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第1.5章:025

last update Date de publication: 2026-07-07 11:04:14

※ ※ ※

 そして、年末。

 渚と玲は、夏休みに一番最初に入った、あの女性客ばかりのお洒落なカフェにいた。

「初詣、一緒に行かない?」

 注文した温かいカフェオレを一口すする渚の前に、玲はその提案を差し出した。

 大晦日から元旦にかけての神社など、人混みの最たるものだ。一瞬、渚の綺麗な眉が、困惑や恐れを滲ませるように微かに動いたのを玲は見逃さなかった。断られるかもしれない――そんな不安が胸をよぎるより早く、玲はあらかじめ用意していた言葉を重ねた。

「渚が人混み苦手なの、知ってるから。……だから、絶対に俺が、渚がはぐれないように手を繋ぐから」

 渚は、怯えるように少しだけ視線を伏せた。

 少しの沈黙の後、渚はゆっくりと顔を上げると、眩しそうに目を細めて微笑んだ。

「うん。……玲と一緒なら、行きたい」

 承諾の言葉が、カフェの静かな空間に響く。

「俺、渚の手は絶対に離さない!」

 渚が承諾してく
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  • 壊したいほど好きだから、   第1.5章:040

     ※ ※ ※ 季節は巡り、街が色鮮やかなイルミネーションと華やかな狂騒に包まれる冬――クリスマスがやってきた。 推薦入試で早々に進路を決めた二人は、無事に希望通りの東京の大学への進学を確定させていた。春からの新生活を数ヶ月後に控え、玲と渚は冬の澄んだ空気のなか、クリスマスデートを楽しんでいた。 街には休日を楽しむ大勢の人々が行き交い、人波が絶えることはない。 玲は人混みを遮るように前を歩き、渚の手を引いた。 かつての渚なら、見知らぬ人々の気配に気後れし、身を縮こませていたはずだった。けれど今の渚は、玲の大きな背中に守られるようにしながら、引かれたその手をしっかりと握り返してきた。 指を絡ませ合うような、繋ぎ方ではなくて。 指先を揃え、お互いの掌の温もりを確かめ合うような繋ぎ方。 ゆっくりと、焦らずに。渚のペースを守りながら重なり合うその手からは、確かな信頼と、玲の深い愛おしさがじんわりと伝わっていた。「玲、見て……すごくきれい」 街灯の光に照らされた渚の頬が、寒さのせいかほんのりと赤く染まっている。 握り返された手の力を感じながら、玲は優しく微笑み返し、彼女の隣で歩調を緩めた。「渚の方がきれい」「もう……馬鹿言わないで」 渚が隣を歩く玲の横腹を、肘でつんと突く。「本気だよ」 玲が真剣な目を向けて、優しく微笑むと、渚は「もう……」と小さく呟いて、赤くなった顔を誤魔化すようにふいっと目を逸らした。 逸らされた横顔の愛おしさに、玲は胸の奥が温かくなるのを感じる。 指先を重ねたままの手に少しだけ力を込めると、渚もまた、その温もりに応えるように小さな手でキュッと握り返してきた。(幸せだな) 渚とクリスマスを過ごせるなんて。 彼女とこうして、手を繋いでクリスマスの夜景を見に行けるなんて夢にも思っていなかった。(これからも、ずっとずっと渚と一緒に過ごしたい) 視線の先には、色とりどりの光を纏った巨大なイルミネーションのクリスマスツリーが、夜空に向かって誇らしげにそびえ立っていた。無数の光が降り注ぎ、周囲の喧騒すらどこか遠い世界の出来事のように思える。 渚はその光を見上げていた。眩しそうに瞳を輝かせ、息をのむ彼女の横顔を、玲は静かに見つめる。 ツリーの光が幾重にも重なり、渚の瞳の中に小さな星のように映り込んでいた。寒さのせいで赤く

