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序章:002

last update Date de publication: 2026-05-22 13:38:01

渚とばかり遊んでいたことをクラスメイトに囃し立てられ、思春期特有の照れ隠しから、好きじゃない、と否定した。それを証明するために渚との約束を連絡なしにすっぽかし、クラスメイト達と校庭でサッカーをして遊んだ。

その次の日からだ。渚が学校に登校しなくなったのは。

プリントを毎日届けても、渚の母親しか対応してくれず。

話したい、とお願いしても「風邪をうつすと悪いから」と門前払い。

二階の渚の部屋のカーテンは固く閉じたままだった。いつも玲が遊びに来ると必ず、あの窓から顔を見せてくれるのに。

渚を怒らせてしまった、と玲は思った。

体調が悪いのは本当かもしれない。でも、自分が家の外から渚を呼んでも返事さえしてくれないのは、連絡もせずに約束を破ったことに腹を立てているんだ。

玲はポストに手紙を毎日残した。

学校に登校してこなくなった前日、渚との約束の場所に行かずにサッカーに行ったことを必死に謝った。

それから、

『わんちゃんの子犬が産まれたよ。今度こそ、一緒に見に行こう』

『駄菓子屋に行こう』

『夏祭り、今年も一緒に行こう』

約束の場所と、時間も書いた。だけど、渚は来なかった。

(渚もあの時、こんな気持ちだったんだ)

約束をすっぽかしたことを後悔しない日はなかった。

手紙には、学校での出来事も事細かく書いた。渚が登校しても、知らないままで寂しくならないように。

だけど、一度も返事はなかった。

玲は諦めず、毎日欠かさず手紙を残したが、三ヶ月後に突然それは終わりを告げた。

相良の家の窓から見えていた、明るいピンクのカーテンが消え、二階の渚の部屋の花柄のカーテンも消えていた。

町中を探しても、見つからなかった。子供の足で行ける範囲なら、どこまでも行った。

担任に聞いても、両親に聞いても、誰も知らない。何も聞いていないと返ってくる。

空っぽになった旧相良家の前で玲は立ち尽くした。

(俺が約束を破らなければ……渚は俺の隣にずっといてくれたのに)

その日から、玲の世界は色をなくした。

抜け殻のように生きてきたある日――八年ぶりに渚と再会した。

――俺の唯一、俺の

失ったら、生きてはいけない俺の命。

愛しているから、傷つけない。

大事だから、傷つけない。

(でも、俺の本性を知れば、絶対に嫌われる)

俺の命を失ってしまう。

愛しているから、壊せない。

だから、壊さない。

だから、壊せない。

だから、

高い高層マンションの最上階。

玲はエレベーターを降りて、内廊下を見知った顔で進む。

灰色の絨毯が玲の足音を吸収し、この空間は音一つ拾わない。

ある扉の前で立ち止まり、カード―キーを当て玲は室内に入った。

玄関ホールの先にあるリビングに繋がるスリガラスから光が漏れている。玲は靴を脱ぎ捨て一直線に光に向かった。

玲がドアを開ける前に、ドアが開いた。肩より長い緩いパーマをかけている女が顔を出した。

女は玲を見て意外そうに目を丸くした。

「日曜に来るなんて、めずら」

「――な」と女の声を玲は遮った。

「ちゃんと、飲んでるよな?」

男の眼に光はなかった。

何を――とは、女は訊かなかった。ただ頷いた。

それを見ると否や、玲は女の腕を掴み、リビングに押しやる。そして女をリビングに押し倒した。

女から悲鳴が上がる。だが、玲は気にも止めず、女を感情がない目で見下ろしたままスラックスの前を寛げた。そして、起き上がろうとしている女の腰を掴んで自分に引き寄せると、頭を床に押し付け無理矢理四つん這いにした。

