LOGIN「……じゃあ、温め直しますね」
「ありがとうございます」
美月は残っていたおかずを小皿に移し、電子レンジで温めた。おにぎりも、まだ手をつけていないものが二つ残っている。
「本当は、もっときれいに詰めてあったんですよ」
「そうでしょうね」
「朝は、結構うまくできたんです」
美月が苦笑すると、蒼真は申し訳なさそうに眉を下げた。
二人でテーブルにつき、蒼真が卵焼きを口に運ぶ。
「……美味しいです」
「本当ですか?」
「ええ。甘さもちょうどいい」
続いて唐揚げを食べた蒼真は、こちらも美味しいと褒めてくれた。
その言葉を聞いた途端、美月は胸がいっぱいになった。
今朝、欲しかったのは、この時間だったのだ。
「……蒼真さん」
「はい」
「ちょっと、聞いてもらってもいいですか?」<
「……美味しいです」 卵焼きを一口食べた蒼真が、しみじみと言った。「本当ですか?」「ええ。先日のお弁当も美味しかったですが、今日の卵焼きは少し味が違いますね」「気づきました?」 美月は嬉しくなって身を乗り出した。「この前、甘さがちょうどいいって言ってくださったので、今日はお出汁を少し変えてみたんです」「私のために?」「もちろんです!」 蒼真は、もう一口卵焼きを食べた。 その表情があまりにも幸せそうで、美月まで嬉しくなってしまう。「……こういうの、いいですね」「でしょう?」「美月さんが作ってくださったものを、こうして外で一緒に食べる。想像していた以上に楽しいです」 美月は得意げに微笑んだ。「まだまだ、これからですよ!」 食事を終えた後は、芝生の上でのんびり過ごした。 子供を抱っこして園内を散歩したり、池の鴨を眺めたり。特別なイベントがあるわけではないけれど、それだけで十分楽しかった。 途中、子供がぐずり始めると、美月はベビーカーから荷物を取り出した。「そろそろ、おむつかな?」「私が交換しましょうか?」「えっ?」「昨夜、手順も確認しました」 蒼真は真剣だった。 美月は少し驚いた後、くすりと笑った。「じゃあ、一緒にお願いします」 二人でおむつ替えスペースへ向かい、美月が教えながら交換を済ませる。 蒼真は慣れない手つきながらも、一生懸命だった。「……思っていたより難しいですね」「でも、上手でしたよ」「次は、もっと手際よくできるようにします」 その言葉に、美月の胸が温かくなった。 蒼真は、ただお金を使って自分たちを喜ばせようとしているわけではない。 こうして、少しずつ自
「蒼真さん、準備できましたか?」「ええ。いつでも出られます」 約束の日曜日。 内扉を開けた美月は、蒼真の姿を見て目を瞬かせた。 いつものスーツではなく、シンプルなシャツにスニーカー。肩には、見慣れない大きなバッグを提げている。「……そのバッグ、どうしたんですか?」「赤ちゃんとの外出に必要なものを調べまして」 蒼真がバッグを開けると、おむつにおしり拭き、着替え、タオル、ビニール袋まで、きれいに整理されていた。「えっ、全部準備したんですか?」「はい。美月さんばかりに荷物を持たせるわけにはいきませんから」 美月は思わず笑顔になった。「ありがとうございます! 助かります」 蒼真も嬉しそうに微笑んだ。 今日は美月が作ったお弁当もある。保冷バッグをベビーカーの荷物入れに収め、三人は出発した。 駅に到着すると、蒼真はさっそく立ち止まった。「……こちらですね」「何がですか?」「エレベーターです。昨夜、駅の構内図で確認しました」「あ、本当だ!」 美月は驚いた。 普段は車移動の蒼真が、わざわざベビーカーでの乗り換え方法まで調べてくれたらしい。「すごいですね!」「いえ。調べただけですから」 そう答える蒼真の表情は、どこか誇らしげだった。 ところが、改札を抜けたところで問題が発生した。「……美月さん」「はい?」「電車は、どちらに並べばよろしいんでしょうか」 蒼真はホームを真剣に見つめていた。 乗車位置を示す印がいくつもあり、どこに並ぶべきか迷っているらしい。「こっちです。ベビーカーなら、このあたりが乗りやすいですよ」「なるほど」 蒼真は素直に美月の後ろについてきた。 やがて電車が到着
「次のデート、決めました!」 数日後、美月は嬉しそうに蒼真へ告げた。「どちらへ行きましょうか?」「大きな公園です!」「……公園?」 蒼真が不思議そうな顔をした。「この前も行きましたが」「今度は、ちゃんと普通のピクニックをするんです。お弁当を持って、芝生でのんびりして、帰りにソフトクリームを食べるんですよ」「なるほど」 蒼真は真剣に頷いた。「では、車を――」「電車で行きます!」「……電車?」「はい。ベビーカーでも行きやすい駅を調べてあります。公園までも歩いて十分くらいですし」 美月はスマートフォンの画面を見せた。 そこには、子連れでのお出かけ情報をまとめたサイトが表示されていた。「授乳室もおむつ替えスペースもありますし、ベビーカーで歩ける道も多いんです。小さな動物と触れ合える広場もあるみたいですよ」「よく調べましたね」「もちろんです!」 美月は得意げに胸を張った。「それから、今回の予算は三千円です」「……三千円?」「はい。交通費は別ですけど、お昼はお弁当を作りますし、飲み物も持っていくので。現地で使うのは、おやつ代くらいですね」 蒼真は少し考え込んだ。「三千円で、足りますか?」「余ります!」 美月が即答すると、蒼真は目を丸くした。「……そうなんですね」「そうなんです!」 美月は笑った。「それに、子供がもう少し大きくなったら、遊具でも遊べますしね。今は芝生で日向ぼっこするだけでも十分です」 蒼真は、彼女の説明を興味深そうに聞いていた。「美月さんは、こういうお出かけをよくされるんですか?」「子供が生まれてからは、まだそんなに。でも、友達の
