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報奨の家が白紙に?よし、完全サボりだ

報奨の家が白紙に?よし、完全サボりだ

By:  アカリCompleted
Language: Japanese
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社内規定で、3年連続のトップセールスを達成すれば、30坪のマンションが贈呈されるはずだった。 俺はそのために死に物狂いで契約を獲ってきたのに、条件を達成した途端、規定は廃止になったと言い渡された。 上司の山口翔(やまぐち しょう)は1万円の賞与を突きつけて、馬鹿にしたように笑った。 「営業能力があるのはいいことだ。だが会社の方針への理解が足りないな。 若いうちは調子に乗らず、大人しくしていた方がいいぞ」 俺は感情的になることなく、3年かけて手に入れたこの「高額」な賞与を淡々と受け取った。 2日後、本社による年度売り上げの査定が行われた。 顧客から届いた1億6000万の注文書を、俺はその場で突き返した。 上司の指示に従うことこそ、プロの務めだ。 目立たず大人しくしてろというなら、何もせずに大人しくしていてやる。 どうせ売り上げが目標に届かなくて困るのは、俺じゃないのだから。

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Chapter 1

第1話

11月の販売ランキングが出て、俺はホッと胸を撫でおろした。

なんだかんだで、3年連続のトップセールスの成績だ。勤続年数も実績も「従業員インセンティブ規定」で定められた報酬――30坪のマンションの贈呈条件を完全に満たしている。

大きく深呼吸をしてから、大切にまとめてきた実績報告書と月別販売ランキング表、それに今月の分も持って、軽い足取りで上司である山口翔(やまぐち しょう)の部屋のドアを叩いた。

部屋に入った途端、鼓動が激しくなり、俺は慎重に申請書類を翔のデスクへ置いた。

「支店長、マンション贈呈の申請に来ました。こちらが3年間の実績報告書と、月別販売ランキング表です。ご確認をお願いします」

俺は落ち着こうと、頭の中で言葉を噛みしめた。

翔は目を細めて書類に目を通し、3分以上経ってからようやく顔を上げた。

その後、何度も頷きながら、深いため息をついてまた書類を見始めた。

翔の背後から差し込む日差しの中、俺は棒立ちのまま、どうしていいか分からずにいた。

彼の忙しそうな様子に、俺は汗ばんだ手のひらを握りしめ、もう一度口を開いた。

「支店長、マンション贈呈を申請したくて……こちらが必要書類です」

俺の静かな声は湖に投げた石のように、重苦しい空気に飲み込まれてしまった。

翔はこめかみを押さえ、顔を上げたまま面倒そうに言った。「誰だ?」

「後藤勲(ごとう いさお)です」と正直に答えた。

翔はため息をつくと資料を置き、横にあった金のフレームの眼鏡をかけ、俺を値踏みするように見た。

「ああ、後藤か。営業部の不動のトップだな」

彼は眉をひそめて資料をめくった。めくるたび、その顔が険しくなっていく。

やがて資料を閉じ、横の湯のみを手に取った。普段の穏やかな態度はどこへやら、よそよそしく冷たい視線だった。

「この規定はもう廃止されたぞ」

翔は冷ややかな目で俺を見て、お茶をすすりながら口を開いた。

「聞こえなかったのか?『従業員インセンティブ規定』の最新版では、この報酬規定は取り消されたんだよ」

耳鳴りがして、俺は指先でシャツの裾をぎゅっと握った。

唇を噛みしめ、スマホの「従業員インセンティブ規定」を開き、落ち着いて言い返した。「いいえ。社内ネットワーク上には何の告知もありません。規定に基づき、正当な権利を求めているだけです」

