เข้าสู่ระบบ侑吾は少し妙だと思ったものの、余計なことは聞かなかった。二人はそのまま外へ向かって歩き出す。だが、星はどこか上の空だったのだろう。階段を下りようとした瞬間、足を踏み外し、危うく転びかけた。侑吾がとっさに手を伸ばして支えようとした、その時――すらりと白く、節のはっきりした長い指が、彼より先に星の身体を支えた。星が顔を上げる。目に入ったのは、見慣れた美しい顔だった。「仁志……」彼女はわずかに目を見開く。「どうしてここに?」仁志は目を伏せて彼女を見つめた。その黒い瞳は、深い淵のように静かだった。「少し心配になって。様子を見に来た」星は言った。「こっちは何もないよ。そんなに心配しなくて大丈夫」仁志は静かに返す。「……そうか?」星は話題を変えた。「翔太は?」「雅人と謙信が見てる」星は小さく頷いた。「じゃあ、戻ろう」けれど、仁志は動かなかった。ただ、どこか重い眼差しで彼女を見つめている。その目は意味深で、何を考えているのか読み取れない。彼女の腕を支えていた手には、いつの間にか少しずつ力がこもっていた。まるで、何かを必死に抑え込んでいるかのようだった。星のまつげがかすかに震える。「仁志……」その場にいた侑吾は、空気の異変を敏感に察した。慌てて口を開く。「えっと……仁志さんが来たなら、俺は先に戻ります」空気はひどく重かった。だが、誰一人として彼に構わない。侑吾は冷や汗をぬぐいながら、そそくさとその場を離れた。仁志は星を見つめたまま、ふいに言った。「星。俺、だんだん欲深くなってる気がする」星は唇をわずかに動かした。何か言おうとしたのだろう。けれど結局、何も言えなかった。仁志は気にした様子もなく、低い声で続ける。「最初は、毎日お前を見ていられれば、それだけでいいと思ってた。そのうち、今度は――お前と一緒にいられたら、それで十分だって思うようになった。でも、今は……」彼の黒い瞳は、冷たく静かで、どこまでも深かった。「お前の心の中に、俺だけがいればいいのにって。そんなことまで思うようになった」仁志は星の目をまっすぐ見つめる。「でも分かってる。あいつらはお前の中で、特別な場所を持ってる。消したくても、消せない。星、俺はどん
星は尋ねた。「まだ何か言いたいことがあるの?」優芽利は答える。「もちろんあるわ。お兄さんは死んだのに、あなたはこんな大きな利益を手に入れた。そんなあなたを、何事もなかったみたいに楽にしてあげるわけないでしょう?恋敵としても、お兄さんのためにも、私はあなたと仁志の関係をかき乱さなきゃいけないのよ」星は、優芽利の態度が変わったことに当然気づいていた。それでも焦ることなく、淡々と言う。「いいよ。言いたいことがあるなら、今日全部言って」優芽利の皮肉や当てこすりを、星は特に気にしなかった。彼女にとって大事なのは、優芽利が陰で自分に刃を向けないこと。ただ何かを言われるだけなら、聞けない話ではない。優芽利は口を開いた。「星、お兄さんって昔、あなたの絵を買ったことがあったでしょう?絵を売っていた時の名前、summerだったわよね?」星は答える。「そう」優芽利は、どこか意味ありげに笑った。「お兄さんがあなたの絵を買った頃、大きな出来事があったの。父がまた何をしでかしたのかは知らないけど、健人の母親が後腐れを断つつもりで、私たちの家に火をつけた。母はその火事で死んだわ。私とお兄さんは運よく逃げ出せたけど、家は焼けてなくなった。もともと裕福じゃなかった私たちにとって、それはまさに追い打ちだった。お兄さんの画材も、その火事で全部燃えてしまったの」優芽利は少し目を伏せた。「幸い、お兄さんには少しだけ貯金があった。新しい画材を買おうとしていた時に、好きだった画家が何か面倒に巻き込まれて、作品の値段を上げなきゃいけなくなったって知ったの。それでお兄さんは、迷わず貯金を全部出したわ。あれはね、お兄さんが家庭教師のアルバイトをして、長い時間をかけてやっと貯めたお金だった。もしあの火事がなかったら、そのお金で小さなアトリエを借りて、簡単な絵画教室くらい開けたはずよ。あの頃のお兄さんは、あなたが誰なのかも知らなかった。男か女かも、何歳なのかも分からなかった。自分だって決して余裕があったわけじゃないのに、それでもあなたを助けようとした。特別な理由なんてない。ただ、あなたの絵が好きだったから。お兄さんは、自分が好きだと思ったものに、価値とか損得とかを持ち込まない人だった。好きな絵なら、金を出す。だから