黒いパンツのクラッチを指で強引に端に寄せ、濡れていない女の孔に亀頭を押し付ける。女が「まだ濡れてない!」と叫んだが、玲は気にせず熟れていない蜜壺に一気に奥まで捻じ込んだ。

「あ、っ!! いっ、たぁっああっ!」

女の口から悲鳴が上がった。

玲は気にせず、腰を前後に動かした。悲鳴が上がり続けるのも気にもせずに。

「濡らすことくらい、自分でできるだろ」

(渚には、絶対に見せない)

掴んだ髪を引っ張り、女の耳元で言い放つ。

「俺に濡らしてもらおうなんて、考えるな」

女はそれに従った。

キャミソールをたくし上げ、自分の右手で乳房を弄り乳首を摘まんだ。

左手は玲が入っている秘所へ伸ばす。その指で、恥核を捏ね繰り回した。

自分の躰を支えていた両手は床から離れたせいで、支えをなくし不安定に揺れる。女を支えているのは自分の髪と腰を掴んでいる玲の両手となかにある玲の楔だけ。

(渚のなかは、きつくて)

「緩いな。もっと、締めろよ」

(渚のなかは深くて)

「子宮が下りてきてるぞ。この淫乱」

(渚の声は可愛くて)

「あ゛あ゛ぁっ、ん゛ぁ゛あ゛ぁ゛っ!」

「きったねぇ、声」

玲は嘲笑わらった。

パンッ、パンッ、パンッ!!

「いぐっ、いぐっ、いぐっ……いぐっ!」

(渚はイク時、眉間に皺を寄せるんだ。それから、小さく啼くんだよ)

休む間もなく叩きつけられている中、女の声が悲鳴から濡れた雌の声を変貌を遂げていた。

(ああ……違う。本当はこんな声、聞きたくないんだよ)

「っ、あっ……、あーーーーっ、くそっ!」

悪態を吐きながら、玲は女の中に射精した。

玲が吐精したと同時に、女も果てた。背中を大きく反らし、天井を高く見上げる。

女と玲の目が合うも──同時に髪を離され、楔も抜かれてしまい支えを失った女は冷たい床に倒れた。

女の蜜口から流れる己の精液に混ざる愛液を見下ろしながら、玲が考えることはひとつだった。

(今日の渚……俺とのセックスが嫌になったりしてないかな?)

肩で息をして倒れ込んでいる女を無視して、玲は風呂場へと向かった。

シャワー音がして暫くして女――村上むらかみ 真央まおは身を起こした。

(私が本当はピル飲んでいなかったら、どうするのかしら)

そう思いながら、秘部から漏れる白濁液を見下ろした。

これが実を結び妊娠でもすれば、セフレという身から抜け出すことが出来て玲が手に入る――

「って、ことはないわね」

ハッ、と真央は乾いた笑みを浮かべた。

妊娠でもすれば、直接病院まで連れて行き、堕ろすのを見届けるくらいはする男だ。

本命に知られるのが怖いでしょうし)

セフレという身に落ち着いてから、十二年が経つ。

玲が来るのは決まって毎週木曜日。

(それと、本命と何かがあった時)

日曜日に突然現れたのは、渚と何かあったのだ。

渚のことになると情緒不安定になる男は、渚本人にはその気持ちを伝えない。渚に拒絶され、嫌われることを極端に恐れているためだ。

(訊けば解決することだって、あるでしょうに)

真央は気付いていても言わない。

何も言わない方が『理解あるセフレ』を演じられるのだから。

テーブルの上にあるティッシュで実を結ぶことはない精液と愛液を拭きとった。この一人残されたこの時間が……虚しくてしょうがない。

(本当は、名前を呼ばれたいのに)

叶わぬ夢だとは分かっている。だけど、真央は未だに可能性を捨てきれずにいた。

ティッシュを丸めてゴミ箱に放り投げ、真央はのろのろと立ち上がった。秘部にヒリッとした痛みに眉間に皺を寄せる。当然のごとく、この時間も一人。シャワーの音だけがまだ響いている。