翔は俺の言葉を馬鹿にしたように鼻で笑った。

「規定は先月変更されたんだよ。社内システムへの反映が遅れているだけだ」

翔は自分に火の粉が降りかからないよう、すべての責任を会社に擦り付けた。

そして哀れむような目つきで俺を見ると、引き出しから1万円分の報奨金の明細を投げつけ、偉そうな口調でこう続けた。
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松坂 美枝
松坂 美枝
エリートサラリーマンたちがスマートに事態を解決して日常に戻る話
2026-04-08 10:28:00
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11 Chapters
第1話
11月の販売ランキングが出て、俺はホッと胸を撫でおろした。なんだかんだで、3年連続のトップセールスの成績だ。勤続年数も実績も「従業員インセンティブ規定」で定められた報酬――30坪のマンションの贈呈条件を完全に満たしている。大きく深呼吸をしてから、大切にまとめてきた実績報告書と月別販売ランキング表、それに今月の分も持って、軽い足取りで上司である山口翔(やまぐち しょう)の部屋のドアを叩いた。部屋に入った途端、鼓動が激しくなり、俺は慎重に申請書類を翔のデスクへ置いた。「支店長、マンション贈呈の申請に来ました。こちらが3年間の実績報告書と、月別販売ランキング表です。ご確認をお願いします」俺は落ち着こうと、頭の中で言葉を噛みしめた。翔は目を細めて書類に目を通し、3分以上経ってからようやく顔を上げた。その後、何度も頷きながら、深いため息をついてまた書類を見始めた。翔の背後から差し込む日差しの中、俺は棒立ちのまま、どうしていいか分からずにいた。彼の忙しそうな様子に、俺は汗ばんだ手のひらを握りしめ、もう一度口を開いた。「支店長、マンション贈呈を申請したくて……こちらが必要書類です」俺の静かな声は湖に投げた石のように、重苦しい空気に飲み込まれてしまった。翔はこめかみを押さえ、顔を上げたまま面倒そうに言った。「誰だ?」「後藤勲(ごとう いさお)です」と正直に答えた。翔はため息をつくと資料を置き、横にあった金のフレームの眼鏡をかけ、俺を値踏みするように見た。「ああ、後藤か。営業部の不動のトップだな」彼は眉をひそめて資料をめくった。めくるたび、その顔が険しくなっていく。やがて資料を閉じ、横の湯のみを手に取った。普段の穏やかな態度はどこへやら、よそよそしく冷たい視線だった。「この規定はもう廃止されたぞ」翔は冷ややかな目で俺を見て、お茶をすすりながら口を開いた。「聞こえなかったのか?『従業員インセンティブ規定』の最新版では、この報酬規定は取り消されたんだよ」耳鳴りがして、俺は指先でシャツの裾をぎゅっと握った。唇を噛みしめ、スマホの「従業員インセンティブ規定」を開き、落ち着いて言い返した。「いいえ。社内ネットワーク上には何の告知もありません。規定に基づき、正当な権利を求めているだけです」翔は俺の言葉を馬
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第2話
「がっかりするなよ。会社はこの制度を廃止したけど、今回の1万円の報奨金は君のような優秀な社員への会社からの感謝の印だ。会社はちゃんと社員のことを考えているんだぞ」俺は黙ったまま、足元に落ちた報奨金の明細を見つめた。これが翔のいつもの手口だった。会社の規程を盾に圧力をかけてくる一方で、この1万円で口を封じ、金で話を穏便に済ませようという魂胆だ。この3年間、俺が寝る間も惜しんで積み重ねてきた努力を一瞬で踏みつけにされた。顧客との商談、注文の獲得。遅刻も早退もせず、ノルマも過剰なほど達成し続けてきたのは、この30坪のマンションという報酬のためだった。そのストレスで胃潰瘍にまでなったというのに。今、条件を完璧に満たし、全てのハードルを超えたはずだった。なのに、3年間やる気を支えてきたものは一瞬で泡のように消え、ただの軽くて、ひどく重たい1万円の報奨金に変わってしまった。