LOGIN「修一、いや副社長、本当に総務部のあの女性と交際しているのか?」
美香の母・厚子が新田ホールディングス本社に襲来した翌日、修一は同社社長の父・義一郎のオフィスで美香との関係を問いただされた。義一郎はイライラした様子で修一を問い詰め、修一は父のデスクの前で俯いたままだ。
社長室の大きな窓から燦々と入る光も、重苦しい二人の雰囲気を和らげられない。
「あんなとんでもない女が母親なんだ。さっさと別れなさい」
「……嫌です!」
萎れていた修一は、パッと顔を上げて叫んだ。
「なんだと?!」
「彼女と結婚できないなら、僕は一生結婚しません!」
「それじゃあ、跡継ぎはどうするんだ」
「叔母さんのところにはもう孫が二人もいるじゃないですか」
「あれは駄目だ。それに新田じゃない。外戚が出て来ると碌なことにならん」
仲の悪い妹の話が出てすかさず義一郎は口をへの字に曲げた。
「それなら、美香との結婚を許してください」
ううんと義一郎は腕を組んで唸った。そこに修一はチャンスとばかりに畳みかける。
「でなければ、僕は退社しても構いません!」
「ハッ! 大学を卒業してからずっと我が社で創業者一族として働いてきたお前が泥臭く金を稼げるわけがない!」
義一郎は、息子の大口を鼻で笑った。それなのに修一は不遜なぐらい堂々としている。
「僕だって新田ホールディングスの株を持っているんですよ」
「おい、まさか……?!」
義一郎は目を見開いて息子を問いただした。
「ええ、泥臭くなんでもしますよ。美香と別れないで済むならね」
「お前……!」
「叔母さんは諸手を挙げて僕の持ち分を買うでしょうね」
挑戦的な視線が義一郎を射抜き、彼は恐る恐る口を開いた。
「まさか本気か?」
「こんなことで嘘をつくと思いますか?」
ハアァと大きなため息が社長室に響き渡った。
「わかった……私の負けだ。条件つきで結婚を認めてやろう」
その途端、修一の顔がパァッと輝いた。
「喜ぶのはまだ早い。条件を聞け。あの娘自身は、まあいいだろう。お前と同じ大学の経済学部も出ているし、働き者で気立てもいいと聞いている」
「だったら全く問題ないですよね?」
「ああ、彼女自身には及第点をやるよ。だがお前も、強欲で下品なあの母親のことを知っているだろう? 交際と結婚は、彼女が母親と絶縁するのが条件だ。あの母親を一切新田家と関わらせるんじゃない」
「問題ありません! やり遂げます!」
スキップするかのように軽やかに社長室を出て行く息子の背中を義一郎は見つめ、ため息をついた。
「ハァ……それが簡単にできればいいんだがな」
*
その日の夜、修一は美香には内緒で厚子が住む地方都市へ赴いた。
電車を降りて寂れた駅前をすり抜け、厚子が雇われママを務めるスナックのある路地を目指す。その狭い路地に入れば、スナックやカラオケの古びた看板がひしめいている。中には割れて電気がついていないものも目につく。
金曜日の夜だというのに、路地を行き交う人は少ない。
「うーん、確かこの辺のはずなんだけどな……あった!」
修一は、キョロキョロと辺りを見回し、『スナック
その看板のすぐ脇、少し色の剥げかけた木製ドアを開けると、むわっとタバコの臭いがする淀んだ空気が一気に修一の顔へ吹き付けた。
「いらっしゃいませー!」
店の中へ足を踏み込んだ瞬間、厚子のダミ声と若い女の子の声が重なって修一を迎えた。
狭い店内には他に客はいない。薄暗い灯りのもとでも、内装から家具から何から何まで全部古びているのが一目で見て取れる。
厚子とその女の子は奥のソファに座っていたが、修一の姿を見るなりバッと立ち上がって近づいてきた。
「あら? あなた、新田修一さんよね? 社報の写真よりイケメンじゃないの。わざわざ東京からここまで飲みに?」
