LOGIN言葉を発することさえできぬまま、繰り返される口づけ。神城とて男であり、聖人君子でもない。神城はグッと小夜の身体を抱き寄せると、そのまま床に押し倒し、今度は自分から口づけた。「んっ、ぁ、かみ、まっ、んぅ……っ」かわす口づけは決して軽くはない。深く、長く、互いの息が絡み合うほどに、情熱的な口づけを繰り返した。「小夜」熱のこもった声で名を呼ばれ、小夜は神城の頬に触れようと手を伸ばす。が、その手は掴まれ、唇を押し当てられた。「…っ…そぉ…ま、さま」神城は小夜の目を見たまま、まるで小夜に見せつけるように、ゆっくりと手のひらから手首へと唇を移動していく。ピクリと反応をして、小夜が手を引こうとするが、それはかなわない。神城はゆっくりとした動作で、唇を手首から腕へと移していく。「…っ…そぉ、ま、さま…」小夜の頬は紅く染まり、その瞳は潤み始めていた。嫌なわけではない。 むしろ、期待をしている。それでも、不安が付きまとう。空蝉は夜を売るのだから…。神城は小夜を引き、腕に抱き締め、その細い身体を包み込んだ。そして首を引き寄せ、再び唇を奪った。お互いに息をつく間もないほどの口づけをかわす。今のふたりには言葉などいらぬもの。 言葉では告げられぬ想い。「ぁ、はぁ」小夜が小さく声を漏らすと、ふたりの間に透明の糸が引いた。「そぉ、ま、さま、わちしの、紅、が」小夜は神城の唇の端に残る己の紅に気が付き、そっと親指で拭う。「気にする必要などない。どうせまたつくのだから」神城はそんな小夜の頬に手を添え、今一度、唇を重ねた。小夜はそれに応えるように、そっと神城の首に腕を回したのだった。 「んっ、ぁ、やぁ、」小夜の口から零れる吐息は、甘い響きを宿していた。ただ、ただ、己の身に優しい口づけを落とされているだけというのに、むずがゆいような甘い痺れが、触れられた場所から広がっていく。時折、思い出したかのように神城は顔を上げ、小夜の顔をジッと見ては口づけをしていく。小夜はそれが嬉しくて、それでいて、少し恥ずかしい気がした。帯も外され、飾っていた簪も外されてしまった。今ここにいるのは、空蝉を剥がされてしまった小夜。「綺麗だ…」ポツリと神城が呟きを落とす。その言葉を拾った小夜の頬が、カッと赤く染まっていく。夜の客はそんなことなど言
はらりはらりと桜の花びらが、風に乗って花街を舞い落ちていった。カランカランと下駄を鳴らし、紅い橋を渡る。 夜の花街へと続く橋。今宵の小夜は、店へ行く道のりが遠く感じていた。 それと同時に、気分が沈んでいる。「はぁ…」自然とため息が零れ落ちた。「せやから…あかんのや…」独り言ちし、小夜は重たい足を進めた。小夜が店の暖簾をくぐれば、「おはようさん、お客が待っとるよ」女将からそう告げられ、ますます気分が落ちた。「小夜…顔、出とるで…」小夜の変化を感じた女将が、すぐに直せと告げる。「…消えたらあかん?」小夜はつい、そう聞いてしまった。「あかん。後悔しとうないなら、部屋にいきぃ」女将の言葉が、小夜の胸に静かに刺さった。後悔なら…すでにさっきしたところだった…「ほな…いってきます…」小夜は諦め、小さく息を吐き、自分が使わせてもらっている部屋へと向かった。「ほんに珍しいね…態度に出るなんて…でも…きっと驚くやろね…」気分が沈んだまま部屋へ向かった小夜の背を見送り、女将は番頭の横にある小包を見て微笑んだ。小夜は部屋の前へ来て、扉の前で立ち止まり、ため息をつく。気分じゃない。それでも客がいるのなら、空蝉にならなければならない。小夜はもう一度息を吐き、そっと扉を開けた。そして…「…えっ…」そこにある靴を見て驚いた。が、違うかもという気持ちもあった。小夜は逸る気持ちを抑えながら、静かに中へと足を踏み入れた。部屋へ入って、小夜の時が止まった。あの日と同じ光景。窓辺にもたれて、夜の花街を眺めている後ろ姿。 そこには酒の膳。小夜の心が泣いた。「おそうなり…」神城に声をかけかけたが、言葉が続かず、小夜は口を噤んだ。その声を拾った神城がゆっくりと振り返り、小夜を確認すると、静かに微笑んだ。「…あっ…おいでやす、神城さま」小夜は慌てて神城の前に座り、挨拶をした。「今宵も小夜どのとの時間を買いました。明けの刻まで一緒にいてくれますか?」神城の言葉に、小夜は驚きと喜びを感じた。あぁ、また明けの刻まで一緒にいてくれるのだと…「わちしでええんどすか?」本当に自分でいいのかと、確認してしまう。「自分は小夜どのがいい」神城はハッキリと言い切った。「せやったら…今宵はどうしなはります?」小夜の問いかけ