胃が締め付けられるように痛んだ。俺はお腹を押さえ、歯を食いしばりながら、地面に落ちた「高額な」報奨金の明細を拾い上げた。俺が何も言わないのを見て、翔は鼻で笑った。「今回の決定は急ではあったが、会社としての判断だ。近年の景気を見ればわかるだろ?会社も戦略に合わせて調整しているんだ。君は物分かりのいい社員だ。状況を理解して協力してくれよ。君はまだ若いんだから、今は地に足をつけて、じっくり力を蓄える時期だ。あまり焦るな。今は一時的に損に見えるかもしれないが、頑張り続けていれば会社はきちんと君の成果を評価するさ」翔は笑みを浮かべていたが、その目には勝利を確信したような冷たさが宿っていた。脂ぎった顔で、若手を一人丸め込んだとでも言いたげな態度だ。その言葉がナイフのように突き刺さり、この3年間の全ての苦労が無意味だったと突きつけてくる。俺はまるで道化だった。取り消された報酬のために3年も身を削り、結局最後に残ったのは、泡のように消えた夢だけだ。俺は翔を怪しむような眼差しで見つめ、心に秘めていた疑念をぶつけた。「この規程は先月廃止されていたはずです。なぜ社内の連絡網や個人のメールで何の通知もなかったのですか?仮にシステム同期が遅れたとしても、規程に則るなら全社員にいち早く周知すべきではありませんか?」翔はくすりと笑った。まるで俺がとんでもない冗談を言ったかのような
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第3話
首をかしげた俺は、念のため申請の日付に目をやった。そこには11月23日と書かれていた。まさに昨日のことだ。恵はすぐに事務処理を進め、俺に確認の署名を求めた。俺は差し出されたペンを受け取り、精算書から目を逸らした。「従業員インセンティブ規定」そのものがなくなったわけではない。翔が、どうしても俺に支払いたくないだけだ。ほどなくして、スマホに銀行口座への入金通知が届いた。そこに記された「賞与」の文字が、ひどく目に刺さった。恵がそれを見て、ため息交じりに言った。「後藤さんもこの会社に入って3年ですね。支店長の性格なら知ってるでしょう?彼から手当を支給してもらうなんて、星を掴むくらい難しいですよ。後藤さんが一番の売り上げを出しているから多少は配慮してもらえてるけど、他の人ならこの10分の1だってもらえませんよ。マンション贈呈のことで不満があるのは分かります。でも、支店長が申請を承認しない限り、手に入れるのは絶対に不可能です。頑張ってください。今年を乗り切れば、支店長も異動になるかもしれません。そうなってから、改めてチャンスを狙えばいいじゃないですか?」恵が小声で教えてくれたところによると、翔は上司とある話をしているらしい。年間の販売ノルマさえ達成すれば、来年は昇進して本社に引き抜かれるのだそうだ。俺はペンを強く握りしめ、恵にお礼を言ってオフィスを後にした。自分の席に戻り、手がけている業務を整理する。ついでに、ここ数日の予定を確認した。その時、不機嫌そうな顔をした翔が顔を出し、厳しい口調で警告した。「近日中に本社から販売実績の監査が入る。みんな各自資料をまとめておけ。未確定の注文がある奴は急いで詰めておけ。一番大事な場面で恥を晒すな!」さらに、あえて俺の名前を挙げた。「後藤。君はトップセールスだ。一番細かくチェックしろ。注文漏れなど絶対に許さん」まるで先ほど何もなかったかのように、翔は淡々と指示を出す。俺が何も言わずにいると、翔はこう続けた。「本社への報告が終わったら、成績の良かった者には報奨金を出すことも考えている。ただ、足元をしっかり見ることだ。スキルを磨くと同時に、会社の理念を理解しておけ。自分の功績を盾にして、厚かましく手当を要求するのは、プロとしての姿勢を疑うぞ。誰のこととは言わないが、肝に銘
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第4話