ケバケバしい化粧をした厚子は修一に気づくと、口角を上げてニヤリとした。
「いや、ちょっと話があってね……」
修一はチラリと若い女の子を見た。
「まあまあ、まずは一杯飲まない? アリスちゃんにも飲ませてやってよ。X.O.ボトル一本どう?」
厚子は、修一の視線に知らんぷりして商売っ気を出した。
「ああ、私はブランデー飲まないんで……あ、いや、どうぞ。でも私の分はビールでお願いします」
ギロッと厚子に睨まれ、修一はすぐに前言撤回した。
「アリスちゃん、X.O.とビールお願い」
修一は、壁際のソファに座るように勧められ、厚子がその隣に座った。するとタバコと化粧品と香水の混じった気色悪い匂いが一気に強くなった。
とりとめもない芸能人の噂話を修一が厚子からしばらく聞いていると、アリスと呼ばれた若い女の子が飲み物とおつまみを乗せたお盆を運んできた。彼女は修一と厚子の向かいの丸いスツールに座り、ビールをグラスに注いで修一の前に置くと、視線を合わせて微笑んだ。
「どうぞ」
「ああ、ありがとう」
「じゃあ、再会を記念して乾杯!」
厚子は水割りブランデーのグラスを高々と上げ、修一とアリスのグラスにコツンとぶつけて乾杯した。
「アリスちゃん、この人はね、私の娘の恋人なんだけどね、御曹司なのよ」
「へぇ~、すごいですね! 会社経営でもしているんですか?」
「あの新田ホールディングスの次期社長なのよ」
厚子の手柄でもないのに、彼女の小鼻は膨らみ、鼻の穴が大きくなっている。
「ええ~、すごい! ママの娘さん、玉の輿じゃないですか!」
アリスの目がキランと光った。
それから厚子は、修一を褒めちぎって彼の境遇を自慢しまくった。
「いやぁ、それほどでは……」
修一は頭を掻いて照れたが、悪い気はしない。だが、褒めてもらうためにわざわざ遠くまで来たわけではない。
「あの、店が終わったら、ちょっと話せませんか?」
「うーん、じゃあ、今日はもう閉めるわ。アリスちゃん、今日はあがっていいよ。片づけは私がしておくわ」
「えっ、ママ、あの……」
アリスは不満顔でコソコソと厚子の耳元で何か囁いた。
「しょうがないわねぇ……」
厚子は、チラッと修一を見てカウンターにノロノロと向かう。
「あの、私のせいで早くあがるのは申し訳ないので、これどうぞ」
修一が財布から一万円札を一枚出して渡すと、アリスははち切れるような笑顔で何度もお礼を言った。
「あらぁ、修一さん、うちのアリスにすみません。
『お店へのお金じゃない』とやけに大声で言いつつ、厚子が何度もお礼を言うので、修一は一万札を追加で何枚か厚子に渡す羽目になった。
「あらぁ、すみません。
厚子は、修一から受け取った一万円札から一枚抜き取ってアリスに渡し、さっさと追い出そうとしたが、アリスはなかなか帰らない。彼女は自分のグラスをカウンターへノロノロと持って行き、シンクで洗い始めた。
「アリス、そこはもういいから、帰りなさい!」
「はぁい、ママ、今洗い終わったから、帰りまぁす!」
ようやくアリスの姿がドアの向こうに消えると、厚子はブランデーをドクドクと自分のグラスに注ぎながら、高飛車に修一へ問いかけた。
「で、何の用? 美香の十倍仕送りしてくれるとでも言うの?」