「元帥、少しお話があります」と、中間兵の一人が少し緊張した面持ちで声をかけてきた。「ここで、大丈夫な話か?」神城は声をかけてきた中間兵の顔を一瞥し、静かに問う。人に聞かれたくない話であれば、部屋を移動する必要があったからだ。「いえ、大丈夫です。佐怒田上官や北野上官にも聞いてほしいお話ですので」中間兵は大丈夫だと答えた。「なら、いい。で、話とは何だ? 新谷中間兵」神城はならばここで話を聞こうと、新谷に声をかける。「はい、実はこの度、婚約者との婚姻を結ぶことになりました。そこで…その…」新谷は少し照れながら話し出す。「おっ、ついにか」「やったじゃないか」新谷の言葉に、佐怒田と北野は素直に喜んだ。「おめでとう」神城もそんな新谷に、お祝いの言葉を告げる。「ありがとうございます。そこで、お願いがあります」新谷は意を決して神城に向き合う。神城は話を続けろと促した。「実は、お三方に式に来ていただきたいのです。婚約者の家族もそれを望んでいまして」新谷からの願いは、上官三人で自分の結婚式に出てほしいということだった。一瞬、神城は驚いた顔をしたが、「それは構わないが、我々が出て迷惑ではないのか? その他の方々にとって…」本当に大丈夫なのかと聞いてみる。「はい、大丈夫です。むしろ、お会いしたいと言ってくれております」新谷はハッキリと言い切った。「そうか、わかった。なら、出席させていただこう」「そういうことなら」「我々も」神城だけではなく、佐怒田と北野も一緒に、と返事をした。「ありがとうございます。日時などはまた改めてご連絡します」新谷は頭を下げると、部屋を出ていった。閉じられた扉を見て、神城はため息をついた。「よかったんですか、元帥」そのため息を拾った佐怒田が声をかける。「人が多いところは苦手だと、以前仰ってましたよね?」北野も大丈夫なのかと聞く。「苦手だが、祝いの席は出向く方なので大丈夫だ」祝いの席ならばと、神城は人が多くても出席することにしていたのだ。「元帥はそういうところは、しっかり切り分けてますね」「本当にすごいと思います」佐怒田と北野は、神城の感情の切り分けに感心すると同時に、尊敬もする。自分たちでは、どうしても負の感情の方が先に動いてしまうと…。「そうでもない。自分もそこまで大人ではないか
神城を見送った後で、小夜は己の手の中に残る包みを握りしめ、胸に押し当てる。「…ゆるい…て…そぉ…まさま…わちし…を…ゆるいて…」紡ぐ言の葉は震えた。本当は言葉にして伝えたかった。 自分自身の想いを、言葉に出来ぬ理由を…だが、結局は何も言えぬまま、時だけが無情にも流れて行ってしまった。小夜は包みを袖にしまい、自分のつけている花簪を外した。 そして、しまってあった包みを取り出し、簪と花簪を入れ直し、懐にしまった。外した簪を窓辺の箱の上に置き、小夜は部屋を出た。下に降りてきた小夜を見つけた女将は、「きぃつけて帰りよ」と、小夜に声をかける。「女将はん…わちし…」小夜は何かを言いかけて、言葉に詰まる。「小夜…花街には花道のルールちゅうもんがあるんや…あのお方はちゃんとわかっちゅうよ…」女将が小夜の言葉の意味をくんだ返事をする。「せやろか…」不安げに女将を見た。「心配せんでもえぇよ…あのお方は小夜との約束は違えへんて…まぁ、えらく実直すぎやから、かえって心配になりよるけどな…」女将は苦笑いを浮かべた。「ほんに…不安になるときある…そやけど…それが…あん人やから…」小夜はそっと目を伏せた。「ほら、そないな顔せんと、帰ってゆっくりしぃ」女将は小夜の背を軽く押し、帰るように促した。「ほな、また」小夜はそうとだけ言い、帰路へとついた。いつもの紅い橋を越え、川沿いの細い道を一人歩いた。花街の店が立ち並ぶ通りの奥道…。 その奥道の中に、小夜の家がある。花街の表とは違い、ここには怒号や喧嘩、そんなものがありふれている。「よぉ、暦、今日も男漁りで朝帰りかぁ?」酔っ払いが小夜に絡んできた。「くっせぇ…。くっせぇ息吐きかけんな」小夜は…いや、暦と呼ばれた小夜は、酔っ払いの男を押しのける。「あーん、んだその言いぐさは…」押しのけられた酔っ払いは小夜に掴みかかろうとするが、その手首をひょいとかわした小夜は、男の背後に素早く回り、「本当のことだろうが。酔っ払い野郎が」とん、と背を押す。背を押された拍子に、酔っ払いはよろよろと進み、こけた。「なにしやがんだ! 暦!」酔っ払いが怒鳴るが、「うるせぇよ。朝から怒鳴んなクソ野郎が…。悔しけりゃ客でも取ってみな」小夜は軽くあしらい、くるりと背を向けてその場を後にした。
