清の父がその高級ワインに目を輝かせている様子を見て、清の母はすっかり呆れたように肘で彼の脇腹を突いた。「やめなさいよ!まるで一生ワインなんて見たこともないって顔して。今年、あなたの同級生が一本くれたでしょ?」つまり、そんなに大層なものじゃないと訴えたかったのだ。あまりにも簡単に機嫌を取られたような態度を見せる夫に、清の母は不機嫌を隠せなかった。だが清の父は至って真剣な顔で、訂正した。「これはあの時のとは違う」その一言に、清の母の顔がさらに不機嫌になった。空気が重くなる中、清の父はようやく不満げに口を閉じた。だが、ここまで来ると清の母も「持って帰って」とは言えなくなってしまい、咳
電話の向こうでは、母親の愚痴が止まらなかった。その間に、彼の腕の中にいた梨花は力が抜けたように、全身から力が抜けて、床へとずるずる滑り落ちていった。それを見た清は、これ以上聞いていられず、声を低くして言った。「じゃあ、母さん、これで切るよ」そう言って電話を一方的に切り、すぐに彼女を抱き起こした。「梨花、母さんの言ってたことなんて気にするなよ。母さんは事情も、君のことも何も分かってないんだ」「でも、彼女はあなたのお母さんよ。お母さんに逆らえるの?」梨花は彼を見つめ、問い詰めた。清はしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。「……逆らえる」思いがけない答えに、梨花は一瞬目を
それから十五分近く経って、ようやく孝典が部屋から出てきた。だが、その表情には一切の変化がなかった。入っていった時と同じ無機質な表情のまま、出てきたのだ。交渉が成立したのか、それとも決裂したのか――外からはまったく読み取れなかった。周囲の社員たちも、ざわざわと憶測を飛ばし合っていた。「俺はダメだったと思うな。社長の性格、みんな知ってるだろ。普段は温厚でも、いったん腹を決めたら、テコでも動かないタイプだし」「でもさ、もしかして成功してたりして?」「はっ、そんなら賭けでもしようか?」清が正式に発表するまでは、社員たちの間ではただの推測でしかなかった。だが、梨花だけは違う。彼女には直接、
だが、視線がある一点に触れた瞬間、梨花の笑顔は凍りついた。孝典が数人を引き連れて、ちょうど受付に差し掛かったところで足を止め、鋭く深い目を彼女に向けてきたのだ。心臓がいきなり激しく跳ねる。梨花は慌てて視線をそらした。彼女の顔色が急に悪くなったのを見て、そばの社員が心配そうに声をかけた。「副社長、大丈夫ですか?」梨花は蒼白な顔で首を振った。「……なんでもないわ、行きましょう」帰り道、彼女はさっきの光景をどうにか振り払おうとした。しかし、脳裏には何度も繰り返し浮かんできた。――気がつけば、孝典はいつの間にか、彼女の悪夢になりつつあった。彼はなぜまた現れたのか?これだけ傷つけてお
清が「会社でトラブルがあって」と言ったとき、梨花は当然気になっていくつか尋ねた。だが、彼は何も話そうとしなかった。結局、梨花は折れるしかなかった。「……わかった。なるべく早く帰ってきて」電話を切った直後、扉がノックされた。それと同時に、外から心配そうな家政婦の声が聞こえてきた。「奥さま、スープを煮込みましたけど、少し召し上がりますか?」梨花はドアを開け、スープをテーブルに置いてもらった。本来ならそれで彼女はすぐに部屋を出るはずだった。だが、その場を離れる前に、何か言いたげに立ち止まった。「春川さん、どうかしたの?」梨花が声をかける。春川は少し間を置いてから話し始めた。「実
その言葉を聞いた瞬間、土屋家の人々は誰ひとり口を開こうとしなかった。男が誰かの前で膝をつくというのは、それほどまでに重い意味を持つ。本気で愛していなければ、こんなことはできない。清は、自らの行動で梨花への変わらぬ想いを示したのだった。そしてそのとき、梨花はすでに嗚咽を止められずにいた。泣き続ける彼女の姿に、とうとう梨花の父と母も心を動かされ、最後には折れるようにして許しを与えた。「連れて帰ってあげなさい」帰り道、清はずっと梨花に対して気遣いを見せていた。けれど、二人の間にはどこかぎこちない空気が漂っていた。まるで、見えない壁が静かに横たわっているようだった。ふと、梨花はさっき