痛む秘部に耐えながら冷蔵庫からペットボトルの水を二本取り出す。一本は玲のため。

戻ってきた玲に渡すも、当然のようにそれを受け取り見向きもされなかった。

タオルを頭にかけ無言でソファに座り、携帯を取り出す玲の横顔を真央は見つめた。彼の横顔の輪郭をなぞり睫を眺め、それから唇に辿り着く。冷たく閉ざされた唇は真央のために向けられたことは一度もなかった。

──玲の口元が緩やかに弧を描く。それを見て、彼が何を見ているのかすぐに悟った。

玲はポケットから携帯を取り出した。

通知が二件。

『家に着いたよ』

というメッセージとともに送られた、渚の自撮り写真。明るいオレンジ色の花柄のソファーカバーが写り込んでいた。

(今日も可愛い)

慈しみに満ちた目で渚の写真を見下ろした。

玲は渚が映る携帯画面を指でなぞった。

(今日も俺に写真を送ってくれた……俺のこと、嫌いになってなさそうだ)

「何考えてんの?」

「渚のこと」

(そう。俺は渚のことしか考えていない)

「泊まっていけば?」

玲がソファに座って携帯を眺めている姿に、長居すると考えた真央が訊ねた。玲は何も答えなかった。

ただ、玲が渚に言えなかった台詞をいとも簡単に言ってのけた真央に苛ついた。

重くなった空気の中、真央からは何も発せられない。玲は画面から目を離し、感情の篭っていない目で真央に視線をやった。

玲が口を開いた瞬間だった。

着信が鳴った。

画面に表示された名前を見た瞬間、玲はソファから立ち上がった。真央を見なかった。水のペットボトルも置いたままだった。

玲は携帯を握り締めたまま、部屋を飛び出した。

エレベーターのボタンを押したところで、渚からの着信が途絶えた。

「くそっ」と慌てながら、悪態を吐いた。

渚が自宅に帰ってから、玲に電話をしてくるなんて珍しいことだ。帰宅確認メッセージと写真以降は朝の「おはよう」のメッセージだけ。

エレベーターが到着して乗り込むとすぐ、渚に折り返し電話をかけた。自宅にいる筈の玲がセフレのマンションにいると知られてはならないのに、渚の声を聞くことが優先事項だった。

「あっ! 渚? ごめん、電話に出られなくて。どうした? 何かあった?」

『寝てたのに電話してごめんね』

すぐに謝ってしまう渚に、玲は苦しそうに眉間に皺を寄せた。

渚はいつも『自分のせい』と思ってしまう節がある。何一つ、悪くないのに。

「どうして謝るの? 俺は寝てないよ。ストレッチしてたんだ。携帯を脱衣所に置きっ放しにしてたから、出られなかっただけだよ」

嘘がぺらぺらと出てくる。だが、渚はそれを疑わなかった。

『だから息切れしてるんだね』

玲はもうエレベーターにはいなかった。自分の車に乗り込み、渚に聞こえないようにドアを閉めた。

「うん。渚の声を聞いたら落ち着いたよ」

電話の向こうでクスクスと耳に心地いい笑い声が届く。

「そうだ、電話。どうしたの?」

『……寝る前に、玲の声が聞きたかったの』

口元が緩むのを止められなかった。

(渚が俺を求めてくれている!)