スナック唯一の従業員・アリスが早上がりした後、厚子はブランデーをグラスにドバドバ注ぎながら、隣に座る修一に横柄に訊いた。「で、何の用? 美香の十倍仕送りしてくれるとでも言うの?」「……ゴホゴホゴホッ!」 グラスに口をつけていた修一は、盛大にむせた。「ち、違います! 美香さんとかかわるのを今後一切やめてほしいと頼みに来たんです!」「へぇ~、母と娘を引き離そうって大層なお願いかぁ。タダでとは言わないわよね?」「これでお願いします」 罵りたい気持ちを必死に抑え、修一はジャケットの内ポケットから厚みのある封筒を出した。 その封筒をひったくって中身を見た厚子は、すぅーっと深くタバコを吸ってから、はぁーっと修一の顔に煙を吹きかけた。「ブハッ! な、何をするんですか!」「新田ホールディングスの副社長って意外とシケてるんだね。それとも私をコケにしてる?」 封筒をピラピラさせながら、厚子はあざけわらった。「失礼ですね。急ぎだったから、とりあえずですよ」 眉間に皺を寄せた修一はそう答えたものの、次から次へと要求額を渡せば、きりがなくなるのは分かりきっている。「へぇ、とりあえずねぇ。たった三百万で母娘の絆を断ち切ろうってわけ? 安すぎるね!」「実の娘が大切なら、どうして美香からお金をむしり取るのですか?!」 怒りのあまり、修一は厚子に食って掛かった。「『むしり取る』なんて人聞きが悪いね! 私だってねぇ、本当は娘に援助してもらいたくはないんですよ。でもこの店を見てどう思いますか?」 取ってつけたように厚子は神妙な顔をして同情を誘う。 カウンターも椅子もテーブルも照明も、何もかもくたびれていて、ひと昔前の古びた内装が薄暗い照明の中でも目につく。それに修一が来店した時に客は誰もいなかった。でも、修一だってそんな本音をズバリ言えるはずはない。「まぁ、ちょっと……でも雇われママさんなら、多少はお客さんが少なくても大丈夫ですよね?」「ハァ……オーナーは、もうずっと店を閉めたいって言ってるんだけど、私の給料はいらないからって頼んでなんとか続けさせてもらっているの」 不遜な態度はすっかり鳴りを潜め、打ちひしがれたように厚子はため息をつく。「じゃあ、転職とか……」「あのねぇ、中卒でずっと水商売してきた私に他に何ができると思う?」 あっさりと厚子
「修一、いや副社長、本当に総務部のあの女性と交際しているのか?」 美香の母・厚子が新田ホールディングス本社に襲来した翌日、修一は同社社長の父・義一郎のオフィスで美香との関係を問いただされた。義一郎はイライラした様子で修一を問い詰め、修一は父のデスクの前で俯いたままだ。 社長室の大きな窓から燦々と入る光も、重苦しい二人の雰囲気を和らげられない。「あんなとんでもない女が母親なんだ。さっさと別れなさい」「……嫌です!」 萎れていた修一は、パッと顔を上げて叫んだ。「なんだと?!」「彼女と結婚できないなら、僕は一生結婚しません!」「それじゃあ、跡継ぎはどうするんだ」「叔母さんのところにはもう孫が二人もいるじゃないですか」「あれは駄目だ。それに新田じゃない。外戚が出て来ると碌なことにならん」 仲の悪い妹の話が出てすかさず義一郎は口をへの字に曲げた。「それなら、美香との結婚を許してください」 ううんと義一郎は腕を組んで唸った。そこに修一はチャンスとばかりに畳みかける。「でなければ、僕は退社しても構いません!」「ハッ! 大学を卒業してからずっと我が社で創業者一族として働いてきたお前が泥臭く金を稼げるわけがない!」 義一郎は、息子の大口を鼻で笑った。それなのに修一は不遜なぐらい堂々としている。「僕だって新田ホールディングスの株を持っているんですよ」「おい、まさか……?!」 義一郎は目を見開いて息子を問いただした。「ええ、泥臭くなんでもしますよ。美香と別れないで済むならね」「お前……!」「叔母さんは諸手を挙げて僕の持ち分を買うでしょうね」 挑戦的な視線が義一郎を射抜き、彼は恐る恐る口を開いた。「まさか本気か?」「こんなことで嘘をつくと思いますか?」 ハアァと大きなため息が社長室に響き渡った。「わかった……私の負けだ。条件つきで結婚を認めてやろう」 その途端、修一の顔がパァッと輝いた。「喜ぶのはまだ早い。条件を聞け。あの娘自身は、まあいいだろう。お前と同じ大学の経済学部も出ているし、働き者で気立てもいいと聞いている」「だったら全く問題ないですよね?」「ああ、彼女自身には及第点をやるよ。だがお前も、強欲で下品なあの母親のことを知っているだろう? 交際と結婚は、彼女が母親と絶縁するのが条件だ。あの母親を一切新田家と関わらせるんじ