  • 壊したいほど好きだから、   第1.5章:039

      家を出て通学路を歩き、最初の角を曲がったところで、見覚えのある人影が立っていた。真央だ。 玲は視線すら合わせず、そのまま横を通り過ぎようとする。「玲」 名前を呼ばれても無視して歩みを進めるが、続く彼女の言葉に足を止めざるを得なかった。「相良さんと、付き合ってるの?」 玲はゆっくりと足を止め、振り向いた。その瞳には一切の温度がなく、まったく笑っていない。「……関係あるか? ないよな、お前に」「最近、男子たちが『玲の付き合いが悪くなった』って言ってるよ」 渚が苦手な男性のタイプは、男らしくてガサツで、騒がしいやつらだ。だから、そういうクラスメイトの男子たちとは学校以外での付き合いをすべて切った。セフレ関係も全員清算し、連絡先も着信拒否にしている。 もちろん、目の前にいる真央だって例外ではない。「俺たち受験生なんだから、遊んでる場合じゃないだろ」 冷淡に言い放ち、玲は真央の元から立ち去ろうとした。 しかし、不意に腕を引っ張られ、真央に手を掴まれた。「なにすんだよ」 玲は底冷えするような眼差しで彼女を睨みつけ、その手を強引に払い除ける。けれど真央は怯む様子もなく、玲を絶対に逃さないと言わんばかりに、再び力任せに手首を掴んできた。「なに?」 苛立ちを隠さず低く問い詰める玲に対し、真央は伏し目がちに、ボソッと何かを呟いた。 蝉の鳴き声に掻き消されて聞き取れず、玲は不快そうに眉間に皺を寄せる。 すると真央はゆっくりと顔を上げ、今度ははっきりとした、どこか狂気すら孕んだ声で言った。「玲には無理だよ」 一瞬、言われた意味が理解できず、玲の思考が凍りつく。 真央はゆっくりと口元を歪めた。「玲は、宮原さんで満足できない」「玲は、私に戻ってくる」 胸の奥にドス黒い毒を注ぎ込まれるような、気味の悪い呪いのような言霊。「……は?」 ゾッとするような寒気が背筋を走り、玲は吐き気を催しながら今度こそ激しくその手を振

  • 壊したいほど好きだから、   第1.5章:038

      ※ ※ ※「父さん、夏休みに車の免許取りたいんだけど」 朝食のテーブル。新聞を開いていた父親が、パラリと紙面を下げて顔を上げた。「大学は東京なんだろ? なら、わざわざ車なんて乗らんだろ。免許なんて取る必要ないじゃないか」「あっても困らないって。それに、あったら身分証にもなるし……お願い」 向かいのキッチンで味噌汁をよそっていた母親が、呆れたように振り返る。「ちょっと玲、まだ受験すら終わってないのよ? 受かってから言いなさい受かってから」「……俺が大学落ちると思う?」 不敵に口角を上げてみせると、父親は「ははっ!」と痛快そうに声を上げて笑い、新聞をパタンと畳んだ。「だな! よし、いいぞ。費用は出してやるから受講の手続きしてこい」「あなたったら、甘いんだから……」 呆れる母親を横目に、玲は「サンキュー」と言ってトーストをかじった。――東京の大学に進学する理由はただ一つ。 渚が東京のデザイン科がある女子大を志望しているからだ。 渚の両親からは県外の大学へ進学することを最初は心配されたらしいが、「このままでは前に進めないから」と必死に説得し、合格したら一人暮らしを許されたと聞いていた。引っ越し先も女子専用マンションにするつもりだと言っていた。 渚が県外へ行くなら、俺も行く。 大学は違っても、東京にいればいつだって会える。渚の近くのマンションに部屋を借りよう。 そして、夏休みに車の免許を取る本当の理由。それも渚が同じタイミングで教習所に通うからだ。同じ教習所を選べば、一緒に講義や技能教習を受けられる。 それに、免許を取れば人混みを避けて渚をどこにでも連れて行ってあげられる。「教習所は、うちの近くのところで申し込むのよね?」 台所で片付けをしながら母親が聞いてくる。玲は指定の教習所の名前を口にした。「えっ……そこ、うちからだとかなり遠いわよ」 母親が渋い顔をする。

