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3.親ガチャ

Author: 田鶴
last update publish date: 2026-09-15 06:42:44

 猛プッシュする修一に絆され、美香は彼と交際を始めた。だが夜遅くまで仕事をする修一と早朝に配達へ出かける美香は、生活時間が合わず、デートする時間をなかなかとれない。

 とうとう修一は、学費も生活費も援助するから新聞配達の仕事を辞めてくれと懇願したが、美香は断った。

「どうして?!」

 修一は、目を見開いて大きな声で訊き返した。

「新聞奨学生を仲介してくれた高校の先生やお店に迷惑がかかります」

「そこは僕がなんとかするよ」

「でも私は、修一さんになんでも頼りっきりにはなりたくないんです」

「違うよ。僕達がデートできる時間を僕が買うと思ってくれないかな?」

 修一は、ああだこうだと言ってなんとか美香を説得しようとしたが、美香はどうしても途中で辞められないと主張した。二人の意見は平行線をたどり、結局、修一が折れた。

 美香は大学を卒業するまで新聞奨学生を続け、修一との関係を隠して新卒で新田家の経営する会社『新田ホールディングス』に入社した。

 その頃には二人が交際を始めて二年ほど経っていたが、色々事情があって双方の両親にも内緒にしていた。

 *

 美香が入社してしばらく経ったある日、本社の受付に香水の匂いをプンプンさせたケバケバしい中年女性がやってきて大騒ぎになった。

「ちょっと新田修一さんと小川美香を呼んでくれない?」

「お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」

 時々出現するトンデモ客に慣れた受付嬢は、驚きと戸惑いを上手く隠して冷静に対応した。

「おたくの副社長の恋人、小川美香の母、小川厚子よ!」

 厚子は、タバコで焼き切れたダミ声で誇らしげに宣言した。

「アポイントメントはございますでしょうか?」

「ハァ?! 次期社長夫人の母が将来の義理の息子に会うのにアポなんて必要?!」

 ――バンッ

 厚子がカウンターに拳を振り下ろした音がロビーに響き、辺りが一瞬にして静まり返った。

「お、お取次ぎできません!」

「何様のつもり?!」

 さすがの受付嬢もビクッとしたが、きっぱりと断り、厚子はギャアギャア騒いで抗議し続けた。そこへ知らせを受けた警備員が駆け付け、厚子を注意した。

「これ以上、騒がれるようでしたら、警察を呼びますよ」

「次期社長夫人の母をサツにしょっぴかせるって言うの?! 恥をかくのはあんたらよ! おい、こら、触んな!」

 二人の警備員に両腕をがっちり抑え込まれ、厚子はますます髪を振り乱して騒ぐ。野次馬が向こうに娘を見つけ、目を見開いて叫んだ。

「美香! ちょうどよかった! こいつらをどかしてちょうだい!」

 *

「ん? なんだろう?」

 美香が出先から本社に戻ってくると、ロビーが騒がしい。ビルの入口から入ってすぐの所で遠巻きに騒ぎを見ている人々の間から向こう側を覗いてみると、大暴れしていたのは、母親の厚子だった。それがわかった途端、美香は真っ青になり、胸がバクバクと早鐘を打った。

(えっ?! お母さん?!)

