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4.説得工作

Author: 田鶴
last update publish date: 2026-09-16 07:29:52

「修一、いや副社長、本当に総務部のあの女性と交際しているのか?」

 美香の母・厚子が新田ホールディングス本社に襲来した翌日、修一は同社社長の父・義一郎のオフィスで美香との関係を問いただされた。義一郎はイライラした様子で修一を問い詰め、修一は父のデスクの前で俯いたままだ。

 社長室の大きな窓から燦々と入る光も、重苦しい二人の雰囲気を和らげられない。

「あんなとんでもない女が母親なんだ。さっさと別れなさい」

「……嫌です!」

 萎れていた修一は、パッと顔を上げて叫んだ。

「なんだと?!」

「彼女と結婚できないなら、僕は一生結婚しません!」

「それじゃあ、跡継ぎはどうするんだ」

「叔母さんのところにはもう孫が二人もいるじゃないですか」

「あれは駄目だ。それに新田じゃない。外戚が出て来ると碌なことにならん」

 仲の悪い妹の話が出てすかさず義一郎は口をへの字に曲げた。

「それなら、美香との結婚を許してください」

 ううんと義一郎は腕を組んで唸った。そこに修一はチャンスとばかりに畳みかける。

「でなければ、僕は退社しても構いません!」

「ハッ! 大学を卒業してからずっと我が社で創業者一族として働いてきたお前が泥臭く金を稼げるわけがない!」

 義一郎は、息子の大口を鼻で笑った。それなのに修一は不遜なぐらい堂々としている。

「僕だって新田ホールディングスの株を持っているんですよ」

「おい、まさか……?!」

 義一郎は目を見開いて息子を問いただした。

「ええ、泥臭くなんでもしますよ。美香と別れないで済むならね」

「お前……!」

「叔母さんは諸手を挙げて僕の持ち分を買うでしょうね」

 挑戦的な視線が義一郎を射抜き、彼は恐る恐る口を開いた。

「まさか本気か?」

「こんなことで嘘をつくと思いますか?」

 ハアァと大きなため息が社長室に響き渡った。

「わかった……私の負けだ。条件つきで結婚を認めてやろう」

 その途端、修一の顔がパァッと輝いた。

「喜ぶのはまだ早い。条件を聞け。あの娘自身は、まあいいだろう。お前と同じ大学の経済学部も出ているし、働き者で気立てもいいと聞いている」

「だったら全く問題ないですよね?」

「ああ、彼女自身には及第点をやるよ。だがお前も、強欲で下品なあの母親のことを知っているだろう? 交際と結婚は、彼女が母親と絶縁するのが条件だ。あの母親を一切新田家と関わらせるんじゃない」

「問題ありません! やり遂げます!」

 スキップするかのように軽やかに社長室を出て行く息子の背中を義一郎は見つめ、ため息をついた。

「ハァ……それが簡単にできればいいんだがな」

 *

 その日の夜、修一は美香には内緒で厚子が住む地方都市へ赴いた。

 電車を降りて寂れた駅前をすり抜け、厚子が雇われママを務めるスナックのある路地を目指す。その狭い路地に入れば、スナックやカラオケの古びた看板がひしめいている。中には割れて電気がついていないものも目につく。