その事実だけで、胸が熱くなる。

「声を録音して渚に送るよ」

(渚の声を録音したデータ、俺欲しいし)

『録音しちゃったら、口実に電話が出来なくなっちゃうでしょ』

(それは困る)

「それは困る」

 渚が笑っている。声をあげて、楽しそうに。

「渚、今寝るところ? 寝落ちするまで一緒に話そうよ」

『高校生みたい』

 玲は目を細め、渚が高校生時代を思い出した。彼女はショートヘアーだった。項が綺麗だと見る度に思っていた。何度、あの項を舐めたいと思ったか……。

 話をしていると、やがて渚の声が途切れていく。それが何回か繰り返して、いずれ小さな寝息が電話口から微かに漏れてきた。

 玲はその寝息に聞き入りながら、運転席のシートに深く沈めた。うっとりと、惚けた表情で。

「この寝息を一生、隣りで聞いていたい」

 純粋にそう願った。

 

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  • 壊したいほど好きだから、   第1章:010

    「……っ、」 小さく息を呑んで、渚が指を引こうとする。玲はそれを逃さなかった。 指先を軽く唇で挟んで、それから離した。 渚の耳まで赤くなっている。そのあどけない反応が、さっきまで胸の奥に沈んでいた冷たいものを、じわりと溶かしていく。 (……やっぱり、渚だけだ) 玲は渚の顔をじっと見た。 「いい?」 渚は答えなかった。ただ、ゆっくりと、小さく頷いた。 顔が赤いまま、視線だけが玲を見ている。 玲は渚の顎に手を添えて、ゆっくりと顔を近付けた。 触れるか触れないかの距離で、一度止まった。 渚が目を閉じた。 それを確認してから、玲はそっと唇を重ねた。 柔らかい唇をゆっくりと喰む。さっきのプリンの甘さと、渚が塗っているリップクリームの香りが混ざって、舌先に滲んだ。 彼女の甘さを味わってから、玲はゆっくりと名残惜しそうに唇を離した。 渚の額に己の額を軽く当てて、瞳を真っ直ぐに見つめた。軽く触れるだけのキスで、渚の瞳が潤む。その顔を見る度に――もし深くしてしまえば、渚はどのように乱れてくれるのだろう。 「……いい?」呼吸を整えようと、渚は肩を小さく上下させていた。 「……シャワー、まだ浴びてないから……」 それは拒絶ではなく、彼女なりの照れや躊躇いだった。玲もそれは分かっている。いつもなら「いいよ、待ってるね」と、穏やかに彼女の髪を撫でて送り出すはずだった。けれど、今の玲にその余裕はなかった。 (渚は、どこにいた) 誰と。何をしていた。自分の知らない時間の中で、渚は笑っていたのか。 一秒でも早く、彼女を自分の一部にしたい。彼女の肌に刻まれた、自分の知らない一日の痕跡をすべて塗り潰したい。 「終わっても入るから、同じだよ」玲はそう囁き、渚の唇を再び塞いだ。浅く、角度を変えながら、何度も。渚の吐息が乱れていく。 「……あっ、」 玲はソファに座る渚の膝裏に腕を差し入れ、軽々とその身体を持ち上げた。 突然の浮遊感に、渚が驚いて玲の首に腕を回す。その腕の力が、玲の独占欲を激しく刺激した。(このまま、離さないでくれ)玲は渚を抱き上げたまま、寝室へと歩を進める。 一歩踏み出すたびに、腕の中の温もりが自分のものだという実感が強まっていく。 ベッドに横たえられた渚は、不揃いなミディアムストレートの髪をシーツに散らし、恥ずかしそうに視線

