扉の隙間から明かりが漏れていて、人の気配がした。まだ起きているのだろうか。足を止めると、中から紙をめくる音が聞こえてきた。

(まだ、仕事をしているのか……)

 手を伸ばしかけて、止めた。

(もう、近づく権利さえもない)

 心の中で呟き、手を下ろした。もう僕たちの関係は終わっている。

 部屋の前を通り過ぎ、自室へと向かった。扉を開け、中に入る。ベッドへと歩き、身体に力が入らずそのまま倒れ込んだ。柔らかいシーツが頬に触れ、枕が顔を包み込んだ。

 天井を見上げた。暖炉の火が揺れ、影が天井を這っている。寝静まった屋敷は静かで、空っぽの心をさらに空虚にしていった。

(女性には、武器がある)

 丸みを帯びた身体、豊満な胸。女性のオメガは、胸元が大きく開いたドレスを身に纏い、甘い声で男に迫れば、一晩の相手などすぐに見つかるだろう。

 僕にはアルファ男性の性欲を掻き立てるものを持っていない。丸みを帯びた身体も、豊満な胸もない。華奢な身体と、男の姿。男のオメガを欲しがる男など、少数派だ。

「どうしたらいいんだ」

 声に出して呟くと、ノックの音が響いた。扉が開き、フリッツが部屋に入ってきた。心配そうな表情で、僕を見つめている。

「坊っちゃん、お疲れのようですね」

「フリッツ……ほかにパーティはありますか?」

 力の入らない身体を起こし、フリッツに問いかけた。フリッツは少し考え込むような表情を浮かべ、やがて口を開いた。

「貴族主催のパーティではなく、世間的にあまりよろしいものではないのですが……」

 言葉を濁すフリッツに、僕は身を乗り出した。

「どんなものですか」

「アルファとオメガの出会いの場です。顔を晒さず、名前も偽名で、一晩の相手を探すためのパーティです」

 心臓が跳ね上がった。一晩の相手を探すためのパーティ。まさに、僕が求めているものだ。

「アルファは赤い仮面を、オメガは青い仮面をつけて参加するんです。中には緑の仮面をつけている人もいます。行為中を見るのが楽しみの方で、声をかけても抱いてはくれません」

 フリッツは真剣な表情で、続けた。

「ただ、本当におすすめはしません。どのような人がいるかわかりませんし、危険も伴います」

「もう、なんでもいいから」

 僕は答えに、フリッツが心配そうな顔で僕を見つめる。

「残りわずかな時間、選択の余地はないから」

 僕はもう二十五歳だ。初産の最高齢は二十八歳で、タイムリミットまで時間がない。

「そういうのがあるんだ。僕はまだまだ世間を知らないね」

 自嘲気味に笑うと、フリッツは苦しそうな表情を浮かべた。

「できれば、行ってほしくないです」

「心配ありがとう。でも、夫が抱いてくれない以上、僕には選択する自由がないんだよ」

 フリッツの肩に手を置き、優しく微笑んだ。

「大丈夫だから。明日、行ってみよう」

 フリッツは何か言いたげだったが、最終的には頷いた。部屋を出て行くフリッツを見送り、僕はベッドに横になった。

     ◇◇◇

 翌日の夜遅く、僕は馬車に揺られていた。フリッツが御者台に座り、馬を操っている。窓の外には暗い街並みが流れ、次第に繁華街から離れていった。

 やがて馬車は古い建物の前で止まった。石造りの重厚な建物で、窓からは赤い光が漏れている。扉の前には門番のような男が立っていて、訪れる客を確認していた。

 馬車を降りると、フリッツが青い仮面を手渡してくれた。顔の上半分を覆う形になっていて、これを付ければ僕がエミールだとは知られずに相手を探せそうだ。

「坊っちゃん、何かあればすぐに呼んでください。外で待っています」

「ありがとう、フリッツ」

 仮面をつけ、建物へと向かった。門番に招待状を見せると、中へと通された。

 扉を開けた瞬間、熱気が押し寄せてきた。薄暗い室内には、赤い照明が灯っていて、甘い香りが漂っている。音楽が流れ、人々が踊り、笑い声が響いていた。

 貴族主催のパーティとは、全く違う雰囲気だった。華やかさはなく、代わりに生々しい欲望が渦巻いている。赤い仮面をつけたアルファたちが、青い仮面をつけたオメガたちに声をかけ、親密に話している。

