ログイン結婚して八年。夫は私の反対を無視して、がんを患った「初恋の人」を家に連れてきた。 「お前みたいな毒女、少しも同情心がない。明葉の足元にも及ばない!」 息子まで私を責めた。水城明葉(みずき あきは)を家に入れないなら、母親なんていらないと叫んだ。 私はその瞬間、完全に心が折れた。離婚を決意し、デザイン業界からの招きを受けて再び頂点へと返り咲いた。 けれど彼らは、あの「がんの診断書」が偽物だったと知ると、泣き腫らした目で私の前に現れた。 「楓(かえで)、騙されてたんだ。本当に愛してたのはお前だけなんだ!」 「ママ、僕を捨てないで。ママの子どもは僕ひとりだけだよ!」 私は視線を一度も向けずに言った。 ――どこの狂犬?邪魔よ、授賞式の途中なんだから。
もっと見るそれは、明葉がネットに上げた告発動画から始まった。彼女は泣きながら訴えていた。真壁蒼真は妻と子を捨てた、と。そしてその原因は私――篠宮楓だと。「私たちの関係を壊したのはあの女。殴られて、子どもまで失った……」画面の中で、彼女は涙をぽろぽろと流しながら叫ぶ。「自分の子どもを使ってまで他人を陥れる母親なんて、いません!」――その演技、実に見事だった。もともと経営が傾いていた真壁の会社は、この騒動で株価が再び暴落。そして私は、ネット上で「恥知らず」「人殺し」と叩かれた。けれど、たかがいくつかの嘘で世論を操れると思ってるの?私は小さく笑った。――いいわ。そこまで死にたがるなら、徹底的に終わらせてあげる。あの日、彼女が私を陥れたとき、監視カメラがないと思っていたらしい。でも、私の車のドライブレコーダーはずっと回っていたのだ。私はその映像と、彼女が偽造した診断書のコピーをすべてSNSに公開した。動かぬ証拠。世論は一瞬で逆転した。真壁の会社も上告の声明を出し、明葉は「被害者」から一転、世間の敵となった。「かわいそうな女」は、「略奪者」に変わる。そして私は――最大の被害者として同情を集め、ジュエリーデザイナーとして一気に注目を浴びた。これは、私のブランドを世に出す絶好の追い風になった。さらに都合のいいことに、蒼真はもう私を煩わせない。明葉の件で手一杯なのだろう。――あの罪は、確かに彼自身の手で犯したものだから。次のコレクションのデザインを仕上げ、軽く伸びをして会社を出ようとした、その時だった。ビルの前に、髪を乱した明葉が立っていた。このところ、逆自己証明のせいで、彼女は文字通り街の鼠のように、誰もが追い払おうとする存在になっていた。蒼真も上から圧力をかけ、彼女の収入源を完全に断った。もう、掃除の仕事すら断られたと聞いた。明葉は私を睨みつけ、唇を引き裂くように叫んだ。「この女……!あんたが私を地獄に落としたんだ!だったら、あんたも一緒に死ねばいい!」次の瞬間、彼女は背後から包丁を引き抜き、私に突進してきた。「楓!危ないっ!」予想していた痛みは訪れず、私は強い力で突然押し飛ばされた。目を開けると、視界には血の海に倒れた蒼真と、包丁を握りしめて獰猛な表情
家に戻って、ようやく少し落ち着いたと思った矢先だった。蒼真からの電話が、嵐のように次々とかかってきた。私は無表情のまま、何度も切った。けれど向こうは諦める気配もなく、しつこくかけ直してくる。ブロックしても、別の番号で。あまりにもしつこくて、ついに私は眉間を押さえ、ため息をついて出た。通話が繋がった瞬間、彼の声が弾んだ。けれどすぐに焦りへと変わる。「楓、湊斗が……病気なんだ。お願いだ、見に来てくれ!」昔の私なら、きっと飛び上がって心配しただろう。けれど今は違う。あの子は私の性格なんて一つも受け継がず、蒼真の悪いところばかり似た。そんな子に、もう母親としての情なんて湧かなかった。「病気なら、医者に見せなさい。私に電話しても無駄よ」「医者じゃ、治らないんだ」「なら、もっと腕のいい医者を探しなさい」一瞬の沈黙のあと、彼は搾り出すように言った。「……湊斗、うつ病なんだ」――うつ病?思わず眉が寄った。まさか、そんなことになるなんて。考える間もなく、高坂からメッセージが届いた。私がデザインしたジュエリーに不備が出たらしい。「心の病なら、心療内科に行けばいいでしょ。あの子、私なんて嫌いなんだから、明葉を呼びなさい。『あの人』が母親なんでしょう?」私はすぐに仕事に戻り、修正に没頭した。気づけば夜。山のようなスケッチの中で、ようやく顔を上げた。お腹がぐうと鳴る。筆を置き、買い出しに出ようと玄関を開けたその瞬間――目の前に、蒼真が立っていた。背を丸め、車の横にもたれ、目は真っ赤。あの頃の自信も威圧感も、どこにもなかった。私の顔を見るなり、彼はその場に膝をついた。そして、私のズボンの裾を握りしめ、泣きながら懇願した。「湊斗が、本当にもう限界なんだ。医者も『心の問題』だと言ってる。お願いだ、楓、一度でいい、会ってやってくれ」そう言うと、膝で二歩にじり寄り、額を私の靴先に押しつけた。「頼む、頼むよ……」周囲に人がどんどん集まってきて、中には彼を認識した者もいた。しかたなく、私は頷いた。――彼と一緒に、湊斗のもとへ行くことにした。蒼真はすぐに顔を明るくし、車中でまくし立てた。「この数日、ずっと考えてた。悪いのは俺だった。お前は本当にいい女だったの