経理部で見かけた精算書の内容が、頭をよぎる。俺は迷わず、返信欄にこう入力した。【申し訳ございませんが、在庫切れです】と。顧客からの提案を、その場で断ったのだ。続けて、社内のシステムでも当該の注文をキャンセル扱いにするよう登録した。一連の作業を終えてふうっと息をつき、マグカップを片手に給湯室へコーヒーを入れに向かった。給湯室に近づくと、同僚たちが何やら噂話をしているのが聞こえてきた。「支店長は、後藤さんを見せしめにして組織を引き締めようとしてるのさ。後藤さんは3年間も死に物狂いで働いて月間トップを取り続けても、手当なんてろくになかったんだ。俺たちなんてたかが知れてる。定年まで働いても、昇給なんて夢のまた夢さ」「さっき二人の話は聞いたろ?後藤さんが会社の規約を持ち出しても、あんなふうに突っぱねるだけなんだ。3年間、日夜必死に働いた見返りがたった1万円じゃ、やる気なんて失せるよ。むしろ、適当に流して時間を潰してたほうがマシだな」聞き耳を立てていたが、作業スペースのほうが騒がしくなり、それ以上は聞けなかった。俺は素早く背を向け、あえて少し離れた位置から同僚たちに向かって歩いた。角を曲がると彼らとぶつかりそうになり、何食わぬ顔で、さっきの話は聞こえていないふりをした。彼らは俺に軽く会釈をして、通り過ぎていった。コーヒーを淹れてから戻ってくると、自分の席の周りに人だかりができていた。翔が、へつらうように相手に応じている。次の瞬間、翔はこちらを向き、口を歪ませた笑みで横の相手にこう紹介した。「こちらが後藤、うちのエースで、トップセールスの実力者です」それからすぐに笑いを消し、俺に向かって眉間にしわを寄せた。「本社の井上さんが今年の売上評価にいらっしゃった。早く茶を出せ!」相手の女性は30代前半で、真っ白なスーツを着こなし、氷のような冷ややかな視線を向けていた。会社のレポートなどで名前は知っていたが、こうして直接お会いするのは初めてだ。井上紬(いのうえ つむぎ)のモットーは「賞罰厳正」だと聞いている。翔とは何が違うのか分からない。裏では社員の手当を削っているんじゃないか……俺はコーヒーをデスクに置き、紬の心中をあれこれと推察していた。挨拶も済まないうちに、紬は手にしていた資料を力任せに翔の顔へ投げつ
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第5話
俺は記載されているキャンセル理由を指し、冷静に言い返した。「キャンセルの理由は既に明確に説明しました。在庫不足であり、期限内の納品が不可能だからです」自ら受注を拒否すれば、せいぜいインセンティブの減額か、始末書程度で済む話だ。マンションを失った損害に比べれば、そんなの屁でもない。むしろどうでもいいことだ。翔は不意を突かれて言葉に詰まり、堪えるように言った。「しかし後藤、君なら納期までにこのロットを納品できる手立てがあるだろう?なぜ受注を断るんだ?手に入るはずの売上をドブに捨てる気か!」大局と小事、どちらを取るべきかなんて、そんな単純なことも分からないほど馬鹿ではないつもりだ。俺は軽く笑ってコーヒーを啜り、以前翔が俺を諭した時と同じような態度を真似た。「支店長、能力を高く評価していただき感謝します。ですが、以前支店長が目立つなとおっしゃっていただいたことを思い出し、自分なりに振り返ってみた結果、確かにその通りだと感じました。今まで営業成績という理由でトップセールスの座を占領し、他の社員からチャンスを奪ってきました。今後は一歩引いて、悪目立ちせず、自分を律していこうと決めたのです」これまでの案件は常に成功していたため、翔はチェックすることもなく全ての報告をそのまま受理する習慣がついていた。その油断が、今日の紬の面前で顔に泥を塗る事態を引き起こしたわけだ。翔は濁った瞳を怪しく動かし、黒ずんだ顔で手を後ろに組んだまま、じっと立ち尽くしていた。「後藤、トップセールスだからって調子に乗るな。今回の件は明らかな規定違反だ。大幅な減点対象になる。今すぐこの案件は回収し、未達分の穴埋めをしろ。これは勧告だ!」会社の規定を口実に騙せるのは、一度だけで十分だ。「お断りします。規定に基づいて業務を行っただけで、違反はしていません。支店長、その根拠のない発言は脅迫と見なしてよろしいでしょうか?」もし翔が肯定すれば、その時点で彼の昇進は終わりだ。部下を脅すような人間を昇格させる会社はない。ここで翔が認めれば、それは即座に自分の墓穴を掘ることを意味する。それを聞いて、翔の眉間に深い皺が刻まれ、顔色が蒼白へと変わっていった。「君がやらなくても、代わりはいくらでもいる!」翔は一度言葉を切ると、別の部下の名前を呼んだ。しかし、呼ば