 部屋の隅には、ベッドが置いてあった。いくつものベッドが並び、カーテンで仕切られているものもあれば、誰でも見られるようなベッドもある。既にいくつかのベッドでは、人々が絡み合っていて、甘い声が漏れていた。

(お互いに気に入ったら、すぐに……)

 心臓が早鐘を打った。この場所は、一晩の相手を探すための場所だった。下品で、淫らで、それでいて羨ましい場所だった。ここにいる人々は誰にも縛られず、欲望のままに相手を選び、抱き合っている。

 僕は部屋の隅に立ち、周囲を見回した。赤い仮面をつけたアルファたちが、こちらを見ている。視線を感じ、身体が緊張した。

「美しい人ですね」

 声をかけられ、顔を上げた。目の前に、赤い仮面をつけた男が立っていた。プラチナブロンドの髪で、優しい青灰色の瞳をしていた。仮面越しでも分かる、整った顔立ちだ。

「え……」

 驚いて言葉が出なかった。美しいと言われたのは、初めてだ。

「僕に話しかけてくれているんですか?」

「ええ、もちろん」

 男は優しく微笑み、僕の隣に立った。

「あなたのような美しいオメガが、一人でいるなんて信じられない」

 頬が熱くなった。褒められることに慣れていなくて、どう反応していいのか分からない。

「あの……お名前は?」

「テオドール。でも、テオと呼んでください」

 テオは手を差し出し、僕の手を取った。大きく、温かい手だった。優しく握られ、心臓が跳ねた。

「では、僕のことはエルと呼んでください」

「エル。素敵な名前ですね」

 テオは僕の手を離さず、親指で手の甲を撫でた。優しい仕草に、身体が震える。

「エル、もっと話しませんか?」

「はい……」

 テオに導かれるまま、静かな場所へと移動した。壁際のソファに座り、向かい合う。テオは僕の話を優しく聞いてくれて、時折笑顔を見せた。

 結婚のこと、子どものこと。全ては話せなかったが、孤独だったこと、誰にも相手にされなかったことを打ち明けた。テオは真剣な表情で聞いてくれて、優しく言葉をかけてくれた。

「あなたは、一人じゃない」

 テオの言葉が、胸に染みた。

「もっと、テオと一緒にいたい」

 思わず口にすると、テオは驚いたような表情を浮かべ、やがて優しく微笑んだ。

「私も、エルともっと仲良くなりたい」

 心臓が激しく打った。テオが身体を近づけてきて、顔が近くなる。キスができそうなほどの距離で、互いの息遣いが聞こえた。

「嬉しい」

 テオの瞳が優しく僕を見つめ、手が僕の頬に触れる。

「じゃあ、あそこのベッドに――」

 テオの手が僕の腰に回され、立ち上がらせようとした瞬間、背後に鋭く冷たい気配を感じた。振り返ると、緑の仮面をつけた男が立っていた。

 黒髪に、鋭い眼光、大きな身体だ。仮面をつけていても、すぐに分かった。

(――レオニード?)

「帰るぞ」

 低い声が響き、腕を掴まれた。強い力で引っ張られ、テオから引き離される。

「待って……」

 抵抗しようとするが、レオニードのほうが力が強くて僕を引きずるように歩き出した。テオが何か言おうとしたが、レオニードの鋭い視線に黙り込んだ。

 会場を出て、外の冷たい空気が肌を打った。馬車が待っていて、レオニードは僕を中に押し込んだ。自分も乗り込み、扉が閉まる。すぐに馬車が動き出し、建物から離れていった。

 車内には沈黙が満ちていた。レオニードは窓の外を見つめ、何も言ってくれない。拳が握りしめられ、顎の筋肉が震えて怒りを抑えてるのがわかった。

(なんで、ここにいると知られているんだ)

 混乱が頭を満たした。あの場所を知っているはずがない。フリッツにしか話していないのに、どうしてレオニードがいたのか。

 レオニードの怒りが、空気を重くしていた。ピリピリとした緊張感に、身体がガタガタと震えた。

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