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第1070話

Author: 浮島
運転手は相手の顔にどこか見覚えがある気がしたが、どこで会ったのか思い出せなかった。ただこう言った。

「車をどけてもらえますか。こちらは出たいんですが」

助手は心の中で悪態をつきながらも、笑みを浮かべて答えた。

「申し訳ありません。うちの松木社長が関水社長と少しお話ししたいそうでして」

運転手は一瞬きょとんとする。

「は?」

助手は後部座席の瑛司に視線を向け、示すように言った。

「こちらが松木社長です」

運転手は指し示された方を見る。

後部座席に座る男の姿が目に入った。

車内は薄暗く、外もすでに夜で、顔までははっきり見えない。

だがその男が放つ気迫だけで、ただ者ではないと分かった。

蒼空のそばで3年働き、ある程度の場数は踏んでいる。

すぐに重要な商談か何かだろうと判断し、瑛司に軽く会釈すると、自分の車へ戻り、運転席のドアを開けて蒼空に向き直った。

「関水社長、あちらの車に松木社長がおられます。お話があるそうですが、いかがなさいますか」

蒼空の眉が瞬時に寄る。

「松木社長?」

「はい」

昨夜目にしたメッセージを思い出す。

もう出発すると言っていたはずの
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