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第6話
翔はデスクの上のキーボードを奪い取り、壁の時計をチラリと見た。唾を飲み込み、焦った様子で言った。「後藤、すぐこの案件を契約までまとめられたら、『従業員インセンティブ規定』に基づき10万円の特別手当を出してやる」その言葉を聞いて俺はマウスから手を離し、冷ややかに笑った。「支店長、以前、『従業員インセンティブ規定』はもう無効だって仰ってましたよね。どの規定に基づいた手当なんですか?まさか、甘い言葉で釣ろうとしてるんじゃありませんか?」翔はひどく動揺していた。時計の針は容赦なく進み、まもなく6時を回ろうとしている。彼にはもう、時間がなかった。額に浮かんだ脂汗が、さっきよりも目立つようになっていた。「いいか、この案件は今や個人の問題じゃない。全社の問題だ。君はチームを率いる立場の人間なんだから、自分だけじゃなく周りの同僚のことも考えろ。年度売り上げの査定でクリアできなければ、全員の賞与がなくなるんだぞ。俺ひとりの責任じゃないんだ。君が原因で、全員の賞与がなくなったらどうなるか分かるか?今後この会社にいられなくなるぞ」懐柔策が効かないと見た翔は、全員の利益を盾にして、俺に妥協を強いた。「社員なら会社のために貢献するのが当たり前だろ?まずはこの窮地を脱してくれ。個人的な話はその後にしよう。少額の手当が欲しいがために、皆を巻き込むつもりか?君が育てたメンバーも中にはいるんだぞ。そんなひどいことが本当にできるのか?」翔は意図的に他の同僚と俺を対立させ、責任を押し付けてきた。そうして自分は「従業員思いの善人」という立場を演じている。相変わらず狡猾な手口だ。たった数言で、皆の利益に対する不安を刺激した。さっきまで面白がって見ていた同僚たちが、途端に手のひらを返し始めた。「後藤さん、もうやめたらどうです?支店長も特別手当出してくれるって言ってるんだし、頑固すぎですよ」「そうですよ!賞与がなくなったら私の努力も水の泡です。お願いだから引き受けてくださいよ!」最初は穏やかだった口調が、俺の意思が変わらないのを見ると罵声へと変わった。「後藤さん、いつまで迷ってるんですか!こっちの賞与に影響が出たら、さすがに黙ってませんよ!」「私たちに後藤さんのような能力はありません。ただの雇われの身なんです。賞与がなくなっ
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第7話
計算担当者は言葉を濁し、翔の機嫌を損ねず、かつ自分の意思も明確には示した。周囲の社員たちは、ひそひそと囁きあっていた。だが、時間はもうなかった。翔も、これ以上この件を追求している余裕はないはずだ。刻一刻と期限が迫っていた。彼は目を閉じ、歯を食いしばって言った。「後藤、言ってみろ。報酬はいくら欲しい。いくら積めばその受注を引き受けてくれるんだ?」ついに翔が折れた。本当に追い詰められているらしい。この1億6000万円の穴を埋めなければ、年末も穏やかに過ごせないのだろう。俺は冷ややかな声で告げた。「受注を引き受けてもいいです。ただ、3年連続トップセールスの報奨を約束通り与えていただけるなら、すぐに取り掛かりますよ」翔の顔が強張った。理不尽だと言いたげな表情だ。「だから言っただろう。それはもう無効だと。不満なら、上に申請して、特別に20万円の見舞金を出してやる」翔は壁の時計を見た。あと15分もない。そんなはした金で、俺の怒りが収まるとでも思っているのか?俺は嘲笑いながら言い返した。「支店長。『従業員インセンティブ規定』が廃止されたと言いますが、なぜそちらの申請書類は通るんですか?会社の規定の内容と照らし合わせましたが、この申請事由は条件に合致していますよ。