夜に咲き、夜に乱れ 朝に散る、儚き空蝉 わちしは空蝉 答えは口には出せぬ かの人への―― 「小夜どの、また、あなたに会いに来てもいいだろうか?」言葉を失くしたままの小夜に、神城が問う。「あっ…かまへんで…せやって…忘れもん…取りに来てくれはるんやろ?」小夜は窓辺に置いてある、大切に使っている箱を取り出し、中から艶やかな絹の包みを取り出す。「それは、自分の忘れ物です。なので…また、取りに来ます」神城は小夜の手に乗る包みに手を添え、小夜の手ごと包み込む。「ええんどすか?」小夜の声が、かすかに震えた。来てはいけないと思う気持ちと、会いたいという気持ちがせめぎ合う。言葉に出来ぬ自分に、預けていてもよいのかと…。 次を約束をしてもよいのかと…。「えぇ、自分は自分の意思で取りに伺います。だから…小夜どの…」神城は一旦言葉を途切らせ、じっと小夜を見つめる。そして…「だから…次も…俺にあなたの夜を使わせてくれ」小夜の身体を強く抱き締めた。「…蒼真さま…おおきに…ちゃんと来てくださいな…待っとります…小夜の夜をあけて…」小夜はそっと蒼真の背中に手を回した。それは初めて、小夜が空蝉ではなく、小夜自身の言葉で返したものだった。「あぁ、必ず。また夜をもらいに来る」神城は小夜の頬に手を添え、そっと優しい口付けを交わした。情か、恋心か、気まぐれか、はたまた遊びか。神城の真意は、小夜にはまだ測りかねた。だが、それでもいいと思う。自分は空蝉だからと…「さて、そろそろお暇をしよう」神城は小夜の頬を一撫でして、離れた。「せやったら…お見送りを…」小夜が外まで、と声をかけるが、「いや、ここでよい」神城が断りを入れる。「…そう…どすか…」小夜は名残惜しそうに目を伏せ、小さく頷いた。「すまぬ、小夜どの…見送られると…その…後ろ髪を引かれてしまう…もう少しいたいと思うので…」神城は断りを入れた理由を、素直に口にした。「…あっ…せやったら…ここから…見送らさせてもらいます」小夜は小さく笑い、この部屋から見送ると答えた。「すまぬ、わがままを言った。また、取りに来るので、その時まで預かっておいてくれ」神城は小夜の手を一度だけ握り、静かに部屋を後にした。神城が番台へ顔を出せば、「お帰りですか、元帥はん」女
東の空が、うっすらと白みを帯び始めていた。「…んっ…」小さな声を零し、閉じられていた小夜の瞼がふるりと震えた。「まだ早い。もう少し夢の中にいてもよいのだぞ」窓にもたれた神城は、己の腕の中で眠っていた小夜に声をかけた。普段だったら、酒に呑まれることなどない小夜が、昨夜は杯を重ね、神城の腕の中で眠ってしまったのだ。まだ泡沫の中に身を委ねている小夜は、自分の状況がわかっておらず、「…そぉ…ま…さま…はな…さん…といて…わち…し…」そう言の葉を紡ぎながら、神城の胸に頬を寄せ、服をギュッと掴む。「あぁ、大丈夫だ。離さぬよ」神城はそんな小夜の肩を抱き寄せ、髪を撫でていく。「うれ…しぃ…」小夜はそんな言葉と共に、再び泡沫の中へと沈んでいった。「…小夜…俺は…――…」神城は小夜の耳元で何かを囁いた。が、それは決して小夜の耳に届くことはなく、明けの刻が近づく花街の空へと消えていった。 「んっ…」空が明け、夜とはまた違った賑わいを見せる花街。そんな街の声に気が付いた小夜の瞼が、再び震えた。「かみ…しろ…さま?」小夜は薄く目を開けた。「目が覚めたか。少しは寝られただろうか?」思った以上に声が近く聞こえ、小夜は驚いた。「えっ? あっ、わちし、もしかして…」小夜は続きを言葉にできずにいた。「約束…したからな…離さぬと」神城はちゃんと小夜との約束は守ったと告げる。そんな神城の言葉に、小夜は驚きと喜びを感じる。空蝉のたわ言に付き合ってくれたことへの喜び。「神城さま、疲れてはりまへん? わちしが言うたから…」喜びの中に、神城への心配が浮かんだ。「あぁ、大丈夫だ。ほら、このように使わせてもらったからな」神城の背には、この部屋にある寝具が使われていた。よくよく見てみれば、自分の身体にも掛けられていた。「神城さま…慣れてはります?」小夜はつい、そんなことを聞いてしまった。「まさか…花街で一夜を共にしたことがあるのは小夜どのが初めてで、自分は勝手がよくわかってないのだ」神城が慌てて弁明をしてくる。その姿が昨夜の神城とはかけ離れていて、小夜はクスリと笑ってしまう。「きぃつけなはれ…花街は艶やかなだけではありまへんから…落とし穴っちゅう危険もありますえ」小夜は神城の頬に手を添え、微笑む。それは艶やかで、それでいて妖しい笑み。