優芽利は言った。「お兄さんがあんなふうに凶暴で、鬼気迫る目をしていたのを見たのは、あれが初めてだった。まるで次の瞬間には、自分の手で仇を殺してしまいそうなくらいに」そこまで言うと、彼女はどこか皮肉めいた笑みを浮かべる。「それまでは、お兄さんってすごく情のある人なんだって、ずっと思っていたのよ」星は小さく笑った。「情がある?それ、怜央のことを言ってるの?」優芽利は彼女を見つめた。「何かおかしい?悪人だからって、最後までずっと悪人のままとは限らない。善人だからって、一生ひとつも悪いことをしないとも限らないでしょう?殺人犯が老人に席を譲ることだってあるし、敵には容赦なくても、身内には情に厚い人間だっている。生まれつきの極悪人でも、生まれつきの聖人でもない限り、世の中そんなに白黒だけで割り切れるものじゃないわ。仁志だって、別に善人じゃない。それでも、あなたは彼を好きになった。あなたがお兄さんを嫌うのも、明日香が仁志を嫌うのも、本質的には同じことよ。お兄さんは明日香のために、あなたを傷つけることができた。仁志だって、あなたのためなら明日香を傷つけることができる。彼らにとって大事なのは、あなたたちが善人か悪人かなんてことじゃない。あなたが誰かを殺したいと言えば、仁志はきっとあなたに刃物を渡して、後始末までしてくれる。彼が好きなのは、あなたの優しさじゃない。ただ、星という人間そのものなのよ」そこで優芽利は、少し言葉を切った。「私がお兄さんに情があると思ったのはね、昔、絵を描いていた頃のお兄さんが、よく野良猫に餌をやっていたから。でも、野良猫に餌をやる人が、必ずしも善人とは限らない。動物には優しくできても、人にはとことん残酷になれる人だっている。……もっとも、動物のほうが人間よりずっと可愛いけどね。だって動物は、恩を受けたら餌をくれた相手に尻尾を振るでしょう?でも人間は違う。何を与えられても、それを当然だと思う。どれだけ恩恵を受けても、まるで相手が自分に借りでもあるような顔をする。恩はしっかり受け取るくせに、道徳の高みから相手を責め立てる。……おかしいと思わない?」星は言った。「それ、私のことを言ってるの?」優芽利は妙な笑みを浮かべた。「どうしてそう思うの?私が言ってるのは、どう考え
優芽利は一瞬、呆けたように固まった。だがすぐに、何とも言えない笑みを浮かべる。「そう……やっと、仁志の願いが叶うのね」独り言のように、小さく呟いた。「それなら、それでいいわ。少なくとも仁志は幸せなんだもの。ただ……お兄さんがあんなふうに死んでしまったのは、やっぱり惜しいわね」星は尋ねた。「少し考えてから答える?それとも、今ここで返事をくれる?」その言葉で、優芽利はようやく我に返った。彼女は星を見つめ、問いかける。「お兄さんの死は……あなたの中に、本当に何も残さなかったの?少しも心が揺れなかったっていうの?」けれど、星の返事を待つことなく、優芽利はふっと笑って話し始めた。「お兄さんは、たしかに善人じゃなかった。でも、好きになった相手には本当に優しい人だったのよ。きっと悪いことをしすぎて、報いを受けたんでしょうね。あの人は一生、自分の欲しいものを手に入れられない――そういう運命だったのかもしれない」そこまで言って、優芽利は星のほうへ顔を向けた。「お兄さんは権力争いに手を出す前までは、絵を描くことしか好きじゃなかった。誰かを傷つけたこともなかったし、司馬家に対する野心なんて、これっぽっちもなかったの。でも、私もお兄さんも愛人の子だったから、小さい頃からずっと周りにいじめられてきた。本当に、ひどい毎日だったわ。