猛プッシュする修一に絆され、美香は彼と交際を始めた。だが夜遅くまで仕事をする修一と早朝に配達へ出かける美香は、生活時間が合わず、デートする時間をなかなかとれない。 とうとう修一は、学費も生活費も援助するから新聞配達の仕事を辞めてくれと懇願したが、美香は断った。「どうして?!」 修一は、目を見開いて大きな声で訊き返した。「新聞奨学生を仲介してくれた高校の先生やお店に迷惑がかかります」「そこは僕がなんとかするよ」「でも私は、修一さんになんでも頼りっきりにはなりたくないんです」「違うよ。僕達がデートできる時間を僕が買うと思ってくれないかな?」 修一は、ああだこうだと言ってなんとか美香を説得しようとしたが、美香はどうしても途中で辞められないと主張した。二人の意見は平行線をたどり、結局、修一が折れた。 美香は大学を卒業するまで新聞奨学生を続け、修一との関係を隠して新卒で新田家の経営する会社『新田ホールディングス』に入社した。 その頃には二人が交際を始めて二年ほど経っていたが、色々事情があって双方の両親にも内緒にしていた。 * 美香が入社してしばらく経ったある日、本社の受付に香水の匂いをプンプンさせたケバケバしい中年女性がやってきて大騒ぎになった。「ちょっと新田修一さんと小川美香を呼んでくれない?」「お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」 時々出現するトンデモ客に慣れた受付嬢は、驚きと戸惑いを上手く隠して冷静に対応した。「おたくの副社長の恋人、小川美香の母、小川厚子よ!」 厚子は、タバコで焼き切れたダミ声で誇らしげに宣言した。「アポイントメントはございますでしょうか?」「ハァ?! 次期社長夫人の母が将来の義理の息子に会うのにアポなんて必要?!」 ――バンッ 厚子がカウンターに拳を振り下ろした音がロビーに響き、辺りが一瞬にして静まり返った。「お、お取次ぎできません!」「何様のつもり?!」 さすがの受付嬢もビクッとしたが、きっぱりと断り、厚子はギャアギャア騒いで抗議し続けた。そこへ知らせを受けた警備員が駆け付け、厚子を注意した。「これ以上、騒がれるようでしたら、警察を呼びますよ」「次期社長夫人の母をサツにしょっぴかせるって言うの?! 恥をかくのはあんたらよ! おい、こら、触んな!」 二人の警備員に両腕をがっちり抑え込まれ
美香と修一が知り合ったのは、美香が大学の学費のために新聞奨学生をしていた頃にさかのぼる。 東京で珍しく雪が積もった日、美香は初めて修一と言葉を交わした。 その日の早朝、美香はいつもより少し早めに新聞販売店を出て担当する高級住宅街へ向かった。街灯に照らされた新雪をギュッギュッと踏みしめ、荷台に新聞を満載した自転車を押す。 雪は数センチしか積もっていなかったが、自転車に乗るつもりはなかった。配達時には、もうちらほらとしか降っていなかったものの、念のため新聞はビニール袋に入れてある。『新田』と表札がかかっている大きな家の前まで来て、美香は自転車を停めようとした。だが片足を後輪のスタンドにかけた瞬間、バランスを崩して転倒し、自転車をひっくり返してしまった。「あっ?!」 自転車の下になった新聞の袋が破れて雪の上に散らばった。すぐに拾い集めたが、ほとんどが濡れてしまっている。