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第795話

Author: かおる
「もし本当にやらせたら......さすがにやりすぎよね」

星は自国の選手ということもあり、大多数の観客が彼女を応援していた。

とはいえ、ハリーを崇拝する者たちもいる。

当然、異なる声も上がった。

そこへ、司会者の声が場内に響く。

「それでは、勝者の星野さん。

皆さんへ一言お願いいたします」

星はマイクを受け取り、穏やかに微笑んだ。

「いつも応援してくれる皆さん、ありがとうございます。

私とハリーさんの賭けは、皆さんもよくご存じだと思います。

私が負ければ、この業界を去り、二度とヴァイオリンに触れない。

ハリーさんが負ければ、私の母・夜と、先輩である奏に謝罪し――

さらに、跪いて犬の真似をする」

その言葉は、会場を一瞬で揺さぶった。

皆、賭けの内容ばかりに気を取られ、深く考える余裕がなかったのだ。

しかし今――

「母親と先輩に謝罪......?

ってことは、ハリーは星野のお母さんを侮辱したってこと?」

「ハリーならやりかねないわ。

あの性格だもん」

「星野の母って星野夜でしょ?

亡くなった人まで侮辱するとか......最低すぎる!」

「謝罪させろ!

跪いて犬の真似させろ!」

「そうだ、犬の真似だ!」

野次馬根性むき出しの観客が、口々に叫び始めた。

星はその声から視線を外し、鋭く自分を睨むハリーへと視線を向ける。

「でも......ハリーさんはワーナー先生のお弟子さんで、業界を代表するヴァイオリニスト。

ここまで辱める必要は、少し行き過ぎかもしれません」

その言葉に、ハリーの顔にわずかに安堵と、いつもの傲慢さが戻る。

――やはり星は自分を恐れている。

自分の立場を脅かす度胸など、あるはずがない。

そう思った次の瞬間。

星がふいに言葉の刃を翻した。

「だから、ハリーさんにもう一つ選択肢を差し上げます」

星は微笑みながら、まっすぐハリーを見つめた。

「ハリーさんは私に『引退しろ』とおっしゃいましたよね。

もしハリーさんご自身がこの業界を去り、一生ヴァイオリンに触れないと約束してくださるなら――

謝罪も、犬の真似も、私は求めません」

......ハリーは笑う暇もなかった。

表情が固まったまま、動かない。

引退?

そんなこと、できるはずがない。

この地位を築くために、どれほどの年月を費やしたと
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Comments (1)
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YOKO
星ちゃん‥素敵過ぎる。やっぱり...︎スターですね。
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