身を捩っても抜け出せないくらいの強い力でロバートが抱きしめてくる。
「ロバート国王陛下、おやめください。今の私は婚約者がいる身です」
自分の発言に、なぜランスロット様が私なんかを婚約者にしたのか気がついてしまった。彼は私を愛しているから婚約者にしたのではなく、私の事情を知り同情しロバートから守る為に婚約者にしたのだ。
彼の優しさに気がつき明らかに彼に惹かれ始め、一緒になれると心が浮ついていた。 心が急速に沈んでいく。 よく考えれば、私なんかをランスロット様のような方が愛してくれる訳がない。「ランスロット・アイリーと結婚⋯⋯仮に本当に彼と結婚したとして、君にアイリー公爵夫人が務まるのか? オリタリア帝国の貴族令嬢やご夫人方を纏めあげ監督しなければない立場だぞ」
「私はオリタリア帝国でお役に立てるように頑張ります⋯⋯だから、陛下は私を放っておいてください」手で思いっきり彼の胸を押し返そうとしても、ビクともしない。
「また、寝ながら泣いていたのか⋯⋯可哀想に。涙の跡が頬に残っているぞ。オリタリア帝国の貴族は人前で泣いてはならぬらしい。僕は君の泣き顔が愛おしいがな」
彼はまた私の言葉がまるで聞こえないように、自分のしたい事をし始めた。 涙の跡にそっと口づけされ、恐怖で体が硬直する。「もっと、見せてくれ君の泣き顔を」
顎を右手の人差し指で上げられ、目を合わせさせられる。 愛おしいと言いながら、私の心臓を凍らせるような冷たいブルーサファイアの瞳。 私は思わず目を逸らした。 「陛下にもう私を見て欲しくもありません。陛下はいつも私の質問に応えてくれませんよね」 「まさか、いつも従順だった君が拗ねるとこが見られるとはな。では、質問に応えてやろう。エミリアンを取り出した産婆は今、地下牢にいる。君が僕とスペンサー王国に戻るなら、牢から出してやるぞ」 私を救ってくれた恩人が地下牢にいる。 (本当に? 殺してない?)監禁されていた時は全ての疑いから目を逸らしていた。
しかし、この1ヶ月半で私の心は回復していたようだ。 「私を欺いていた陛下の言葉など信じられません」 「恩人を見捨てるのか。天使のような顔をして、ランスロット・スペンサーの持つ宝石に目が眩んだか? でも、そのような君も愛おしい。僕は君の全てを独り占めしたいのだ。僕と一緒にいれば、エミリアンと会えるぞ」彼は再び私を骨が折れる程強く抱きしめながら、耳元で甘く囁いてきた。
(エミリアンには、ランスロット様が会わしてくれると言ったわ)私はなぜだかランスロット様の言葉は信じられた。
「妻の願いは全て叶える」なんて、淡白そうな彼からは想像できないロマンチックな言葉。 そのような言葉をくれる男の妻になれたら夢のようだ。「エミリアーナ様との間に生まれた、サマルディー王国との友好の証の王子様ですね。いつかお目にかかりたいものですわ」
深呼吸してから私が言った言葉に、ロバートは心底驚いたようだ。 私から一歩距離を取り、まじまじと顔を見てくる。「皮肉? 君は今、この僕に嫌味を言ったのか?」
「嫌味ではありません。お祝いの言葉です」 「そのような事を言うのは、僕のカリナではない!」突然、両手首を纏め上げられ拘束されベッドに押し倒される。
エミリアーナ王妃が亡くなったと聞いた日に陛下に押し倒された時のことがフラッシュバックした。 あの時も私は驚いて、初めは必死に抵抗した。 しかし、陛下はビクともしなくて、私は彼も苦しんでいるのだと自分を納得させ抵抗するのを諦めた。「いや、やめてー!」
思いっきり大声を出すと扉が勢いよく開き、短剣がロバートの首に突きつけられているのが見えた。「レベッカ嬢、これはどういう事ですか?」
「それは、こちらの台詞ですわ。ロバート国王陛下、オリタリア帝国を敵に回すつもりがあって、私のお義姉様になる女性に手を出そうとしているのですか?」ロバートは私から手を離し、レベッカ様に対峙した。
いつも優しい女神のようなレベッカ様の瞳が、凍てつく太陽のように怒りで燃え上がっている。「いえ、彼女と僕はスペンサー王国からの仲でして⋯⋯」
「スペンサー王国では、国王は国の女性を皆自由にして良いのですか? 随分と我がオリタリア帝国とは文化が異なるようですね。私の感覚からすると、失礼ですが非常に野蛮に感じますわ」レベッカ様に睨まれ、ロバートはバツが悪そうに肩をすくめ部屋を出て行った。