その瞬間、二人の目があった。

「美香! ちょうどよかった! こいつらをどかしてちょうだい!」

 得意満面な様子で厚子が堂々と美香に話しかけるやいなや、野次馬の人々が一斉にバッと美香のほうへ振り返った。

「君、この方と本当に関係があるの?」

 その場に偶然居合わせた美香の部署の部長が眉をひそめて尋ねた。

「は、はい……母です。申し訳ありません」

 美香は、ペコペコと謝り倒した。

「こういうのは困るんだよね。君からきちんと言い含めておいてください」

「はい、しっかりと言い聞かせます。本当に申し訳ありません」

 美香は深く腰を曲げて頭を下げたまま、じっと床を見つめた。涙が眼ににじみ出てきて、部長の靴がぼやけて見える。

「美香、あんたが社長夫人になったら、こんな失礼なヤツ、クビにしちゃいなよ」

「ちょ、ちょっとお母さん!」

 ダミ声が頭の上から降ってきて美香は慌てて頭を上げた。すると苦虫を噛み潰したような表情の部長と目が合い、周囲からも鋭い視線が振ってきていたたまれなくなった。

「申し訳ありません、すぐに戻ります!」

「ちょっと何するの! 痛いじゃないの! まだあんたの彼氏に会ってないんだよ!」

 厚子の抵抗に構わず、ぐいぐいと美香は母親の腕を取って引っ張り、本社ビルの外へ無理矢理連れだした。

「お母さん、会社で失礼なことをしないで!」

「だってあんたが出し惜しみして玉の輿の彼氏を紹介しないから、いけないんだよ」

「私だってお母さんが普通のお母さんだったら、とっくに紹介してるよ! もう別れるって言われるかも……」

 最後は、涙声になってグズグズと美香は鼻をすすった。

「なんだって! 母親だけで苦労して育ててやったのに恩知らずだね!」

「へぇ、苦労して育ててくれたんだ?!」

 涙ぐみながら美香は厚子をキッと睨んだ。

「高校は奨学給付金をもらってバイトもしてたし、大学の学費だってお母さんからは一銭ももらってないよね? それどころか、私のバイト代をちょろまかしていたじゃん!」

「な、生意気だよ!」

 娘の皮肉に心当たりしかない厚子は目をそらした。

「そ、そうだ、来月の前借りさせてよ」

「仕送り、もう使い切っちゃったの?!」

 ペロッと舌を出して悪びれもなくたかる厚子に美香は呆れるとともに、はらわたが煮えくり返った。

「そうなのよ」

 厚子は、蛇のような視線をさっき出て来たばかりの本社ビルに向けた。本社のガラス張りのロビーからも、まだこちらを見ている人達がいる。

「ハァ……これで足りる?」

 美香は、バッグの中の財布から一万円札を出して厚子に渡した。

「何、これっぽっちなの?」

 厚子は、あざけわらうように一万円札一枚を指でつまんでヒラヒラとさせた。

「あと五万円、今日中に振込手続きするから、帰って……!」

「シケてるわね」

「お母さんへの仕送りでギリギリなの。これ以上、もう出せない。だから帰って!」

「そんなの、あんたの金持ち彼氏に出してもらえばいいじゃん」

「駄目! 冗談じゃない! 彼には一切かかわらないで! 彼にたかったら、もう一切仕送りしないよ!」

 美香の全身にぞわっと鳥肌が立ち、髪の毛が逆立った。ここが本社のすぐ近くということを忘れ、大声で警告した。

「ハイハイ、そんな大きな声を出さなくたっていいじゃないの。たかるだなんて、人聞きの悪い……ちょ、ちょっとそんなに押さないでよ。帰ればいいんでしょ、帰れば」

 最後、美香は半泣きしながら、地下鉄の駅の方に向かって厚子の背中を押しやった。

  *

 トボトボと美香が自分の部署に帰って来ると、好奇心と蔑みに満ちた視線が四方八方から降り注いだ。もう一度謝罪しようと部長のデスクへ行こうとすれば、課長に呼び止められて会議室へ来るように伝えられた。

 会議室では、課長だけでなく、部長も渋い顔をして待っていた。

「小川君、さっきのような騒動を起こさないように気をつけるように」

 美香は、再び謝罪してひたすら頭を下げた。母親のせいでこんな風に謝罪しなければならなかったことは、何度あったことだろうか。美香は、歯を食いしばって涙をこらえた。

「ところで……」

 頭の上からかけられる声の調子が急に媚びるように変わった。

「君が副社長と結婚する予定だって本当?」

「誰から聞いたのですか?」

「うん、まあね、それはともかくとして事実確認をしたいんだよ」

「そんな話は出ていません」

「『そんな話』か……それじゃあ、本当に君は副社長と交際しているんだね?」

「プライベートですので、これ以上は……」

「本当だったら、あんな騒動を起こした社員は謹慎処分なんだよ。分かっているよね?」

 修一にこれ以上、迷惑をかけたくない美香は『分かりました』と答えて退室したが、ねっとりと何かを期待する視線が身体に絡みついた感覚が離れなかった。

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