奥様が夫と子を捨てる？結城社長、狂乱！

「胎児の心拍が停止しています。ご家族に連絡して、稽留流産手術の同意書にサインをお願いしてください」

医師の言葉を聞き、望月美琴 （もちづき みこと）はベッドから起き上がった。全身が、まるでガラス人形のように脆く、凍りついた。

先月初め、結城司（ゆうき つかさ）が酒に酔って帰宅した。普段とは違い、彼女を優しく抱き寄せ、ベランダからリビング、そして寝室へと導いた。最初はコンドームをつけていたはずなのに、時間が経ちすぎたのか、あるいは不快に感じたのか、途中で眉をひそめて外してしまった。

美琴は、淡い期待を抱いていた。排卵期ではなかったから、まさか、と。

司はずっと美琴との親密な関係を避けていたし、これ以上子供を理由にこれ以上関係を続けることはないと、はっきり言っていた。だから、この子が生まれることを、彼以上に、美琴自身がこの子の誕生を望んでいなかったのかもしれない。

それでも、妊娠を知った時、彼女は隠しきれない喜びを感じた。この子なら、息子がずっと欲しがっていた妹かもしれない、と。

結城龍旭（ゆうき りゅうひ）はいつも妹が欲しいとねだっていた。もう一人産んで、彼を喜ばせてあげたい。兄弟がいれば、寂しくないだろう、そう思ったのだ。

この一ヶ月、司はほとんど家に帰ってこなかった。美琴がどれほど苦しんでいたか、誰も知らない。毎日、この子を産むべきか、どうやって司に妊娠を告げるべきか、葛藤し続けていた。

ようやく決心がついたのに。今回の検診が終わったら、夫にこの妊娠を告げようと思っていたのに。

まさか、こんな結末が待っているなんて、夢にも思わなかった。

稽留流産。なんて、聞き慣れない言葉だろう。

美琴は長い間、何も言えずにいた。

医師に促され、彼女は震える手で司の番号をダイヤルした。

繋がったかと思えば、すぐに切られた。

かけ直すと、今度は通話中。美琴は悟った。またマナーモードに設定したのだ、と。

仕方なく、彼の仕事用の携帯にかけた。

今度はすぐに繋がった。しかし、聞こえてきたのは司の苛立ちを含んだ声だった。「まだ何かあるのか？今、忙しいんだ。よほどの用事じゃなきゃ困る」

稽留流産を知らされてから、美琴はベッドに呆然と座り込み、十数分間、涙一つ流さなかった。しかし、この一瞬、美琴の視界はぼやけ、長年溜め込んできた悔しさが溢れ出し、すべてが涙となって流れ落ちた。