  • 壊したいほど好きだから、   第1.5章:037

     「ごめんなさい。私は玲とは付き合えません」 渚の声は震えておらず、はっきりとしていた。「私は汚い、ずっとそれが頭から離れないの。私は汚い」 その口から壊れたように零れ落ちる「汚い」という自虐の言葉。玲は衝動的に渚の両手を強く掴み取っていた。 渚が驚いて目を見開き、恐怖に身体を強張らせて怯む。けれど、今の玲にはそんな恐怖の視線すらどうでもよかった。 玲にとって、今この瞬間に何よりも重要なのは、ただ一つだけだった。「汚くない! そんなはずないだろ!」 玲は張り裂けんばかりの声で叫んだ。「俺は思わない!」 そのまま、渚の華奢な身体を強く抱き寄せた。 腕の中で、渚の身体がビクッと大きく強張るのが分かった。男性への恐怖からくる拒絶の反応。けれど、今の玲にはどうしても腕の力を緩めることができなかった。渚が自分自身を否定する言葉が、責める言葉が、どうしても許せなかった。彼女は何一つ、責められることはない。責められるべきなのは渚を傷つけた変質者であり、そいつに会わせてしまった自分だと玲は思った。あの日、この公園に約束通りに行っていれば、砂場で上級生に歯向かったように渚を守ることが出来ていたはずだから。「俺が好きな渚を、渚自身が自分のことをそんなふうに言うなよ! 傷つけるな!」 玲の胸に顔を押し付けられたまま、渚が短く喉を鳴らした。 直後、「うわーん」と、堰を切ったような大きな泣き声が公園の空気に響き渡った。 それは、かつてこの場所の砂場でお城を壊されたときに聞いた、幼い渚の泣き声よりもずっと不格好で、まるで泣き方を忘れてしまったかのように歪んでいた。 あの日から今まで、渚が声すら出さずに一人で涙を流し続けてきた孤独な時間を想像して、玲の胸は引き裂かれるように苦しくなる。 玲は渚の後頭部に手を回し、さらに強く自分の胸へと引き寄せた。コートの肩口が、見る見るうちに彼女の熱い涙で濡れていく。そんなことは少しも気に留めなかった。 だらりと力なく落ちていた渚の両手が、ぎゅっと玲の背中の生地を掴んだ。まるで唯一の命綱に縋り付くように、激しくしがみついてくる。(―

  • 壊したいほど好きだから、   第1.5章:036

    「男性全体が駄目なの。犯人に似ていないのに、お父さんでさえ身体が強張っちゃって、息が苦しくなるの。カウンセリングにも通ったけど、自分の体験を言葉にするのが嫌で、やめちゃった」 そこまで言って、渚はふっと力なく笑った。 何が面白いのか、玲には全く分からなかった。面白いことなんて、何一つとしてないのに。(――あの日、俺が約束の場所にいかなかったからだ) 自分が約束を破らなければ。自分が彼女を一人にしなければ、渚がこんな地獄に突き落とされることはなかったはずだ。 何も知らずに、渚は約束を破った自分に怒っているのだと思っていた。だから、謝罪の手紙を一日も欠かさず彼女の家のポストへ入れ続けた。 渚が再び学校へ来た時に困らないよう、その日にあった出来事も書き連ねた。「仔犬を見に行こう」「夏祭りに行こう」と、待ち合わせ場所まで指定した。 けれど、返事などあるはずがなかった。渚がそこへ来られるはずもなかった。 何も知らず、渚に許してもらおうと必死だったあの行動は全て間違いだった。 自分の行動が悲劇を生み出し、そして渚は引っ越していった。その理由を知らないまま、渚を探し求めていたのだ。 全ては、自業自得だった。 渚に好かれているかもしれないなどという淡い期待は、ただの身勝手な幻想だった。(俺のせいで渚は傷ついた。俺は渚に恨まれるに値する人間だ) 渚と再会した当初、彼女があれほど怯えていた本当の理由がようやく分かった。男性という存在そのものが、恐怖の対象だったのだ。玲の胸に、容赦のない罪悪感が突き刺さる。あまりの申し訳なさに、もう渚の顔を見ることすらできなかった。「人混みが苦手なのも、男性と身体が近付くのが無理だから。汗の臭い、口の臭いが全て無理なの。電車はいまだに一人じゃ乗れない」 そんな深刻な傷を抱えた彼女が、玲に会うためだけにここまで来てくれたのだ。タクシーを使い、忌まわしいトラウマが生まれたこの町へ戻ってくることに、どれほどの恐怖と勇気が必要だっただろうか。「この話をしたのが、玲で二人目」 その言葉を聞いた瞬間、玲の脳裏にふと綾乃の姿が思い浮かんだ