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:009

    ※ ※ ※ 金曜日の夕暮れ、玲は渚の好きな焼き菓子を手に提げて、渚の会社近くの駐車場に向かった。 渚がいつも停めている区画に目をやるも、白い軽自動車がなかった。 (……?) もう一度、確認する。間違いない――渚の車が、ない。 残業中なら、車はここにある筈だ。 玲は近くのコインパーキングに車を止めると、迷いのない足取りで渚の会社の入口へ向かった。ビルのエントランスから、退社する従業員達が出てくる。女性ばかり。 玲は入口で立ち塞がる守衛に、玲はビジネスマンらしい、隙のない微笑を向けた。 「すみません、営業の者なんですが、今から中に入ることはできますか?」 守衛が時計を一瞥した。 「この時間はちょっと難しいですね。それと、弊社は働き方改革で残業は基本的にないので、ご用件があれば明るい時間帯にいらしていただいた方がいいですよ」 「……そうですか。失礼しました」 玲は頭を下げ、その場を離れた。 夜風が冷たかった。 手の中の焼き菓子の袋が、やけに重かった。 渚のために用意したそれが、急に意味のないものに変わった。 (残業は、基本的にない) 渚が言っていた。毎週金曜日、残業が入ると。 (嘘だった) それだけだった。それだけのことだった。 なのに。 玲は歩きながら、その言葉を何度も頭の中で繰り返した。繰り返す度に、胸の奥で何かがゆっくりと形を変えていく。 (どこに行った?) 誰と? 何をしている? 玲は答えを出すことなく、夜の中を歩き続けた。どこへ向かうのかも決めないまま。 ※ 玲の部屋のドアが開く音がして、玲はいつものように穏やかな微笑みで渚を迎え入れた。だが、その胸中には、数時間前に自分の目で確かめてしまった「事実」が、冷たい澱のように沈んでいる。 駐車場に渚の車はなく、守衛からは「残業などない」と告げられた。 それなのに、渚は少し疲れたような顔をして、玲のために買ってきたというコンビニの袋を差し出した。 「玲、お疲れ様。……これ、プリン。帰りにコンビニで買ってきたの」 玲は「ありがとう」と礼を言い、その黄色いパッケージを受け取った。 夕食は、もはや砂を噛んでいるようだった。ここは自分の家で、目の前には愛する女がいて、彼女は自分のためにプリンを買

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:008

    ※ 終わったあとは、虚しさしか残らない。 性欲を満たし、溜まった鬱憤を出し切っても残るのは、ぽっかり空いた穴。そこを覗き込めば、いるのは飢えた獣が覗き返しているだけ。 (どうすれば、飢えを凌げるか……) ――渚に全てをぶつければ、満たされることを玲は理解していた。玲の空虚を埋められるのは彼女だけなのだから。 (そんなことをしたら、俺は嫌われてしまう) 九年前に再会できたこと自体が奇跡なのに、それを自ら壊すことはしたくない。玲は壁に片手を突き、頭から降り注ぐ熱い飛沫に身を任せていた。 タイルを叩くシャワーの音だけが、狭いユニットバスに反響している。 洗い流しているのは、女の匂いか、それとも自分自身の汚濁か。 足元の排水溝へ、白く濁った泡と共に吸い込まれていくお湯を、玲は無言で見下ろした。 (……汚い) 今しがたまで抱き捨てていた女の肌の感触も、耳を劈くような嬌声も、玲にとってはただのノイズでしかない。 どれだけ他人の体液を浴びても、どれだけ他人の身体を蹂躙しても、胸の奥にある黒い渇きは一向に癒えることはなかった。 むしろ、汚せば汚すほど、渚への渇望が強まるばかりだった。 (渚……) 濡れた前髪を無造作に掻き上げる。 彼の脳裏にあるのは、さっきの女の喘ぎ顔ではなく、電話越しに聞いた渚の穏やかな寝息だけだ。 自分は今、最低な場所にいて、最低なことをしている。 けれど、こうして汚れを外で吐き出し、熱いシャワーで証拠を消し去ることで、自分はまた明日、彼女の聖域に相応しい優しい玲として笑うことができる。 排水溝に渦巻く濁流を見つめる玲の瞳には、一切の感情が宿っていなかった。 (飢えも一緒に、流してくれたらいいのに) 玲は蛇口を乱暴に締め、静寂が戻った浴室で、濡れた顔を拭うこともせず立ち尽くした。 玲は鏡を見ることもなく手早く着替えを済ませると、女が横たわっているはずのベッドルームには一瞥もくれず、ホテルの部屋を後にした。 背後で重く閉まったドアの音とともに、先ほどまでの情事は玲のなかで「なかったこと」として処理される。 エレベーターを待つ間、内ポケットから携帯を取り出す。画面に躍る『渚』の二文字を見た瞬間、玲の頬の筋肉が、まるで魔法にかかったかのように柔らかく解けた。 無事に帰宅したという報告と、一枚の自撮り写真。