司馬家の人間がわざと、私たちが愛人の子だって言いふらしたせいで、お兄さんは学校でもずっと仲間外れにされて、いじめられていたの」星は珍しく、ひと言だけ問い返した。「あなたは?いじめられなかったの?」優芽利は答える。「最初は私もあったわ。でもそのあと母が転校させてくれて、過去を知っている人がほとんどいなくなったの」彼女は薄く笑った。「私は女の子だったし、大した脅威にはならなかった。でも、あの人たちにとって一番邪魔だったのは、やっぱりお兄さんだったのよ」星は眉をひそめる。「ただの愛人の子が、そこまで司馬家の脅威になるものなの?」怜央と優芽利の幼い頃の境遇を思えば、二人が相当激しく狙われていたことは分かる。優芽利は肩をすくめた。「普通なら、そこまでじゃないわ。でも、あの立派なお父様が、本当に愛していた女を守るために、私たちの母を盾にしたのよ」星の眉がぴくりと動く。
だが、仁志という男は白黒をはっきりつけるタイプだ。一度会って関係を断った以上、どれだけ騒がれようと、二度と会いに行くことはない。もし優芽利が彼を本気で怒らせれば、痛い目を見るのは彼女の方だ。星はその性格をよく分かっていた。数秒だけ目を伏せて考え、それから言う。「私が行く。案内してくれる?」侑吾はすぐに手配に向かった。一方、星は仁志の元へ向かう。翔太と一緒にいる部屋だ。隠すことなく、そのまま伝える。「仁志、ここで翔太といて。私、侑吾と一緒に優芽利に会ってくる」仁志の手が止まり、振り返る。「俺も行った方がいいか?」星は静かに首を振った。「ううん。大丈夫」少しの沈黙のあと、仁志は頷く。「分かった」そのまま星は侑吾と合流し、優芽利のいる場所へ向かった。車の中で、侑吾が説明する。「前は拓海さんが見張っていたんですが、解放してからは監視も外しています。それでも……出て行こうとしないんです」そこまで聞いた時点で、星はだいたい状況を理解していた。三十分後、車は一軒の別荘の前で止まる。中に入り、侑吾が一室の前で足を止めた。「ここです」星は軽く頷き、静かにノックする。……ここ最近の優芽利は、孤独で退屈な日々を送っていた。星がまだ見つかっていなかった頃は、ほぼ毎日仁志に会えていた。だが今は、この場所には誰も来ない。見張りすらいない。それでも彼女は出て行かない。ただ――仁志に会いたかった。その時、ドアが軽く叩かれた。優芽利の目が輝く。急いで駆け寄り、勢いよく扉を開けた。「仁志、やっと来た――」言葉は途中で止まる。目の前にいたのは、星だった。「……星?」露骨に顔をしかめる。「なんであなたなの?」星は淡々と答える。「何度言っても出て行かないし、ずっと仁志に会わせろって騒いでるって聞いたから、様子を見に来たの」優芽利は冷たく言い返す。「会いたいのは仁志よ。あなたじゃない」星は一歩も引かない。「仁志に少しでも会うつもりがあるなら、今ここに来てるのは私じゃないはずでしょ」その一言に、優芽利は言葉を詰まらせた。しばらくして体をずらし、道を開ける。彼女も分かっている。仁志に対しては、泣こうが喚こうが意味がない。一度切られた縁は、二度と戻らない。星は部屋に入り、ドアを
その日、星と仁志は、翔太を連れて食事に出ていた。すると突然、雅臣から電話がかかってきた。「星、会社のほうでトラブルが起きた。すぐにZ国へ戻らないといけない。翔太はしばらくお前のところにいさせるか、それとも一緒に連れて帰るか、どうする?」星は、隣にいる翔太に視線を向けた。「翔太、パパは急いでZ国に戻らなきゃいけないんだって。一緒に帰る?」翔太はすぐに星の腕にしがみつく。「せっかくママに会えたんだから、まだ帰りたくない」星は軽く息をつき、電話口に向かって言った。「翔太、まだ戻りたくないみたい。じゃあ、しばらく私のところにいさせるね。もし忙しくて迎えに来られなかったら、そのうち私が送り届けるよ」ちょうど彩香も一か月の休みを取っていた。帰る時は一緒に戻ることもできる。M国に来てからというもの、星は長いこと帰国していなかった。雅臣は短く答えた。「分かった。