  • 壊したいほど好きだから、   第1.5章:035

      暫く、重い無言が二人を包み込む。 何を切り出せばいいのか分からない玲を前に、先に静かに口を開いたのは渚だった。「あのブランコでさ、二人でどっちが高くブランコを漕げるか遊んだよね」 目の前のブランコを見つめる渚の視線を追って、玲もそちらを見た。 よく覚えている。かつてあの場所で並んで座り、必死に地面を蹴って高く、もっと高く、まるで一回転するくらいの勢いで漕ぎ合った記憶。結局一回転なんて出来なかったけれど、ただそれだけで楽しかった頃を思い出し、玲の口元に自然と笑みが浮かぶ。「あの砂場でお城を作ったけど、上級生に壊されて……私が泣いちゃったのを見た玲が、上級生に向かって行ったの。勇敢だった」 結局、上級生の方が身体が大きくて玲は簡単に飛ばされてしまった。渚以上にギャン泣きしてしまい、彼女に慰められた情けない思い出。「ジャングルジムで、どっちが天辺まで早く上がれるか、とか、滑り台を滑り続けるだけで一日を潰すとか」(忘れるもんか) 渚との思い出は何一つ忘れたことはない。玲と渚は毎日一緒に過ごした。雨の日もわざわざ傘を差してこの場所に向かい、公園の中心にあるゾウのシェルター遊具に潜って、雨宿りをして過ごし、地面を叩く雨を眺めている時間でさえ楽しかった。 渚も同じように覚えていてくれたんだ、という喜びよりも彼女の懐かしい思い出を一つずつ拾い集めるような言葉は、二度と戻らない遠い過去を惜しむような、寂しい響きを帯びていた。「渚……」 玲が思わず声をかけようとすると、渚はそれを遮るように、玲を見ることなく正面を見つめたまま言った。「黙って聞いていてほしいの」「うん」 玲は頷き、拳を握り締めて、彼女の次の言葉を待った。 そのまま、渚と同じように正面を向き、かつて二人で漕いだブランコを見つめた。 隣で、渚が何度も何度も深呼吸を繰り返す音が聞こえる。何かを必死に吐き出そうと、喉を震わせている気配が伝わってきた。 そして、静寂を切り裂くように、渚の口から信じられない言葉が溢れ出た。「私、小学

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:007

    ※ 玲が渚と初めてセックスしたのは、高校三年生のクリスマスイヴだった。 渚が手編みのマフラーをくれた。「重いよね、ごめんね」と謝った渚に、強く首を振った。渚は知らない。玲にとって、渚から貰えるなら何でも嬉しいことを。 (あのマフラーは今でも使っている) 解れるたびに渚が手直しをしてくれる。冬になると、渚に毎日抱きしめられているような気分になる。 (あのデートも、セックスも、全部覚えてる) ――こんな、安っぽいホテルではなかったのは確かだ。 消毒液の匂いが混じったラブホテルの室内。 「ほら、ちゃんと力抜いて」 優しく言っている筈なのに、声は低く、逃げ道を塞ぐ響きを持っていた

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:006

    「どうぞ」 無害そうな笑みを浮かべ、隣りを促すと女は恐る恐る玲の隣りに座った。 Barの高い椅子も不慣れなのか何度も座り直す。その度にスカートが捲れそうになり、慌てて手で押さえていた。 ようやく、思ったように座った彼女はマスターに「同じのを下さい」と伝えた。度が強いウイスキーだということを玲は教えなかった。 ――案の定、二杯で酔ってしまっていた。 「わたし、今日が二十歳のたんじょうび、なんれす」 「おめでとう」 心のこもらない言葉を、グラスで隠す。 女は愚痴を喋り続けている。 玲はそれを聞き流しながら、別のことを思い出していた。 (あの時) ――怖かった、と震える声で

  • 壊したいほど好きだから、   序章:002

    渚とばかり遊んでいたことをクラスメイトに囃し立てられ、思春期特有の照れ隠しから、好きじゃない、と否定した。それを証明するために渚との約束を連絡なしにすっぽかし、クラスメイト達と校庭でサッカーをして遊んだ。その次の日からだ。渚が学校に登校しなくなったのは。プリントを毎日届けても、渚の母親しか対応してくれず。話したい、とお願いしても「風邪をうつすと悪いから」と門前払い。二階の渚の部屋のカーテンは固く閉じたままだった。いつも玲が遊びに来ると必ず、あの窓から顔を見せてくれるのに。渚を怒らせてしまった、と玲は思った。体調が悪いのは本当かもしれない。でも、自分が家の外から渚を呼んでも返事さえ

  • 壊したいほど好きだから、   序章:001

    滑らかな肌、掌に吸い付く肌触り。 躰の線を指先で撫でれば、小刻みに震え、甘い吐息を漏らす愛しい人。 宮原玲はフェザータッチから徐々に手の動きを大胆にしていき、大きな掌で、薄い腹に触れた。 その手に驚いたのか、玲の下にいる相良渚の腰が跳ねた。 玲は渚の反応にすぐに手を止めた。 両眉を八の字に下げて、彼女を心配そうに見下ろす。渚は頬を赤く染め、瞳が潤んでいた。 「ごめん、驚かせた。大丈夫?」 答えの代わりに、渚は玲の背中に手を回した。遠慮がちに触れるだけ――爪を立ててくれても良いのに。血が出るほど、消えない痕を残

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