 金曜日の夜だというのに、路地を行き交う人は少ない。

「うーん、確かこの辺のはずなんだけどな……あった!」

 修一は、キョロキョロと辺りを見回し、『スナック美湖みこ』の看板を見つけた。

 その看板のすぐ脇、少し色の剥げかけた木製ドアを開けると、むわっとタバコの臭いがする淀んだ空気が一気に修一の顔へ吹き付けた。

「いらっしゃいませー!」

 店の中へ足を踏み込んだ瞬間、厚子のダミ声と若い女の子の声が重なって修一を迎えた。

 狭い店内には他に客はいない。薄暗い灯りのもとでも、内装から家具から何から何まで全部古びているのが一目で見て取れる。

 厚子とその女の子は奥のソファに座っていたが、修一の姿を見るなりバッと立ち上がって近づいてきた。

「あら? あなた、新田修一さんよね? 社報の写真よりイケメンじゃないの。わざわざ東京からここまで飲みに?」

 ケバケバしい化粧をした厚子は修一に気づくと、口角を上げてニヤリとした。

「いや、ちょっと話があってね……」

 修一はチラリと若い女の子を見た。

「まあまあ、まずは一杯飲まない? アリスちゃんにも飲ませてやってよ。X.O.ボトル一本どう?」

 厚子は、修一の視線に知らんぷりして商売っ気を出した。

「ああ、私はブランデー飲まないんで……あ、いや、どうぞ。でも私の分はビールでお願いします」

 ギロッと厚子に睨まれ、修一はすぐに前言撤回した。

「アリスちゃん、X.O.とビールお願い」

 修一は、壁際のソファに座るように勧められ、厚子がその隣に座った。するとタバコと化粧品と香水の混じった気色悪い匂いが一気に強くなった。

 とりとめもない芸能人の噂話を修一が厚子からしばらく聞いていると、アリスと呼ばれた若い女の子が飲み物とおつまみを乗せたお盆を運んできた。彼女は修一と厚子の向かいの丸いスツールに座り、ビールをグラスに注いで修一の前に置くと、視線を合わせて微笑んだ。

「どうぞ」

「ああ、ありがとう」

「じゃあ、再会を記念して乾杯!」

 厚子は水割りブランデーのグラスを高々と上げ、修一とアリスのグラスにコツンとぶつけて乾杯した。

「アリスちゃん、この人はね、私の娘の恋人なんだけどね、御曹司なのよ」

「へぇ~、すごいですね! 会社経営でもしているんですか?」

「あの新田ホールディングスの次期社長なのよ」

 厚子の手柄でもないのに、彼女の小鼻は膨らみ、鼻の穴が大きくなっている。

「ええ~、すごい! ママの娘さん、玉の輿じゃないですか!」

 アリスの目がキランと光った。

 それから厚子は、修一を褒めちぎって彼の境遇を自慢しまくった。

「いやぁ、それほどでは……」

 修一は頭を掻いて照れたが、悪い気はしない。だが、褒めてもらうためにわざわざ遠くまで来たわけではない。

「あの、店が終わったら、ちょっと話せませんか?」

「うーん、じゃあ、今日はもう閉めるわ。アリスちゃん、今日はあがっていいよ。片づけは私がしておくわ」

「えっ、ママ、あの……」

 アリスは不満顔でコソコソと厚子の耳元で何か囁いた。

「しょうがないわねぇ……」

 厚子は、チラッと修一を見てカウンターにノロノロと向かう。

「あの、私のせいで早くあがるのは申し訳ないので、これどうぞ」

 修一が財布から一万円札を一枚出して渡すと、アリスははち切れるような笑顔で何度もお礼を言った。

「あらぁ、修一さん、うちのアリスにすみません。お·店·へ·の·お·金·じ·ゃ·な·い·けど、私もママとしてお礼を言わなくちゃ」

『お店へのお金じゃない』とやけに大声で言いつつ、厚子が何度もお礼を言うので、修一は一万札を追加で何枚か厚子に渡す羽目になった。

「あらぁ、すみません。お·会·計·の·前·に·チ·ッ·プ·をいただいちゃったわぁ。アリスちゃん、はい、これ、タクシー代。気をつけて帰ってね」

 厚子は、修一から受け取った一万円札から一枚抜き取ってアリスに渡し、さっさと追い出そうとしたが、アリスはなかなか帰らない。彼女は自分のグラスをカウンターへノロノロと持って行き、シンクで洗い始めた。

「アリス、そこはもういいから、帰りなさい!」

「はぁい、ママ、今洗い終わったから、帰りまぁす!」

 ようやくアリスの姿がドアの向こうに消えると、厚子はブランデーをドクドクと自分のグラスに注ぎながら、高飛車に修一へ問いかけた。

「で、何の用? 美香の十倍仕送りしてくれるとでも言うの?」

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