もし送れない時は一言知らせてくれ。誠を向かわせる」それで話はまとまり、通話は切れた。通話を終えたあと、星はそのまま仁志にも事情を伝えた。仁志も特に反対はしなかった。……星と仁志の関係が深まってからというもの、仁志が床で寝ることはなくなっていた。翔太が泊まりに来るのは久しぶりだ。だから今夜くらいは、少しゆっくり休めるかもしれない――そう思っていた。だが、風呂上がりの彼女を、仁志が背後からいきなり抱きしめ、そのまま唇を奪ってきた。星は顔をそらしながら、小声で注意する。「仁志、翔太が隣の部屋にいるのよ」仁志は低くかすれた声で答えた。「ああ。でもこの家、防音しっかりしてるから、聞こえないよ」星は思わず言葉を失う。……そういう事じゃないでしょ。ちらりと時間を見る。まだ九時を少し回ったばかりだ。思わずまぶたがぴくりと動いた。今日は早すぎる。毎晩こんな調子では、本気で体がもたない。翔太を理由に断るつもりだったのに、まったく通じない。仕方なく言う。「仁志、明日朝早いの。会議があるから、今日はもう休みたい」すると仁志は彼女を軽々と抱き上げ、甘く囁いた。「二回だけ」即答する。「一回」仁志は譲らない。「明日の夜は早く寝かせる」星は冷静に返す。「信用できない。一回だけ。約束しないなら、翔太の部屋で寝るから」仁志は唇を引き結び、少し不満そうな顔
浩太の失踪――それがいったい、星とどう関係しているというのか。星には、揺るぎないアリバイがあった。小林夫妻は、「星が浩太を誘拐した」と頑なに主張する。だが星も、一歩も引かない。むしろ浩太の両親こそ、責任を逃れるために、わざと息子をどこかに隠して、自分たちの前で芝居を打っているんじゃないかと。そのとき、雅臣が静かに口を開いた。「星から伺いましたが、小林家と雲井家は、代々のお付き合いだそうですね。それなのに浩太さんは、こんな下劣な真似をしました。挙げ句の果てには動画まで撮って、星をゆすろうとしていました。この件について、小林家として星にきちんと筋の通った説明をしていただ
優芽利は一瞬、言葉を失い、思わず口にした。「兄さん、何か誤解しているんじゃない?仁志とは無関係でしょう。恨みもないのに、どうして兄さんを狙うの?」怜央の声は、まるで歯の隙間から絞り出されるようだった。「......あいつは、星のためにやった」「星のため?」優芽利はそれを聞いて、かえって笑った。「兄さん、それは本当に誤解だと思うわ。少し前に、彼の一族で問題が起きて、仁志は急いで戻って対応していたの。溝口家の周辺にいる人たちから聞いたけど、ここ二、三日でようやく騒動が収まったばかり。そんな状況で、兄さんのところに来る余裕なんてあるはずがないわ。それに
「私は母のお腹から生まれた娘よ。それのどこに恥じるところがあるの?言いたいなら、どうぞ言えばいいわ。令嬢なんて虚名にすぎないもの。そんなつまらない称号のために、実の母を否定したりしないわ」怜央がこんな言葉を聞いたのは、生まれて初めてだった。そのとき、どう返すべきかすら分からなかった。彼は当然、明日香が名誉を最も重んじると思っていた。だが明日香は、それをまるで意に介していなかった。明日香は続けた。「さっき叔父さんと話していた内容、あなたも聞いていたでしょう。私の母は、父の命を救った人よ。父は記憶を失ったあと、母と恋に落ちたの。母は、父に家庭があ
怜央は、通話が切れた電話を見つめ、視線を揺らした。――仁志は、本当にこちらの行動を把握しているのか。――それとも、ただのブラフか。怜央は、位置を特定されるのを避けるため、そもそも携帯電話を身につけていなかった。何かあれば、部下の電話を使えば済む。一方、朝陽は昼頃、怜央に急遽呼び出されたばかりだ。事情も分からず来たため、当然のように携帯を持っている。そもそも、仮に怜央が携帯を持ってくるなと言ったとしても、朝陽が従うはずもない。二人はそこまで親しい間柄ではない。もし、怜央に手を出されたとしても、助けを呼ぶことすらできなくなる。朝陽は、怜央と仁志のやり取りを、