「大丈夫? セーラ」
私を起こしてレベッカ様が抱きしめてくる。 柔らかく優しい香りにホッとした。 「申し訳ございません。レベッカ様⋯⋯私はセーラではありません」 「訳ありで偽名を使っていることは、気がついていたわ。何があったか話してくれる? お兄様もあなたと結婚すると言い出すし、実は状況が全く飲み込めてないの」レベッカ様は私の隣に座り、手を握りしめながら目を見つめてきた。
琥珀色の瞳が優しい光を放っていて、見ているだけで心が落ち着いていく。 (話そう、本当のことを⋯⋯軽蔑されても彼女にもう嘘をつきたくない)私が拾った天使さんの名前はカリナ・ブロアだったらしい。 彼女の真実を聞いた時、私は言いようのない怒りと憎しみの感情に襲われた。 彼女は純潔を強引に奪われ、子を孕まされ奪われ、殺されそうになって逃げた。 それなのに彼女からは憎しみや復讐心を感じない。 普通に生活していたら経験しないような不幸な目に合っているのに、ひたすらに自分のせいだと語る彼女に違和感を感じた。 カリナが天使のように見えたのは負の感情が欠落しているから? 私は今すぐにでもロバート・スペンサーの首を掻っ切りに行きたい。 たとえ彼を勢い余って殺してしまっても、お兄様なら上手く隠蔽してくれる。 ♢♢♢ ケントの故郷スペンサー王国は高地というだけあって乾燥していて空気が薄かった。(コマクサ、ワタキスゲ⋯⋯) 彼が美しいと語っていた高山植物は彼のように地味だった。 霧が立ち込めるなか、遠くの方に白い何かが横たわっているのが見えた。 導かれるように近づくと、真っ白な肌をした銀髪の女の子が倒れていた。 薄手の純白シルクの寝巻きが真っ赤な血で染まっている。 足にも血が伝っているのが分かった。(な、何? なんでこのような場所に⋯⋯天使が地上に降りた時に着地に失敗した?) 動揺しつつも私は医師を呼んだ。 オリタリア帝国から1ヶ月もの長い旅程になっていたから、医師を帯同させていたのが幸いした。「レベッカ様、どうやらこの女性は出産されたばかりのようですね」 医師の診断は私の予想を超えていた。 「出産? ちょっと待って、子供はどこ? それに出産って⋯⋯こんなに血が出るものなの?」「通常よりも多量に出血しているので、貧血で倒れたのでしょう。血の匂いを嗅ぎつけ狼が寄ってくる前にここを立ち去りましょう」 周囲を見渡しても赤子は見当たらなかった。 倒れている女の子の顔は涙の跡でぐちゃぐちゃだ。(明らかに訳ありね⋯⋯) 遠くで狼の遠吠えがする。
身を捩っても抜け出せないくらいの強い力でロバートが抱きしめてくる。「ロバート国王陛下、おやめください。今の私は婚約者がいる身です」 自分の発言に、なぜランスロット様が私なんかを婚約者にしたのか気がついてしまった。 彼は私を愛しているから婚約者にしたのではなく、私の事情を知り同情しロバートから守る為に婚約者にしたのだ。 彼の優しさに気がつき明らかに彼に惹かれ始め、一緒になれると心が浮ついていた。 心が急速に沈んでいく。 よく考えれば、私なんかをランスロット様のような方が愛してくれる訳がない。 「ランスロット・アイリーと結婚⋯⋯仮に本当に彼と結婚したとして、君にアイリー公爵夫人が務まるのか? オリタリア帝国の貴族令嬢やご夫人方を纏めあげ監督しなければない立場だぞ」「私はオリタリア帝国でお役に立てるように頑張ります⋯⋯だから、陛下は私を放っておいてください」 手で思いっきり彼の胸を押し返そうとしても、ビクともしない。「また、寝ながら泣いていたのか⋯⋯可哀想に。涙の跡が頬に残っているぞ。オリタリア帝国の貴族は人前で泣いてはならぬらしい。僕は君の泣き顔が愛おしいがな」 彼はまた私の言葉がまるで聞こえないように、自分のしたい事をし始めた。 涙の跡にそっと口づけされ、恐怖で体が硬直する。「もっと、見せてくれ君の泣き顔を」 顎を右手の人差し指で上げられ、目を合わせさせられる。 愛おしいと言いながら、私の心臓を凍らせるような冷たいブルーサファイアの瞳。 私は思わず目を逸らした。「陛下にもう私を見て欲しくもありません。陛下はいつも私の質問に応えてくれませんよね」「まさか、いつも従順だった君が拗ねるとこが見られるとはな。では、質問に応えてやろう。エミリアンを取り出した産婆は今、地下牢にいる。君が僕とスペンサー王国に戻るなら、牢から出してやるぞ」 私を救ってくれた恩人が地下牢にいる。(本当に? 殺してない?) 監禁されていた時は全ての疑いから目を逸らしていた。 しかし