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:007

    ※ 玲が渚と初めてセックスしたのは、高校三年生のクリスマスイヴだった。 渚が手編みのマフラーをくれた。「重いよね、ごめんね」と謝った渚に、強く首を振った。渚は知らない。玲にとって、渚から貰えるなら何でも嬉しいことを。 (あのマフラーは今でも使っている) 解れるたびに渚が手直しをしてくれる。冬になると、渚に毎日抱きしめられているような気分になる。 (あのデートも、セックスも、全部覚えてる) ――こんな、安っぽいホテルではなかったのは確かだ。 消毒液の匂いが混じったラブホテルの室内。 「ほら、ちゃんと力抜いて」 優しく言っている筈なのに、声は低く、逃げ道を塞ぐ響きを持っていた。 「大丈夫。教えてやるから」 女の身体がびくりと震える。 拒絶でもなく、肯定でもない――ただ、従うしかない震え。 (この段階まで来れば、もう同じだ) 考えることをやめて、与えられる刺激だけを追い始める。 自分でどうしたいかなんて、どうでもよくなる。 「な?」 耳元で囁く。 「自分で動かなくても、ちゃんと気持ちよくなるだろ」 女は答えられない。 代わりに、浅く乱れた呼吸だけが返ってくる。 (……単純だ) 壊しているつもりはない。 ただ――順番を教えているだけだ。 考える前に、感じること。 抵抗する前に、委ねること。 それだけでいい。 「ちゃんと、俺の方見ろ」 女の視線が、ゆっくりと引き戻される。 もう、どこにも逃げ場はない。 (最初から、分かっていた) 少し優しくしてやれば、 少し触れてやれば、 あとは勝手に、こちらを求めるようになる。 ――そこから先は、早かった。 ※ 「ひ……あ、っ! もう、むり……っ、しんじゃう……っ!」 玲はそんな懇願を無視し、仰向けになった女の両足を高く、天井へ向かって蹴り上げた。彼女の腰を大きな掌で強引に持ち上げ、自身の膝を支えにした。 宙に浮いた女の身体は、玲が楔を叩き込むたびに、逃げ場を失って無様に揺れた。 「――お前が『知りたい』って言ったんだろ」 玲は嗤った。額に浮かんだ汗を拭うこともしない。 渚の前では決して見せない、獣の獰猛さを孕んだ貌。 「性感帯を探してあげてるんだから、まだ頑張れよ。まぐろを卒業したいんだろ?」 玲は片手を伸ばし、自身の楔が限界まで埋まっている女の下腹