「……じゃあ、温め直しますね」「ありがとうございます」 美月は残っていたおかずを小皿に移し、電子レンジで温めた。おにぎりも、まだ手をつけていないものが二つ残っている。「本当は、もっときれいに詰めてあったんですよ」「そうでしょうね」「朝は、結構うまくできたんです」 美月が苦笑すると、蒼真は申し訳なさそうに眉を下げた。 二人でテーブルにつき、蒼真が卵焼きを口に運ぶ。「……美味しいです」「本当ですか?」「ええ。甘さもちょうどいい」 続いて唐揚げを食べた蒼真は、こちらも美味しいと褒めてくれた。 その言葉を聞いた途端、美月は胸がいっぱいになった。 今朝、欲しかったのは、この時間だったのだ。「……蒼真さん」「はい」「ちょっと、聞いてもらってもいいですか?」 蒼真は箸を置き、美月に向き直った。「もちろんです」 美月は膝の上で両手を握った。「私、蒼真さんには、本当に感謝してるんです。助けてもらって、住むところまで用意してもらって……。今も、すごくお世話になってます」「美月さん。それは――」「最後まで聞いてください」 蒼真が口を閉じる。 美月は小さく息を吸った。「助けてもらった立場で、こんなことを言うのは違うのかもしれません。でも、蒼真さんが私を喜ばせたいと思ってくれるのと同じくらい、私だって、蒼真さんに何かしてあげたいんです」 蒼真は黙って耳を傾けていた。「だけど、私はお金持ちじゃないし、水族館を貸し切ることも、高級なお店の料理を用意することもできません」 美月は、テーブルの上のお弁当を見つめた。「だから、せめてお弁当くらいはって思ったんです。蒼真さんが喜んでくれるかなって、朝から一生懸命作ったんですけど&he
コンコン。 内扉をノックする音が聞こえたのは、美月がお弁当を半分ほど食べ終えた頃だった。「美月さん、今、少しよろしいですか?」 蒼真の声だった。「あ、はい! ちょっと待ってください」 美月は慌てて箸を置いた。 お弁当箱を片づけようとしたものの、食べかけのまま冷蔵庫に入れるのも気が引ける。 結局、テーブルの端に寄せてから内扉を開けた。「お疲れではありませんか?」「大丈夫です。子供も、さっき寝たところなので」「そうですか。今日撮った写真をお送りしようと思ったのですが、少しお話ししてもよろしいですか?」「もちろんです。どうぞ」 美月に招かれ、蒼真は部屋に入った。「今日はありがとうございました」「こちらこそ。お天気もよくて、気持ちよかったですね」 美月がそう答えると、蒼真は穏やかに微笑んだ。 ところが、スマートフォンを取り出したところで、ふと視線を止めた。「……お食事中でしたか?」「あっ」 美月は思わずテーブルを振り返った。 そこには、朝から持ち歩いていたお弁当箱が置かれている。「すみません。ちょっとお腹が空いちゃって」「昼食が足りませんでしたか?」「いえ! そんなことはないです!」 美月が慌てて否定すると、蒼真は不思議そうに首を傾げた。「それは、手作りですか?」「……はい」「美味しそうですね」 蒼真は何気なくそう言ってから、お弁当箱の隣に置かれた保冷バッグに気づいた。 美月が公園へ持ってきていたバッグだった。「もしかして……」 蒼真の表情が変わった。「それは、今日のために?」 美月は返事に詰まった。 今さら隠しても仕方がない。「&h
「昼食……ですか?」「ええ。外で食べるなら、こちらがいいかと思いまして」 蒼真が示した先には、立派なピクニックバスケットが置かれていた。 男性が蓋を開けると、中には色とりどりのサンドイッチやサラダ、フルーツがきれいに詰められている。「本日は、こちらをご用意いたしました」「……わあ」 思わず声が漏れた。 見るからに美味しそうだった。サンドイッチにはローストビーフやスモークサーモンが挟まれ、フルーツも一つ一つ丁寧にカットされている。「お飲み物もございますので、どうぞごゆっくりお楽しみください」 男性はそう言って、蒼真に一礼した。「ありがとうございます」 蒼真が礼を述べると、男性はその場を離れていった。 美月は、手に持っていたバッグをそっと見下ろした。 中には、今朝早く起きて作ったお弁当が入っている。 おにぎりに卵焼き、唐揚げ。 蒼真が喜んでくれると思って、張り切って作ったものだった。「美月さん、こちらに座りましょう」「……はい」 蒼真がレジャーシートを広げる。 美月はバッグを脇に置き、子供の様子を確かめてから腰を下ろした。「美味しそうですね」「ええ。以前、利用したことのある店なので、味は間違いないと思います」 蒼真は満足そうだった。 美月が食事の準備をする必要がないようにと、気を遣ってくれたのだろう。 その気持ちは、よく分かる。 けれど。「……あの、蒼真さん」「はい?」 美月は口を開きかけた。 自分もお弁当を作ってきたのだと、今なら言える。 しかし、目の前には立派なサンドイッチが並んでいる。これだけの料理を用意してもらったのに、さらにお弁当を広げても食べきれないだろう。