「エミリアーナ! カリナを逃したのか?」 僕は急いでエミリアーナの部屋に向かい問い詰めた。 産婆はカリナの行方を頑なに吐かなかったが、隠し通路の方に血の跡が続いていた。 エミリアーナは赤いベロアのソファーに腰掛け足を組み、グラスを傾けながら赤ワインを飲んでいた。 随分と長い時間飲んでいるのか、彼女からむせ返るような強い酒の匂いがした。 彼女は僕の問いかけに慌てるそぶりもなく、唇の端をあげてニヤリと笑った。 「カリナを逃したのは産婆ですわ。ただ、カリナに騙された事を認識させ長い通路を抜けた先で獣の餌になる絶望を与えてみたいと考えたことはありますが⋯⋯」「⋯⋯!!」 僕は目の前の悪魔のような女の言動に絶句した。(カリナには心を許して、別れを惜しんでいるように見えたのに⋯⋯)「ロバートも私に隠れてカリナを愛でる部屋を作っていたようですね。それでは彼女は自分の不幸に気がつけませんわ。実は私は彼女が大嫌いなんです。この私に烏滸がましくも同情しているのですよ。だから、教えてやったのです。あなたの方がずっと可哀想よって!」「僕は生まれた赤子に何かあった時の為に、カリナを残して置こうと思っただけだ。僕はいつも国の為に動いている」 カリナを生かすリスクは理解していた。髪色、目の色だけでなく顔立ちも彼女に似て来たら疑惑の目を持たれないとも限らない。だから、わざわざ僕しか入れない彼女を隠す部屋を作った。「国の為? 良いでしょう、そういう事にしといてあげますわ。子も生まれた事だし、離婚しましょう。最初から男の子を産むなんてカリナは本当に良い子でしたわ」「離婚?」 エミリアーナの元からの計画には離婚も含まれたのだろう。 飲み過ぎているせいか目が座っているが、口調はしっかりしている。彼女は淡々と用意していたように言葉を紡いだ。「生まれた赤子の名はエミリアンにしましょう。私の代わりに人質として使ってくださいな。カリナを探しても無駄だと思いますよ。あの子、骨まで美味しそうだし跡形もなく獣に食べられているでしょう」 一瞬カリナに
ロバート・スペンサーは、カリナとの馴れ初めを思い出していた。 彼女は彼にとって唯一王でもない自分を求めてくれる必要な存在だった。 スペンサー王国の地下資源を狙い、いつ戦争を仕掛けてくるか分からないサマルディー王国。 2カ国は話し合いで解決できないくらい多くの問題でぶつかり合ってきた。 貴族たちからのすすめもあり、人質としてエミリアーナ・サマルディー王女を娶る事に決めた。 当時22歳のエミリアーナ・サマルディーの初対面の印象はあまり良いものではなかった。 彼女は贅沢を好み、暇さえあれば宝石を買い漁った。 臣下にはキツくあたり、スペンサー王国の貴族と友好関係を築こうともしない。 政略結婚とはいえ、彼女と夫婦を続けなければならない事を思うとため息が漏れた。 一大行事である国婚を終え、深夜に王妃の寝室に行くとエミリアーナは中が透けて見えそうな夜着を着てベッドに横たわっていた。 まだ、今日の最後の行事である初夜が残っていると思うとため息が漏れた。「ロバート、面倒に思うなら何もしなくても良いのですよ。するだけ無駄ですから⋯⋯」「するだけ無駄とは、もしかして不妊の王女をサマルディー王国は送り込んで来たのか?」「正解ですわ。勘はよろしいけれど、大切な事実に気がつくのが遅すぎますわね。その少しの遅れが命取りですわよ」 エミリアーナはベッド横の引き出しから小瓶を取り出して、ベッドに赤いサラっとした液体を垂らした。「馬の血です。初夜が滞りなく行われ、私が純潔を失った証が必要ですから。まあ、私はとっくに純潔など失ってますわ。そもそも幼い頃に受けた暴行が原因でこのような体になったのですから⋯⋯」 エミリアーナは周囲の人間を深淵に引き摺り込むような暗い瞳をしていた。 王女に暴行? 一体誰が⋯⋯何がサマルディー王国で起こっているのだろう。「なぜ、今、種明かしをしているのだ? 待てど暮らせど跡継ぎができない事で我が国が混乱することを見越して、そなたが嫁いで来たのであろう?」 サマルディー王国が一夫多妻制をとっているのに対