まさか『提出ミス』だなんて言いませんよね?」俺はすかさずスマホ内の写真を提示した。恵が目を離した隙に盗み撮っておいたものだ。手元の証拠写真を見た翔は、顔色を青ざめさせた。焦燥の色がみるみる濃くなっていく。「で、一体どうすればいいんだ!」翔が声を潜めて唸る。俺はマウスを操作し、返信欄の文字を消した。周囲にも聞こえる声で要求を突きつけた。「3年連続トップセールスの報酬として認められている30坪のマンションの贈呈申請を承認してください。受け取る権利があるものをもらうだけです。今すぐ皆の前で申請を承認すること。あわせて、メールで書面の確約書を私に送ること。そして今回の処遇に対する謝罪と、精神的苦痛への補償声明を出せば、受注を引き受けます」書面という形が残れば、あとで撤回されることもない。これで自分の権利は確実に守られるはずだ。翔は怒りで顔を真っ赤にしていた。「後藤、脅すのか!?少し能力があるからといって、やり
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第8話
180秒。見上げると、支店長室のドアは閉ざされたままだった。208秒経った頃、ようやくその扉が開いた。中から現れた、紬の秘書・鈴木美優(すずき みゆ)を見て、俺はかすかに口角を上げた。裁きを下す人が、ようやく揃った。「後藤さん、井上さんがお呼びです」俺は頷くと、机にあったボイスレコーダーと、マンション贈呈の申請資料を手に取り、支店長室へ向かった。今日二度目の支店長室だ。俺は今朝と同じ場所に立った。背中には変わらず、眩しい日差しが注いでいる。唯一違うのは、俺の目の前に座っているのが翔ではなく、紬であることだけ。「後藤さん、たかだか報奨金のために上司を脅すなんて、賢いやり方とは言えないわね。これまでの会社への貢献に免じて、特別に100万円を支払ってあげる。これが優れた業績への賞与よ」紬は、世間体を気にして騒ぎを揉み消そうとした。金で解決できないトラブルなどない。そう思っているのだろう。俺は資料を握りしめ、紬に差し出した。「こちらが入社してからの3年間の実績報告書と月別販売ランキング表、そして従業員ハンドブックです。どうか、一度目を通していただけませんか」俺は反論せず、ただ証拠を提示した。紬が受け取ったのを確認して、俺は言葉を続けた。「3年連続でトップセールスの成績を修めました。これにより、従業員ハンドブックの『従業員インセンティブ規定』に基づき、30坪のマンション一室の贈呈を受け取る資格を満たしているはずです」ここで少し息をつき、黙り込んでいる翔を横目で見ながら続けた。「それなのに、支店長は規定が変わったと言い張り、勝手に無効にしたんです。代わりの報酬金は1万円だけでした」俺は今朝確認した、1万円しか振り込まれていない振込記録を見せた。翔の冷たい視線を無視し、俺は入念に用意していた証拠を突きつける。紬は頷くと、落ち着かない様子の翔に視線を移した。何を考えているのか読めない冷めた瞳だ。「確かに、改訂は決定事項だわ」その言葉に、心臓が跳ね上がる。俺は強く拳を握りしめた。翔は勝利を確信したようにニヤついている。だが、紬の次の言葉で空気が凍りついた。「ただし、発効はまだよ。正式な変更は来年以降。今はまだ現行の規定が生きているから、申請は正当な権利ね」それでもまだ気は抜けな
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第9話
俺が言い返すと、翔の目から怒りの炎が今にも吹き出しそうだった。「証拠か?君が上司の指示を無視して1億6000万の案件を断り、会社に莫大な損害を与えたことだ!」翔はいわゆる罪状を突きつけてきた。だが、俺がその案件を断ったことには正当な理由があり、会社の規則に沿っている。その1億6000万の案件は他の社員にとっても完遂不可能であり、俺は実状に基づいて契約をお断りしたまでだ。紬に経緯を説明した際、彼女はこう言った。「確かに、規定違反はしていないな」翔がこれまで誇示してきた面目は、俺によって衆目の前で打ち崩された。