蒼真がさらに近づこうとした瞬間、私は苛立ちまぎれに彼の頬を叩いた。「真壁社長、明日『ハラスメント』でトレンド入りしたくなければ、そこまでにしておいたほうがいいですよ」「楓……」彼が何か言おうとしたその時、甲高い女の声が割り込んだ。「蒼真!やっと会えた!」明葉が嬉しそうに駆け寄ってくる。蒼真が彼女の仮病を知って完全に縁を切った。しかし先月、明葉が妊娠していることに気づいた。つまり、また「蒼真の女」として戻れると思ったのだ。彼女は迷いなく蒼真の手を取り、自分の腹に押し当てる。「蒼真、わたし……あなたの子を授かったの。赤ちゃんができたのよ!」蒼真は彼女を見て、それから私を見た。顔色が急に青ざめた。「楓、違うんだ、聞いてくれ!」明葉は彼の腕にしがみつき、勝ち誇ったように私を見た。「よく恥ずかしくもなく現れたわね。蒼真に捨てられたのに、まだ未練たらしく追いかけてくるなんて!」「黙れ!」蒼真が怒鳴り、振りほどこうとするが、明葉はますますしがみついて離れない。私はその隙にそっと身を翻し、会場を後にした。背後では、怒鳴り声だけが虚しく響く。逃げ出せたのは一瞬だけだった。私の居場所がバレてからというもの、蒼真は狂ったように「復縁」を迫ってきた。見知らぬ番号を、私は何度も何度も着信拒否した。そして十回目。まさかの人物と、対面することになる。――明葉だった。以前の華やかさは影もなく、やつれ果てた顔。今度こそ本当に「末期がんの患者」のようだった。彼女はお腹を押さえながら、一歩一歩、私に近づいてくる。「妊娠したの。蒼真の子よ」「へえ」彼女は必死に、私の顔から感情を探そうとした。そしてようやく――眉をひそめた私の表情を見つけ、勝ち誇ったように口を開く。「光、遮ってる。どいてくれる?」明葉の顔が一瞬ひきつる。それでも食い下がるように言った。「まだわからないの?蒼真のそばから消えなさい。いい?今すぐに」あまりの厚顔無恥さに、私は小さく笑った。スマホを取り出し、画面に並ぶ「真壁蒼真99件の不在着信」を見せる。「見て。どっちが『しつこい』と思う?むしろあなたにお願いしたいの。彼をちゃんと繋いでおいて。放し飼いにされると噛みついてくるから、迷惑なの」その瞬間
明葉は、まだ状況も分からず、横で得意げに私をけなしていた。「蒼真、ねえ、楓ってさ、こんなことで家出するなんて、ほんと子どもみたい。私だったら絶対そんなことしないのに――」その瞬間、蒼真の手が震えた。彼は無言で、握っていた書類を彼女の顔めがけて叩きつけた。紙束が頬を打ち、ぱらぱらと床に散らばる。明葉は呆然としたが、書類の内容を目にした瞬間、膝から崩れ落ちた。「そ、そんな……蒼真、違うの、聞いて!私はただ、あなたが好きすぎて――」けれど蒼真は、もう何も聞こえていなかった。彼の頭の中にあるのは、たったひとつ。――楓は、もう二度と戻ってこない。家の重荷から解放され、職場に戻った私は、まるで羽が生えたように軽くなった。聞くところによると、蒼真がずっと私を探しているらしいが、全国は広い上に、私はわざと名前を変え隠遁生活を送っている。今の私を見つけるのは不可能だ。それに、彼には私を探している暇なんてなかった。離婚後、明葉は待ちきれなかったようで、記者を買収して自分と蒼真の結婚を「独占スクープ」として流したのだ。――「真壁蒼真、元妻を捨てて愛人と再婚」ニュースは瞬く間に拡散し、会社の株はまるで崖から落ちるように暴落した。さらに三日後、彼は明葉との離婚を公表。この「電撃結婚&離婚」は、世間の格好のゴシップとなった。けれど、そんな噂話に付き合う暇なんて今の私にはない。半年間かけて手掛けたジュエリーコレクションが、ついに今夜お披露目されるのだ。会場には有名人がずらりと並び、グラスの音と笑い声が交錯していた。私はその光景を見ながら、心の中で静かに呟いた。――やっぱり、ここが私のいるべき場所だ。あの頃、蒼真のためにキャリアを捨てた自分は、本当に愚かだった。「楓ママ、これすっごくおいしいの!食べてみて!」笑顔で私に皿を差し出したのは、伊織(いおり)だった。彼女は高坂の娘。高坂にはこれまで何度も助けられた。今、彼女が海外に出張中だから、私は代わりに伊織の面倒を見ている。私は微笑んでしゃがみこみ、伊織の差し出したケーキを受け取ろうとした――その瞬間。彼女の体が横から強く押され、床に倒れた。ケーキと皿も地面に落ちて、粉々に砕け散った。「僕のママに触るな!」私は慌てて
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