カリナは夢の中にいた。 幸せだった時の記憶を夢の中で手繰り寄せるのが彼女の蘇生術だった。 目の前には下女に過ぎなかった自分を侍女に取り立ててくれた、エミリアーナが微笑みながら自分を見ている。 『カリナ、本物を見極める力をつけるのよ』 エミリアーナが目の前に沢山の金色の宝石を並べる。 『さあ、この中でイエローダイヤモンドはどれでしょう』 『えっと、こちらの石でしょうか?』 とても透明感があり、高級そうに見えた右から2番目の宝石を指差す。 『それは宝石の中で最も歴史が深いと言われる琥珀よ。摩擦によって静電気を帯びる性質を持っているから幸運の石とも呼ばれるの。イエローダイヤモンドはその隣にある石』 『どの石も、とても綺麗に見えます』 彼女の言葉にエミリアーナは、「カリナらしい」と言って笑った。『カリナ、よく聞いて。宝石の区別がつかないと貴族としては本物を知らないと馬鹿にされるわ。左からシトリン、琥珀、イエローダイヤモンド、ゴールデンベリル、トパーズ、イエローサファイア⋯⋯』 エミリアーナはその後もそれぞれの宝石の特徴を、石言葉と共に細やかにカリナに説明した。彼女は宝石の並び位置を入れ替えて、カリナに再び質問をする。『カリナ、では、琥珀はどれでしょう?』『え、えっと⋯⋯』 カリナはエミリアーナが丁寧に時間を掛けて説明してくれたのに、ここで間違った答えを出すわけにはいかないと緊張して固まってしまった。 カリナの手にエミリアーナはそっと琥珀を握らせた。 黄金に輝く見た目とは異なり驚くような軽さだ。『琥珀は宝石の中で最も軽い石。よく目を凝らしても分からないなら触れてみなさい。自分には理解できないと目を逸らしていてはダメよ』 真剣な目で語り掛けてくるエミリアーナの姿にカリナは感動を覚えた。 記憶にある限り自分にこれ程、丁寧に向き合ってくれた人はいない。『エミリアーナ様、私なんかの無知の為に貴重なお時間を割いて頂きありがとうございます』『私なんか? 聞き捨てならないわね。あなたは私の侍
「ただ、名門アイリー公爵家ともなると、結婚相手の選定は難しくなるはずだと余計なお節介を口にしてしまいました」 私は初めて人間らしく狼狽えるロバートを見た。 彼はいつも何を考えているか分からなくて私を不安にさせた。 そのせいで私は彼を逆らえない巨大な存在のように感じていた。(自分の失言に狼狽える、普通の男だわ⋯⋯)「選定? 家の為の結婚をしなければならないと考えた事はありません。アイリー公爵家と縁を持ちたい家門は多いですが、こちらは必要としてませんので。将来的に我が妹がオリタリア帝国の皇后になりますが、ロバート国王は我が家門の心配を? それともオリタリア帝国の行く末を心配なさってるのでしょうか」 淡々と語るランスロット様の言葉の通りだ。 アイリー公爵家はオリタリア帝国の皇家より歴史が深い伝統のある名家だ。 その上、レベッカ様は次期皇太子妃に内定している。 カイゼル・オリタリア皇帝陛下は近々譲位する事を考えているともっぱらの噂だから、レベッカ様が帝国の女性最高地位である皇后に即位する日も近い。 富と権力を持ち平和と安寧を築いているオリタリア帝国のアイリー公爵家に対して、ロバートの物言いは的外れで失礼だ。「し、支度金を用意できないのではないかと心配しているのです。カリナの両親は亡くなっていて、預けられた親戚の叔母の家は貧しく借金まみれです。カリナも王宮での給与は全て借金返済に回してました」 私は自分のプライベートな事情をロバートに知られていることに驚いた。「支度金? お金の話をするのは下品だというのが父上からの教えなのです。オリタリア帝国とスペンサー王国では常識が違うのでしょうか?」 ランスロット様がほくそ笑む。 威圧感、飄々とした態度。 彼を前にするとロバートが私を自由にできる国王ではなく、どこにでもいる男に見える。「いえ⋯⋯ただ、カリナはその⋯⋯僕と⋯⋯」「いい加減、私の妻になる女性を恋人のように呼ぶのはやめて頂けませんでしょうか。辛抱強いと自負しておりましたが、流石に我慢の限界かもしれません」 瞬間、