司と結婚して五年。想像していたような幸せは、そこにはなかった。

これほど長く耐えられたのは、きっとまだ彼を愛していて、いつか彼が応えてくれると期待していたからだろう。

結婚式の夜、彼女は一人、空っぽの寝室で夜を明かした。

龍旭を産んだ時も、司は出張中で、連絡すら取れなかった。

でも、一度結婚してしまえば、そう簡単に諦めるわけにはいかない。だって、子供はもう四歳なのだから。

この数年間、司は子供に対して父親としての義務は果たしても、彼女に笑顔を見せることは一度もなかった。

どんなに大きな恨みも、時間と共に薄れ、美琴自身もすっかり麻痺してしまっていた。

でも、夢はいつか覚めるものだ。

美琴は今、驚くほど冷静だった。一言一句、噛みしめるように告げた。「今、病院に来てサインしてくれないの？私たちの子供が、いなくなったわ」

余計な説明も、個人的な感情も一切交えず、ただ事実を伝えるだけ。

しかし、司は美琴の言葉を信じようとしなかった。声のトーンが上がった。「何だと？また何を企んでいるんだ？」

彼は数秒反応に遅れ、そして続けた。「まさか、先月の一度きりで妊娠したとでも言うつもりか？美琴、嘘にも限度がある。あの時、お前は薬を飲んだはずだ」

美琴は、まるで雷に打たれたような衝撃を受けた。

あの夜の後、美琴の意識はほとんど朦朧としていた。うっすらと、司が水を飲ませてくれたことだけは覚えていて、その後の彼の珍しい優しさに、狂喜したことも。

彼のその言葉を聞いて、ようやく美琴は気づいた。自分がいかにとんでもない間抜けだったか、と。

「司、早く来て！たまちゃんがもうすぐ生まれそうなの！すごく苦しそうで、どうしたらいいか分からないわ！」

電話口から聞こえる焦った女性の声に、美琴は言いたかった言葉を飲み込み、一瞬にして我に返った。

彼女の妊娠や出産にさえ無関心だった人が、今、彼女が妊娠し、しかも掻爬手術が必要だと知って、どれほどの心配をしてくれるというのだろう？

信じるか信じないかなんて、もうどうでもいいことだ。

司の忍耐は、もはや限界だった。「俺は忙しい。大した用じゃないなら、切るぞ」

生理的な反応で、美琴は痙攣するような痛みに襲われた。太ももを抓りながらも、口元は笑っていた。自分の滑稽な幻想を嘲笑うかのように。

この何日もの間、彼の行方を知らなかったけれど、まさか蒼井紅空（あおい くれあ）のところにいたなんて。

しかも、「たまちゃん」とは、紅空の飼い猫のこと。

今の彼女の境遇は、紅空の飼い猫一匹にも及ばないかもしれない。

「パパ、早く来てよ！誰の電話をそんなに長くしてるの？紅空おばさんが、たまちゃんは難産で命が危ないって言ってるよ！」

同時に、彼女は息子の声を聞いた。

この父子二人は、紅空のところにいたのだ。

美琴は携帯を強く握りしめ、結局、電話を切った。

医師は美琴の顔色が優れないのを見て、「望月様......」と尋ねた。

美琴は顔を上げ、落ち着いた声で言った。「家族に連絡しなくても、手術はできますよね？」

女性医師は、先ほどの電話で美琴が結婚生活でどのような立場にいるのかを察し、同情して慰めた。「まだお若いんですから、お子さんはまた授かりますよ」

美琴は痛みを堪えながらも、きっぱりと言い放った。「もう、子供は望みません」

司との結婚生活がどんなものか、痛いほど分かっていた。

もし、息子がいなければ、そしてそれが彼女にとって唯一の希望でなければ、きっとこれほど長くは耐えられなかっただろう。

翌日、美琴はようやく家に戻った。

手術を終え、体はひどく衰弱していた。医師からは数日入院するよう言われたものの、美琴はそれを聞かなかった。

「お帰りなさいませ、奥様？」

使用人は、ひっそりと帰ってきた美琴に慌てて駆け寄り、彼女の顔色が青白く、元気がないのを見て、心配そうに尋ねた。「どうなさいました？お体の具合でも悪いのですか？」

美琴は顔を上げた。その瞳には、まだ疲労の色が濃く浮かんでいる。「大丈夫よ。たぶん、よく眠れなかっただけわ」

「ねえ、みんな見てよ、どれが可愛いかな？ちゃんと選ばなきゃ。これ、たまちゃんの赤ちゃんへのプレゼントなんだ」龍旭は裸足でソファに座り、タブレットを抱えながら子猫の服を選んでいた。

困惑した様子で、その幼い顔は、時には眉間に皺を寄せ、時にはキラキラと輝いていた。

帰ってきた美琴には、全く気づいていないようだった。

美琴は一週間、息子に会っていなかった。

とても、恋しかった。

美琴は疲れた体を引きずって近づき、息子を抱きしめようと、「龍旭！」と呼びかけた。

龍旭は顔を上げず、タブレットの画面を指で滑らせていた。美琴の手が伸びてくるのを見ると、彼は無意識に身をよじり、抱きしめられるのを拒んだ。

眉間には微かに皺が寄り、彼女の触れることを少し嫌がっているようだった。

息子が拒絶するような態度を見て、美琴は宙に浮いた手を無理強いすることなく、そっと下ろした。

「ママ、どうして今日帰ってきたの？」龍旭はタブレットを見ながら言った。

美琴は唇をきゅっと引き結び、龍旭を見つめた。

心の中には、やはり少しの寂しさが募った。

「ママ、お帰り」ではなく、「どうして今日帰ってきたの？」だった。

まるで、彼女が帰ってくるのが早すぎたかのように。

でも、この何日もの間、彼女は毎日息子のことを思っていたのに。

美琴はそれでも、彼のスリッパを取りに行き、彼の足元に置いた。

「ママが帰ってきたなら、ちょっと見てよ。僕が選んだこの何着か、どれが一番似合うかな？たまちゃんがね、可愛い子猫を五匹も産んだんだよ」紅空の猫の話になると、龍旭は初めて興味を示し、美琴の方をちらりと見た。

電話の中でも、現実の生活でも、紅空とはどうにも縁が切れないようだ。

美琴の夫も息子も紅空を慕っている。それは当然、美琴の心に深く刺さった棘となった。

何も言わなかったけれど、心の中は穏やかではなかった。

美琴はそれでも、何事もなかったかのように振る舞い、彼のタブレットを指差した。「これ、どう？」

龍旭は眉をひそめて言った。「これ、すごくダサいよ。ママ、本当にセンスないんだから。やっぱり僕が自分で選ぶね」

美琴は、言葉を失った。

「龍旭」

美琴は再び息子の隣に座り、この一週間、構ってやれなかった分を取り戻そうと、笑顔で言った。「明日、ママは休みだから、一緒にどこかへ......」

「ママ、ちょっと黙ってて。今、大事なことしてるんだから」

龍旭の意識は美琴には向いていなかった。彼女とは距離を保っていた。

そして突然立ち上がり、目の前にいた美琴を押し退けた。「これはね、紅空おばさんに内緒で用意したサプライズなんだ。喜んでくれるかな？あ、そうだ、パパに聞いてみよう！パパのセンスはいつも最高だから！」