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:006

    「どうぞ」 無害そうな笑みを浮かべ、隣りを促すと女は恐る恐る玲の隣りに座った。 Barの高い椅子も不慣れなのか何度も座り直す。その度にスカートが捲れそうになり、慌てて手で押さえていた。 ようやく、思ったように座った彼女はマスターに「同じのを下さい」と伝えた。度が強いウイスキーだということを玲は教えなかった。 ――案の定、二杯で酔ってしまっていた。 「わたし、今日が二十歳のたんじょうび、なんれす」 「おめでとう」 心のこもらない言葉を、グラスで隠す。 女は愚痴を喋り続けている。 玲はそれを聞き流しながら、別のことを思い出していた。 (あの時) ――怖かった、と震える声で電話が来た。 大学時代、女子だけだと思っていた飲み会に男が来て。 差し出された酒を、渚は断れなかった。 一口飲んで、顔色が変わった。 トイレの個室に閉じこもって、泣いていた渚を思い出す。 レイプドラッグを酒に混ぜて渚に渡した男の大学を調べようと思ったが、渚がことを大きくしたくないから、と被害届は出さなかった。 『未遂だから大丈夫』 ――未遂? こんなに怖い思いをしたのに? 震えて、夜も眠れないのに? (……殺してやればよかった) 顔も知らない男に、そんな感情が浮かぶ。 (渚……暫くは、外に出られなかったな……) ――あのままで良かったのに。 カラン、と音を立ててウイスキーが置かれる。 玲はグラスを手に取り、隣の女に差し出した。 (渚なら、こんな場所に来ない) ――来させない。来られたら困る。 アルコールにトラウマがある渚が、こんな場所に足を踏み入れることはない。 玲がここで何をしていようと――触れていようと、壊していようと。 (知ることはない)「俺からの誕生日祝い」微笑むと、女は頬を染めた。 (こういう女は、少し優しくすればすぐ縋る)グラスがぶつかる音。 女は躊躇いなく飲み干した。 玲は微笑みながら女を眺めていた。女が同じ酒をマスターに頼んでいることも止めなかった。 「――おにぃさんが、やさしそう、だったからぁ」 「そう思ってもらえて嬉しいよ」 優しい男は、酒が弱い女に強い酒を進めないし、限界を知っていて止める。 昔から、無害な外見で得することは多かった。身なりを清潔に整え、温和に、冷静に振舞えば他人からの第一印象は決

  • 壊したいほど好きだから、   第1章:005

    ※ ※ ※ 別に渚を疑っている訳じゃない。 社会人にでもなれば、残業は増えるものだ。 ここ最近になって、残業が増えたのは事業部長が変わったから、と言うのも納得は出来る。 だが――相手は海外から赴任してきた人物だ。 そんな人間が日本の悪しき風習である残業を部下にさせるだろうか。しかも、決まって毎週金曜日。金曜は渚に手料理を振る舞って、その後は配信ドラマや映画を観て、ベッドに入るという流れが今では夕食の時間が遅れ、ドラマと映画を見る時間が削られてしまっていた。 「橘部長がね、アメリカ本社のパーティで」 (橘) 「橘部長が、アメリカのカフェで」 (橘) 「橘部長が、今日の会議で」 (橘、橘、橘……) 口を開けば橘のことばかり。 ピロートークが橘になりつつあった。なりつつ、というより……もうなっている。 以前の渚は、仕事の話をあまりしなかった。 それが今では、楽しそうに仕事をしている。 今日は何を食べたとか。 テレビで観た動物動画が可愛かったとか。 そんな、他愛もない話ばかりだった。 渚の世界は、狭かった――それでいいんだ。 俺と、ほんの少しの日常だけでいい。 俺以外、視界に映さなければ、なんでもいい。 でも今は違う。 渚の知らない顔が増えていく。 俺の知らない時間が増えていく。 その中心にいるのが、橘だ。 (そんな奴のことより、俺の話をしてくれ) と内心思うも、玲は言えない。 不要な発言をしたことで、渚に不信感を持たれたくない。 渚が生まれて初めて職場で尊敬できる相手を見つけたのだ。茶々を入れることはできなかった。 (相手は……女だし) 男なら、渚がこんなに楽しそうに仕事をする筈がない。 (だが……それを俺がどう思うかは別の話だ) 渚が俺以外に意味を見出して、俺じゃなくても良くなったら、俺はどうすれば? 「――あの……お隣り、いいですか……?」頭上から声がして、玲はウイスキーが入ったグラスの縁から唇を離した。 視線を上げると、背中まで伸びた黒髪を後ろに流し、胸が強調される服に、タイトなミニスカートの下に黒タイツを履いた女が玲を見ていた。 化粧慣れも、着慣れていない感じがした。素朴さがまだ前面に出ている、擦れてないような子だ。 (……壊れやすそうだ)

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