彼が打ちのめされた様子を見て、胸がすく思いだった。だが、これでは不十分だ。翔にとって痛手にもならない。「井上さん、お話はまだあります。これは支店長が経理に提出した精算書ですが、私が報奨の申請に使ったものと同じ規定に基づいています。お聞きしたいのですが、支店長が廃止しようとしている規定は、社員のみに適用され、支店長自身には適用されないのでしょうか?」たとえ翔の背後に誰がいようとも、俺は本来受け取るべきものを取り戻すつもりだ。続けて、俺はスマホから精算書を表示した。それこそが翔の逃げ場を塞ぐ動かぬ証拠だった。翔は何らかの説明をしなければならない。俺は顔色を失った翔を冷めた目で見やった。彼は拳を固く握り締め、歯を食いしばりながら俺を睨みつけている。もし視線だけで人を殺せるなら、俺はとっくに粉々に打ち砕かれていただろう。背中から感じる火照った感覚が徐々に薄れていった。翔は激昂して言った。「後藤、言葉に気をつけろ!君が申請した時には、例の規定は期限切れで廃止済みだと断言されたが、こっちが出した時にはまだ期限内だった。二つを混同しないでくれ。こっちは完全に規定に基づいて仕事をしているだけだ!」翔自身の言葉を聞いて、思わず失笑した。彼はついに自分の過失を自ら認めたのだ。横で紬は何も言わず、リクライニングチェアに腰掛けたまま、俺と翔の攻防を静かに見守っている。そして、時折、俺が提出した資料ファイルに目を通していた。「山口支店長、あなたは本当に会社の規定に従って職務を遂行したと言い切れるの?」紬が不意に尋ねた。それはまるで法廷で判決を下す直前の確認のようだった。翔は顔を上げ、まるで俺
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第10話
紬はタブレットの証拠に目を通した瞬間、今日会社に来てからずっと変わらなかった表情が一変した。彼は眉をひそめ、険しい表情を浮かべた。翔が弁明しようとするのを遮り、紬は冷たい声で問い詰めた。「山口支店長、社内で上を欺いて不正を働いたのね。副社長ご本人はこのことを知っているの?」その言葉で、翔の精神的な支えは完全に崩れ去った。翔は青ざめた顔で、渡されたタブレットを凝視した。そこには申請書が克明に写し出されていた。内容は俺が受け取るはずだった、30坪のマンションの贈呈申請だ。しかし署名欄にあったのは俺の名前ではなく、知らない誰かの名前だった。だが、そこに添えられた証拠書類はすべて、俺のものだった。翔は、本当にこの会社を私物化できるとでも思っていたのか?叔父が本社の副社長だからと、自分が王様にでもなったと勘違いしていたのだろうか?社員の手当を着服することに、何の恥じらいも感じていなかったようだ。翔は口をパクパクと動かすだけで、何も言い返せない様子だった。周りは静まり返り、一触即発の空気が流れた。紬の放つ上司としての威圧感に、部屋の空気が張り詰める。俺は背筋がゾッとするような冷たさを覚えた。そのとき、翔のスマホが鳴り響いた。彼は不機嫌そうに一瞥すると、肥えた指で乱暴に通話を切った。それでも相手はしつこく何度も呼び出しを続けた。苛立ち紛れに通話に出た瞬間、受話器から怒声が飛び出してきた。「翔、何で切るのよ?マンション一部屋手に入れたくらいで、いい気にならないでちょうだい!あなたが今の立場にいられるのは誰のおかげだと思ってるの!いい、さっさとそのマンションを空け渡しなさい。うちの弟が住みたがってるんだから。他の社員の手当も取れるだけかき集めてきて、親戚にも配ってあげなきゃならないのよ」翔は慌てて電話を切ったが、すでに遅すぎた。内容は周りに筒抜けだった。その場にいた全員が、翔の妻が何を言っているか完全に理解した。「井上さん、誤解です。説明させてください、これは決して不正などしていません」翔は焦った様子で弁解した。しかし紬は静かに立ち上がり、凍りつくような冷たい瞳で翔を射抜いた。彼女の声は氷のようだった。「この件はありのまま、本社に報告する」そう言うと、紬はその場でスマホを取り出
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