「どうしよう……」 美香は血の気が引いた。 新聞販売店に戻っても、余剰の新聞があるとは限らない。あったとしても、配達時間が遅れてクレームが入るかもしれない。そのうえ、この時間に店番をしているのは、美香に辛辣な店主の奥さんだ。「ハァ……公衆電話はどこだったかな」 美香がジーンズについた雪をはらって辺りを見回したとき、突然、男性の声が響いた。「大丈夫ですか?」 声のほうを見れば、新田家のガレージの前に青年が立っている。「ありがとうございます。大丈夫です」 美香はペコリとお辞儀をしてそのまま自転車を押して行こうとした。「膝に怪我をしていますよ」「えっ、あの、たいしたことでは……」 冬の早朝にもかかわらず、美香の顔は熱くなり、言葉が尻すぼみになった。着古したジーンズは転倒の衝撃に耐えられずに破れ、膝を擦りむいてしまっている。 青年は、自転車の荷台に近づいきて一番濡れている新聞紙を抜き取った。「これ、うちの分としていただくね」「そんなわけには!」「大丈夫、父は会社で読めるし、母は新聞なんて読まないから。それより他の新聞はどうするの?」「店に電話して用意してもらいます。袋が破れていない新聞を配達した後で取りに行けば、なんとか間に合います」「だいぶ配達が遅れるんじゃない? 僕が取りに行ってあげるよ」「いえいえ、そんな!」 美香は、顔の前で手をブンブンと振って遠慮した
「ただいま」 玄関の鍵を開けると、新田美香はいつものように暗闇に向かってひとり呟いた。「美香?」「ひっ?!」 突然、廊下の暗がりの中から自分を呼ぶ声が聞こえ、美香は飛び上がった。「なんだ、修一か。帰っていたなら、玄関ぐらい電気つけておいてよ」 声の主が夫と分かり、美香は胸をなでおろした。 暗い廊下の先に目をこらして見ると、ほんの少し開いたドアから漏れる光の前に修一が項垂れて立ち尽くしている。薄暗闇に目が慣れれば、その端正な顔にくっきりと焦燥の色が見えた。「どうしたの?」 美香がそう問いかければ、修一はガバッといきなり土下座して床に額を擦りつけ、美香は面食らった。「ごめん、美香! 許してくれ!」「え?! 何を?!」 まさにそのとき、修一の背後のドアがソロソロと開き、小さい子供が顔をのぞかせておずおずと修一を呼んだ。「パパ、まだぁ?」「パ、パパ?!」「あっ、そ、そのっ、これは……」 美香は、真っ直ぐ立っていられなくなり、ふらついて廊下の壁に手をついた。嘘だと思いたいが、落ち着きのない修一の様子を見れば、最悪の予想はできる。「こ、この子を引き取らなくちゃいけなくなったんだ」「……親戚の子?」 空々しくても一縷の望みを言わずにはいられない。「い、いや……お、俺の……」「え?! 何?! 今、何て言ったの?!」「お、俺の子なんだ……」「誰との子なの?!」「それは……」 修一の言葉は尻すぼみになっていく。彼は廊下の硬い床の上で正座したまま、項垂れた。 廊下の電気はつけたはずなのに、美香の目の前は暗くなっていき、修一の姿が涙でぼやけていった。「どうして?! どうして?! 私だって修一の子供がほしかっ……」 問いかける言葉は、最後には形にならなかった。 結婚したばかりの頃、二人は確かに幸せだった。分かり合えていた。なのに、いつから道を間違えてしまったのだろうか。「うっ、うっうっ……」 美香が嗚咽を漏らしながら玄関のほうへ向かおうとしたそのとき、美香のスカートの裾がクイクイッと引っ張られた。「おばちゃん、かなしいの?」 下を見れば、さっきの子供が美香を見上げながらスカートを掴んでいた。 髪の毛はベタベタでボサボサ、顔も服もなんだか薄汚れているが、よく見れば女の子だ。ガラス玉のように綺麗で無垢な瞳がじっと美香を見つめてい