龍旭はタブレットを抱えて自分の部屋に駆け込み、「バタン！」と音を立ててドアを閉めた。

美琴の下腹部はまだ痛んでいた。龍旭に突き飛ばされたことで、その痛みは心にまで深く突き刺さった。

美琴は感じていた。息子との距離が、どんどん遠くなっていくことを。

龍旭を産んだ時、美琴は命を懸けていた。

難産で大出血。医師からは、母体か子供か、どちらを選ぶかと問われたほどだ。

美琴は迷わず、息子を選んだ。

死の淵を彷徨い、唯一の信念は、子供から母親を奪ってはいけない、ということだった。

そして、この世に彼を一人残して苦しませたくない、と。

美琴は強い意志力で、再び生き延びた。

龍旭を育てるのは、決して順調ではなかった。

一度死を経験したことや、産後うつが重なったこともあり、一瞬たりとも息子から離れることができなかった。夜通し泣き続け、ミルクも飲まない龍旭を、ほとんど眠らずに看病した。龍旭をうまく育てられないのではないかと、ただそれだけが怖かった。

あれほど辛い時期を乗り越えてきたのに、龍旭の美琴に対するよそよそしさには、耐えられなかった。

最初は、龍旭はとても美琴に懐いていた。

しかし、ここ二年ほど、美琴は自分が鬱になりそうで、息苦しさを感じていた。だから、再び仕事を始めたのだ。

忙しく、出張も多かったため、一緒に過ごす時間は少なくなった。

司が龍旭を連れて出かけることが多くなった。

そうこうしているうちに、彼女と息子の関係は薄れていった。

今は、むしろ司の方に懐くようになった。

「奥様、大丈夫ですか？」

使用人は、美琴の顔色が先ほどよりもさらに青ざめているのを見て、心配そうに尋ねた。

美琴は拳を強く握りしめ、気持ちを落ち着かせ、冷ややかな声で手を振った。その声は冷ややかだった。「大丈夫。夕食は結構わ」

そう言って、美琴は自分の部屋に戻った。

体調が優れない美琴は、部屋でしばらく眠った。

空が暗くなり、ようやく彼女は目を覚ました。

部屋には彼女一人。長い夜は、ひときわ静かだった。

水を飲もうと、体を起こしてベッドから降り、ドアのところまで行くと、外から楽しそうな賑やかな声が聞こえてきた。

ドアを開けてみると、案の定、紅空が来ていた。

紅空はダイニングテーブルに座り、司と龍旭と夕食を共にしていた。

紅空は着飾っていた。完璧なメイクに、美しい顔立ち。美琴が紅空と出会ってからずっと、紅空はいつも輝いていて、まるで光り輝く大スターのように、誰もが目を奪われる存在だった。

三人の顔には、笑顔が浮かんでいた。

まるでこの三人こそが本当の家族で、美琴はただの部外者であるかのように。

そして、彼女の息子は紅空の隣に座り、時折彼女に甘え、最も優しい表情を見せていた。

これこそが、司が最も望んでいた光景なのだろう。

三人家族、和気あいあいと。

案の定、彼女は司が紅空に向ける優しい眼差しと、口元に浮かぶ笑みを見た。この五年、一度も見たことのない表情だった。

司と結婚した当初、周りの人々は彼が冷酷で、浮いた噂一つなかったのは、心の中に忘れられない高嶺の花がいるからだと言った。その時、美琴は信じなかった。

この五年間の付き合いを経て、信じたくなくても、もう現実を突きつけられた。

美琴は壁にもたれ、深く息を吸い込んだ。正直、司の執着にはある意味、感嘆した。紅空を長年愛し続け、一途に想い続けているのだから。

もし、司の祖父が彼に紅空との結婚を許さなかったのなら、きっとこの二人はとっくに一緒になっていたのだろう。

正直、美琴には理解できなかった。紅空は家柄も良く、美人で、司もこれほど愛しているのに、なぜ紅空ではなく、自分と結婚したのだろう？

もし、彼に愛されていないと知っていたら、こんな誤解を抱いていなかったら、きっと結城家に嫁ぐこともなかっただろう。

すべては、すれ違いの連続だった。

彼女は彼を、解放してあげるべきだ。

「無理に結ばれた縁は甘くない」というけれど、五年も無理強いしても、やはり甘くはならなかった。

もう、離婚するべきだ。